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月と剣のプリンセス ―Moon & Blade―  作者: 澄宵レク
第一部 未冠のプリンセス
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13/38

第13話 精霊花と精霊水

「約束だからな。教えろよ」


 勝負が終わって、まだ大して時間も経っていなかった。


 ラヴィナは勝ち誇った顔のままディルクの前に立つ。


「何をだ」


「とぼけんな。おっさんの精霊力の秘密だよ」


 ディルクは、つい先ほど蹴られた頬を軽くさすった。


「蹴った相手にものを教わる態度か?」


「賭けに負けたのはおっさんだろ」


「……ついて来い」


 大きな荷物を背負い直したディルクが歩き始める。


 向かう先を見て、ラヴィナはすぐに気づいた。


「わざわざ、あそこまで行くのかよ」


「ああ」


「結構時間かかるぞ」


「お前に説明するなら、あそこが一番分かりやすい」


「だったら最初から下りなきゃよかったじゃん」


「その時は、お前に教えることになるとは決まってなかった」


「俺が勝つと思ってなかったってことか?」


「そうだ」


「即答すんな!」


 悪態をつきながらも、ラヴィナはその背中を追った。


 昨日、アルトの剣を三十秒間、素手で避け切った男。


 今日、自分がどれだけ小太刀を振っても、一度として刃は届かなかった。


 そして何より、ラヴィナには感じられた。


 ディルクの中にある、自分とは比べものにならないほど大きな精霊力。


(あれが何なのか……)


 知りたい。


 そして。


(俺にも使えるのか?)


 そちらの方が、もっと気になっていた。


     ◇

 いつものように、ミレイが花摘みに誘うためリゼアの家を訪れる。


 右手には新聞を持っている。


 「おはようございます、リゼアさん。ラヴィナはいますか?」


 「おはよう、ミレイ。あれ、ラヴィナなら朝早く出て行って一緒に山に行ったと思ったけど」

 「え? 今日はまだ会っていませんけど……」


 リゼアは少し驚く。


 ラヴィナは毎朝、ミレイと山奥へ花を摘みに行くのが日課だった。


 そのため、今朝も二人で出かけたものだと思っていた。


 ミレイは少し考える。


 「じゃあ、先に行ってるのかな?」


 「そうかもね」


 ミレイは新聞を持ち直す。


 エレナ王女の死亡記事。


 そして昨日、村で騎士団長代理アルトがラヴィナに剣を向けた事件。


 ミレイには、ラヴィナに聞きたいことがあった。


 「じゃあ、私も山へ行ってみます」


 ミレイは一人で山奥の花畑へ向かう。


     ◇


 山道を抜けると、朝の光を受けた花々が斜面いっぱいに揺れていた。


 ラヴィナにとってはミレイと毎朝のように来ている場所。少し前にはエレナも一緒に歩いた花畑だ。


 ディルクは水色の小さな花の前で足を止めた。


「まず、お前の力からだ」


「俺の?」


「ああ。お前の精霊力の源は?」


「フィレナ」


「花がなかったら?」


「使えない」


「使えば使うほど?」


「花が弱る。俺も疲れる」


「そうだ」


 ラヴィナは眉を寄せた。


「それくらい知ってるぞ」


「知ってることから始めた方が分かりやすい」


「俺が馬鹿みたいじゃん」


「まだ何も言ってない」


「顔が言ってる」


「気のせいだ」


 風に揺れるフィレナは見慣れた花だった。戦う時には胸元へ入れ、名を呼ぶ。それだけで身体が軽くなり、普段より速く走れ、高く跳べる。


 ラヴィナにとって、それが精霊力だった。


「じゃあ、おっさんは?」


「何がだ」


「精霊花だよ。昨日から花なんか使ってないだろ。どこに隠してんだ?」


「持ってない」


「は?」


「俺の精霊力の源は精霊花じゃない」


「じゃあ何だよ」


「精霊水だ」


「精霊……水?」


 初めて聞く言葉だった。


 ディルクはフィレナを指した。


「お前のフィレナは、水の精霊花だ」


「ああ」


「その花を作ってるものは何だ?」


「……水?」


「それだけじゃないが、今はそれでいい。花は土から育ち、水を吸い、光を受ける。自然から切り離して、花だけが存在してるわけじゃない」


「そりゃそうだろ」


「水は花を作る」


 当たり前の話に聞こえる。だが、ディルクが何を言おうとしているのかは、まだ分からない。


「お前はフィレナから精霊力を得ている。だが、そのフィレナも自然の中で生まれたものだ。この世にある自然の力には、根っこのところに精霊力がある」


「全部?」


「全部だ」


「花だけじゃなくて?」


「ああ。水も、風も、大地も、植物も、雷も。自然の中にある力の根幹には精霊力が宿っている」


 ラヴィナは周囲を見回した。


 風に揺れる草。木々。湿った土。山から流れてくる水。


 今まで精霊力と言われれば、真っ先にフィレナを思い浮かべていた。


「じゃあ、そこら中に精霊力があるってことか?」


「そういうことになる。ただし、そこにあるから誰でも使えるって意味じゃない」


「俺が他の花を持っても使えないのと同じ?」


「大体はな」


 ディルクは足元のフィレナを見る。


「一輪の花に宿る力と、湖や泉、地下を流れる水、海そのものが持つ力。同じ規模だと思うか?」


「思わない」


「精霊水は、精霊花より上位に位置する自然媒体だ。元になる自然の規模が大きいほど、内包する精霊力も大きくなる」


「じゃあ、精霊水使える奴の方が強いってこと?」


「そんな単純な話じゃない」


「何で?」


「大きな力を持っていても、扱えなければ意味がない。媒体が上位だから、使い手まで自動的に上になるわけじゃない」


「じゃあ、おっさんは扱えるってことか」


「そうなるな」


「自分で言うんだな」


「事実だからな」


「ちょっと腹立つ」


「お前が聞いたんだろ」


 ラヴィナは鼻を鳴らした。


「で、おっさんの精霊水は何なんだ?」


「海精水」


「かいせいすい?」


「一言で言えば、海から得た精霊力だ」


「……海?」


「ああ」


「そんなこと言われても、俺、海見たことないし」


「なら想像しろ」


「雑だな」


 ディルクは気にせず続けた。


「海は、ただ大量の水が溜まってる場所じゃない。絶えず動いている。波が押して、引いて、また押す。巨大な水量が動けば、それだけ大きな力になる。水圧もある。運動量もある。そして一度で終わらない」


「一度で?」


「俺の精霊力は、一度だけ強い力を出すためのものじゃない」


「じゃあ何だよ」


「伝わる。押す。そしてまた来る」


 ディルクは片手を前へ出した。


「それが波だ」


 ラヴィナの脳裏に昨日の戦いが浮かんだ。


「なあ。昨日、アルトの剣……何かしてただろ?」


「何かとは?」


「あいつ、途中から変な顔してた。剣が当たらないっていうより、剣そのものを逸らされてるみたいな」


「よく見てたな」


「見届け人だったからな」


「波は押すだけじゃない。力を加える方向を変えれば、進んでいるものの向きにも影響を与えられる」


「じゃあ、やっぱり剣を曲げてたのか?」


「曲げてはいない。俺自身が避ける。それに、ごく小さく力を加える。両方だ」


(だからアルトには、剣を逸らされたように感じたのか)


「ずるくね?」


「戦いにそんな決まりがあるのか?」


「ないけど」


「なら問題ない」


「やっぱ腹立つな、おっさん」


     ◇


 ラヴィナは周囲を見回した。


 山。森。花。


 どこにも海などない。


「ちょっと待て。おっさんの力が海なら、何でここで使えるんだ?」


「何度も言っただろ。俺は港で働いてる」


「……それが?」


「日々、海から精霊力を身体に蓄えている」


 ラヴィナの顔が止まった。


「……溜め込む?」


「ああ」


「身体の中に?」


「そうだ」


「じゃあ今、おっさんの中に海の力が入ってるってこと?」


「言い方は妙だが、だいたいそうだ」


 ラヴィナはディルクをまじまじと見る。


「それ、俺にもできる?」


「できる」


「……え?」


「鍛えればな」


 あまりにもあっさりした返事だった。


「フィレナを身体につけてなくても?」


「正確には、フィレナから得た精霊力を身体へ蓄える。今のお前は、花から力を受け取って、その場で全部使っている。だが、受け取った力を自分の中へ留めておくこともできる」


「だったら花なくても使えるのか?」


「蓄えが残っている間はな」


 昨日、アルトにフィレナを斬られた瞬間が蘇った。


 力が途切れ、反動の疲労が押し寄せ、何もできなくなった。


(あの時、俺の中に力が残ってたら……)


「やり方教えろ」


「簡単に言うな」


「できるって言っただろ」


「できることと、すぐできることは違う。取り込んだ力を暴れさせない。すぐ使わない。身体の中へ留める。必要な時に必要な量だけ取り出す」


「悪いのか? 今の使い方」


「悪くはない。だが、雑だ」


「雑って言うな」


「雑だから雑と言った」


「おっさんはいつからできるようになったんだ?」


「三十歳だ」


「三十歳? そんなにかかるのか?」


「むしろ、お前は十六歳ですでに精霊力を使っている。十年もすれば使えるようになるかもな」


「十年……」


 ほんの一瞬、エレナの顔が浮かんだ。


 十年後に王都へ戻る。


 同じ十年。


 ラヴィナはすぐに首を振った。


「長すぎる。もっと早く覚える」


「好きにしろ」


「絶対覚えるからな」


「はいはい」


「信じてねーだろ!」


     ◇


「そういや、それ何入ってんだ?」


 説明が一段落したところで、ラヴィナはディルクの荷物を指した。


 ルベルからここまで背負ってきた、妙に大きく重そうな荷物だ。


 ディルクは答えず、地面へ下ろした。


 留め具を外し、巻かれていた布をほどく。


 中から現れたものを見た瞬間。


「でけー!」


 ラヴィナの声が花畑に響いた。


 剣だった。


 ただし、ラヴィナが普段見慣れている剣とは大きさが違う。


 ディルク自身と並べても見劣りしないほど長く、刃も厚い。持ち上げるだけでも苦労しそうな大型の片手半剣だった。


「おっさん、それ振るの?」


「剣だからな」


「いや、そういう意味じゃねーよ」


 ディルクは柄を握り、当たり前のように持ち上げた。


 片手で。


「ちょっと待て」


「何だ」


「昨日も今日も……おっさん、本気じゃなかったのか?」


「剣を使う約束じゃなかっただろ」


「そういう問題じゃねー!」


 昨日はアルトを相手に素手。


 今朝も自分を相手に素手。


 それで一度も剣を受けることなく避け切った。


 なのに、この男にはまだ本来使う武器が残っていた。


(どんだけ強いんだよ……)


 悔しい。


 しかい、ラヴィナにはまた疑問が出た。


 (このおっさん、ただの本当に港の労働者か?)


 だが同時に、この男の本当の力を見てみたいという気持ちが勝った。


 ディルクが大型の剣を持って花畑の端へ向かう。


「少し離れてろ」


「何で?」


「見せるんだろ。俺の精霊力を」


 ラヴィナは素直に数歩下がった。


 ディルクの重心が落ちる。


 その瞬間。


 空気が変わった。


「……っ」


 ラヴィナは反射的にもう一歩下がる。


 昨日も感じた。


 澄み切っているのに、底が分からない精霊力。


 だが今は、昨日よりはっきりしている。


 深い。


 重い。


 どこまで続いているのか分からない。


 海を見たことのないラヴィナには、それを海とは表現できなかった。


 ただ一つだけ分かる。


(フィレナとは……全然違う)


 一輪の花から得ていた自分の力。


 今、目の前にある力。


 規模が違う。


 ディルクは花畑から少し離れた場所にある大きな岩へ身体を向けた。


「よく見てろ」


「何すんだ?」


「これが、俺の精霊力だ」


 大型剣を構える。


 ラヴィナには、巨大な何かが剣の周囲へ集まっていくように感じられた。


 目には見えない。


 剣が光っているわけでもない。


 それでも、確かにそこへ力が集まっている。


 ディルクが剣を振った。


「大海嘯(だいかいしょう)」


 剣は岩へ届いていない。


 何歩も距離がある。


 なのに。


 一瞬遅れて――。


 轟音が響いた。


「うわっ!」


 ラヴィナは咄嗟に腕で顔を庇った。


 土が舞う。


 小石が跳ねる。


 枯葉も草も、すべてが同じ方向へ押し流される。


 岩が砕けたのではない。


 巨大な何かに正面から押されたように、地面を削りながら後方へ吹き飛んだ。


 やがて風が収まる。


 ラヴィナは恐る恐る腕を下ろした。


 さっきまでそこにあった岩が、ない。


「……何だよ、それ」


「大海嘯(だいかいしょう)、だ!」


「名前聞いてんじゃねーよ!」


 思わず怒鳴った。


「剣、当たってねーじゃん」


「ああ」


「じゃあ今の全部、精霊力?」


「ああ」


 ラヴィナは自分の胸元へ目を落とした。


 フィレナの精霊力で、自分は速く走れる。高く跳べる。身体能力を一時的に引き上げられる。


 それだけでも十分に特別な力だと思っていた。


 だが、今見たものは別次元だった。


「大海嘯は、海の波が持つ大きな運動量を精霊力として前へ伝える」


「じゃあ、さっきの岩は何に吹っ飛ばされたんだよ」


「波だ」


「水ねーじゃん」


「だから水を出してるんじゃない」


「分かりにくい!」


「海を見れば分かる」


「見たことねーって言っただろ!」


 ディルクは少し考えた。


「なら、一度見た方がいい」


「簡単に言うなよ。海なんてここからどれだけ遠いと思ってんだ」


「ヴァレスタまで来れば見える」


「だから、そのヴァレスタまで行くのが大変なんだよ」


 そこでラヴィナは言葉を止めた。


 海。


 少し前にも、その話をした。


 エレナも海を見たことがなかった。


 セレナ月五日の誕生日旅行で、初めて見るはずだった。


 そして村を出る朝、アランも言った。


『いつか、お前にも海を見せる』


 その言葉が不意に蘇る。


「どうした?」


「……何でもねーよ」


 ラヴィナは視線を逸らした。


 エレナとアランは今、どこかで二人一緒にいる。


 ディルクがルベルで会ったと言っていた。


 いつか。


 本当に海を見る日が来るのだろうか。


 だが、今はそれより気になることがある。


「じゃあさ」


「何だ」


「あれ、俺にもできんの?」


 ラヴィナは吹き飛ばされた岩の方を指した。


「大海嘯か?」


「ああ」


「今のお前には無理だ」


「今のってことは、いつかできんのか?」


 ディルクはすぐには答えなかった。


「大海嘯は、精霊力が多ければ使える技じゃない。俺の海精水と、波の性質を使って成立している」


「俺も水だろ。フィレナ」


「同じ水に関係していても性質が違う」


「どう違うんだよ」


「お前のフィレナは流れだ。受け流す。連続して力を動かす。お前の剣とも合っている」


「おっさんは?」


「波だ。押す。伝える。繰り返す」


 ラヴィナは大型剣を見る。


 自分の小太刀とは何もかも違う。


 武器も。


 体格も。


 戦い方も。


「俺の技を覚えるんじゃない。お前はお前の精霊力を使え」


「じゃあ教えられねーじゃん」


「精霊力の扱い方は教えられる」


 ディルクは大型剣を地面へ置いた。


「お前、フィレナを使う時、何をしてる?」


「何って……」


 胸元へつける。


 名前を呼ぶ。


 身体が軽くなる。


 走る。


 跳ぶ。


 斬る。


「それだけだ」


「それの何が悪いんだよ」


「悪くない。ただ、力が来たらそのまま使ってる」


「……?」


「お前は精霊力を使ってるんじゃない。今はまだ、フィレナに使わせてもらってるだけだ」


 ラヴィナの眉が吊り上がる。


「何だよ、それ」


「どれだけ受け取るか考えたことは?」


「ない」


「どこへ流すかは?」


「身体」


「身体のどこだ」


「……全部?」


「どれだけ残す?」


「残す?」


「いつ放出する?」


「知らねーよ」


「だから雑だと言った」


「むかつく!」


 だが、反論はできなかった。


 今までそんなことを考えたことすらない。


 フィレナを使えば強くなる。


 その力で戦う。


 それだけだった。


     ◇


 ディルクは近くに咲くフィレナを一輪指した。


「触ってみろ」


 ラヴィナはしゃがんで花弁へ指を触れる。


「いつもやってる」


「発動するな」


「は?」


「名前も呼ぶな」


「じゃあ何すんだよ」


「触るだけだ」


 言われた通り触る。


 水色の花弁。


 柔らかい。


「で?」


「何か感じるか?」


「花」


「見れば分かる」


「じゃあ何を聞いてんだよ」


「精霊力だ」


 ラヴィナは花を見る。


「そんなの分かるわけ――」


「昨日、お前はあの騎士の魔力を感じただろ」


 言葉が止まった。


 アルトのゼルヴァ。


 胸の奥がざわつくような、嫌な感覚。


 そしてディルクからは、それとはまるで違う澄んだ大きな力を感じた。


「他人の力は感じられるのに、自分が毎日使ってる花の力は分からないのか?」


「……うるせーな」


「事実だ」


「分かったよ。やればいいんだろ」


 ラヴィナはフィレナを睨んだ。


「睨んでも変わらんぞ」


「集中してんだよ」


「顔に力を入れろとは言ってない」


「黙ってろ」


 目を閉じる。


 風。


 草が擦れる音。


 鳥の声。


 自分の呼吸。


 いろいろ聞こえる。


 だが、精霊力など分からない。


「何もねーぞ」


「ある」


「見えねー」


「見るな」


「聞こえねー」


「聞くな」


「じゃあどうすんだよ!」


「感じろ」


「一番分かんねー説明だな!」


 ラヴィナが目を開けると、ディルクは呆れたような顔をしていた。


「お前が『フィレナ』と呼んだ瞬間に、花の中へ精霊力が生まれるわけじゃない」


「……?」


「呼ぶ前からそこにある」


 ラヴィナは再びフィレナを見る。


「発動は、何もないところから力を作ることじゃない。そこにある力と、お前を結びつける」


 花。


 水。


 海。


 自然の中に、最初からある。


 先ほど聞いた話が、少しだけつながった。


「目を閉じろ」


「また?」


「いいから」


 渋々目を閉じる。


 その直後。


 近くで何かが揺れた。


「……!」


 昨日感じたもの。


 澄んでいる。


 静かなのに、深い。


 ディルクの精霊力だ。


「今の分かったか?」


「ああ」


「じゃあ俺じゃなく、花の方を探せ」


 ラヴィナは意識を切り替えた。


 ディルクの力は大きすぎる。


 それではなく。


 指先が触れている、小さな花。


 もっと小さいもの。


 もっと静かなもの。


 しばらく何も分からない。


 諦めかけた、その時。


(……ん?)


 何かがあった。


 ディルクほど巨大ではない。


 アルトの魔力のような不快感もない。


 あまりにも身近で、ずっと触れてきたからこそ、意識したことがなかったもの。


 ラヴィナは目を開けた。


「……これ?」


「俺に聞くな」


「意地悪だな」


「自分で判断しろ」


 もう一度目を閉じる。


 今度は、さっきより少しだけ分かる。


(これが……フィレナの精霊力?)


 今まで何度も使ってきた力。


 なのに、初めて触れたような感覚だった。


     ◇


「今度は発動しろ」


 ディルクに言われ、ラヴィナはフィレナを身体へ密着させた。


「フィレナ」


 いつもの感覚が流れ込む。


 脚が軽くなる。


 身体の隅々まで力が巡る。


 反射的に立ち上がろうとした。


「動くな」


「は?」


「使うな」


「使うなって……何のために発動したんだよ」


「身体に入ってきた力を、そのまま外へ出すな。使わずに持ってろ」


 ラヴィナは困った。


 フィレナを使ったら走る。


 跳ぶ。


 斬る。


 それしか知らない。


「持つって、どうやって?」


「それを覚えるんだ」


「説明になってねーぞ」


「まずやれ」


 仕方なく、その場に座ったまま力を意識する。


 さっき初めて気づいたフィレナの精霊力。


 それが今は自分の身体へ流れ込んでいる。


(使わない……使わない……)


 何もしなければいい。


 最初はそう思った。


 だが、少しすると。


「あれ?」


「どうした」


「……なくなった」


「使ったな」


「動いてねーぞ」


「身体は動かなくても力は逃げる」


「どうやって?」


「それを覚えるんだ」


「やっぱ説明雑すぎねーか?」


「言葉だけでできるなら誰でも精霊使いになれる」


「くそ……」


 もう一度。


「フィレナ」


 力が入る。


 今度はさっきより意識して追う。


 脚へ行こうとする感覚。


 腕へ広がる感覚。


 身体全体が軽くなろうとする感覚。


(これを……残す?)


 分からない。


 少しすると、また薄くなった。


「駄目だ」


「もう一度」


「分かってる」


 三度目。


 失敗。


 四度目。


 やはり消える。


「何で残んねーんだよ」


「今まで残そうとしたことがないからだ」


「それだけ?」


「十年以上同じ歩き方をしてきた人間に、今日から違う足の出し方をしろと言ってるようなものだ」


「分かるような、分かんねーような」


「なら考えるな。やれ」


「おっさん、やっぱ教えるの向いてねーよ」


 文句を言いながらも、ラヴィナはやめなかった。


 五度目。


 力が入る。


 今度は身体全体を一度に意識しない。


 先ほどディルクが言っていた。


 どれだけ受け取るか。


 どこへ流すか。


 どれだけ残すか。


 ラヴィナはほんの少しだけ、力を身体の内側へ置くように意識した。


 正しいかどうかなど分からない。


 だが、これまでとは違うことを試す。


 フィレナから手を離した。


「……」


 いつもなら、そこで終わる。


 ところが。


(ん?)


 ごくわずか。


 本当にわずかだった。


 さっき感じたものが、身体の奥に残っている。


 ラヴィナは目を開けた。


「……残ってる」


 ディルクが見る。


「どれくらいだ?」


「分かんねー。ちょっと」


「それでいい」


「これだけ?」


「最初はな」


 不満を言おうとして、ラヴィナは口を閉じた。


 フィレナに触れていない。


 胸元にもない。


 それなのに。


 自分の身体の中に、フィレナから受け取った精霊力がある。


 ほんの少し。


 だが、確かにある。


 昨日まで一度も経験したことのない感覚だった。


「これ、増やしていけばいいんだな?」


「ああ」


「もっと溜められるようになったら?」


「フィレナを外しても、しばらく精霊力を使える」


「もっと?」


「もっと長くなる」


「もっと?」


 ディルクが呆れた顔をする。


「欲張るな」


「いいだろ。勝ったんだから」


「勝負とこれは別だ」


「じゃあ最終的にどうなる?」


 ディルクは少しだけ考えた。


「それは、お前次第だ」


 ラヴィナは自分の掌を見る。


 昨日までなら、強くなるとは剣を振ることだった。


 速くなる。


 技を覚える。


 もっと正確に斬る。


 それだけだった。


 だが、今は違う。


 自分が知らなかった精霊力の使い方がある。


 フィレナそのものを、まだ何も分かっていなかった。


(もっとできる)


 そう思うと、身体の疲れまで忘れそうになる。


「もう一回やる」


「休め」


「何でだよ」


「フィレナもお前も無限じゃない」


 言われて、ラヴィナは花を見る。


 何度も使ったフィレナは、最初より明らかに弱っていた。


「……分かったよ」


 渋々、手を離す。


 強くなりたいからといって、力の源を無駄に潰しては意味がない。


 そこまで考えたところで、ラヴィナは少しだけ笑った。


 昨日までの自分なら、そんなことすら考えなかったかもしれない。


     ◇


 山を下りる時間が近づいていた。


 ディルクは大型の剣を布で包み直し、重そうな荷物と一緒に背負った。


 ラヴィナは花畑を見渡す。


 昨日まで。


 ここは花を摘みに来る場所だった。


 フィレナを探す場所だった。


 ミレイが売る花を集める場所だった。


 エレナと歩いた場所でもある。


 けれど今日から、少しだけ意味が変わった。


 ここは、自分が精霊力を学んだ場所になった。


「俺はそろそろ行く」


「ああ」


 すると、ラヴィナは、少し考えながら、ぽつりと言った。


「海の精霊力かー、海かー」


「見たくなったか?」


「ちょっとだけな」


 エレナ。


 アラン。


 そしてディルク。


 短い間に、三人から海の話を聞いた。


 自分には縁のない遠い場所だと思っていたものが、少しずつ近づいてきているような気がする。


 それでも、今すぐ海へ行くわけではない。


 ラヴィナは、近くに咲くフィレナを見る。


「まあ、海見る前にやることできたし」


「何だ?」


 ラヴィナは一輪のフィレナへ手を伸ばした。


「これ」


 花弁へ触れないぎりぎりのところで指を止める。


 さっきまでなら、ただの水色の花だった。


 今は違う。


 意識すれば、その奥にあるものをほんの少しだけ感じられる。


 ディルクは荷物を背負い直し、山道へ向かう。


「じゃあな」


「ああ。おっさん!」


「何だ?」


「次会った時には、もっと溜められるようになってるからな!」


「期待しないでおく」


「そこは期待しろよ!」


 ディルクは軽く手を上げ、そのまま山道を下りていった。


 ラヴィナは大きな背中を見送る。


 胸元にフィレナはない。


 それでも、ほんのわずかに身体の奥へ残っている精霊力を感じる。


 これまでなら、花から離れれば終わっていた力。


 今日は違う。


 まだ小さい。


 戦いで使えるほどでもない。


 それでも確かに、自分の中にある。


 ラヴィナは掌を開いた。


(もっと強くなれる)


 昨日、アルトに負けた。


 何もできなくなった。


 だから、もっと強くなりたいと思った。


 けれど今は、その言葉の意味が少し変わっていた。


 ただ速くなるだけじゃない。


 ただ剣を振るだけでもない。


 知らなかったものを知る。


 使っている力を、自分で理解する。


 その先に、今までとは違う強さがある。


 ラヴィナは、ディルクが消えていった山道をもう一度見た。


(それにしても……)


 港で働いていると言っていた。


 だが、あの巨大な剣。


 アルトを圧倒した技量。


 そして、岩を吹き飛ばした精霊力。


(あのおっさん、本当にただの港の労働者なのか?)


 答えは出なかった。


     ◇


 山道を下るディルクの前に、一人の少女が現れた。


 片手に花摘み用の籠、もう片方の手には折り畳んだ新聞を持っている。


「あっ、昨日の……!」


 ミレイだった。


 ディルクも足を止める。


「昨日は、ラヴィナを助けてくださってありがとうございました」


 ミレイは丁寧に頭を下げた。


「ああ。気にするな」


「ラヴィナは、もう大丈夫でしょうか?」


「元気だぞ。上の花畑にいる」


「本当ですか?」


「ああ。元気すぎるくらいだ」


 ディルクは少しだけ笑った。


 ミレイは安心したように胸を撫で下ろす。


「ありがとうございます。それでは、失礼します」


「気をつけてな」


 短い挨拶を交わし、二人はすれ違った。


 ディルクはそのまま山を下りていく。


 ミレイも花畑へ向かって歩き始めた。


     ◇


「ラヴィナー!」


 聞き慣れた声が山道の方から響いた。


 ラヴィナが振り返る。


「ミレイ?」


「もう! 今朝、迎えに行ったのにいなかったから、先に来たのかと思ったよ」


「ああ、ちょっとおっさんと用事があってさ」


「さっき会ったよ。昨日のお礼も言えた」


「そっか」


 ミレイは籠を持ち直すと、ラヴィナへ近づいた。


 そこで、ふと思い出したように口を開く。


「そうだ。昨日の騎士様のことなんだけど……」


「アルトか?」


「うん。あの人、エレナ様を探していたんだよね?」


「ああ」


 ミレイは右手の新聞へ目を落とした。


「でも、新聞ではエレナ様は亡くなったって書いてあるし……。どういうこと?」


「さあな。俺にも分かんねーよ」


「エレナ様、大丈夫なのかな……」


 ラヴィナはそこで、ディルクから聞いた話を思い出した。


「あ、そういやミレイには言ってなかったな」


「何を?」


「エレナとアラン、元気らしいぞ」


「えっ!?」


 ミレイが顔を上げる。


「本当!?」


「ああ。さっきのおっさんがルベルの街で会ったんだってさ」


「さっきの人?」


「そう。酒場で飯食って、笑ってたらしい」


「……よかったぁ」


 ミレイは大きく息を吐き安心したが、ディルクのことについて聞く余裕はなかった。


「ずっと心配してたんだ。新聞にはあんなこと書いてあるし、昨日はあの騎士様まで来るし……」


「まあ、そうだよな」


「また会えるかな、エレナ様に」


「住むところが決まったら、手紙をくれるって言ってたぞ」


「そうなんだ!」


 ミレイの表情が明るくなる。


「じゃあ、また一緒に花摘みできるといいね」


「エレナ、山道きつそうだったけどな」


「でも、すごく楽しそうだったよ」


「まあな」


 ラヴィナも少し笑った。


 ミレイは籠を持ち直す。


「じゃあ、今日もたくさん摘まないとね!」


「ああ」


 二人は花畑の奥へ歩き始めた。


 ところが。


 ミレイの足が止まった。


「……ってこれ何?」


「ん?」


 ミレイは花畑の端を見ていた。


 地面が大きく削れている。


 土がむき出しになり、小石が散らばっていた。


 その先には、何か巨大なものが地面を引きずられたような跡まで残っている。


 ディルクの大海嘯によって、岩が吹き飛ばされた場所だった。


「……ラヴィナ?」


「何だよ」


「何があったの?」


「ああ、それ?」


「それ? じゃないよ!」


 ミレイは慌てて近づいた。


「地面がこんなになってるし、あそこにあった大きな岩は!?」


「飛んでった」


「……え?」


「だから、飛んでった」


 ミレイはゆっくりラヴィナを見る。


「岩が?」


「ああ」


「飛んだの?」


「そう言ってんだろ」


「誰が飛ばしたの!?」


「さっきのおっさん」


「……さっきの人?」


「そう」


 ミレイはしばらく黙っていた。


 それから、もう一度荒れた地面を見る。


「ラヴィナ」


「何?」


「もしかして、ここでまた戦ってたの?」


「いや、戦ってねーよ」


「じゃあ何でこんなことになってるの!?」


「剣の練習だよ」


「練習!?」


 ミレイの声が花畑に響いた。


「ちょっと待って。練習で岩が飛んでいくの!?」


「俺に聞くなよ。飛ばしたのおっさんだし」


「そういう問題じゃないでしょ!」


 ミレイは頭を抱えた。


 ラヴィナはその横で、何がおかしいのか分からないという顔をしている。


「別に花はそんなに傷んでねーだろ」


「今日はそういう問題でもないの!」


「じゃあ何だよ」


 ミレイは大きくため息をついた。


 ラヴィナは肩をすくめる。


「俺だって岩が飛ぶなんて思ってなかったし」


「当たり前だよ!」


 山奥の花畑に、ミレイの呆れた声が響いた。


 ラヴィナはそんな友人を横目に、少しだけ笑った。


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