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月と剣のプリンセス ―Moon & Blade―  作者: 澄宵レク
第一部 未冠のプリンセス
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15/35

第15話 未冠のプリンセス

 朝のルベルは、シャルネの村よりずっと騒がしかった。


 貸店舗の二階で目を覚ましたラヴィナの耳に、馬車の車輪が石畳を鳴らす音が届く。窓際では、ミレイが朝日に照らされた通りを眺めていた。


「おはよう、ラヴィナ!」

「おう。早えな」

「何だか嬉しくて、早く起きちゃった」


 昨日、自分の花屋になる店を見た時から、ミレイはずっと機嫌がよい。ラヴィナは寝床を片づけ、小太刀を腰に差した。


「そろそろ帰るか。ばあちゃんにも一泊で帰るって言ってあるし」

「うん……ねえ、ラヴィナ。帰る前にちょっとだけ寄り道しない?」

「寄り道?」

「せっかくルベルまで来たんだもの。お買い物したいなって」

「昨日もあんなに歩いたのに、まだ歩くのかよ」

「昨日はお仕事。今日はお買い物!」


 ミレイは両親への土産と、自分へのご褒美を買いたいのだという。


「……ちょっとだけだぞ」

「うん! ちょっとだけ!」


 その返事があまりに元気なので、ラヴィナはかえって不安になった。


 階段を下りると、まだ何も並んでいない店内に朝日が差していた。ミレイは入口近くで足を止める。


「ここに白い花を並べたいな」

「外から見えるようにか?」

「そう! 綺麗だと思わない?」

「だったら朝のうちに運ばねえとな」

「ラヴィナが運んでくれたら助かるんだけどなあ」

「おい。まだ引き受けてねえぞ」


 二人は笑いながら戸を閉めた。


     ◇


 大通りには色鮮やかな布が吊られ、焼きたてのパンの匂いが漂っていた。商人が品物を並べ、旅人が宿を出て、荷馬車がゆっくり通り過ぎていく。


「見て、ラヴィナ! あの髪飾り、可愛くない?」

「そうか?」

「もう、ちゃんと見てよ!」

「見てるって」

「どこを?」

「……あっちの馬車」

「やっぱり!」


 ミレイは頬を膨らませ、すぐに笑った。ラヴィナもつられて笑う。


 普段なら、こんな人混みでは無意識に周囲の動きを警戒している。だが今日は、危険を探す必要も、報酬のことを考える必要もない。ただ友達に腕を引かれて、気になった店を覗けばいい。


 ミレイが見つけたのは、服飾店だった。


 店内には色とりどりの衣服が並ぶ。ミレイは二着を胸元に当てて尋ねた。


「こっちとこっち、どっちがいいと思う?」

「右」

「ちゃんと見た?」

「見たって」

「じゃあ、どうして?」

「そっちの方が動きやすそうだから」

「ラヴィナって、何でも動きやすさで決めるんだから」

「服なんて動きやすい方がいいだろ」

「似合うかどうかを聞いてるの!」


 ラヴィナは改めて見比べた。明るい色の方が、ミレイの表情に馴染んで見える。


「……だったら、そっちだな」

「さっきと違うよ?」

「今度は似合う方。お前、明るい色の方が似合うと思うぞ」

「本当?」

「ああ。花を持ってる時もそういう色が似合ってる」


 ミレイは嬉しそうに笑った。


 母親には小さな飾り、父親には丈夫な革小物。ミレイは家族が喜ぶ姿を思い浮かべながら土産を選んだ。自分用には、普段より少し上品な服を買うらしい。


「お父さん、これ使ってくれるかな?」

「丈夫そうだし、使うだろ」

「ちゃんと見てくれた?」

「縫い目まで見たぞ」

「ふふっ。そういうところは詳しいんだね」


 ラヴィナは笑いながら、祖母にも何か買って帰ろうかと考えた。だがリゼアが欲しがりそうな飾り物は思いつかない。花を持って帰れば喜ぶだろうか。いや、あの山には花がいくらでもある。


「ばあちゃんへの土産って、何がいいんだろうな」

「リゼアさんに? 綺麗なものも喜んでくれると思うけど」

「綺麗なもの、ねえ」

「ラヴィナが選んでくれたら、何だって嬉しいと思うよ」

「そういうもんか?」

「そういうものだよ。お土産って、品物だけじゃないもの」


 ミレイは母親のために選んだ小さな飾りを掌に載せ、光へかざした。ラヴィナには同じような飾りの違いがまだよく分からない。それでも、選んでいる時のミレイの顔を見れば、品物そのものより、贈る相手を思う時間が大切なのだということは少し分かった。


 通りの向こうから鐘の音が聞こえる。店先の布が風に揺れ、壁に淡い影を落とした。シャルネ村で過ごす朝とは何もかも違うのに、隣にミレイがいるだけで、不思議と居心地は悪くなかった。


 そんなラヴィナを、ミレイがじっと見つめていた。


「……何だよ」

「今度はラヴィナの服も選ぼうよ」

「俺の?」

「これから私の花屋を手伝ってくれるかもしれないでしょ?」

「まだ決めたわけじゃねーぞ」

「私が留守の時、お店に立ってもらうこともあるかもしれないし」

「花を運ぶ話じゃなかったのか?」

「どっちもお願いできたら嬉しいな」

「仕事増えてんじゃねえか!」


 ミレイは笑ってラヴィナの肩に手を置いた。


「花屋さんなんだから、もう少し清楚な格好をしないと」

「清楚? 俺が?」

「似合うよ、絶対。ほら、王女様みたいな、上品で綺麗な雰囲気!」

「はあ? 俺が王女様みたいに?」

「花って綺麗でしょ? 売る人も綺麗な格好をしてたら、花の美しさがもっと引き立つと思うの」

「花を売るのに王女様になる必要ねーだろ!」

「王女様になるんじゃなくて、王女様みたいに綺麗になるの!」


(こいつ……何か企んでねえか?)


 逃げるより早く、ミレイは棚から服を取り上げていた。


     ◇


「ほら! 可愛い!」

「……動きにくい」

「まずそこなの?」


 ラヴィナは長いスカートの裾をつまんだ。襟元の整ったブラウスも、いつもの服とは肌触りが違う。


「これ、走ったら引っかかりそうだな」

「走らなくていいの!」

「転んだらどうすんだよ」

「転ばないように歩くの!」


 ミレイはラヴィナの肩を直し、背筋を伸ばさせた。


「あと、その手」

「何だ?」

「腰に置かないで」


 ラヴィナは無意識に小太刀の柄がある位置へ手をやっていた。試着のため、武器は脇に置いてある。


「癖なんだよ」

「今日はお花屋さんなんだから」

「まだ店開いてねえだろ」


 次は淡い青色のワンピース。さらに、襟元に小さな刺繍の入った白いブラウス。服が変わるたび、ミレイは袖を整え、少し離れて眺め、また別の品を探しに行く。


「お前、俺で遊んでるだろ」

「そんなことないよ」

「絶対嘘だ」

「ふふっ」


 店員まで笑っている。ラヴィナは鏡に映った自分を見て、眉をひそめた。服一つで歩幅も姿勢も変わる。いつもなら気にしない肩の位置さえ、妙に意識してしまう。


「何か、俺じゃねえみたいだな」

「ちゃんとラヴィナだよ」

「そりゃそうだけどさ」

「いつもと違うラヴィナが見られて、私は嬉しいな」


 そう言われると、文句も言いにくい。


 ミレイは腕を組んで考え込んだ。


「うーん……」

「何だよ。まだあるのか?」

「服はいいんだけど……髪型も変えたら、もっと似合うと思うんだよね」

「髪?」

「そう。長い髪とか」

「冗談だろ。伸ばすのに何年かかると思ってんだ」

「大丈夫。いいものがあるから!」


 ミレイが店員へ相談すると、奥から付け髪とかつらが運ばれてきた。長さも色も様々で、丁寧に梳かれた髪束は光を柔らかく反射している。


「へえ……こんなの売ってんのか」

「これなら髪を伸ばさなくても長くできるよ」

「便利なもんだな」


 最初に選ばれたのは、ラヴィナの髪に近い濃い茶色の付け髪だった。店員が短い髪へ固定すると、肩の先まで髪が流れる。


 鏡の前に立ったラヴィナは目を丸くした。


「……誰だ、これ」

「ラヴィナだよ!」

「いや、そうだけどさ」


 首筋をくすぐる毛先が落ち着かない。肩を動かすたびに髪が揺れる。


「何か変な感じだな」

「でも、似合ってるよ」


 ミレイは背後に回り、髪を整えた。鏡の中で二人の視線が合う。


「こうして髪を下ろすと、雰囲気が全然違うね」

「……そうか?」

「うん。少しお姉さんみたい」

「俺とお前、同い年だろ」

「そうだけど!」


 ラヴィナはもう一度鏡を見た。見慣れない姿なのに、思ったほど嫌ではない。


 山道を走る時、髪が顔にかからないことは当たり前だった。汗を拭うのにも、剣を振るのにも短い髪の方が都合がいい。長い髪を結って、ほどいて、また整えるなど、これまで考えたこともなかった。


 けれど鏡の中には、知らなかった自分の姿がある。誰かに見せるために整えられた髪。戦いのためではなく、ただ綺麗だと思ってもらうための姿。


(……意外と悪くねえな)


 そう思った自分に、ラヴィナは少し驚いた。いつもの自分を嫌いなわけではない。ただ、別の姿をしていても、自分は自分のままでいられるらしい。


 その感想は口にしなかった。聞かれたら、さらに何着も試されそうだったからだ。


     ◇


「あっ!」


 ミレイが別のかつらを見つけた。


 淡いプラチナブロンドの長髪。光の当たり方で銀色にも見えるその髪を見た瞬間、ラヴィナの脳裏に一人の少女が浮かんだ。


 エレナ。


 シャルネ村で過ごした夜、隣で海の話をしていた王女。静かに笑う時、頬の横で揺れていた長い髪。


「ねえ、ラヴィナ! この色、すごく綺麗じゃない?」

「……確かに、見覚えのある色だな」

「でも、絶対似合うと思う!」

「お前、さっきからそれしか言ってねえぞ」

「一回だけ! お願い!」

「……一回だけな」


 ラヴィナは苦笑しながら椅子に座った。


 店員が短い髪をまとめ、かつらを載せる。額の生え際を整え、肩へ流れる髪を梳く。淡い色の髪が鏡の中に広がるにつれて、ミレイの声が静かになった。


「……すごい」

「何だよ」

「ラヴィナ、ちょっとこっち向いて」


 振り返ると、ミレイはぱっと笑顔になった。


「本当に王女様みたい!」

「だから髪の色だけだって!」


 ラヴィナは毛先を指で持ち上げた。指の間を滑る淡い髪は、シャルネ村で見たエレナの髪とよく似た色をしている。


 あの夜、エレナは眠れないまま、ラヴィナと海の話をした。王女だからといって偉そうにすることもなく、知らないことを尋ねる時には真剣な目をしていた。あんなふうに相手の言葉を待てるのは、どうしてだろう。ラヴィナなら、答えが遅ければすぐに次の質問を投げてしまう。


 髪の色が同じでも、エレナの穏やかさまで身につくわけではない。鏡の中の少女は、いつものラヴィナの目でこちらを見返していた。


 それが少し可笑しくて、少し安心した。


「こういう格好に慣れてる奴なら、もっと落ち着いて座ってるんだろうな」

「ふふっ。確かに、ラヴィナはすぐ動いちゃうもんね」

「ほら、やっぱり違うだろ」

「でも、今日は動かないで。もう少し見たいから」


 ミレイは真剣な顔で髪を整えた。いつも花を束ねる時と同じ、丁寧な指先だった。


「……お前、楽しそうだな」

「うん。すごく」

「そんなにか?」

「だって普段のラヴィナは、こういう格好、絶対してくれないでしょ?」

「まあな」

「だから今日は特別」


 鏡越しにミレイが笑う。ラヴィナも口元だけで笑い返した。


     ◇


「せっかくだから、もう少し!」

「まだやんのかよ!」


 ミレイは装飾品の棚へ向かった。最初に選んだのは、淡い青紫色の石を使った小さな首飾りだった。


「これ、どうかな?」

「綺麗だな。けど、花屋には派手じゃねえか?」

「派手じゃないよ。ほら、付けてみて」


 店員が首元に留めると、石は淡い髪の色を受けて静かに輝いた。


「……綺麗な青紫だな」

「うん。髪の色にもよく合うよ」


 ミレイは次に銀色の細い髪飾りを選び、長い髪を片側だけ留めた。白い花を模した小さなブローチは胸元へ。最後に、淡い色の上品なワンピースの襟を整える。


 ラヴィナは鏡を見つめた。


 腰に小太刀はない。短い髪も見えない。首元には淡い石が揺れ、背中には見慣れない色の髪が流れている。


 ミレイが銀色の髪飾りを直すたび、鏡の中の印象が少しずつ変わった。普段なら気にしない襟元の曲がりや、髪の分け目まで整えられる。いつもは剣を握るために使う手を、今日は膝の上に置いている。


「ねえ、少しだけ顎を上げて」

「こうか?」

「上げすぎ。そんなに偉そうにしなくていいの」

「王女様にしろって言ったのはお前だろ」

「王女様だって、ずっと偉そうにしてるわけじゃないよ」


 言われてみれば、エレナはそうだった。相手の顔を見て笑い、知らないことを恥ずかしがらずに聞く。ラヴィナが何かを言い間違えても、馬鹿にしたりしなかった。


 顔そのものは変わっていない。それなのに、初めて見る誰かと向き合っているような気がした。


「……何か、落ち着かねえな」

「うん。これなら花屋さんに立っても大丈夫!」

「お前、最初からこれが目的だっただろ」

「ふふっ。どうかな?」


 ミレイは一歩下がり、改めてラヴィナを眺める。


「これも似合う!」

「それ、さっきも言ってなかったか?」

「だって本当に似合うんだもん!」


 ラヴィナは呆れたように笑った。鏡の中の少女も笑った。そこだけは、いつもの自分と変わらなかった。


 その時、店員が静かに近づいてきた。


「よくお似合いですよ」

「そうか?」

「ええ。最初にいらした時とは、まるで別の方のようです」

「でしょう?」


 ミレイが得意そうに胸を張る。店員は微笑みながら、髪飾りの位置をほんの少し直した。


「髪型とお召し物だけでも、人の印象はずいぶん変わるものですから」

「……へえ」


 ラヴィナは鏡に目を戻した。


 ミレイは何か足りないものを探すように、頭の上から靴の先まで眺めた。


「そうだ! 王冠かティアラがあれば、本物のプリンセスに見えるよ!」

「おいおい。今度は王冠かよ!」

「だって、ほら。髪も服もこんなに綺麗なんだもの」

「花屋で王冠かぶって客を待つのか?」


 ミレイは想像したらしく、口元を押さえて笑った。


「それは……ちょっと目立ちすぎるかも」

「ちょっとどころじゃねえだろ」

「じゃあ、今日は王冠なしのプリンセスだね」

「王冠がなくても、俺は王女じゃねえよ」


 二人の笑い声が店内に広がった。


 けれどラヴィナは、笑いながらもう一度鏡を見た。


 エレナが着ていたドレスは、こんなに気楽なものではなかった。あの少女は王女として育ち、たくさんの人の期待を背負っていた。なのに村では、見知らぬ人の暮らしを知ろうとし、自分の考えをまっすぐ話していた。


(……あいつなら、何て言うかな)


 長い髪を揺らして振り返ったら、きっと最初は驚くだろう。それから、あの穏やかな顔で笑うに違いない。


「ラヴィナ?」

「ん? 何だ?」

「どうしたの? 急に静かになって」

「別に。知り合いが見たら、驚くだろうなって思っただけだ」

「私も見せたいな」

「やめろよ。絶対からかわれる」


 ミレイは笑ったが、ラヴィナの方はもう一度だけ鏡の中の自分を見つめた。


 あるのは借りたような髪と、慣れない服と、少し照れくさい自分の顔だけだった。


 王冠も、ティアラもない。


 その姿はまさに、


 (未冠のプリンセス)


 ラヴィナは心の中で笑っていた。


 そして、王女様に見えると言われても、ラヴィナには王宮で暮らす自分など想像できない。長い廊下を静かに歩くより、山道を走る方がずっと気楽だ。それでも、ミレイがあんなに嬉しそうにしているなら、もう少しくらいこの格好でいてもよかったかもしれない。


「何笑ってるの?」

「いや。お前、次は何を持ってくるんだろうって思ってさ」

「もう十分だよ。すっごく綺麗になったから」

「……そりゃどうも」


 ラヴィナは目をそらした。褒められることに慣れていないのは、剣の腕前とは関係がないらしい。


     ◇


 試着を終えると、ラヴィナは元の服へ着替えた。短い髪に戻り、小太刀を腰に差す。柄へ手を添えた途端、ようやく身体が自分のものに戻ったように感じた。


「いやー、疲れた。そろそろ帰ろうぜ」

「うん。ちょっと待ってて」


 ミレイは店員と何か話している。ラヴィナが首を傾げているうちに、包みが幾つも用意された。


「はい、ラヴィナ!」

「何だよ、これ」

「プレゼント!」


 包みを開けると、先ほど試着した服が入っていた。さらに淡いプラチナブロンドのかつら、銀色の髪飾り、青紫色の首飾り、白い花のブローチまである。


 ラヴィナは思わず値札の付いた小さな札を探した。こんなものを一度に買えば、相当な出費になるのではないか。昨日、ミレイは店を始めるために何を揃えようか、何度も指を折って考えていた。その顔が浮かぶ。


「……は?」


 ラヴィナは包みとミレイの顔を交互に見た。


「おい、ちょっと待て。これ全部か?」

「うん!」

「いやいや、こんなの貰えねーって!」


 慌てて返そうとしたが、ミレイは受け取らなかった。


「いいの。私からのお礼だから」

「お礼って……俺、別に大したことしてねーぞ」

「そんなことないよ」


 ミレイは少しだけ真面目な表情になった。


「昨日、一緒にルベルまで来てくれたでしょ? お店を見に行く時も、ずっとそばにいてくれたし」

「それくらい普通だろ」

「私には普通じゃなかったの」


 ミレイは包みをラヴィナの胸元へ押し戻した。


「初めて自分のお店を持つんだよ? すごく嬉しかったけど、一人だったらきっと不安だったと思う」


 ラヴィナは黙って聞いた。


 昨日のミレイは、広い店内を見て目を輝かせていた。けれどその一方で、花をどれだけ用意するのか、どうやって毎朝運ぶのか、何も決まっていないことを何度も口にしていた。


「だから、一緒に来てくれて本当に嬉しかった」


 そう言ってミレイは笑った。今度の笑顔には、さっきまでのいたずらっぽさがなかった。


「それに、これから一緒に花屋さんをやるかもしれないんだから!」

「だから、まだ決めてねーって!」

「ふふっ。じゃあ、決まった時のために取っておいて!」


 ラヴィナは包みを見下ろした。


(……ったく、しょうがねえな)


「分かったよ。ありがとな、ミレイ」

「うん!」


 だが、気になることが一つある。


「でも、お前、こんなに買って大丈夫なのか? 店を始めるんだろ?」


 ミレイは一瞬目を泳がせた。


「……ちょっと使いすぎちゃったかも」

「おい!」


 ラヴィナが真顔になると、ミレイは慌てて首を振った。


「大丈夫! お店を始めるために取ってあるお金には手をつけてないから」

「本当か?」

「本当だよ。服も、かつらも、店員さんに相談して、私が出せる範囲のものを選んでもらったの。かつらも高いものばかりじゃないんだって」


 店員が横から、包みの中のかつらを傷めないよう薄い布で包み直してくれた。淡い色の髪は、飾りの多い高級品とは違い、手入れをすれば何度も使える簡素な作りだった。


「それでも、全部貰うのは悪いだろ」

「じゃあ……お花屋さんが始まったら、最初のお客さんになってくれる?」

「それくらい、言われなくても行くって」

「約束だよ?」

「ああ、約束だ」


 ミレイがようやく安心したように笑った。ラヴィナもつられて笑う。


 店を出る直前、ラヴィナはもう一度包みを確かめた。いつもの小太刀と違って、手に取るだけで壊してしまいそうなものばかりだ。だが、ミレイが選んでくれた理由を知った今は、その重みを少し違って感じた。


 ラヴィナは包みの口を丁寧に閉じた。今までなら、こういう品物を自分から買うことはなかっただろう。使い道だって思いつかない。それでも、ミレイが自分のために選んでくれたものを、ぞんざいに扱う気にはなれなかった。


     ◇


 店を出ると、昼近い日差しが石畳を照らしていた。二人は荷物を持ち直し、大通りを歩き始める。


「なあ、ミレイ。さっきの店員、最後まで笑ってたな」

「だってラヴィナ、ずっと変な顔してたもの」

「誰のせいだよ!」

「ふふっ。楽しかったね」


 ミレイは笑った。ラヴィナも笑いながら、抱えた包みを見下ろす。


「なあ、ミレイ」

「なあに?」

「さっき、王女様みたいって言ってたけどさ」

「うん」

「そんなに似てたか?」


 ミレイは少し考えた。


「誰に?」


「いや……ちょっと、思い出しただけだ」


 ミレイはラヴィナの顔を覗き込む。


「もしかして、エレナ王女様?」


「……まあな」


「やっぱり。髪の色がそっくりだったもんね」


「髪の色だけだろ。顔は全然違うぞ」


「うん。でも、長い髪に綺麗な服を合わせたら、いつものラヴィナとは別人みたいだったよ」


「まあ、確かにな」


「それに、あの青紫色の首飾り。王女様の瞳の色に似てたよね」


「ああ。俺もそう思った」


 ラヴィナは包みの中の首飾りを思い浮かべた。


「……あいつの目、本当に綺麗だったからな」


「うん。私も忘れられないな」


 ラヴィナは素直に頷いた。


 シャルネ村で一緒に過ごした短い日々。眠れない夜に交わした話。海を見たことがないと言った自分へ向けられた、あの優しい眼差し。


「……元気にしてるかな」


 ミレイの足取りが少しだけ緩んだ。


「うん。そうだね」


 昨日の食事処で見た、アランを探す張り紙が頭をよぎる。二人が今どこにいるのか、ラヴィナには分からない。エレナは住む場所が決まったら書簡を出すと言っていた。


(無事に着いてりゃいいけどな)


 それ以上、口にはしなかった。


 しばらくしてミレイが、明るい声で言う。


「今度エレナ王女様に会えたら、ラヴィナの王女様姿を見せたいな!」

「やめろって! 絶対笑われる!」

「ふふっ。どうかな?」

「それに、もう脱いじまっただろ」

「また着ればいいじゃない」

「勘弁してくれ!」


 笑い合ううちに、さっきまでの重たい沈黙は消えていた。


     ◇


 ルベルの街を離れると、賑やかな声は少しずつ背後へ遠ざかった。


 街道の両側には草地が広がり、風が穂先を揺らしている。遠くの丘には薄い雲の影が落ち、木々の間から鳥の声が聞こえた。


 ミレイは買った服の話をしたり、両親に土産を渡した時の反応を想像したりしている。ラヴィナはその隣で、時折包みを持ち直した。


「なあ、ミレイ」

「なあに?」

「さっきは、ありがとな」

「お店でも言ってくれたよ?」

「そうだけどさ。こんなに色々選んでもらったの、初めてだから」


 ミレイは驚いたようにラヴィナを見た。


「……ラヴィナ、楽しかった?」

「まあな。疲れたけど」

「ふふっ。私もすっごく楽しかった!」

「お前は途中から、俺の服しか見てなかっただろ」

「だって、いつもと違うラヴィナが見られたんだもの」

「またそれかよ」


 ラヴィナが肩をすくめると、ミレイは楽しそうに笑った。


「今度は、ラヴィナに私の服を選んでもらおうかな」

「いいぞ。動きやすいやつでいいならな」

「もう! そこは変わらないんだから!」


 二人の笑い声が、風に乗って草原へ流れていった。


 腰にはいつもの小太刀がある。包みの中には、剣を振る時には邪魔になる服や、長いかつらが入っている。


 どちらも自分の持ち物になったというのが、何だかおかしかった。


 やがて二人は、大きな街道からシャルネ村へ続く細い道へ入った。木立が陽射しを和らげ、足元の土は石畳より柔らかい。


「ねえ、ラヴィナ」

「何だ?」

「今日は本当に楽しかったね」

「ああ」


 ラヴィナは少し笑った。


「……たまには、こういうのも悪くねえな」


 ミレイは嬉しそうに頷いた。


 包みの中で、淡いプラチナブロンドの髪が静かに眠っている。


 ラヴィナはそのことを気にも留めず、ミレイと肩を並べて山道を歩いていった。


 木漏れ日の下に、二人の笑い声がいつまでも続いていた。


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