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地獄の最下級悪魔に転生した元斥候、「殺せ」の命令を蹴って魔核を喰らい進化する ~地獄を束ねても、帰る場所は十年待たせた仲間の食卓です~  作者: 雅龍(がりゅう)
第二部 光る魔界と、選ぶ影

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城へ続く道

城までは、荷役の使う搬送路で近づく。荷車に見張りの目が向いているあいだなら、潜り込みやすいからだ。そう決めて浮園で二十日ほど過ごしたころ、後ろから追ってくる気配に気づいた。


岩から岩へ、跳脚と影渡りで移る俺を、小柄な影が追っている。浮岩の隙間を、器用に跳び越えながら。鎖の上で待っていると、息を切らせた牙魔が現れた。灰色の肌に少し濃い筋が走り、赤い目がまっすぐ俺を見る。


「アシュ」


コルだった。しばらく見ない間にまた背が伸び、足の筋肉が太くなって、牙の先も鋭い。何より声に力があった。


「ぼく、きた。ひろい、とこ、はやい、な」


城へ近づくと胸が苦しくなる、と言っていた彼が、浮園まで追ってきたのだ。痛くないのかと訊くと、コルは胸を叩いて歯を見せた。


「いたい。ちょっと。でも、アシュ、いない、もっと、いや」


無理に笑っている。追い返すべきだと頭は言った。ここは境界の手前で、まだ辛うじて自由に動ける場所だ。それでも俺は黙って頷いた。ここまで来た彼の判断を、追い返す権利が俺にあるのか、分からなかった。


*


浮園から城へ続く搬送路は、古い吊り橋だった。黒いガラス質の岩のあいだに、錆びた鎖と板を渡しただけの頼りない道で、荷車の轍が深く刻まれている。長さは百二十歩ほど。向こう岸は霞んで、半分も見えない。二人並ぶと板が軋み、コルは足元を覗き込んで顔をしかめた。


「した、ない」


「ない」


「おちたら、どこ、いく」


「知らん」


コルが笑った。俺は歩きながら荷車の列を数えていた。ザグを失ってから、指揮を取る監督官が減ったらしい。見張りの動きは緩い。それより気になるのは橋のほうだ。先へ行くほど、板を留める釘が錆びて浮いている。


「板の端は踏むな。鎖の真上を歩け」


「くさり、うえ?」


「そこだけ釘が新しい」


コルは言われた通り、鎖の真上を二十歩歩くあいだ、一度も板の端を踏まなかった。覚えが早い。出会った頃は足元ばかり見て転んでいたのに、と思い出して、少しだけ口元が緩んだ。


橋の中ほどで、先頭の荷車が止まった。前方の鎖が一本、切れかかっている。荷役たちが騒ぎ、止まった車列の後ろで、板が重みにたわんだ。脇を抜けようとした、そのとき。コルの足元で、板が割れた。


細い体がふっと沈んだ。声を上げる暇もなく、板の隙間から奈落へ落ちていく。


考えるより先に、体が動いた。板の上に影の帯を敷き、意識を沈める。帯は八歩、連続で使えるのは三度まで。落ちるコルまでなら、一度で足りる。


影渡り。


橋の下へ出た。落ちていくコルの真横だ。腕を掴むと、二人分の重さが殻の腕にのしかかる。足場はない。影の線を上へ飛ばして橋の鎖に巻きつけると、ぎゅん、と張って、膜が千切れそうに鳴った。


「アシュ」


「黙ってろ。舌を噛む」


黒爪を鎖に引っかけ、落下の勢いを殺した。コルを抱えたまま鎖にぶら下がり、息を整えてからよじ登る。


板の上に這い上がると、荷役たちが無言で見ていた。腕は鎖に擦れて熱く、手のひらには赤い筋が三本ついていた。座り込んだコルは震えていたが、やがて顔を上げた。


「アシュ。いま、きえた」


「消えてない。影で移動した」


「すごい」


横で荷役の一人が小さく「馬鹿か」と呟いた。同感だったので否定しなかった。コルの目はもうきらきらしている。膝はまだ笑っているくせに。死にかけたばかりなのに、この切り替えの速さは見習うべきだ。


「もういっかい」


「やらない」


「いっかいだけ」


「落ちたいなら、一人で落ちろ」


下の闇から風の鳴る音が上がってきた。コルはそれを聞かなかったことにして、荷役の最後尾へ小走りに戻っていった。


*


夜は橋の袂の岩場で、焚き火のない野営をした。見張りは二刻ごとに交代する。その間隔を、石を積んで数えた。干し肉を半分に割って渡すと、コルは三口で食べ、俺の手に残った端を見つめた。やった。


コルは殻をまとった俺の腕を、飽きずに触っている。叩いたり、爪で引っかいたりして、硬さを確かめていた。


「かたい」


「そうだ」


「あったかい」


殻に頬をくっつけて、コルが言った。


「アシュ、もう、ぼくの、でかい」


「お前も伸びたぞ」


「ぼく、まだ、ちいさい」


口を尖らせたあと、コルは真顔になって、遠くの城の方角を見た。


「アシュ。しろ、いく? ころす?」


少し黙って、言葉を選んだ。


「領主を倒す。そうしないと、ここから出られない」


「ぼく、てつだう。……できない」


コルは自分の胸を叩いた。鎖で縛られているような痛みが、そこにあるのだろう。眉間にしわが寄っている。俺はその頭に手を置いた。


「いい。お前は森で待て。生きてろ」


「まつ?」


「俺が領主を倒したら、真っ先に会いに行く」


コルは目を丸くして、ぎゅっと唇を結び、頷いた。


「やくそく」


「約束だ」


石を二度叩き、一拍置いて、もう一度叩く。通れる、の合図だ。コルが同じ拍子で叩き返した。


*


朝、コルは浮園の入口へ引き返していった。何度も振り返りながら。


俺は一人で橋を渡りきり、城の外縁へ向かった。眼前に、巨大な壁がそびえている。灰色の鎖が壁一面に這い、塔の上から地面まで垂れ下がり、壁の上には見張りの影が並んでいた。その壁の根元で、何かが石を積んでいた。


遠くからでも分かる、大きな背中。


城は近い。背中で、尾が一度だけ強張った。


第二部「光る魔界と、選ぶ影」完。次回から第三部「魔将を討って帰る」です。

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