第72話 遊び人、外へ落ちる音の重さを聞く
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。
……だが近ごろは、それだけじゃどうにも足りねえ。家宰ってやつの真似事まで、いつの間にか俺の仕事に混じってきやがった。
嬉しくはねえが、否定もしきれねえ。乳母連にゃ「息子を持つ父親らしい」だの何だの言われるし、夜中に赤子を抱いて村を歩き回ってりゃ、そりゃそう見えるんだろうよ。
六月のエルン村は、見た目だけならずいぶん景気がいい。
工房の荷は絶えねえし、鍋の湯気も絶えねえ。紙も石鹸も鍋も、前よりずっとましになった。川向こうの畑は広がり、宿の戸はよく鳴る。少し前のこの村を知ってる身からすりゃ、別の土地みてえな顔をしてやがる。
だが、回るようになったものほど、面倒も連れてくる。
昼すぎ、村長の家へ一頭の馬が来た。乗ってたのは行商の使いで、顔色がよくなかった。馬も泡を噛んでる。急ぎの知らせだってのは、それだけで分かった。
村長、レオン、俺、寄り合い衆が呼ばれて、狭い広間へ顔を揃えた。使いの男は、息を整える間も惜しむみてえに言った。
「馬車で三日ほどの先にある
コボルトの村が……襲われました」
村を襲ったのは賊じゃなく、奴隷商だという。焼かれた家もある。若いのは縛って連れていかれた。年寄りや子どもは、置いていかれたか、途中で死んだか――そこまでは、はっきりしねえ。
助けも間に合わなかった。ただ、村がなくなった。それだけが、乾いた言葉で落ちてきた。
馬車で三日。
遠くねえ。かといって、何かあったその日に駆けつけてどうこうできる距離でもねえ。だから余計に、腹へ落ちる。ああ、ああいうことは本当に起こるんだな、と。
それまで「まつろわぬ者」の扱いってやつは、どこか紙の上の話みてえな顔をしてた。線をどう引く、保護がどう、交易がどう。言葉は並ぶ。だが、血の匂いまではしねえ。
それが、この知らせ一つで変わった。
理屈じゃねえ。次はどこだ、って話になったんだ。
2.
広間を出たあとは、案の定だ。
村人どもは露骨に二つへ割れた。明日は我が身だと青くなるやつ。魔族なら、まあ、そういうこともあるのかもしれねえ、と言わずに済ませようとするやつ。そこへ、ゴブリンまで重ねて考えちまうやつ。
誰も「奴隷にしていい」とは言わねえ。そんなに分かりやすく醜くはなれねえらしい。
その代わり、もっと始末の悪い言い方が出た。
「まつろわぬ者も、保護の対象ではある」
聖陽教の修道者の一人が、やわらかい顔でそう言った。
「ですが、法のうちの
人とまでは申せません」
人じゃない、とは言わねえ。法のうちではない、と来る。
うまいやり口だ。禁じねえ。怒鳴らねえ。ただ、棚を分ける。こっちは内、そっちは外。そういう棚だ。
井戸端でも、酒場でも、村人どもの口は鈍かった。鈍いが、その鈍さの中身が分かる。
「可哀想ではあるが……」
「けど、同胞ってわけでも……」
「まず自分らを守らねえと……」
どれももっともだ。もっともだから、余計にまずい。
共同体ってやつは、一度だけでも「外へ落としていい者」の姿を受け入れちまうと、次はそいつが誰か、って話へ滑る。
コボルトでよし。じゃあゴブリンは。ゴブリンでよし。じゃあ流れてきた貧民は。病んだ女は。働けねえやつは。
秤の目盛りは、いったん据わると、近いほうへ寄ってくる。
俺はその空気がひどく気持ち悪かった。
残酷だからじゃねえ。残酷なのは、いまさらだ。もっと怖えのは、村が「ああいうことも起こりうる」と現実として飲み込み始めることだった。
誰も叫ばず、誰も怒らず、ただ腹のどこかで「ありうる」と置いてしまう。その置き方が、いちばん厄介だ。
エレノアちゃんは、神殿の戸口で静かに言った。
「線の外へ押し出された者は、
死んでも記録に載らないことが多いの。
看取られず、弔われず、
そういう死に方をするわ」
あの娘は、死を数える手つきを知ってる。
だから、言葉が軽くならねえ。
レオンはその横で、珍しくすぐに答えを出さなかった。いつもなら理屈を立てる男が、黙って村のほうを見ていた。
何を考えてるかは、だいたい分かる。
もしゴブリンが同じ目に遭ったら、この村はどこまで守るのか。
取引相手としてか。労働力としてか。隣人としてか。
その順番を、もう考えずに済まなくなったんだ。
3.
日が傾くころ、ようやく人目の切れた裏手で、俺はレオンに声をかけた。
「おい」
「はい」
「お前、何を考えてる」
レオンは少しだけ黙ってから、答えた。
「村の中で、線が動き始めています。
それが一番まずいです」
「だろうな」
「ゴブリンを守る、で済む話じゃ
なくなりました。
村が誰を内に置くのか、
誰を外へ置くのかの話です」
嫌な言い方だ。だが、その通りだった。
こいつは、たぶんもう腹を括ってる。村の空気がどこへ転ぶか、その前で立つつもりだ。立つだろう。立っちまう男だ。
だからこそ、横で見てるだけってわけにもいかなくなった。
俺は頭を掻いて、息を吐いた。
「……家宰、引き受ける」
言ってから、自分でも少しばかり間抜けだと思った。大仰に腹を括ったつもりだったんだがな。
ところがレオンは、きょとんとした顔をしやがった。
「えっ。もう引き受けて
くださってたものだと
思ってました」
……何だそりゃ。
せっかくこっちは、ちょいと格好つけて言ったってのに。肩透かしもいいところだ。そう来るかよ、と思った。
「お前なあ……」
思わずそう漏らすと、レオンは困ったように笑った。
「だって、ディオンさんが
いなかったら、僕ひとりじゃ
とっくに回らなくなってますよ」
へこむ。へこむが――悪くねえ。
改めて頼まれたわけじゃねえ。だが、最初からこっち側の人間として数えられていた、ってことだ。外から手伝ってるんじゃなく、内の人間として見られていた。そう思うと、腹の底が少しだけあったかくなりやがる。
ちくしょう、こういうとこだけ素で刺してくるんだ、この書記野郎は。
そのくせ、レオンは急に妙な顔をして、俺を見やった。
「ディオンさんって、
何だか雰囲気があの人に
似てるんですよね……コウラ……。
……いえ、何でもないです」
「……何言ってんだ、お前」
「いえ、本当に何でもないです」
何でもなくねえだろ、その妙な音は。
だが、こいつのそういう時の顔は知ってる。たまに、俺たちの知らねえどこかを見てる顔だ。聞いたところで碌な説明は返ってこねえ。
だから俺は鼻を鳴らすだけにした。
4.
その夜、村は静かだった。
静かだが、静かだからこそ分かる。昼の知らせが、まだ村じゅうの腹に沈んだまま動いてやがる。
酒場で笑う声はある。鍋の湯気も立つ。赤子は泣くし、牛も鳴く。見た目だけなら、いつもの村だ。
だが中身が違う。
コボルトの村は潰れた。奴隷商が攫っていった。助けは間に合わなかった。
その短い報せが、村の中へ一本の線を引いた。
まだ誰も、その線の上に立ってねえ顔をしている。自分はこっち側だと思ってる。だが俺には、そう長くはもたねえ気がしてならなかった。
いったん「外」が現実の姿を持ったら、次は「内」を確かめたくなる。それが人間だ。
レオンはたぶん、そこへ手を突っ込む。エレノアちゃんは、外へ落ちた者の死を数えるだろう。なら俺は、そのあいだで、村の空気がどこで濁るかを見ておくしかねえ。
遊び人、だの。
家宰、だの。
父親らしい、だの。
呼び名は何でもよかった。
どうせ明日になれば、また何か回さなきゃならねえ。赤子の乳か、村人どもの機嫌か、線引きの手前で立ち止まる誰かの尻か。そういうものを、文句を言いながら回すのが、近ごろの俺の仕事らしい。
外へ落ちた音は、まだ遠い。
だが、遠いままじゃ済まねえ。
そう思いながら、俺は戸口の外の闇を見た。




