第12話 もっと強くなるために
山を下りきる頃には、ラヴィナの脚もようやくまともに動くようになっていた。
少し前を歩くディルクの背中を追いながら、何度目か分からない疑問を転がす。
(ばあちゃん……こいつとどういう関係なんだ?)
山奥の花畑を知り、祖母の名を知り、それどころか「リゼア様」と呼んだ。
「なあ。やっぱ今教えろよ」
「家に着けば分かる」
「さっきからそればっかだな」
家へ着き、ラヴィナが戸を開ける。
「ばあちゃん、戻った」
リゼアはまずラヴィナの顔と身体を見た。傷が増えていないことを確かめるようだった。
やがてディルクへ目を向ける。その瞬間、ディルクの空気が変わった。大きな身体をわずかに低くし、丁寧に頭を下げる。
「リゼア様。ご無沙汰しております」
「ええ」
リゼアも驚かなかった。
(やっぱり知り合いじゃねーか)
ラヴィナは2人を軽くすねたように見た。
すると、ディルクはすぐに表情を曇らせ、荷物を下ろした。
「リゼア様。今日は、ご連絡があります」
新聞を取り出し、卓上へ広げる。
「エレナ王女殿下が亡くなられたと、王都から発表がありました」
リゼアもラヴィナも驚かなかった。
「……ご存じでしたか?」
「ええ」
「知ってるよ」
「なぜ?」
リゼアは椅子を勧めた。
「座ってください。少し長い話になります」
◇
ディルクは口を挟まず、リゼアの話を聞いた。
エレナが生きてシャルネへ来たこと。アランも一緒だったこと。アランは全身に傷を負っていたこと。
「私が診ました。本来なら一週間ほど安静にしてほしい状態でした」
「それで、こちらに?」
「ええ。二人ともしばらくこの家にいました」
ディルクは部屋を見回した。
(やはり……)
「その後、この新聞が届きました。状況が変わり、二人は村を出ました」
「行き先は?」
「それは、私から申し上げることではありません」
ディルクはそれ以上聞かなかった。十年後の決断や王都会議の票について、リゼアも話さない。
しばらくして、ディルクが口を開いた。
「実は、その二人らしい男女に会いました」
「え?」
ラヴィナが身を乗り出す。
「どこで?」
「ルベルだ。淡いプラチナブロンドの長い髪。青紫色の瞳をした若い女性だった」
リゼアの表情が変わる。
「男の方は肩幅が広く、かなり鍛えていたように見えた。怪我を隠していたが、まだ完全には治っていなかった」
「アランだ」
ラヴィナが即答する。
「二人は婚約者同士だと言っていた」
「それなら絶対そうだ」
リゼアが小さく息を吐いた。
「そうですか……無事でしたか」
「元気だった?」
「少なくとも酒場で飯を選んで、二人で笑えるくらいにはな」
「飯?」
「そこが気になるのか?」
「元気だったか分かるだろ」
ディルクが少し笑う。
「腹は減っていたみたいだぞ」
「じゃあ元気じゃん」
(よかった)
ラヴィナの肩から力が抜けた。新聞では死者と罪人のように扱われている二人が、どこかの酒場で飯を選び、笑っていた。
それでも、生きている。二人で笑っていた。今はそれだけで十分だった。
◇
「で」
ラヴィナが二人を交互に見る。
「今度こそ教えろよ」
「何を?」
「とぼけんな。何でおっさんが、ばあちゃんを『リゼア様』って呼ぶんだよ。ばあちゃんもこいつ知ってるだろ」
ディルクがリゼアを見る。リゼアが小さく頷いた。
「俺は昔、ガルド様に剣を教わった」
ラヴィナが止まる。
「……じいちゃんに?」
「ああ」
「弟子?」
「そうだ」
「じいちゃん、弟子なんていたのかよ」
「いましたよ」
「聞いてねーぞ」
「話す機会がなかったからね」
「八年もあっただろ」
ラヴィナはディルクの大きな身体を見た。昨日、アルトの剣を三十秒、一度も受けずに凌いだ男。
「……じいちゃんって、そんなに強かったのか?」
「知らないのか?」
「剣が強かったのは知ってる。俺に教えたのもじいちゃんだし」
ディルクはリゼアを見た。リゼアは止めない。
「ガルド・ベルク様は、かつてカルゼリア国王から『剣聖』の地位を与えられた剣士だ」
「……剣聖?」
「ああ」
「じいちゃんが?」
「そうだ」
五歳の自分に剣を教えた祖父。構えが悪ければ直され、何度も走らされた。上手くできた時だけ、ほんの少し笑った。
そんな祖父が、国家から剣聖と認められた人物だった。
「何で教えてくれなかったんだよ」
「あなたにとっては、おじいさんでしょう。それで十分だと思っていました」
「俺は全然十分じゃない」
ディルクが少し懐かしそうに笑う。
「少なくとも、俺が知っている剣士の中では特別だった」
「それだけじゃない」
「まだあんの?」
「ガルド様は精霊使いだった」
ラヴィナの表情が変わった。
「……じいちゃんも?」
「ああ」
「何の精霊?」
「雷だ。精霊花はライゼル」
山奥の花畑でミレイが見つけた銀白色の花が浮かぶ。
(あの花……)
「じいちゃん、あれ使ってたのか?」
「ああ」
剣聖。精霊使い。ライゼル。
知っているはずの祖父が、急に知らない人間になっていく。
「何だよ、それ。じいちゃん、何にも教えてくれてねーじゃん」
誰もすぐには答えなかった。
◇
「もう八年か」
ディルクがぽつりと言った。
「ええ」
リゼアの返事は短かった。
師を失った男と、夫を失った女。ラヴィナは二人の沈黙を見ていた。
そして、忘れようとしていた光景が戻る。
赤。
地面。
血だらけで倒れている祖父。
動かない身体。
(じいちゃん……)
八歳だった。何が起きたのか分からなかった。何度も思い出し、そのたびに考えるのをやめた。
「なあ」
二人がラヴィナを見る。
「あの日、何があったんだ?」
空気が止まった。
「じいちゃん、普通に死んだんじゃないだろ」
リゼアの表情から柔らかさが消える。
「……昔のことです」
「答えになってない」
「ラヴィナ」
「俺、もう十六だぞ」
「年齢の問題ではありません」
「じゃあ何の問題だよ」
リゼアは答えない。
ラヴィナはディルクへ向き直った。
「おっさんは?」
ディルクもすぐには答えなかった。
「俺から話すことじゃない」
「知ってるんだな」
「……」
「二人とも何か知ってるじゃん」
返事はない。
ラヴィナは唇を噛んだ。問い詰めても、今は話さない。それだけは分かった。
「……分かったよ」
納得したわけではない。
ラヴィナは強引に話題を変えた。
「じゃあ、もう一個」
「まだあるのか?」
「ある」
ディルクを見る。
「おっさんの、あれ何なんだ?」
「何が?」
「とぼけんな。アルトと戦ってた時のやつ」
巨大な精霊力。そして、アルトの剣が一度も当たらなかった三十秒。
「俺にも教えてくれ」
「何を?」
「その精霊力の使い方」
ディルクの目が少し細くなる。
「なぜだ」
ラヴィナは黙った。
アルトとの戦いが蘇る。
前回は勝った。今回は完全に負けた。フィレナを斬られ、小太刀を弾かれ、最後は立つことすらできず、祖母とミレイが自分のために頭を下げた。
そしてディルクは、そのアルトの剣を素手で三十秒間凌ぎ切った。
「何のために、教える?」
しかし、答えはすぐには出なかった。
山賊を倒すため。自分を守るため。誰かを守るため。
エレナの顔も浮かんだ。
「……負けたくない」
「誰に?」
「誰にも」
「それは無理だ」
「じゃあ、負けても何もできなくなるのは嫌だ」
ディルクは黙って聞いている。
「俺に教えてくれ」
「断る」
「早っ!」
「教える理由がない」
「じいちゃんの弟子だったんだろ?」
「だから何だ」
「だったら孫にも教えろよ」
「話が飛びすぎだ」
「ちょっとくらいいいだろ」
「よくない」
「ケチ」
「何とでも言え」
「一回だけでも――」
「ラヴィナ」
リゼアの声だった。
「何?」
「もう剣はやめなさい」
ラヴィナが目を瞬く。
「……急に何だよ」
「今日のことを見たでしょう」
その一言で黙った。
「あなたが剣を持って帰ってくるのを、私は何度も見てきました。山賊と戦った日も、怪我をした日も」
「でも今まで何も――」
「今日までは」
リゼアの声は静かだった。
「今日は、あなたが本当に死ぬかもしれないと思いました」
ラヴィナは祖母の顔を見られなかった。
「いつかは剣を置いて、普通に生きてほしいと思っています」
「普通って何だよ」
「少なくとも、毎日のように命を賭ける暮らしではありません」
「俺は――」
反論しかける。
だが、アルトの前で頭を下げた祖母の姿が浮かんだ。ミレイの土下座も。
「……分かったよ」
珍しく、それ以上言い返さなかった。
ディルクも何も言わない。
その日の話は、そこで終わった。
ただ。
ラヴィナの中では、何一つ終わっていなかった。
◇
翌朝。
ディルクは荷物を背負った。
「リゼア様。それでは」
「お気をつけて」
ラヴィナの姿はない。
ディルクは特に尋ねず、シャルネ村を出た。
朝の山道をしばらく歩く。
その先。
道の真ん中に一人の少女が立っていた。
腰には一本の小太刀。
ディルクが足を止める。
「何してる」
「待ってた」
「昨日断っただろ」
「知ってる」
「リゼア様にも剣をやめろと言われた」
「それも知ってる」
「なら帰れ」
「嫌だ」
ディルクがため息をつく。
「一回だけ」
「何が」
ラヴィナが小太刀の柄へ手を置いた。
「賭けしようぜ」
ディルクの表情が少し変わる。
「昨日の真似か」
「そう」
「何を賭ける」
「三十秒」
ラヴィナはディルクを真っ直ぐ見る。
「今度は俺が攻める」
「条件は?」
「三十秒以内に一発でも俺の小太刀が当たったら、おっさんの精霊力の秘密を教えろ」
「俺が三十秒避け切ったら?」
ラヴィナは少しだけ黙った。
腰の小太刀へ視線を落とす。
五歳から握ってきた。
八歳で祖父を失っても、毎晩振った。
やらないと落ち着かなかった。
剣を振ることは、もう生活の一部だった。
ラヴィナは顔を上げる。
「剣を捨てる」
ディルクから軽さが消えた。
「意味、分かって言ってるのか?」
「分かってる」
「昨日のお前は、あの騎士に負けた」
「ああ」
「俺には一撃も当てられないかもしれない」
「分かってる」
「負けたら本当に剣を捨てるんだな?」
「捨てる」
迷わなかった。
ディルクはラヴィナを見る。
「五歳から続けてきた剣でも?」
今度は、ほんの少しだけ間が空いた。
小さかった自分の手。
祖父が直してくれた構え。
八歳から一人で続けた夜の稽古。
全部が小太刀につながっている。
「それでもだ」
「なぜそこまで賭ける」
「今のままじゃ駄目だって、昨日分かった」
ラヴィナは柄を握った。
「フィレナを斬られた。小太刀を飛ばされた。最後は何もできなかった」
「……」
「今の俺じゃ、もっと強い奴が来たら何もできない」
昨日のアルト。剣先。動かなかった脚。自分のために頭を下げた二人。
「だから、今より上に行けないなら――」
ラヴィナの指に力が入る。
「その時は、剣を捨てる」
ディルクは長い間、何も言わなかった。
朝の風が二人の間を抜ける。
「一つ訂正しろ」
「何を?」
「俺に一撃入れたら、弟子にしろとは言ってないな?」
「言ってない」
「精霊力の秘密を教えろ。それだけだな?」
「ああ」
「それを聞いた後、どうするかもお前次第だ」
「分かってる」
ディルクはもう一度ラヴィナを見る。
やがて荷物を肩から下ろした。
「分かった」
ラヴィナの目が輝く。
「やるのか?」
「ああ」
「よし!」
「ただし」
「まだあんの?」
「昨日と同じ三十秒だ」
「望むところだ」
ディルクは荷物を道端へ置いた。
武器は持たない。
昨日と同じだ。
ラヴィナは腰から一本の小太刀を抜いた。
鞘から刃が抜ける音が、朝の静かな道に響く。
ディルクの視線がラヴィナの胸元へ移った。
「フィレナは?」
ラヴィナは一瞬だけ黙った。
昨日、アルトに斬られた花。
それがなければ、自分の速度は大きく落ちる。
けれど今は、その問いに答えなかった。
ディルクも追及しない。
「三十秒以内に一撃でも俺へ入れれば、お前の勝ち」
「ああ」
「俺が三十秒避け切れば?」
ラヴィナは小太刀を握り直した。
「俺は剣を捨てる」
風が吹いた。
草が揺れる。
ラヴィナは深く腰を落とした。
昨日までの軽い笑みはない。
アルトを挑発した時の余裕もない。
目の前の男に、一撃を入れる。
それだけを考える。
ディルクも、もうラヴィナを子供を見るような目では見ていなかった。
「じゃあ、始めるか」
ラヴィナは小太刀の切っ先をわずかに下げた。
「今度は俺が、おっさんに当てる番だ」
◇
朝の山道に、冷たい風が抜けていった。
ディルクは道端へ荷物を下ろした。
ラヴィナは腰から一本の小太刀を抜く。胸元にはフィレナがある。だが、まだ触れない。
「準備はいいか?」
「いつでも」
ディルクは構えらしい構えを取らない。両腕を自然に下ろし、ただ立っている。
三十秒以内に一撃。
できなければ、剣を捨てる。
五歳から握り続けてきた剣を。
「行くぞ」
「ああ」
ラヴィナは木立の間を抜け、一気に間合いを詰めた。
最初から手加減はしない。
小太刀を上段から振り下ろす。
ディルクは動かない。
(もらった――)
刃が肩へ届く、その直前。
身体がほんの少し横へずれた。
「っ!」
刃は服のすぐ脇を通過する。
ラヴィナは止まらない。着地と同時に腰を捻り、横薙ぎへつなげる。
半歩。
ディルクが下がる。
また届かない。
今度は胸へ突く。
身体をわずかに斜めへ向けられ、切っ先が空を突き抜けた。
(速い……)
ラヴィナは距離を取る。
いや。
違う。
ディルクが常に高速で動いているわけではない。
むしろ、ほとんど動かない。
刃が届く寸前まで待ち、必要な距離だけを瞬間的に動く。
肩一つ。
半歩。
身体を少し傾けるだけ。
動き始める瞬間が異常なほど正確だった。
(だったら)
再び踏み込む。
斜めから肩。
かわされる。
刃を返して脇腹。
身体を引かれる。
重心を落とし、下から斬り上げる。
ディルクは首を傾けただけだった。
「くそっ」
間合いを変える。
正面から行くと見せ、直前で左へ。
背後へ回り込んで小太刀を走らせる。
ディルクは振り返りもしない。
一歩だけ前へ出た。
また空振り。
(何だよ、これ)
届きそうなのに届かない。
あと指一本。
あと半歩。
それだけの距離を毎回正確に外される。
フィレナを使っていない今のラヴィナは、昨日ゼルヴァを発現させたアルトより明らかに遅い。
そのアルトですら、ディルクには一撃も入れられなかった。
(だからって、このまま終われるかよ)
突き。
横薙ぎ。
脚への斬撃。
すべて空を切る。
「そのままだと、三十秒終わるぞ」
ディルクの声には息切れ一つない。
「まだ終わってねーだろ!」
「そうだな」
口元がわずかに緩んだ。
「余裕ぶってんじゃねーよ」
「余裕がないように見えるか?」
「今からなくしてやる」
ラヴィナは大きく距離を取った。
左手が胸元へ伸びる。
「フィレナ」
青白い花から精霊力が身体へ流れ込んだ。
脚。
腕。
背中。
全身が一気に軽くなる。
踏み込みも、跳躍も、反応も、速度も跳ね上がった。
地面を蹴る。
一瞬で間合いへ入る。
小太刀が走る。
だが。
ディルクの表情は変わらない。
刃が届く直前、わずかに肩を引く。
外れる。
次。
さらに速く。
それもかわされた。
(やっぱりな)
ラヴィナは驚かなかった。
フィレナを使えば勝てる。
そんな単純な話ではない。
むしろフィレナを使った瞬間から、ディルクの反応はさらに正確になったように見えた。
ラヴィナは右へ跳ぶ。
ディルクの視線が追う。
左。
また追う。
前。
右。
左。
木の幹を蹴って角度を変えても、顔は常にラヴィナのいる方向を捉えている。
(こいつ……俺の動きじゃない)
もう一度右へ跳ぶ。
(精霊力を追ってる?)
フィレナを使う前より、自分の位置を正確に把握されている。
なら。
(これ、使えるんじゃねーか?)
ラヴィナの目が細くなった。
右。
左。
また右。
両脚で細かく地面を蹴り、木立も使って一定の軌道を作らない。
「そんな子供騙しで、俺に一撃入れられると思うのか?」
「さあな!」
右側から一気に踏み込む。
身体を小さく畳む。
重心を低く。
小太刀も下げる。
狙いはディルクの脚。
そう見える形を作った。
ディルクには見えている。
小太刀も。
フィレナも。
ラヴィナ自身も。
(ここだ)
間合いへ入る直前。
ラヴィナの左手が胸元へ伸びた。
フィレナを掴む。
そして――捨てた。
青白い花が宙へ舞う。
同時に右手の小太刀を逆手へ持ち替えた。
ディルクへ向かっていた刃を、地面へ。
ザッ、と土へ突き刺す。
フィレナ。
精霊力。
小太刀。
それまでディルクへ向かっていたものが、一瞬で攻撃線から消えた。
ディルクの目がわずかに動く。
その一瞬。
ラヴィナは地面へ刺した小太刀を支点に、右腕で身体を支えた。
前へ進んでいた勢いを殺さない。
低く沈めた身体を回転させる。
左脚が大きく跳ね上がった。
ディルクの目が見開かれる。
間に合わない。
ドンッ!
ラヴィナの左足が、ディルクの顔面を捉えた。
◇
反動でラヴィナの身体が回る。
着地。
一歩。
二歩。
体勢を整え、すぐに振り返る。
ディルクは――。
「……は?」
立っていた。
顔が少し横を向いている。
それだけ。
倒れていない。
よろめいてすらいない。
「嘘だろ」
ディルクがゆっくり顔を戻し、頬へ手をやった。
「……入ったな」
「結構、勢いつけて入ったぞ?」
「ああ」
「何で立ってんだよ」
「知らん」
「知らんって何だよ!」
ラヴィナは自分の左足を見る。
手応えはあった。
間違いなく顔面へ入った。
むしろ自分の脚の方が少し痛い。
「顔、石でできてんのか?」
「人の顔を何だと思ってる」
「蹴られて平然としてる奴に言われたくねーよ」
ディルクは頬を軽く擦った。
その様子を見ていたラヴィナの口元が、ゆっくり上がる。
「でも」
地面へ刺した小太刀を引き抜いた。
「俺の勝ちだな」
ディルクの手が止まる。
「……何?」
ラヴィナは自分の左足を少し持ち上げて見せる。
「一撃、入った」
「……」
「剣を当てろとは言ってないだろ」
ディルクが黙る。
「条件は『三十秒以内に一撃でも当てる』だった」
「……確かにな」
「蹴りだって一撃だ」
ラヴィナは勝ち誇ったように笑った。
ディルクは何も返さず、先ほどの一瞬を思い返す。
フィレナを使ったラヴィナの位置は、使う前より遥かに明確だった。
右。
左。
接近。
低い姿勢。
小太刀。
すべて捉えていた。
だからこそ。
フィレナが身体から離れた瞬間、精霊力の中心を追った。
さらに小太刀まで地面へ向かった。
自分へ向かっていた精霊力と刃が同時に消えた。
ほんの一瞬。
攻撃が終わったと判断した。
その瞬間に、ラヴィナ自身の左脚が来た。
(精霊力を追いすぎたか)
反応が一瞬遅れた。
そして、その一瞬を作ったのはラヴィナだった。
「最初から、それを狙ってたのか?」
「途中から」
「最初からじゃないのか」
「そんなの無理だろ。おっさんがどう避けるかも知らなかったんだから」
「じゃあ、いつ気づいた」
「フィレナ使ってから」
ラヴィナは小太刀を鞘へ戻した。
「使う前より、おっさんの方が俺の位置分かってる感じしたから」
「それだけで?」
「右行っても左行っても、ずっと見てただろ」
「目で追ってただけかもしれない」
「だったらフィレナ捨てても同じだったはずだろ」
ディルクは返さなかった。
ラヴィナが鼻で笑う。
「当たりじゃん」
「……なるほどな」
「だから試した。フィレナを捨てて、小太刀も攻撃から外した」
「それで最後が蹴りか」
「剣ばっか見てるからだよ」
「昨日、お前も剣を飛ばされてただろ」
「昨日の話すんな」
「都合がいいな」
「勝った奴が偉いんだよ」
「そういう決まりだったか?」
「今決めた」
ディルクはしばらくラヴィナを見つめた。
速さだけではない。
力でもない。
戦いの最中に相手を見て、気づき、試し、相手の強みそのものを利用した。
その姿に、昔の記憶が重なる。
自分が尊敬した剣士。
ガルド。
その孫が、目の前で得意そうに笑っている。
「やられた」
「だろ?」
「完敗だ」
ラヴィナは満足そうに笑った。
だが、すぐに眉を寄せる。
「何で嬉しそうなんだよ」
「そう見えるか?」
「見える」
ディルクは答えなかった。
ただラヴィナを見る。
悔しさはなかった。
むしろ、胸の奥には温かいものがあった。
ガルドの孫が、自分で考え、自分で答えを見つけ、自分から一撃を奪った。
ディルクの口元が、ほんの少しだけ緩む。
「ほら、やっぱ笑ってんじゃん」
「うるさい」
ラヴィナは勝ち誇ったように笑った。




