第70話 遊び人、産声の外で境目の秤を嗅ぐ
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。
……だが近ごろは、それだけじゃ足りねえ。家宰まがいの帳尻合わせまで混じってきたし、どうやら、もうじき父親ってやつにもなるらしい。
嬉しくねえと言や嘘になるが、それで面倒が減るほど世の中は甘くねえ。
六月に入ったエルン村は、見た目だけならずいぶん景気がよかった。
紙は前より滑らかだ。石鹸は泡がへたりにくい。土鍋は火の回りが均一で、台所道具も柄が手へ馴染む。乳を煮る匂い、鍋の湯気、工房の荷ほどき。どこを見ても、前より暮らしが回ってる顔をしてやがる。
で、そういう時に限って、真似したがる馬鹿が出る。
周りの村や行商人どもが、似たような品を出し始めた。石鹸もどき、土鍋もどき、柄だけ立派な台所道具、にじむ紙。見た目だけ整えて、売れりゃいいって腹だ。
ところが、使えばすぐばれる。
石鹸は肌が荒れる。鍋は煮え際にひびが走って、汁ごと台無しになる。接いだ柄は湯気の中で抜ける。紙は湿気を吸って、帳面にしたそばからだれる。
笑えねえのは、笑えねえが――本当に妙なのは、そのあとだ。
「やっぱり本物は違うな」
「横顔の出来が、全然ちげえ」
村の外でまで、そんなことが言われ始めた。
あの無駄に精巧な、エレノアちゃんの横顔だ。石鹸の包み、鍋の蓋、道具の柄、紙のすかし。村の中じゃ「またゴブリンどもが変なところで凝りやがった」で済んでたもんが、外じゃ印になってやがる。
しかも偽物のほうが雑だから、余計に本物の異様さだけが際立つ。
俺は酒場の隅でその話を聞きながら、嫌な匂いを嗅いでいた。
値打ちってやつは、上がるほど面倒も連れてくる。
2.
村の中じゃ、まだ笑い話だった。
「何だあの顔、全然賢女様じゃねえ」
「鼻筋が甘え。顎も違う」
「こんな雑な横顔で売るとか、
恥ってもんを知らねえのか」
好き勝手言いやがる。俺も見たが、たしかに似てねえ。あんなもん、毎日エレノアちゃんの顔を見てる側からすりゃ、一目で雑だと分かる。
だが、その「一目で分かる」って感覚そのものが、外から見りゃ気味が悪いらしい。
器だの石鹸だのに刻まれた女の横顔を、村じゅうで本物か偽物か見分ける。外の連中からすりゃ、まともな共同体のやることじゃねえ、とでも見えるんだろう。
そのことに最初に言葉をつけたのは、やっぱり聖陽教の連中だった。
昼前、修道者のアルベールが紙を一枚手に取り、光へかざした。すかしの横顔が白く浮く。相変わらず、嫌味なくらい感じのいい顔をしてやがる。
「ずいぶん深く、
賢女殿のお姿を品へ宿して
おられるのですね」
冗談みたいな声だった。咎めてもいねえ。だが、俺はその時点でもう、鼻の奥がむずついた。
「敬意のあらわれ、というには
なかなか……」
そこで言葉を切り、少しだけ笑う。
「人の信頼が、器物そのものよりも
お姿へ結びつき過ぎるのは、
惜しいことかもしれません」
惜しい。こいつら、ほんとその言い方が好きだな。
偶像だ、とはまだ言わねえ。穢れだ、禁じる、とも言わねえ。ただ惜しい、行き過ぎかもしれない、と来る。
正面から殴らず、腹の中へ秤を置く。
偽物を笑ってた空気が、そこで一拍だけ止まった。
そういう止まり方を、あいつらはよく知ってやがる。
で、こういう日に限って、別のほうから本当に止まっちゃならねえ声が上がる。
「ディオン!」
リラの声じゃねえ。女衆の、走ってきた声だった。
「来な! 始まったよ!」
腹の底が、どん、と鳴った気がした。
3.
そこから先は、正直あまり覚えてねえ。
神殿の奥へ突っ込もうとして、女衆に首根っこ掴まれて追い出されたのは覚えてる。邪魔だ、湯を運べ、布を持て、薪を足せ、口を出すな。言われること全部その通りだったから、言い返しようもねえ。
俺は裏と表を何度も走った。
湯屋から湯を運ぶ。石鹸を持ってくる。煮沸した布を受け取る。鍋で温めた粥を脇へ置く。乳を煮る匂いと、湯の匂いと、血の気配が混ざる。村の中で回ってきた品が、何だかんだ全部そこへ集まってやがった。
紙もだ。
レオンが何も言わず、板の上へ帳面を置いていた。名前を書くためだ。生まれた日を書くためだ。あの書記野郎らしいと思ったが、その時ばかりは腹も立たなかった。
奥から、リラのうめきが聞こえる。
いつもなら減らず口の一つも飛ばしてきそうな女が、今は息を詰めて、腹の底から声を絞り出している。それだけで、こっちの喉まで妙に乾いた。
俺は戸口の前で立ったり座ったりした。役に立たねえ手持ち無沙汰だ。相手が見えりゃ、殴るなり止めるなりできる。
だがこれは違う。待つしかねえ。待って、祈るでもなく、ただ戸板の向こうの息づかいを数えるしかねえ。
その横で、レオンが小声で言った。
「大丈夫ですよ」
「何を根拠に」
「エレノアさんがいます」
ああ、そうだったな。
賢女がいて、村の女衆がいて、湯があって、布があって、石鹸があって、火がある。守る手は、揃っている。
やがて、奥でひとつ、甲高い声が上がった。
小せえのに、妙に通る声だった。
俺はその場で、膝から力が抜けた。笑ってんだか泣いてんだか、自分でも分からねえ顔をしてたと思う。女衆が戸を少しだけ開けて、「男の子だよ」と言った時、頭の中が一瞬きれいに空になった。
ああ、息子か。
俺にも、とうとうそういうのが出来たらしい。
4.
夕方には、村の空気が少し変わっていた。
神殿の中じゃ、産声の余韻がまだ残ってる。リラはくたびれ切ってたが、生きてる顔をしていたし、赤ん坊は猿みてえなしわくちゃ顔で、ちゃんとぎゃあぎゃあ鳴いた。
めでてえ。文句なしに、めでてえ話だ。
なのに、戸の外へ出ると、別の声が混じる。
「賢女の顔を、ここまで器物へ
宿らせるのは……」
「敬意を越えれば、
人の心は像へ寄ります」
聖陽教の連中だ。今度はもう少しだけ、言い切りに寄っていた。
模倣品が粗悪だとか、本物の出来がいいとか、そんな話じゃねえ。
この村が、何を拠り所にして品を選び、何に親しみを寄せ、誰の顔を印として見ているか。そこへ、手をかけ始めてやがる。
俺は神殿の戸口に立って、中と外を見た。
中じゃ、湯で温めた布にくるまれた赤ん坊がいる。女衆が小声で笑い、エレノアちゃんが疲れた顔で息をつき、リラが目を閉じている。
外じゃ、横顔の刻印がどうこう、偶像がどうこうと、感じよく秤が置かれていく。
同じ日だ。同じ村だ。片っぽでは子が生まれ、片っぽではその子が育つ村の拠り所へ、上品な顔で縄が掛けられようとしてる。
俺は息子の産声を聞いたばかりの耳で、その声を聞いていた。
腹の底で、何かが静かにざらついた。
ああ、そうかよ。
こいつはもう、品の取り合いじゃねえ。
村そのものが、どんな顔をして生きるかって話になり始めてやがる。




