7 穏やかな時間
「それから、一カ月か、二カ月か……よく覚えていないけれど、段々獣人優位で戦闘が終結しそうな雰囲気が漂うようになってきた。もしかしたら、マノンの気が緩んだのかもしれない。どこから撃たれたのか分からないけれど、マノンの小さい悲鳴が聞こえてきた」
オリヴィエは息を詰めるようにして、一切聞き漏らすまいと真剣な表情で聞いている。
知らず知らずのうちに、胸の前で祈るかのように指を組み合わせ、マノンの感じた痛みが記憶と結びついてくる。
「悲鳴の方向を急いで見れば、マノンがもがくように羽ばたきながらぐるぐる旋回して落ちてくるのが見えたんだ。空中の監視係と、前線地上部隊は連携して動くようになっていたし、撃たれたということは、そこに敵がいるということ。俺たちは一刻も早く、その撃ってきた相手を仕留めに行くことになった。でも、俺は気が気じゃなかった。番が撃たれたんだ、正気でいられるわけがない」
「そうですよね…………まさか、撃たれるなんて。しかも、その姿を目にしたライアンさんの気持ちを思うと……」
当時の心境を思い出したのか、段々と語気の強まるライアンの心情を思うと、オリヴィエの心は痛かった。
オリヴィエの言葉を聞いて、一度深く呼吸をしたライアンは少し落ち着いたようだ。
「本来なら俺も一緒に敵を追うはずだったんだ。だけど前々から、マノンが番だということは部隊内で話していたから、その心境をくみ取ってくれた上官は、監視係の救出に向かえと言ってくれた。それを聞いた瞬間、俺は全速力で駆け出したよ。後ろから、同僚の狼も付いてきてくれていた。でも、マノンを受け止めることはできずに、彼女は木の枝にぶつかりながら地面に墜落したんだ。悔しかったよ」
ここまで話したライアンは、窓の外の公園に視線をやり、泣きそうな表情をしている。
どんなに悔しかっただろう。目の前で助けられなかった自分を責めているようだった。
「マノンは撃たれた傷と落下の衝撃で、かなりダメージを受けてしまったけれど、息はあった。すぐに救護所に連れて行って手当をしてもらったんだ。マノンを撃ったと思われる人たちを返り討ちにした俺の仲間が、待機所に戻ってきた数時間後に、停戦協定が結ばれた……もう少し早く調停が行われていれば、と何度思ったか分からないよ」
テーブルの上で指を組み、きつく握られているその手を見つめるライアンの瞳には悔しさが現れていた。
「どうやら人側が最後のあがきで、攻め込んできたってことだったらしい。停戦の後、獣人勝利で戦闘が終結したけれど、俺にとってはそんなこと、どうでもよかった。マノンが助かることだけが望みだった…………」
静かな悲しみに包まれている。
きっと、人への怒りもあっただろう。でも、それすらどうでもよく、とにかくマノンが生き延びてくれることだけ祈っていたのだろうということはひしひしと伝わってきた。
一言も話したことのない番への、惜しみない愛。
それが「番」なのだと、オリヴィエの心に突き刺さっていた。
「マノンは救護所に行った後、ライアンさんと一緒にいたんですか?」
「そう。停戦になったことで、その日のうちに俺は救護所からマノンを引き取り、俺の自宅に連れ帰った。そもそも、マノンの名前を知ったのも、マノンが地上に墜落した後のことだった。監視係は、足首のところに名前と所属が書かれたバンドを巻いていてね。それで名前を知ったんだ」
「それでライアンさんは、その時にマノンの名前を知ったんですね」
「そうなんだ。マノンの所属先に確認したら、マノンは一人暮らしで両親は他界していたから、俺が連れて帰るのが最善だった。とにかくマノンと一緒にいさせてもらえるように上官に頼み込んで、マノンの最期まで一緒にいたんだ……マノンは熱が上がったり、呼吸が弱かったり、不安定だったけど、四日持ったんだよ」
「四日間……マノンもきっと生きたかったはず……」
オリヴィエはそこまで言葉にしたものの、悲しみが喉を塞いだかのように、これ以上の言葉は発せなかった。
「俺も、きっとマノンは生きたかっただろうと信じているよ。時々、辛いだろうに、目をそっと開けて、俺のことを見ては、安心したように目をつむってね。気力がなかったのかもしれないけど、一緒にいられることに安心してくれたと思っているよ」
少し微笑むように、深い悲しみを隠した穏やかで優しい表情のライアンは続ける。
「マノンがかすれるような小さい声で何か言うけど、しっかりは聞こえなくてね。こちらからばかり、話しかけていたよ」
ライアンの言葉を聞くと、マノンは大事にされていたのが感じられる。きっとすごく穏やかな、二人だけにしか分からない時間――それは限られた時間だからこそ、お互いを見逃すまいと生きた時間だったのではないか。
「そうそう、帰宅したその日は、マノンの体温が下がったから、狼の姿でフクロウの姿のマノンを温めるように抱えてね。人の姿をとるより、狼の姿の方が体温が高いから。それだけで、幸せだった。自分の手の中に、番がいるって。話せたらもっと良かったけど、あの状況でそこまでは望めなかった。マノンもきっと俺を番だと認識はしてくれていたんじゃないかな……そうだといいな、ということだね。マノンの最期は苦しまずに、そっと息を引き取ったよ」
もう涙が止まらなかった。
言葉を交わすことのできなかった番に、こんなにも愛されていた。
オリヴィエはマノンではないけど、マノンの記憶を少し持っている。
「マノンは、落下した直後、ライアンさんが駆けつけてきて番だということをしっかり認識していました。ほっとしていたと思います。マノンはライアンさんの目を見た後、ライアンさんが悲し気な遠吠えをしたのを聞いているんです。その時に、そんな悲しい遠吠えをさせてしまったことに、罪悪感を持っていました。ごめんなさい、っていう気持ちが強かったと思います……」
オリヴィエはマノンの思いをライアンに伝えたかった。
マノンの言葉で聞いたわけではないが、ライアンがすぐ傍にいてくれて、温かで安心しきっていた気持ちを代弁する。
「マノンもライアンさんのことをとても愛していたんですね。数日だけかもしれないけれど、愛し愛されて、マノンはとても幸せだったと思います」
「そう思ってくれていたなら、よかった」
「マノンがフクロウ獣人だったのも、よかったです。自分で番に気づけたんですから」
「確かに、そうだね」
お互いが、顔を見合わせて、ふふっとほほ笑んだ。
その席の後ろで、こちらの話を盗み聞いている人がいるとは思わなかった。
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