城へ続く道
城までは、荷役の使う搬送路で近づく。荷車に見張りの目が向いているあいだなら、潜り込みやすいからだ。そう決めて浮園で二十日ほど過ごしたころ、後ろから追ってくる気配に気づいた。
岩から岩へ、跳脚と影渡りで移る俺を、小柄な影が追っている。浮岩の隙間を、器用に跳び越えながら。鎖の上で待っていると、息を切らせた牙魔が現れた。灰色の肌に少し濃い筋が走り、赤い目がまっすぐ俺を見る。
「アシュ」
コルだった。しばらく見ない間にまた背が伸び、足の筋肉が太くなって、牙の先も鋭い。何より声に力があった。
「ぼく、きた。ひろい、とこ、はやい、な」
城へ近づくと胸が苦しくなる、と言っていた彼が、浮園まで追ってきたのだ。痛くないのかと訊くと、コルは胸を叩いて歯を見せた。
「いたい。ちょっと。でも、アシュ、いない、もっと、いや」
無理に笑っている。追い返すべきだと頭は言った。ここは境界の手前で、まだ辛うじて自由に動ける場所だ。それでも俺は黙って頷いた。ここまで来た彼の判断を、追い返す権利が俺にあるのか、分からなかった。
*
浮園から城へ続く搬送路は、古い吊り橋だった。黒いガラス質の岩のあいだに、錆びた鎖と板を渡しただけの頼りない道で、荷車の轍が深く刻まれている。長さは百二十歩ほど。向こう岸は霞んで、半分も見えない。二人並ぶと板が軋み、コルは足元を覗き込んで顔をしかめた。
「した、ない」
「ない」
「おちたら、どこ、いく」
「知らん」
コルが笑った。俺は歩きながら荷車の列を数えていた。ザグを失ってから、指揮を取る監督官が減ったらしい。見張りの動きは緩い。それより気になるのは橋のほうだ。先へ行くほど、板を留める釘が錆びて浮いている。
「板の端は踏むな。鎖の真上を歩け」
「くさり、うえ?」
「そこだけ釘が新しい」
コルは言われた通り、鎖の真上を二十歩歩くあいだ、一度も板の端を踏まなかった。覚えが早い。出会った頃は足元ばかり見て転んでいたのに、と思い出して、少しだけ口元が緩んだ。
橋の中ほどで、先頭の荷車が止まった。前方の鎖が一本、切れかかっている。荷役たちが騒ぎ、止まった車列の後ろで、板が重みにたわんだ。脇を抜けようとした、そのとき。コルの足元で、板が割れた。
細い体がふっと沈んだ。声を上げる暇もなく、板の隙間から奈落へ落ちていく。
考えるより先に、体が動いた。板の上に影の帯を敷き、意識を沈める。帯は八歩、連続で使えるのは三度まで。落ちるコルまでなら、一度で足りる。
影渡り。
橋の下へ出た。落ちていくコルの真横だ。腕を掴むと、二人分の重さが殻の腕にのしかかる。足場はない。影の線を上へ飛ばして橋の鎖に巻きつけると、ぎゅん、と張って、膜が千切れそうに鳴った。
「アシュ」
「黙ってろ。舌を噛む」
黒爪を鎖に引っかけ、落下の勢いを殺した。コルを抱えたまま鎖にぶら下がり、息を整えてからよじ登る。
板の上に這い上がると、荷役たちが無言で見ていた。腕は鎖に擦れて熱く、手のひらには赤い筋が三本ついていた。座り込んだコルは震えていたが、やがて顔を上げた。
「アシュ。いま、きえた」
「消えてない。影で移動した」
「すごい」
横で荷役の一人が小さく「馬鹿か」と呟いた。同感だったので否定しなかった。コルの目はもうきらきらしている。膝はまだ笑っているくせに。死にかけたばかりなのに、この切り替えの速さは見習うべきだ。
「もういっかい」
「やらない」
「いっかいだけ」
「落ちたいなら、一人で落ちろ」
下の闇から風の鳴る音が上がってきた。コルはそれを聞かなかったことにして、荷役の最後尾へ小走りに戻っていった。
*
夜は橋の袂の岩場で、焚き火のない野営をした。見張りは二刻ごとに交代する。その間隔を、石を積んで数えた。干し肉を半分に割って渡すと、コルは三口で食べ、俺の手に残った端を見つめた。やった。
コルは殻をまとった俺の腕を、飽きずに触っている。叩いたり、爪で引っかいたりして、硬さを確かめていた。
「かたい」
「そうだ」
「あったかい」
殻に頬をくっつけて、コルが言った。
「アシュ、もう、ぼくの、でかい」
「お前も伸びたぞ」
「ぼく、まだ、ちいさい」
口を尖らせたあと、コルは真顔になって、遠くの城の方角を見た。
「アシュ。しろ、いく? ころす?」
少し黙って、言葉を選んだ。
「領主を倒す。そうしないと、ここから出られない」
「ぼく、てつだう。……できない」
コルは自分の胸を叩いた。鎖で縛られているような痛みが、そこにあるのだろう。眉間にしわが寄っている。俺はその頭に手を置いた。
「いい。お前は森で待て。生きてろ」
「まつ?」
「俺が領主を倒したら、真っ先に会いに行く」
コルは目を丸くして、ぎゅっと唇を結び、頷いた。
「やくそく」
「約束だ」
石を二度叩き、一拍置いて、もう一度叩く。通れる、の合図だ。コルが同じ拍子で叩き返した。
*
朝、コルは浮園の入口へ引き返していった。何度も振り返りながら。
俺は一人で橋を渡りきり、城の外縁へ向かった。眼前に、巨大な壁がそびえている。灰色の鎖が壁一面に這い、塔の上から地面まで垂れ下がり、壁の上には見張りの影が並んでいた。その壁の根元で、何かが石を積んでいた。
遠くからでも分かる、大きな背中。
城は近い。背中で、尾が一度だけ強張った。
第二部「光る魔界と、選ぶ影」完。次回から第三部「魔将を討って帰る」です。




