第15話 未冠のプリンセス
朝のルベルは、シャルネの村よりずっと騒がしかった。
貸店舗の二階で目を覚ましたラヴィナの耳に、馬車の車輪が石畳を鳴らす音が届く。窓際では、ミレイが朝日に照らされた通りを眺めていた。
「おはよう、ラヴィナ!」
「おう。早えな」
「何だか嬉しくて、早く起きちゃった」
昨日、自分の花屋になる店を見た時から、ミレイはずっと機嫌がよい。ラヴィナは寝床を片づけ、小太刀を腰に差した。
「そろそろ帰るか。ばあちゃんにも一泊で帰るって言ってあるし」
「うん……ねえ、ラヴィナ。帰る前にちょっとだけ寄り道しない?」
「寄り道?」
「せっかくルベルまで来たんだもの。お買い物したいなって」
「昨日もあんなに歩いたのに、まだ歩くのかよ」
「昨日はお仕事。今日はお買い物!」
ミレイは両親への土産と、自分へのご褒美を買いたいのだという。
「……ちょっとだけだぞ」
「うん! ちょっとだけ!」
その返事があまりに元気なので、ラヴィナはかえって不安になった。
階段を下りると、まだ何も並んでいない店内に朝日が差していた。ミレイは入口近くで足を止める。
「ここに白い花を並べたいな」
「外から見えるようにか?」
「そう! 綺麗だと思わない?」
「だったら朝のうちに運ばねえとな」
「ラヴィナが運んでくれたら助かるんだけどなあ」
「おい。まだ引き受けてねえぞ」
二人は笑いながら戸を閉めた。
◇
大通りには色鮮やかな布が吊られ、焼きたてのパンの匂いが漂っていた。商人が品物を並べ、旅人が宿を出て、荷馬車がゆっくり通り過ぎていく。
「見て、ラヴィナ! あの髪飾り、可愛くない?」
「そうか?」
「もう、ちゃんと見てよ!」
「見てるって」
「どこを?」
「……あっちの馬車」
「やっぱり!」
ミレイは頬を膨らませ、すぐに笑った。ラヴィナもつられて笑う。
普段なら、こんな人混みでは無意識に周囲の動きを警戒している。だが今日は、危険を探す必要も、報酬のことを考える必要もない。ただ友達に腕を引かれて、気になった店を覗けばいい。
ミレイが見つけたのは、服飾店だった。
店内には色とりどりの衣服が並ぶ。ミレイは二着を胸元に当てて尋ねた。
「こっちとこっち、どっちがいいと思う?」
「右」
「ちゃんと見た?」
「見たって」
「じゃあ、どうして?」
「そっちの方が動きやすそうだから」
「ラヴィナって、何でも動きやすさで決めるんだから」
「服なんて動きやすい方がいいだろ」
「似合うかどうかを聞いてるの!」
ラヴィナは改めて見比べた。明るい色の方が、ミレイの表情に馴染んで見える。
「……だったら、そっちだな」
「さっきと違うよ?」
「今度は似合う方。お前、明るい色の方が似合うと思うぞ」
「本当?」
「ああ。花を持ってる時もそういう色が似合ってる」
ミレイは嬉しそうに笑った。
母親には小さな飾り、父親には丈夫な革小物。ミレイは家族が喜ぶ姿を思い浮かべながら土産を選んだ。自分用には、普段より少し上品な服を買うらしい。
「お父さん、これ使ってくれるかな?」
「丈夫そうだし、使うだろ」
「ちゃんと見てくれた?」
「縫い目まで見たぞ」
「ふふっ。そういうところは詳しいんだね」
ラヴィナは笑いながら、祖母にも何か買って帰ろうかと考えた。だがリゼアが欲しがりそうな飾り物は思いつかない。花を持って帰れば喜ぶだろうか。いや、あの山には花がいくらでもある。
「ばあちゃんへの土産って、何がいいんだろうな」
「リゼアさんに? 綺麗なものも喜んでくれると思うけど」
「綺麗なもの、ねえ」
「ラヴィナが選んでくれたら、何だって嬉しいと思うよ」
「そういうもんか?」
「そういうものだよ。お土産って、品物だけじゃないもの」
ミレイは母親のために選んだ小さな飾りを掌に載せ、光へかざした。ラヴィナには同じような飾りの違いがまだよく分からない。それでも、選んでいる時のミレイの顔を見れば、品物そのものより、贈る相手を思う時間が大切なのだということは少し分かった。
通りの向こうから鐘の音が聞こえる。店先の布が風に揺れ、壁に淡い影を落とした。シャルネ村で過ごす朝とは何もかも違うのに、隣にミレイがいるだけで、不思議と居心地は悪くなかった。
そんなラヴィナを、ミレイがじっと見つめていた。
「……何だよ」
「今度はラヴィナの服も選ぼうよ」
「俺の?」
「これから私の花屋を手伝ってくれるかもしれないでしょ?」
「まだ決めたわけじゃねーぞ」
「私が留守の時、お店に立ってもらうこともあるかもしれないし」
「花を運ぶ話じゃなかったのか?」
「どっちもお願いできたら嬉しいな」
「仕事増えてんじゃねえか!」
ミレイは笑ってラヴィナの肩に手を置いた。
「花屋さんなんだから、もう少し清楚な格好をしないと」
「清楚? 俺が?」
「似合うよ、絶対。ほら、王女様みたいな、上品で綺麗な雰囲気!」
「はあ? 俺が王女様みたいに?」
「花って綺麗でしょ? 売る人も綺麗な格好をしてたら、花の美しさがもっと引き立つと思うの」
「花を売るのに王女様になる必要ねーだろ!」
「王女様になるんじゃなくて、王女様みたいに綺麗になるの!」
(こいつ……何か企んでねえか?)
逃げるより早く、ミレイは棚から服を取り上げていた。
◇
「ほら! 可愛い!」
「……動きにくい」
「まずそこなの?」
ラヴィナは長いスカートの裾をつまんだ。襟元の整ったブラウスも、いつもの服とは肌触りが違う。
「これ、走ったら引っかかりそうだな」
「走らなくていいの!」
「転んだらどうすんだよ」
「転ばないように歩くの!」
ミレイはラヴィナの肩を直し、背筋を伸ばさせた。
「あと、その手」
「何だ?」
「腰に置かないで」
ラヴィナは無意識に小太刀の柄がある位置へ手をやっていた。試着のため、武器は脇に置いてある。
「癖なんだよ」
「今日はお花屋さんなんだから」
「まだ店開いてねえだろ」
次は淡い青色のワンピース。さらに、襟元に小さな刺繍の入った白いブラウス。服が変わるたび、ミレイは袖を整え、少し離れて眺め、また別の品を探しに行く。
「お前、俺で遊んでるだろ」
「そんなことないよ」
「絶対嘘だ」
「ふふっ」
店員まで笑っている。ラヴィナは鏡に映った自分を見て、眉をひそめた。服一つで歩幅も姿勢も変わる。いつもなら気にしない肩の位置さえ、妙に意識してしまう。
「何か、俺じゃねえみたいだな」
「ちゃんとラヴィナだよ」
「そりゃそうだけどさ」
「いつもと違うラヴィナが見られて、私は嬉しいな」
そう言われると、文句も言いにくい。
ミレイは腕を組んで考え込んだ。
「うーん……」
「何だよ。まだあるのか?」
「服はいいんだけど……髪型も変えたら、もっと似合うと思うんだよね」
「髪?」
「そう。長い髪とか」
「冗談だろ。伸ばすのに何年かかると思ってんだ」
「大丈夫。いいものがあるから!」
ミレイが店員へ相談すると、奥から付け髪とかつらが運ばれてきた。長さも色も様々で、丁寧に梳かれた髪束は光を柔らかく反射している。
「へえ……こんなの売ってんのか」
「これなら髪を伸ばさなくても長くできるよ」
「便利なもんだな」
最初に選ばれたのは、ラヴィナの髪に近い濃い茶色の付け髪だった。店員が短い髪へ固定すると、肩の先まで髪が流れる。
鏡の前に立ったラヴィナは目を丸くした。
「……誰だ、これ」
「ラヴィナだよ!」
「いや、そうだけどさ」
首筋をくすぐる毛先が落ち着かない。肩を動かすたびに髪が揺れる。
「何か変な感じだな」
「でも、似合ってるよ」
ミレイは背後に回り、髪を整えた。鏡の中で二人の視線が合う。
「こうして髪を下ろすと、雰囲気が全然違うね」
「……そうか?」
「うん。少しお姉さんみたい」
「俺とお前、同い年だろ」
「そうだけど!」
ラヴィナはもう一度鏡を見た。見慣れない姿なのに、思ったほど嫌ではない。
山道を走る時、髪が顔にかからないことは当たり前だった。汗を拭うのにも、剣を振るのにも短い髪の方が都合がいい。長い髪を結って、ほどいて、また整えるなど、これまで考えたこともなかった。
けれど鏡の中には、知らなかった自分の姿がある。誰かに見せるために整えられた髪。戦いのためではなく、ただ綺麗だと思ってもらうための姿。
(……意外と悪くねえな)
そう思った自分に、ラヴィナは少し驚いた。いつもの自分を嫌いなわけではない。ただ、別の姿をしていても、自分は自分のままでいられるらしい。
その感想は口にしなかった。聞かれたら、さらに何着も試されそうだったからだ。
◇
「あっ!」
ミレイが別のかつらを見つけた。
淡いプラチナブロンドの長髪。光の当たり方で銀色にも見えるその髪を見た瞬間、ラヴィナの脳裏に一人の少女が浮かんだ。
エレナ。
シャルネ村で過ごした夜、隣で海の話をしていた王女。静かに笑う時、頬の横で揺れていた長い髪。
「ねえ、ラヴィナ! この色、すごく綺麗じゃない?」
「……確かに、見覚えのある色だな」
「でも、絶対似合うと思う!」
「お前、さっきからそれしか言ってねえぞ」
「一回だけ! お願い!」
「……一回だけな」
ラヴィナは苦笑しながら椅子に座った。
店員が短い髪をまとめ、かつらを載せる。額の生え際を整え、肩へ流れる髪を梳く。淡い色の髪が鏡の中に広がるにつれて、ミレイの声が静かになった。
「……すごい」
「何だよ」
「ラヴィナ、ちょっとこっち向いて」
振り返ると、ミレイはぱっと笑顔になった。
「本当に王女様みたい!」
「だから髪の色だけだって!」
ラヴィナは毛先を指で持ち上げた。指の間を滑る淡い髪は、シャルネ村で見たエレナの髪とよく似た色をしている。
あの夜、エレナは眠れないまま、ラヴィナと海の話をした。王女だからといって偉そうにすることもなく、知らないことを尋ねる時には真剣な目をしていた。あんなふうに相手の言葉を待てるのは、どうしてだろう。ラヴィナなら、答えが遅ければすぐに次の質問を投げてしまう。
髪の色が同じでも、エレナの穏やかさまで身につくわけではない。鏡の中の少女は、いつものラヴィナの目でこちらを見返していた。
それが少し可笑しくて、少し安心した。
「こういう格好に慣れてる奴なら、もっと落ち着いて座ってるんだろうな」
「ふふっ。確かに、ラヴィナはすぐ動いちゃうもんね」
「ほら、やっぱり違うだろ」
「でも、今日は動かないで。もう少し見たいから」
ミレイは真剣な顔で髪を整えた。いつも花を束ねる時と同じ、丁寧な指先だった。
「……お前、楽しそうだな」
「うん。すごく」
「そんなにか?」
「だって普段のラヴィナは、こういう格好、絶対してくれないでしょ?」
「まあな」
「だから今日は特別」
鏡越しにミレイが笑う。ラヴィナも口元だけで笑い返した。
◇
「せっかくだから、もう少し!」
「まだやんのかよ!」
ミレイは装飾品の棚へ向かった。最初に選んだのは、淡い青紫色の石を使った小さな首飾りだった。
「これ、どうかな?」
「綺麗だな。けど、花屋には派手じゃねえか?」
「派手じゃないよ。ほら、付けてみて」
店員が首元に留めると、石は淡い髪の色を受けて静かに輝いた。
「……綺麗な青紫だな」
「うん。髪の色にもよく合うよ」
ミレイは次に銀色の細い髪飾りを選び、長い髪を片側だけ留めた。白い花を模した小さなブローチは胸元へ。最後に、淡い色の上品なワンピースの襟を整える。
ラヴィナは鏡を見つめた。
腰に小太刀はない。短い髪も見えない。首元には淡い石が揺れ、背中には見慣れない色の髪が流れている。
ミレイが銀色の髪飾りを直すたび、鏡の中の印象が少しずつ変わった。普段なら気にしない襟元の曲がりや、髪の分け目まで整えられる。いつもは剣を握るために使う手を、今日は膝の上に置いている。
「ねえ、少しだけ顎を上げて」
「こうか?」
「上げすぎ。そんなに偉そうにしなくていいの」
「王女様にしろって言ったのはお前だろ」
「王女様だって、ずっと偉そうにしてるわけじゃないよ」
言われてみれば、エレナはそうだった。相手の顔を見て笑い、知らないことを恥ずかしがらずに聞く。ラヴィナが何かを言い間違えても、馬鹿にしたりしなかった。
顔そのものは変わっていない。それなのに、初めて見る誰かと向き合っているような気がした。
「……何か、落ち着かねえな」
「うん。これなら花屋さんに立っても大丈夫!」
「お前、最初からこれが目的だっただろ」
「ふふっ。どうかな?」
ミレイは一歩下がり、改めてラヴィナを眺める。
「これも似合う!」
「それ、さっきも言ってなかったか?」
「だって本当に似合うんだもん!」
ラヴィナは呆れたように笑った。鏡の中の少女も笑った。そこだけは、いつもの自分と変わらなかった。
その時、店員が静かに近づいてきた。
「よくお似合いですよ」
「そうか?」
「ええ。最初にいらした時とは、まるで別の方のようです」
「でしょう?」
ミレイが得意そうに胸を張る。店員は微笑みながら、髪飾りの位置をほんの少し直した。
「髪型とお召し物だけでも、人の印象はずいぶん変わるものですから」
「……へえ」
ラヴィナは鏡に目を戻した。
ミレイは何か足りないものを探すように、頭の上から靴の先まで眺めた。
「そうだ! 王冠かティアラがあれば、本物のプリンセスに見えるよ!」
「おいおい。今度は王冠かよ!」
「だって、ほら。髪も服もこんなに綺麗なんだもの」
「花屋で王冠かぶって客を待つのか?」
ミレイは想像したらしく、口元を押さえて笑った。
「それは……ちょっと目立ちすぎるかも」
「ちょっとどころじゃねえだろ」
「じゃあ、今日は王冠なしのプリンセスだね」
「王冠がなくても、俺は王女じゃねえよ」
二人の笑い声が店内に広がった。
けれどラヴィナは、笑いながらもう一度鏡を見た。
エレナが着ていたドレスは、こんなに気楽なものではなかった。あの少女は王女として育ち、たくさんの人の期待を背負っていた。なのに村では、見知らぬ人の暮らしを知ろうとし、自分の考えをまっすぐ話していた。
(……あいつなら、何て言うかな)
長い髪を揺らして振り返ったら、きっと最初は驚くだろう。それから、あの穏やかな顔で笑うに違いない。
「ラヴィナ?」
「ん? 何だ?」
「どうしたの? 急に静かになって」
「別に。知り合いが見たら、驚くだろうなって思っただけだ」
「私も見せたいな」
「やめろよ。絶対からかわれる」
ミレイは笑ったが、ラヴィナの方はもう一度だけ鏡の中の自分を見つめた。
あるのは借りたような髪と、慣れない服と、少し照れくさい自分の顔だけだった。
王冠も、ティアラもない。
その姿はまさに、
(未冠のプリンセス)
ラヴィナは心の中で笑っていた。
そして、王女様に見えると言われても、ラヴィナには王宮で暮らす自分など想像できない。長い廊下を静かに歩くより、山道を走る方がずっと気楽だ。それでも、ミレイがあんなに嬉しそうにしているなら、もう少しくらいこの格好でいてもよかったかもしれない。
「何笑ってるの?」
「いや。お前、次は何を持ってくるんだろうって思ってさ」
「もう十分だよ。すっごく綺麗になったから」
「……そりゃどうも」
ラヴィナは目をそらした。褒められることに慣れていないのは、剣の腕前とは関係がないらしい。
◇
試着を終えると、ラヴィナは元の服へ着替えた。短い髪に戻り、小太刀を腰に差す。柄へ手を添えた途端、ようやく身体が自分のものに戻ったように感じた。
「いやー、疲れた。そろそろ帰ろうぜ」
「うん。ちょっと待ってて」
ミレイは店員と何か話している。ラヴィナが首を傾げているうちに、包みが幾つも用意された。
「はい、ラヴィナ!」
「何だよ、これ」
「プレゼント!」
包みを開けると、先ほど試着した服が入っていた。さらに淡いプラチナブロンドのかつら、銀色の髪飾り、青紫色の首飾り、白い花のブローチまである。
ラヴィナは思わず値札の付いた小さな札を探した。こんなものを一度に買えば、相当な出費になるのではないか。昨日、ミレイは店を始めるために何を揃えようか、何度も指を折って考えていた。その顔が浮かぶ。
「……は?」
ラヴィナは包みとミレイの顔を交互に見た。
「おい、ちょっと待て。これ全部か?」
「うん!」
「いやいや、こんなの貰えねーって!」
慌てて返そうとしたが、ミレイは受け取らなかった。
「いいの。私からのお礼だから」
「お礼って……俺、別に大したことしてねーぞ」
「そんなことないよ」
ミレイは少しだけ真面目な表情になった。
「昨日、一緒にルベルまで来てくれたでしょ? お店を見に行く時も、ずっとそばにいてくれたし」
「それくらい普通だろ」
「私には普通じゃなかったの」
ミレイは包みをラヴィナの胸元へ押し戻した。
「初めて自分のお店を持つんだよ? すごく嬉しかったけど、一人だったらきっと不安だったと思う」
ラヴィナは黙って聞いた。
昨日のミレイは、広い店内を見て目を輝かせていた。けれどその一方で、花をどれだけ用意するのか、どうやって毎朝運ぶのか、何も決まっていないことを何度も口にしていた。
「だから、一緒に来てくれて本当に嬉しかった」
そう言ってミレイは笑った。今度の笑顔には、さっきまでのいたずらっぽさがなかった。
「それに、これから一緒に花屋さんをやるかもしれないんだから!」
「だから、まだ決めてねーって!」
「ふふっ。じゃあ、決まった時のために取っておいて!」
ラヴィナは包みを見下ろした。
(……ったく、しょうがねえな)
「分かったよ。ありがとな、ミレイ」
「うん!」
だが、気になることが一つある。
「でも、お前、こんなに買って大丈夫なのか? 店を始めるんだろ?」
ミレイは一瞬目を泳がせた。
「……ちょっと使いすぎちゃったかも」
「おい!」
ラヴィナが真顔になると、ミレイは慌てて首を振った。
「大丈夫! お店を始めるために取ってあるお金には手をつけてないから」
「本当か?」
「本当だよ。服も、かつらも、店員さんに相談して、私が出せる範囲のものを選んでもらったの。かつらも高いものばかりじゃないんだって」
店員が横から、包みの中のかつらを傷めないよう薄い布で包み直してくれた。淡い色の髪は、飾りの多い高級品とは違い、手入れをすれば何度も使える簡素な作りだった。
「それでも、全部貰うのは悪いだろ」
「じゃあ……お花屋さんが始まったら、最初のお客さんになってくれる?」
「それくらい、言われなくても行くって」
「約束だよ?」
「ああ、約束だ」
ミレイがようやく安心したように笑った。ラヴィナもつられて笑う。
店を出る直前、ラヴィナはもう一度包みを確かめた。いつもの小太刀と違って、手に取るだけで壊してしまいそうなものばかりだ。だが、ミレイが選んでくれた理由を知った今は、その重みを少し違って感じた。
ラヴィナは包みの口を丁寧に閉じた。今までなら、こういう品物を自分から買うことはなかっただろう。使い道だって思いつかない。それでも、ミレイが自分のために選んでくれたものを、ぞんざいに扱う気にはなれなかった。
◇
店を出ると、昼近い日差しが石畳を照らしていた。二人は荷物を持ち直し、大通りを歩き始める。
「なあ、ミレイ。さっきの店員、最後まで笑ってたな」
「だってラヴィナ、ずっと変な顔してたもの」
「誰のせいだよ!」
「ふふっ。楽しかったね」
ミレイは笑った。ラヴィナも笑いながら、抱えた包みを見下ろす。
「なあ、ミレイ」
「なあに?」
「さっき、王女様みたいって言ってたけどさ」
「うん」
「そんなに似てたか?」
ミレイは少し考えた。
「誰に?」
「いや……ちょっと、思い出しただけだ」
ミレイはラヴィナの顔を覗き込む。
「もしかして、エレナ王女様?」
「……まあな」
「やっぱり。髪の色がそっくりだったもんね」
「髪の色だけだろ。顔は全然違うぞ」
「うん。でも、長い髪に綺麗な服を合わせたら、いつものラヴィナとは別人みたいだったよ」
「まあ、確かにな」
「それに、あの青紫色の首飾り。王女様の瞳の色に似てたよね」
「ああ。俺もそう思った」
ラヴィナは包みの中の首飾りを思い浮かべた。
「……あいつの目、本当に綺麗だったからな」
「うん。私も忘れられないな」
ラヴィナは素直に頷いた。
シャルネ村で一緒に過ごした短い日々。眠れない夜に交わした話。海を見たことがないと言った自分へ向けられた、あの優しい眼差し。
「……元気にしてるかな」
ミレイの足取りが少しだけ緩んだ。
「うん。そうだね」
昨日の食事処で見た、アランを探す張り紙が頭をよぎる。二人が今どこにいるのか、ラヴィナには分からない。エレナは住む場所が決まったら書簡を出すと言っていた。
(無事に着いてりゃいいけどな)
それ以上、口にはしなかった。
しばらくしてミレイが、明るい声で言う。
「今度エレナ王女様に会えたら、ラヴィナの王女様姿を見せたいな!」
「やめろって! 絶対笑われる!」
「ふふっ。どうかな?」
「それに、もう脱いじまっただろ」
「また着ればいいじゃない」
「勘弁してくれ!」
笑い合ううちに、さっきまでの重たい沈黙は消えていた。
◇
ルベルの街を離れると、賑やかな声は少しずつ背後へ遠ざかった。
街道の両側には草地が広がり、風が穂先を揺らしている。遠くの丘には薄い雲の影が落ち、木々の間から鳥の声が聞こえた。
ミレイは買った服の話をしたり、両親に土産を渡した時の反応を想像したりしている。ラヴィナはその隣で、時折包みを持ち直した。
「なあ、ミレイ」
「なあに?」
「さっきは、ありがとな」
「お店でも言ってくれたよ?」
「そうだけどさ。こんなに色々選んでもらったの、初めてだから」
ミレイは驚いたようにラヴィナを見た。
「……ラヴィナ、楽しかった?」
「まあな。疲れたけど」
「ふふっ。私もすっごく楽しかった!」
「お前は途中から、俺の服しか見てなかっただろ」
「だって、いつもと違うラヴィナが見られたんだもの」
「またそれかよ」
ラヴィナが肩をすくめると、ミレイは楽しそうに笑った。
「今度は、ラヴィナに私の服を選んでもらおうかな」
「いいぞ。動きやすいやつでいいならな」
「もう! そこは変わらないんだから!」
二人の笑い声が、風に乗って草原へ流れていった。
腰にはいつもの小太刀がある。包みの中には、剣を振る時には邪魔になる服や、長いかつらが入っている。
どちらも自分の持ち物になったというのが、何だかおかしかった。
やがて二人は、大きな街道からシャルネ村へ続く細い道へ入った。木立が陽射しを和らげ、足元の土は石畳より柔らかい。
「ねえ、ラヴィナ」
「何だ?」
「今日は本当に楽しかったね」
「ああ」
ラヴィナは少し笑った。
「……たまには、こういうのも悪くねえな」
ミレイは嬉しそうに頷いた。
包みの中で、淡いプラチナブロンドの髪が静かに眠っている。
ラヴィナはそのことを気にも留めず、ミレイと肩を並べて山道を歩いていった。
木漏れ日の下に、二人の笑い声がいつまでも続いていた。




