第11話 30秒の賭け
アルトの剣が、ゆっくりと持ち上がった。
ラヴィナは地面へ片手をついたまま、その剣先を見上げていた。
脚が動かない。腕も重い。フィレナは斬られ、小太刀は手の届かないところに転がっている。
(まずい……)
「団長代理! おやめください!」
「その者はもう武器を持っていません!」
それでもアルトは剣を下ろさない。
(こいつ……本気で俺を斬る気か)
その時だった。
「お待ちください!」
「ばあちゃん?」
リゼアだった。
村人たちの間から前へ出てくる。
「来るな!」
だがリゼアは止まらない。アルトの剣が届くほど近くまでは行かず、それでもラヴィナを庇うように前へ立った。
そして深く頭を下げる。
「この子が無礼を働いたのでしたら、私がお詫びいたします」
「この女は捜索を妨害しています」
「承知しております」
「兄上の行き先を知っている可能性がある。それを隠している」
「それでも」
リゼアは顔を上げた。
「武器を失った十六歳の娘を斬る理由にはなりません」
「ばあちゃん、いいから下がってろ!」
「ラヴィナは黙っていなさい」
「でも――」
「あなたは今、立つこともできないでしょう」
言い返せなかった。
「お願いです。どうか、もう剣を収めてください」
アルトは答えない。
そこへ別の声が飛んだ。
「ラヴィナ!」
ミレイだった。
地面へ手をつくラヴィナ。踏み潰されたフィレナ。離れた場所の小太刀。そして剣を持ったアルト。
ミレイの顔から血の気が引いた。
「ラヴィナ……」
「ミレイまで来るな!」
だがミレイはアルトの前まで進み、突然膝をついた。
「おい!」
両手を地面につけ、そのまま頭を下げる。
「騎士様……どうか、お許しください」
「ミレイ、やめろ!」
「ラヴィナが失礼なことを言ったなら、私も謝ります」
「お前が謝ることじゃない!」
「だから……お願いです。ラヴィナを斬らないでください」
「やめろって!」
ラヴィナは立とうとして、再び膝をつく。
(くそ……)
自分のために祖母が頭を下げている。友人まで地面へ額をつけている。
斬られること以上につらかった。
「団長代理」
兵士の一人が前へ出た。
「我々からもお願いいたします。剣をお収めください」
「お前までか」
「この者はすでに戦闘能力を失っています」
「俺の命令が聞けないのか?」
「命令であっても、これ以上は――」
アルトは周囲を見た。
リゼア。ミレイ。ラヴィナ。村人たち。そして自分が連れてきた兵士。
誰一人として、自分に従おうとしていない。
(どうして誰も)
剣を握る手に力が入る。
(どうして、俺の邪魔をする)
胸の奥が熱くなる。
ゼルヴァが、その感情に呼応するように膨らんでいく。
ラヴィナが顔を上げた。
(また……強くなった?)
だが次の瞬間。
「……?」
アルトも同時に振り返る。
二人の視線が同じ方向へ向いた。
何かが近づいてくる。
強い。
いや、大きい。
ラヴィナがこれまで感じたことのないほど大きな精霊力。
(何だ……?)
圧倒的なのに怖くない。
澄んでいる。
深い水の中にいるような静けさ。
一方、アルトの顔には露骨な不快感が浮かんだ。
(何だ、これ)
胸の内側でゼルヴァが拒絶している。
(精霊力……?)
魔力と精霊力は相反する。
ラヴィナから感じたものより遥かに強い。
その時。
「その揉め事、俺が引き受けてもいいか?」
全員が振り返る。
非常に大柄な男が立っていた。
ディルク・ハイゼン。
ディルクは周囲を一度見渡した。
剣を持つ騎士。地面に膝をついた少女。踏み潰された花。止めようとしている兵士。頭を下げる二人。
(こんな小さな田舎の村に……)
アルトを見る。
(魔力を持った騎士)
次にラヴィナ。
(それに、精霊使いの少女?)
「何者だ?」
「ディルク・ハイゼン」
「何をしに来た」
「それは後でいい」
ディルクはラヴィナを一度見て、アルトへ視線を戻した。
「騎士様。そこの娘が何をしたかは知らない」
「なら口を出すな」
「そうもいかない。素手の少女を王国の騎士が斬れば、立場が悪くなるのは騎士様の方じゃないか?」
「俺を脅しているのか?」
「逆だ。止めてる」
ディルクは周囲を顎で示した。
「見てる奴が多すぎる」
アルトは黙った。
「だから何だ」
「一つ、賭けをしないか?」
「賭け?」
「三十秒」
ディルクは両手を軽く広げる。武器は持っていない。
「俺は素手で、騎士様の剣を三十秒避ける。その三十秒、俺を本気で斬っていい」
周囲がざわついた。
「おっさん、何言ってんだ?」
「俺が三十秒防ぎ切ったら、今回のことはなかったことにしてほしい」
「俺が勝ったら?」
「俺が斬られる」
「いやいや、斬られたら終わりだろ」
「そうだな」
「そうだな、じゃねーよ!」
ディルクはアルトだけを見ていた。
「どうする?」
アルトは男の体格を見る。
鍛えている。
だが素手。
こちらには剣があり、今の自分にはゼルヴァがある。
(素手で三十秒?)
「いいだろう」
「ただし、もう一つ条件がある」
「何だ」
「人前ではやらない」
「なぜだ」
「俺が斬られた時、王国騎士団が大勢で一人の男を囲んで殺した、なんて噂が立ったら騎士様も困るだろ」
アルトの表情がわずかに変わる。
「騎士様と俺。それから見届け人を一人」
「誰だ」
ディルクがラヴィナを指した。
「そこの娘」
「俺?」
「お前が一番、この勝負の結果を見届ける理由がある」
ラヴィナは黙った。
「場所は?」
ディルクは山を見る。
「山奥を少し登ったところに花畑がある。そこにしよう」
ラヴィナの顔が変わった。
「……何でおっさんが、あそこ知ってんだ?」
「そこでいい」
「質問に答えろよ」
「行けば分かる」
「何が分かるんだよ」
「少なくとも、ここより人はいない」
「そういう意味じゃねーよ」
アルトは山を見る。
「そこへ行く」
兵士たちが不安そうにする。
「お前たちはここで待て。これは俺が受けた賭けだ」
◇
三人が山へ向かおうとした時。
ディルクの足が一瞬だけ止まった。
リゼアと目が合った。
ほんの一瞬。
リゼアの表情が変わったように、ラヴィナには見えた。
「……?」
ディルクも何も言わない。
リゼアも言わない。
「ばあちゃん?」
「……気をつけて行ってきなさい」
「うん」
ラヴィナは二人の後を追った。
◇
山道を三人で歩く。
先頭はディルク。その後ろにアルト。最後をラヴィナが歩いていた。
フィレナを失った反動はまだ残っている。
ディルクが少し歩調を落とした。
「気遣わなくていい」
「そうか」
「普通に歩ける」
「なら普通に歩く」
「……変なおっさん」
アルトは別のことを考えていた。
(やっぱり、この男からだ)
近づくほど分かる。
巨大な精霊力。
胸の奥のゼルヴァがざわつく。
(忌々しい)
一方、ラヴィナもディルクを見ていた。
(何だろ、この感じ)
大きい。
強い。
だがアルトの魔力のような不快感はない。
むしろ澄み切っている。
(このおっさんも精霊使いなのか?)
「なあ、おっさん」
「何だ」
「本当に何であの花畑知ってんだ?」
「昔、来たことがある」
「いつ?」
「昔だ」
「答えになってない」
「昔は昔だ」
「やっぱ変なおっさん」
ディルクはわずかに笑った。
◇
やがて木々が開けた。
山奥の花畑。
色とりどりの花が風に揺れている。
少し前、エレナとミレイと三人でここへ来た。
(エレナ……)
今どこにいるのか。
アルトには絶対に教えない。
「ここでいい」
ディルクが荷物を置いた。
武器は出さない。
完全な素手。
アルトが剣を抜く。
「今ならやめてもいいぞ」
「騎士様こそ」
「後悔するなよ」
「三十秒だ」
ディルクは大きく構えない。
足を肩幅ほどに開いただけ。
腕も自然に下ろしている。
(何だ、この立ち方)
無防備に見える。
なのに隙がない。
アルトには、それ以上に精霊力が気持ち悪かった。
ラヴィナには正反対だった。
(すげえ……)
大きな力なのに濁りがない。
「ラヴィナ」
「何だよ」
「お前が合図しろ」
「分かった」
ラヴィナは二人を見る。
(本当に大丈夫なのか?)
アルトの剣は、ゼルヴァが発現してから別物になった。
それを三十秒。
素手。
ラヴィナは息を吸った。
「……始め!」
アルトが地面を蹴った。
最初から容赦はなかった。
アルトの剣がディルクの左肩へ走る。
速い。
ラヴィナは思わず息を呑んだ。
さっき自分を追い詰めた時と同じ速度。
いや。
ディルクから感じる精霊力に反応しているせいか、魔力はさらに強くなっているように感じる。
だが。
ディルクがほんの少しだけ身体を傾けた。
剣が肩の横を通過する。
「っ!」
アルトはそのまま剣を返す。
二撃目。
ディルクが半歩下がる。
空振り。
三撃目。
首。
ディルクは顎をわずかに引いただけだった。
剣先が目の前を通る。
(何だよ……)
ラヴィナの目が大きくなる。
避けている。
間違いなく避けている。
しかも大きく動いていない。
剣先が届く直前。
ほんの少しだけ。
肩を引く。
身体を捻る。
頭を傾ける。
半歩だけ位置を変える。
(紙一重……)
アルトが突く。
ディルクは身体を横へずらした。
剣が脇を抜ける。
ラヴィナには、ディルクがアルトの剣の流れを完全に読んでいるように見えた。
(来る場所が全部分かってんのか?)
一方。
アルトには、まったく違って見えていた。
(何でだ?)
確かに肩を狙った。
届く距離だった。
なのに、剣先がディルクへ触れる直前でわずかに外れた。
(違う)
もう一度斬る。
(俺はそこを狙った)
剣が外れる。
ディルクは大きく避けていない。
それなのに届かない。
「どうした?」
ディルクが静かに言う。
「まだ始まったばかりだぞ」
「言われなくても!」
アルトが踏み込む。
横薙ぎ。
返す。
突く。
斜めに振り下ろす。
連撃。
ディルクは素手のまま。
一度も剣へ触れていない。
それでも一撃も入らない。
(おかしい)
アルトの焦りが増す。
(避けてるだけじゃない)
自分の手首は真っ直ぐ動いている。
狙いも正しい。
なのに最後だけ。
剣の軌道がわずかにずれる。
(何をしてる?)
ディルクの周囲。
そこに何かがある。
アルトの魔力が、それを嫌悪している。
剣を振るたび、見えない何かに触れているような感覚。
「まだ十秒くらいだぞ」
ラヴィナが言った。
「数えてるのか?」
「見届け人だからな!」
「ならちゃんと見てろ!」
「見てるよ!」
アルトがさらに速度を上げる。
ゼルヴァの熱が身体を巡る。
(当てる)
目の前の男へ。
(絶対に当てる)
ディルクが強ければ強いほど。
自分の剣が届かないほど。
対抗心が膨らむ。
ゼルヴァがそれを力へ変える。
踏み込みが速くなる。
剣圧が増す。
ラヴィナの表情が変わる。
(また上がった)
さっきの自分との戦いより速い。
アルトは右から斬る。
ディルクが肩を引く。
左。
身体をわずかに沈める。
突き。
半身になる。
剣先が服のすぐ横を抜ける。
(すげえ……)
ラヴィナには、まるで剣とディルクが最初から打ち合わせているように見えた。
アルトの剣が来る。
ディルクが必要な分だけ動く。
余分な動きが一つもない。
自分の「流す」剣とも似ている。
だが違う。
ラヴィナは相手の力を小太刀で受け、流し、方向を変える。
ディルクは剣にすら触れていない。
(剣の流れそのものを読んでる……?)
アルトには、もっと異様だった。
(まただ)
首を狙った。
ディルクはほとんど動いていない。
なのに剣先が首の横へ流れる。
(俺の剣が逸れてる)
次。
胸。
外れる。
脇腹。
外れる。
脚。
外れる。
(違う。避けられてるんじゃない)
そう思った。
(軌道を変えられてる)
だが、ディルクは剣へ触れていない。
どうやって。
アルトには分からない。
理解できないことが、さらに苛立ちを増幅させる。
「あと十秒!」
ラヴィナの声。
(もう?)
アルトの焦りが一気に強くなる。
「まだだ!」
剣を両手で握る。
真正面。
最短距離。
ディルクの胸へ突きを放つ。
これまでで最速。
ディルクの身体がわずかに横へ動いた。
同時に。
アルトは自分の剣先が、何かに押されたように感じた。
「なっ……」
突きがディルクの脇へ抜ける。
ディルクはアルトの腕へ触れてすらいない。
(何だ今の)
アルトはすぐ剣を引く。
もう一度。
今度は肩から腰へ。
強烈な斬撃。
空を切る。
「五!」
ラヴィナが数え始めた。
「四!」
アルトの顔から余裕が消える。
「三!」
剣を振る。
届かない。
「二!」
もう一度。
ディルクがほんの少し首を傾ける。
剣先が頬の横を通る。
「一!」
アルトは最後の一撃を振り下ろした。
ディルクの頭上へ。
確実に届く。
そう見えた。
ラヴィナには、ディルクがほんの半歩だけ横へ移動したように見えた。
アルトには、自分の剣がディルクの直前で横へ滑ったように感じた。
剣が地面へ振り下ろされる。
「……三十秒」
ラヴィナの声が花畑に響いた。
静寂。
アルトの剣先は地面を向いている。
ディルクは立っていた。
傷一つない。
服にも切れ目一つない。
呼吸すらほとんど乱れていなかった。
アルトは荒い息を吐く。
「……」
信じられない。
自分は本気だった。
手加減はしていない。
ゼルヴァも発現していた。
ラヴィナの速度に追いついた力。
その剣が。
一度も届かなかった。
ディルクは勝ち誇らない。
「終わりだ」
それだけだった。
アルトはしばらく動かなかった。
剣を握ったまま、ディルクを見る。
(避けられた?)
違う。
(俺の剣が……逸らされた?)
分からない。
だが結果だけは明確だった。
三十秒。
一撃も入らなかった。
アルトは剣を持ち上げた。
ラヴィナが一瞬警戒する。
しかしアルトは、その剣を鞘へ戻した。
「……俺の負けだ」
ラヴィナが少し驚いた。
ディルクは頷くだけ。
「約束は?」
アルトはラヴィナを見る。
先ほどまで殺そうとしていた少女。
ラヴィナも黙って見返す。
「今日のことは……なかったことにする」
「アランのことも?」
ラヴィナがすぐに聞く。
「お前から行き先を聞き出すのはやめる」
「それだけ?」
「兄上の捜索までやめるとは言っていない」
ラヴィナは顔をしかめる。
だが、賭けの条件は今回の件を不問にすること。
アラン捜索そのものをやめさせる約束ではない。
「分かった」
ディルクが言った。
アルトはディルクを見る。
「一つだけ聞かせろ」
「何だ?」
「お前……何者なんだ?」
ディルクは少し考えた。
「港で働いてる男だ」
「そんなわけがあるか」
「嘘は言ってない」
「港の人間が、今の剣を全部避けるのか?」
「港にも色んな奴がいる」
「ふざけているのか」
「別に」
アルトは睨んだ。
だが賭けには負けた。
ここでさらに剣を抜けば、自分で交わした約束まで破ることになる。
「……ディルク・ハイゼン」
「何だ」
「覚えておく」
「好きにしろ」
アルトは踵を返した。
「帰るのか?」
ラヴィナが聞く。
「約束は守る」
それだけ言い残し、山道へ入っていった。
◇
山を下りながら、アルトは一言も話さなかった。
胸の奥にはまだゼルヴァの熱が残っている。
それ以上に、ディルクから感じた精霊力が頭から離れない。
(あいつも精霊使いなのか?)
ラヴィナのフィレナとは違った。
もっと大きい。
もっと深い。
そして何より、自分の魔力が強く拒絶した。
(何をされた)
剣は確かに狙った。
ディルクの動きだけなら、届いていたはずの攻撃もあった。
それなのに最後の瞬間だけ軌道がずれた。
(精霊力で……俺の剣を?)
答えは出ない。
セリアなら何か分かるだろうか。
そう考えた瞬間、別の言葉まで思い出した。
その力を怖いと思わなくなった時の方が、私は怖い。
アルトは右手を見る。
さっきまで。
自分はゼルヴァを使うことを、怖いと思っていなかった。
むしろ。
(気持ちよかった)
認めたくない事実。
ラヴィナへ追いついた時。
吹き飛ばした時。
フィレナを斬った時。
そしてディルクへ本気で剣を振るった時。
力が増すほど、自分は高揚していた。
(俺は……)
アルトは思考を止めた。
今は考えたくなかった。
◇
花畑には、ディルクとラヴィナが残っていた。
しばらく沈黙。
ラヴィナはアルトが消えた山道を見ていた。
完全に姿が見えなくなってから、ようやく息を吐く。
「……助かった」
そのまま地面へ座り込んだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫に見える?」
「見えないな」
「じゃあ聞くなよ」
ディルクが少し笑う。
ラヴィナはその顔を見上げた。
そして頭から足まで見る。
一度。
もう一度。
「何だ?」
「……おっさん、すげーな」
「そうか?」
「そうか? じゃねーよ」
ラヴィナは呆れた。
「あいつ、さっき俺を吹っ飛ばしたんだぞ」
「見てた」
「しかも、そいつが本気で三十秒斬りかかって、一回も当たらないって何なんだよ」
「三十秒だからな」
「三十秒でもおかしいだろ!」
「そうか?」
「そうだよ!」
ラヴィナは少し考え、目を細くした。
「何者だ?」
ディルクは答えない。
「港で働いてるとか言うなよ」
「働いてるぞ」
「それはさっき聞いた」
「なら答えは知ってるだろ」
「絶対それだけじゃない」
ディルクは荷物を持ち上げる。
「帰るぞ」
「待て待て」
ラヴィナも立とうとする。
「っ……」
脚に力が入りきらない。
ディルクが手を差し出した。
ラヴィナはその手を見る。
「いらない」
「そうか」
あっさり引っ込める。
「……ちょっとくらい粘れよ」
「いらないんだろ?」
「そうだけど」
ラヴィナは自力で立ち上がった。
身体はまだ重い。
だが先ほどよりはましだった。
「なあ」
「何だ」
「ばあちゃんと知り合いなのか?」
ディルクがラヴィナを見る。
「何でそう思う」
「さっき目合ってただろ」
「よく見てるな」
「それに、この花畑も知ってる」
ディルクは少し黙った。
ラヴィナは待つ。
今度は誤魔化させるつもりはなかった。
「お前」
「何だよ」
ディルクはラヴィナの顔を改めて見た。
「お前……リゼア・ベルク様のお孫さんか?」
それまでとは違う言葉遣いに、ラヴィナの表情が変わった。
「……ばあちゃんを知ってんのか?」
「ああ」
短い返事だった。
だが、その声には先ほどまでとは違う響きがあった。
「何で?」
ディルクはすぐには答えなかった。
山の下――シャルネ村がある方角へ目を向ける。
「俺は、リゼア様にお会いするためにここへ来た」
「ばあちゃんに?」
ラヴィナはそこで言葉を止めた。
「……リゼア様?」
妙だった。
ディルクほどの男が、村で暮らす祖母を当然のように「様」付けで呼んでいる。
しかも、ただ礼儀正しいだけには聞こえなかった。
そこには明らかな敬意があった。
「おっさん……ばあちゃんとどういう関係なんだ?」
ディルクはラヴィナを見る。
だが、その問いには答えなかった。
「まず、リゼア様に会ってからだ」
「いや、だから何で『様』なんだよ」
「何者なんだよ」
ディルクはわずかに笑った。
「港の労働者だ」
「だから、それは何度も聞いた」
ディルクは歩き始める。
「おい!」
ラヴィナはその大きな背中を追った。
(ばあちゃん……こいつとどういう関係なんだ?)
花畑を風が抜けていく。
地面には、先ほどの戦いで踏まれた草が残っていた。
ラヴィナはもう一度ディルクの背中を見る。
エレナとアランが村を去ったばかりだというのに。
今度は、祖母の過去を知っているかもしれない男が現れた。
シャルネの村へ戻れば、何かが分かる。
ラヴィナは期待に胸を膨らませて興味深々だった。




