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地獄の最下級悪魔に転生した元斥候、「殺せ」の命令を蹴って魔核を喰らい進化する ~地獄を束ねても、帰る場所は十年待たせた仲間の食卓です~  作者: 雅龍(がりゅう)
第二部 光る魔界と、選ぶ影

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追う影、選ぶ道

回廊の出口へ向かう途中で、先に声をかけられた。


「命令が来ました」


晶柱の裏から、リゼが歩み出た。外套の襟を上げ、顔の半分を布で隠している。尾の針が、地面に小さな音を立てて揺れていた。


「あなたを見つけて、足止めして、城へ連れ戻せ。そういう内容です。先に言っておくのは、取引相手への礼儀と思ってください」


俺は柱に背をつけたまま、動かなかった。


戦う気なら、声はかけない。


「受けるのか」


「受けないという選択肢が、私にはありません」


そう言うと、リゼの輪郭が、ふっと薄くなった。


影に溶けたのだ。


柱の影から柱の影へ、ほとんど足音を立てずに、彼女の気配が移動していく。追う者の動きだった。俺は跳んだ。


*


晶柱の森を、全力で駆けた。


影は薄い。膜は伸びない。リゼは光の少ない場所を選んで、確実に距離を詰めてくる。一度、足元に細い刃が閃いた。跳脚で飛び退くと、さっきまで足があった床に、針のような黒い線が刺さっている。


速い。それに、静かだ。


追いつかれる。


走りながら、地図を広げた。回廊の出口へ向かう道は三つ。真ん中が最短で、右は遠回り、左は行き止まり。全部リゼが売った道で、彼女もこの三つを知っている。


彼女が選ぶのは、最短の真ん中だ。


俺は、あえて左の道に入った。


行き止まり。……のはずだった。だが、地図の線の端に、小さな書き込みがあった。リゼが自分で引いた細い印。そこに、岩の割れ目があると読めた。


割れ目は、本当にあった。


身体を斜めにして滑り込む。狭い。が、通れる。


抜けた先は、真ん中の道の途中。追ってきたリゼの、真正面だった。


足音がした。影の気配が、こちらに突っ込んでくる。


俺は柱の根元に、晶の破片を三つ並べて置いた。足元を縫う、細い道に。


リゼは音もなく滑り込んできた。影を伝う足は、確かに静かだ。だが、床を踏まなければ、移動はできない。


破片が、ちりん、と鳴った。


小さな音でも、回廊の壁が何倍にも増幅する。リゼの動きが一瞬、止まった。


そこへ、俺の影が走った。


柱の背から伸ばした膜が、彼女の足首に絡む。ぐい、と引く。リゼは転びはしなかった。が、バランスが崩れた。


外套の裾を掴んだ。そのまま壁際へ押し込む。


リゼは壁に背中をつけて、俺を見上げた。青い目が、細くなった。


「……やってくれますね」


声に、悔しさは混じっていなかった。むしろ、少し笑っている。


爪を、彼女の喉元に当てた。


「帰れ。見つからなかったと、言え」


リゼは爪の先を見下ろして、静かに息を吐いた。


「それは、命令の範囲を超えます」


「なら、ここで止まったことにしろ」


一拍。


リゼは外套の襟を押さえた。首筋の刻印が、鈍く光っている。命令が、彼女の中で引き絞られているのが分かる。この距離だと、彼女の苦痛が肌で伝わるようだった。


俺は爪を、そっと引いた。


「……あなたは、敵を殺さないんですね」


「今は殺す気がない」


「甘い」


「かもな」


リゼは壁から離れ、数歩下がった。それから、肩をすくめた。


「私は、見つけて、足止めして、戻れなかったと報告します。あなたは、足止めを破って逃げた。どちらも、嘘は言っていません」


命令の隙間を縫った言い方だった。


彼女は踵を返し、柱の影へ半歩踏み出して、振り返った。


「精算の話ですが。今回のことは、貸しにしておきます。次にお会いしたとき、利子を請求します」


「勝手にしろ」


リゼは笑い、影に溶けた。


味方になったわけじゃない。敵のまま終わったわけでもない。よく分からない相手だ。それが、案外、悪くなかった。


*


回廊の出口が見えたのは、さらに半日歩いてからだった。


光の色が、青から紫へ変わった。晶柱の列が途切れ、岩の裂け目から風が吹き込んでくる。重い風だった。熱くも冷たくもなく、花の匂いがした。


外へ出ると、空が低かった。


黒いガラスのような岩の塊が、空中に浮かんでいる。大きいものは村ほどもあり、小さいものは俺の背丈ほどで、岩同士のあいだを透明な鎖が細く繋いでいた。岩の上には、逆さに咲く紫の花が群生している。茎は地面ではなく空へ向かって伸び、花弁は下を向いて風に揺れていた。


夜硝浮園。


荷役が使っていた古い呼び名が、頭に浮かんだ。


美しかった。黒い岩が星のない夜空を映し、紫の花が呼吸するように光る。見惚れたまま、一歩踏み出した。


足元の岩が、傾いた。


慌てて跳脚で隣の岩へ飛び移る。浮いているというのは、動くということだ。重みがかかれば、傾く。鎖が軋み、岩が揺れた。


しばらく、足場の癖を覚えるために歩き回った。


向こうの大きな岩の上に、黒いものが動いていた。


目を凝らすと、巨大な獣だった。


馬ほどの体躯に、全身を黒い殻が覆っている。背中は隆起した甲羅のようで、脚は太く、爪が岩の表面に深く食い込んでいる。獣が一歩進むたびに、岩が沈み、鎖が張る。それでも獣は倒れず、重さを足から足へ移して、軽々と次の岩へ渡っていった。


重いのに、落ちない。爪で足場を掴み、殻で身体を守り、重さを逃がしている。


あの身体なら、この浮園を歩ける。影と跳脚は、軽さに頼った戦い方だ。足場が崩れたら、俺は落ちる。高いところへ行くには、落ちない身体が要る。


俺は、黒い獣の背中を目で追った。


次の進化は、あれにしよう。


紫の花が、逆さの空で、揺れていた。


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