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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第六部

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第74話 遊び人、線引きの根にある癖を嗅ぐ

1.


 俺の名前はディオン。レオンの家宰をやってる。


 ……と言っても、最初からそうだったわけじゃねえ。


 冒険者だの遊び人だの、いろいろ名乗ってきたが、近ごろは帳面の尻を見て、村の空気の濁りを嗅いで、誰がどこで損を被るかまで先回りするほうが、よっぽど仕事らしくなってきた。


 九月。夏の熱がようやく抜け、朝晩の風に乾いた冷たさが混じり始めるころだ。


 畑はまだ動いてる。湯屋も鍋場も工房も、前みてえな死にそうな顔じゃ回ってねえ。紙は積まれ、石鹸は乾き、宿の戸も鳴る。見た目だけなら、ずいぶんまともな村になった。


 だが、暮らしが回るようになったってのは、別の言い方をすりゃ、前にはなかった置き場が要るってことでもある。


 寄り合いで、酒場で、湯屋の外で、最近よく聞こえる話があった。


「台帳にはどう載せる」


「傷を負ったら、誰が診る」


「湯屋はどこまで一緒でいい」


「祭礼の輪に入れるのか」


 そんな具合だ。


 誰も「ゴブリンは人間か」なんて、でけえ言葉は口にしねえ。そんなことを真正面から言い出せるほど、皆、自分が何を量ろうとしてるか分かっちゃいないからだ。


 だが、言葉の端々を拾っていくと、話はぜんぶそこへ寄っていた。


 記録へ載せるのか。湯を分けるのか。物を売るとき、同じ決まりで扱うのか。


 死んだときはどこへ埋め、どう弔うのか。嫁入りだの、戸だの、相続だのまで口にするやつもいた。そこまで来りゃ、もう共同体の縁じゃねえ。真ん中だ。


 俺はそのたび、前の揉め事を思い出していた。


 湯屋を作れば、食うな洗うなで揉めた。賃仕事に値札を付けりゃ、家へ入る分はどうなるで揉めた。宿を回せば、よそ者をどう取り締まるかで揉めた。


 線を引く理由は、いつだってもっともだ。


 もっともだから、通る。通るから、残る。で、残った線は、次にはもう少し別のものを分けたがる。


 今度は、それがついに人と人外へ及ぼうとしていた。


2.


 そこへ聖陽教が、また上等な顔で入り込んできやがる。


 あいつらは、最初から怒鳴らねえ。穢れてるとも言わねえ。駄目だとも禁じねえ。


 ただ、少し惜しい、少し足りない、まだ照らされていない、そういう顔で、村の暮らしへ名前をつけていく。


 このあいだも、修道者のアルベールが工房の品を手に取っていた。紙、石鹸、鍋、台所道具。どれにも、ゴブリンどもが妙な凝り方をした横顔が入っている。


 エレノアちゃんの横顔だ。村の中じゃ、またやってる、で済んでたもんだが、外の連中はそう見ねえ。


「ずいぶん賢女殿のお姿を、

  品へ宿しておられるのですね」


 そう言って、あいつは石鹸の包みの線を指でなぞった。咎めてる声じゃねえ。冗談みたいな口ぶりだ。だが、目はきっちり測ってやがる。


 人の顔を器へ刻むこと。暮らしを支える者へ信仰めいた感情が集まること。ゴブリンの森で、人と魔族が入り混じって物を作り、村がその利を受け取っていること。


 そういう「混ざり」を、あいつらは少しずつ秩序の乱れって顔へ寄せていく。


「善き営みも多い」


「ですが、整えようはあります」


「慎みのうちに改めてゆけるでしょう」


 ほんと、感じがいい。


 感じがいいまま、棚を分けやがる。


 こっちは内、そっちは外。こっちはまし、そっちは惜しい。人じゃないとは言わねえくせに、同じとも言わねえ。


 そういう縄を、見えねえところへ張っていく。


 で、村人どもも、そういう言い方なら飲み込みやすいんだ。自分が残酷になった気はしねえまま、線だけ受け取れるからな。


 井戸端でも、酒場でも、湯屋の縁でも、口ぶりが少しずつ変わっていった。


「同じ帳面に載せるのは、どうなんだ」


「診るのは診るとしても、順はあるだろう」


「祭礼や弔いまで一緒ってのは、なあ」


 どれも、もっともだ。


 もっともだから、余計に嫌な匂いがした。


 誰かが憎いわけじゃねえ。追い出したいと叫んでるわけでもねえ。ただ、便利なものは受け取り、厄介なものは外へ寄せる。そういう手つきが、今度は生き物の置き場へ伸びてきただけだ。


3.


 レオンは、その空気を見誤らなかった。


 あいつは、物事を帳面へ落とした瞬間に、何が制度になってしまうかを知っている。


 台帳へ載せるってのは、ただ名前を書く話じゃねえ。法と保護と責任の内側へ入れるってことだ。


 診るなら順を決めなきゃならねえ。婚姻を認めるなら戸が動く。戸が動けば、相続が動く。死ねば記録に載り、弔いの場所も決まる。


 感情だけじゃ済まねえ。


 だが、だからって都合よく外へ落とすのも、あいつの理屈じゃ整わねえ。


 夕方、帳面を前に黙ってるレオンへ、俺は声をかけた。


「おい」


「はい」


「顔がひでえぞ」


 するとあいつ、珍しく少しだけ笑いやがった。


「法と記録と保護は、

  つながってるんです」


「知ってるよ」


「でも、つながってるからといって、

  外へ置く理由にしたくないんです」


 言い方の固い男だ。だが、腹の中身は分かる。整合を取ろうとすると、切り捨てが顔を出す。切り捨てたくないと思うと、今度は運用が曖昧になる。どっちへ振っても、誰かが困る。


 その横で、エレノアちゃんは神殿から戻ってきたところだった。新参の女を診て、腹の大きい妊婦を診て、ゴブリンの傷も見て、また村の子どもの熱も見てきた顔だ。疲れてるくせに、目だけは静かだった。


「弱った者を、どう置くか」


 ぽつりと、そう言った。


「そこに、その共同体の本性が出るわ」


 俺は何も返さなかった。返せる言葉が、すぐには見つからなかったからだ。


 豊かになった。前より死ななくなった。物も増えた。人も増えた。できることが増えた。


 だから今度は、分ける技術が要る。


 必要そのものは、間違ってねえ。何でもかんでも同じに扱えば済むほど、もう小さく貧しいだけの村じゃなくなっちまったからだ。


 だがな、その必要が、誰を切るのか。


 そこまで見えてるやつは、まだほとんどいなかった。


4.


 その夜、酒場はいつもより少し静かだった。誰もでかい声じゃ話さねえ。だが、静かなときのほうが、村の本音ってのはよく聞こえる。


 寄り合い衆は、記録のことを気にしていた。戸主どもは、相続や婚姻のことを気にしていた。女衆は、湯屋や診療の順を気にしていた。年寄りは弔いの作法を気にしていた。若いのは、取引と祭礼の輪を気にしていた。


 誰も思想なんざ語っちゃいねえ。


 なのに、皆そろって、共同体の中心へ手を突っ込んでいる。


 俺は酒の入ってねえ杯をいじりながら、前にあったことをいくつも思い返していた。


 温泉を分けたときも、湯の使い方の話だったはずだ。賃仕事に家への取り分をつけたときも、働いた分をどう回すかの話だった。


 自警団を作ったときも、見張りの人数と日当の話だった。流れてきた貧民をどう抱えるかのときも、飯椀の数と寝床の話だった。


 いつだって、始まりは具体だ。


 具体だから、皆、自分は現実を見ているだけだと思える。


 そのくせ、気がつけば線は太くなって、最後には人を内と外へ分ける。


 俺は、そこでようやく腹の底で認めた。


 もう始まってる。


 ゴブリンをどう扱うかの話じゃねえ。村が、誰を同じ側へ置くのか。誰を記録し、誰を診て、誰を弔い、誰の婚姻や戸や相続を認めるのか。その話が、もう始まってる。


 しかも、いちばん始末が悪い形でだ。


 怒号じゃねえ。憎しみでもねえ。もっともな顔をした実務の形で、だ。


 外は冷えていた。秋はまだ浅い。だが、村の中にはもう、別の寒さが入り始めていた。


 見えねえ縄が、あちこちへ張られていく寒さだ。


 誰も、最後まで見ちゃいねえ。


 この正しさが、どこで誰を切り落とすのか。


 まだ誰も、そこまでは見ていなかった。

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