第77話 遊び人、数で量られる重みを聞く
1.
俺の名前はディオン。レオンの家宰をやってる。
……と言っても、近ごろの俺の仕事は、帳面の尻を追うことでも、若い衆の愚痴を酒場で聞くことでも、それだけじゃ足りねえ。
村の空気がどこで濁るかを嗅いで、誰がその濁りを見て見ぬふりするか、誰がそこへ足を取られるかまで眺める。そういう面倒のほうが、よっぽど生業らしくなってきた。
十二月。誘拐未遂のあとだ。
森の縁で、ゴブリンの若いのが縄を掛けられ、商人崩れがへらへら笑っていた、あの嫌な光景からまだ日が浅い。村人どもの顔にも、あの時のざらつきが残っていた。
人攫いまがいを見逃すわけにはいかねえ。だが、だからといって、森の連中を村の内へ入れるのかと問われりゃ、皆そこで口が鈍る。
寄り合いは、そのために開かれた。
議題の顔をしていたのは、ゴブリンの扱いだ。だが卓の上へ実際に乗っていたのは、もっと露骨な話だった。台帳へ載せるのか。傷を負えば誰が診るのか。死んだらどこへ埋めるのか。湯屋は、祭礼は、戸は、婚姻は、相続は。
つまり、共同体の真ん中へ入れるのか、ってことだ。
酒場主が腕を組んで言った。
「森の連中なんざ、もう百や二百の
単位だろう」
そこで、横にいたレオンが、何気ねえ顔で口を開いた。
「百九十人です」
しまった、と思った時には遅かった。
座が、妙に静かになった。寄り合い衆の一人が、目を細めてレオンを見る。
「ほう。数まで腹に入っとるのか」
もう一人が、乾いた声で続けた。
「さすがですな。しっかり
抱え込んでおられる」
褒め言葉の顔をしていた。だが、座に落ちた匂いは、褒めてる時のもんじゃねえ。レオンもそこで初めて、自分が何を口走ったか悟ったらしい。口を閉じたが、もう遅い。
2.
そこで話は、いやなほうへ転がった。
「エルン村だけでも二百三十人ですぞ」
寄り合い衆の年かさが、指を折るみてえに言った。
「川向うの地所に移った連中が
七十三人。森のゴブリンが百九十。
あわせれば四百九十三人ですか」
一拍、間があく。
「いやはや。大きくなりましたな」
笑っているわけでも、怒っているわけでもねえ。だから余計に、腹へ重く落ちた。
誰かが小さく鼻を鳴らした。
「で、なんです。ここでゴブリンまで
内へ入れるとおっしゃるなら……」
そこで言葉を切り、わざとらしく肩をすくめる。
「明日から領主様、ということで?」
何人かが苦い顔をした。露骨すぎる物言いだ。だが、誰も笑わなかった。
笑えねえからだ。
レオンは、すぐには何も言わなかった。たぶん言い返そうと思えば、いくらでも言えたろう。そんなつもりはない。支配したいわけじゃない。整合と保護の話だ。あいつなら、そういう筋は立てられる。
だが、それをやった瞬間、この場は終わる。
川向うで飯を食ってる連中も、仕事をもらってる連中も、ここで口を開いた途端、自分の腹で喋ってるのか、レオンの顔色を見て喋ってるのか分からなくなる。
レオンがしゃべるってのは、いまや意見を出すことじゃねえ。その一言で、場の地面が傾くってことだ。
寄り合い衆の一人が、低く言った。
「今日は、お前さんの考えを聞く場じゃねえ。
お前さんが一言しゃべれば、
それで村が動いちまう」
それでもレオンは、何か言いかけた。だが、その口は途中で止まった。止まったってことは、分かったんだろう。自分がもう、村の中の一人として口を利ける重さじゃなくなってるってことが。
……皮肉なもんだ。
弱い者を守る仕組みを作ってきた男が、その仕組みの重さゆえに、いまは黙るしかなくなってやがる。
3.
そこから先は、綺麗な正しさの競争じゃなかった。
「現に一緒に働いてる隣人を、
都合で獣扱いするのは恥だ」
そう言うやつがいた。もっともだ。森で危ない仕事を受け、工房を回し、湯を掘り、村を富ませてきた。その働きを見てきたからこそ、困った時だけ獣へ落とすのかって話になる。
だが、すぐ別の声が返る。
「人間扱いするなら、婚姻はどうする。
戸は。相続は。祭礼は。墓は」
それも、もっともだ。
「湯屋だって分けてきたじゃねえか」
「工房も森へ寄せた」
「今さら、何もかも一緒って顔は
できんだろう」
耳が痛え話ばかりだった。だが、誰かが嘘を言ってるわけじゃねえ。皆、自分の暮らしの延長で喋ってるだけだ。
もっと露骨なのも出た。
「ゴブリンは役に立つ。だが魔族だ」
「新参者は人間だが、負担だ」
「じゃあ、内と外を分けるのは何だ」
そこまで出ると、もう誰も「正しいこと」の顔をしなくなる。飯、寝床、湯、墓、働き手、冬の粥。共同体ってのは、結局そこへ戻る。
エレノアちゃんが一度だけ口を開いた。
「手当ての場では、種族より先に
傷と熱があるわ」
静かな声だった。だが、そこで言葉を切った。
「でも、それをそのまま
制度へ移せるとは言えない」
その通りだ。だからこそ、嫌なんだよ。
弱った者は診る。攫われかけたなら止める。そこまでは腹へ落ちる。だが、その先で同じ帳面へ載せるのか、同じ墓へ埋めるのか、同じ戸として数えるのかとなると、皆、急に自分の立ってる土を確かめ始める。
誰かがぽつりと言った。
「結局、線を引くんだろう」
その一言で、座が冷えた。
4.
俺は、ずっと黙って聞いていた。
どっちの理屈も、半分は分かるからだ。恩義もある。恥もある。だが、共同体の枠ってのは、気分だけじゃ動かねえ。戸も墓も祭礼も湯屋も、全部どこかで誰かを弾いて回ってきた。
ここで綺麗に決めたところで、たぶん別の誰かが落ちる。
だから腹が立つ。
誰か一人が悪いなら、まだ楽なんだ。商人崩れだけを縛って追い出せば済むなら、どれほど楽か。
だが実際には、村も、森も、川向うも、もう互いに手を掛け合って回ってる。回ってるからこそ、境目が曖昧なままじゃ済まなくなった。
寄り合いは結局、その日では決まらなかった。
村長が杖を鳴らし、今日はここまでじゃと言った。皆、ほっとしたような、余計に重くなったような顔で立ち上がる。
レオンは最後まで、ほとんど口を利かなかった。
帰り道、俺は横を歩くあいつを見た。顔色が悪い。だが、悔しそうってのとは違う。自分が何者に見えているかを、ようやく他人の口で聞かされた顔だった。
「……ディオンさん」
ぽつりと呼ぶ。
「何だ」
「僕、そんなつもりじゃ」
そこで、また口が止まる。
俺は鼻を鳴らした。
「分かってるよ」
分かってる。分かってるが、それで済まねえところまで来ちまったんだろうが。
村の戸口が見えた。向こうにはエルン村の灯り、こっちには川向うへ移った連中の寝床、さらにその先にはゴブリンどもの森の火がある。どれも同じ夜の中で燃えてるくせに、同じ内側とはもう誰も言えねえ。
線を引く理由は、いつだってもっともだ。
もっともだから、ここまで来た。
そのもっともが、ついに人の置き場まで噛みに来たってだけの話だ。
……面倒は、まだ終わらねえな。




