第69話 遊び人、人の顔で売る値打ちを嗅ぐ
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。
……だが近ごろは、それだけじゃ足りねえ。村の空気がどこで濁るかを嗅いで、誰がその濁りに値札を打とうとしてるかまで見て回る。
ここまで来ると、もう家宰でも良い気がしてくるが、嬉しくはねえ。
火迎えを越えた春の村は、見た目だけならまだ景気がいい。川向こうの畑は広がり、鍋は回り、紙も石鹸も前より滑らかになった。
宿の戸はよく鳴るし、工房の荷は絶えねえ。暮らしだけ見れば、少し前のエルン村より、ずっとましだ。
だからこそ、人は寄ってくる。
最初は、ぽつりぽつりだった。酒場の裏で水をもらう男。空き小屋の軒で膝を抱える女。子どもを連れた親子。
痩せた顔、薄い荷、行く先のねえ目。春先の村はどこも手が要る。草むしりでも荷運びでも、何かしらありつけると思って来たんだろう。
実際、ありつくやつもいた。腕の立つのは牛を曳き、手の早い女は洗い場へ入り、若いのは紙漉きや荷ほどきへ回される。
だが、そうじゃねえのも多い。寝床だけ借りるやつ、施しの粥に並ぶやつ、日雇いにもあぶれるやつ。病んでるのもいりゃ、腹の大きい女もいた。
追い払えと言う声は、まだねえ。だが、鍋をよそう手が一拍止まる。寝床の話になると、皆、目だけが泳ぐ。水と粥くらいは出せる。だが、その先は誰も軽々しく口にしねえ。
豊かになったからって、飯椀を無限に増やせるわけじゃねえ。むしろ、持つもんが増えたぶんだけ、人は線を引きたがる。
こっちは内、そっちは外。こっちは働き手、そっちは食い扶持。そういう目盛りが、村のあちこちで薄く浮き始めていた。
2.
神殿へ行くと、エレノアちゃんが忙しそうに動いていた。いつもの春先の腹下しや熱だけじゃねえ。痩せた子ども、顔色の悪い女、足の甲まで浮腫んだ妊婦。連れて来られる顔ぶれに、見慣れねえのが増えていた。
俺は戸口にもたれて、しばらくその手つきを見ていた。エレノアちゃんは、誰の手を取る時も同じだ。
村の子だろうが、昨日来た流れ者だろうが、脈を見て、腹を触って、水の飲み方を聞く。そこに贔屓はねえ。
だが、贔屓がねえからこそ、見えるものもあるらしい。
「子どもが痩せ過ぎてるわね」
ぽつりと、そう言った。
「食べていないだけじゃない。
長く、足りていない痩せ方よ」
別の妊婦の足を見て、眉を寄せる。
「むくみがひどいわ……。
塩気だけで持たせて、
水と休みが足りてない」
それから一度だけ、俺のほうを見た。
「使える、使えない、だけでは
切れないのね」
賢女らしい言い方だと思った。だが、そのあとに続いたのは、もっと重てえ一言だった。
「でも、この数を抱え続ける仕組みは、
まだ村にはないわ」
情だけじゃ回らねえ。診る手があっても、食わせる口が増えれば別だ。エレノアちゃんは、それを分かっている顔だった。目の前の命は見捨てねえ。だが、それで村ごと痩せ細る形も選ばねえ。
優しい娘だ。優しいが、甘くはねえ。だから余計に、あの言葉は重かった。
神殿の外では、聖陽教の連中が白パンを配っていた。修道女が子どもの頭を撫で、修道士が腹の減った男へ葡萄酒を薄めた水を渡している。
やり方は相変わらず上等だ。声は柔らかいし、礼節もある。施しを受けたほうが、自分の惨めさまで少し薄く感じるような手つきだ。
で、そこで終わらねえ。
「まず救うべきは、人ではありませんか」
そういうことを、あくまで静かに言いやがる。
「同じ苦しみを背負う者同士、
支え合うのが太陽神の御心でしょう」
咎めねえ。責めねえ。ただ、腹へ落ちる言い方をする。
ゴブリンを憎め、とまでは言わねえ。だが、ゴブリンに向ける憐れみと、人間へ向ける保護を、そっと別の棚へ上げる。ああいうのは、真正面の悪意より厄介だ。善いことを言ってる顔のまま、線だけ引きやがる。
3.
村人どもの腹にも、その線はするりと入ったらしい。
井戸端で聞こえるのは、怒鳴り声じゃねえ。
「まずは人間を囲うべきじゃないか」
「魔族より貧しい人間を先に助けるのが
筋だろう」
どれもこれも、いかにももっともだ。
だから始末が悪い。
ゴブリンどもは見た目こそ化け物じみてるが、もう工房を回し、品を作り、納める日を守る。
紙も石鹸も鍋も、あいつらの手を通って村の利になってる。村人は理屈までは知らねえが、そこだけは知っている。あいつらは、働く。働いて、返す。
その一方で、新しく来た人間どもはどうだ。見た目は同じで、言葉も通じる。だが、今のところは寝床と粥と手当てが先だ。食ってる分のほうが、返してる分より大きく見える。
人間だが使えない。魔族だが使える。
そんな比べ方が醜いのは、誰だって分かってる。分かってるから、口には出さねえ。だが、口にしねえだけで、心の中じゃ皆はかり始めていた。
誰がどれだけ働き、どれだけ食うか。どれだけ返し、どれだけ抱え込ませるか。村の側に残るのが得か、負担か。そういう秤だ。
俺は、その空気がひどく気持ち悪かった。
ゴブリンをはじく理屈に見えて、違う。そんなもん、一度据わっちまえば、次は人間同士へ向く。
腕の立つ流民と、病んだ流民。独り身の若いのと、腹の大きい女。稼ぐ戸と、食う戸。しまいにゃ、村の中の年寄りや病人にまで目が向く。
役に立つか、立たねえか。
村ってやつは、苦しいときほど、その一言で人を切りたがる。だが、一度その刃を研いじまえば、もうゴブリンだけじゃ済まねえ。人間同士の首まで、同じ理屈で測り始める。
たぶん、まだ誰もそこまでは見てねえ。見てねえから、善意みてえな顔で「まず人間を」と言えるんだ。
……ほんと、ろくでもねえ。
4.
夕方、俺は川向こうへ行った。レオンが畑の縁に突っ立っていたからだ。広い畑だ。遠目には立派だが、近くで見りゃ、目も手も足も食う土地でもある。
播くだけじゃ足りねえ。草は生える、水は逃げる、獣は入る、畦は崩れる。そこへ張りつくやつがいて、ようやく畑になる。
レオンはしばらく黙っていたが、やがて言った。
「責任区画を作るしかないかもしれません」
嫌な声だった。頭の中で、もう形になりかけてる時の声だ。
「川向こうの農地をいくつかに分けるんです。
種と農具は貸す。
収穫の一部で返してもらう。
住む場所も、そこに紐づける」
俺は鼻を鳴らした。
「救いにもなるし、首輪にもなるな」
「ええ」
レオンは、あっさり頷いた。
「でも、何も紐づけずに抱え続ける仕組みは、
村にありません」
そこが、こいつらしい。きれいごとで包まねえ。助けるなら、働きと結びつける。住まわせるなら、収穫と返済へつなぐ。救済だけで終わらせず、拘束まで一緒に入れる。
正しいんだろうよ。たぶん、筋も通ってる。流民をただ日雇いで散らすより、畑へ縛りつけたほうが回る。村も、本人らも、明日の飯に近づく。
だが、その筋の通り方が、俺は少し怖かった。
村へ戻る頃には、灯りがぽつぽつ灯っていた。酒場の裏じゃ昼の男がまだ壁にもたれ、村長の家の軒先には親子が小さくうずくまっている。
追われてもいねえ。迎え入れられてもいねえ。その半端さが、春のぬるい空気の中でざらついていた。
村人どもは今夜も飯を食う。鍋は回る。湯は沸く。暮らしは前より良くなってるはずだ。
それでも、もう皆、心のどこかで計り始めている。
――誰が働くか。
――誰を食わせるか。
――誰を囲い、誰を外へ置くか。
酒場の戸口で、俺は立ち止まった。レオンはまだ、川向こうのほうを見ていた。畑を見てる顔じゃねえ。その畑へ誰を結びつけるかまで、もう考えてる顔だ。
聖陽教は善い顔で、人間を先に救えと言う。
村人どもは、それを善意の理屈として腹へ落とす。
レオンは、抱えるなら働きへ結びつける仕組みを考える。
どれも、表向きは間違っちゃいねえ。
……だからこそ、気分が悪かった。
秤ってやつは、一度台の上へ置かれると、もう何でも載せたがる。最初はゴブリン。次は流民。その次は、たぶん、同じ村の人間だ。
春の村は、見た目だけなら穏やかだった。
だが俺には、あちこちで秤の目盛りが刻まれる音が、やけにはっきり聞こえていた。




