第68話 遊び人、横顔に付けられる値を嗅ぐ
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。
……まあ、この頃はそれだけじゃ足りねえ。村の空気がどこで濁るかを嗅いで、誰がその濁りに値札を打とうとしてるかまで見て回る。
ここまで来ると、もう家宰でも良いかって気もしてくるが、嬉しくはねえ。
火迎えを越えた春の村は、見た目だけなら景気が良かった。
紙は前より滑らかになり、石鹸は泡立ちが安定し、土鍋は火の回りが均一になった。台所道具も手に馴染む。
どれもこれも、ゴブリンの森の工房で、何だか知らねえが、硫黄だのミョウバンだの、鉱石泥だのを煮たり沈めたりした結果らしい。
村人どもは、理屈までは分かっちゃいねえ。
「何で前より良くなったんだ」
と聞かれて、答えられるやつはほとんどいない。だが、ひとつだけは皆わかっていた。
「あそこが、村を儲けさせてる」
そこだけだ。
理屈は知らねえ。だが金になる。暮らしが少し楽になる。外から人が欲しがる。そういう感触だけは、村のあちこちへ染みていた。
で、そういう時に限って、くだらねえところまで妙に凝りやがる。
土鍋の蓋、石鹸、台所道具の柄、紙のすかし――そこらじゅうに、エレノアちゃんの横顔が入っていた。
ただの飾りじゃねえ。無駄に精巧だ。横から見れば髪筋まで分かるし、光の加減で表情まで変わって見えやがる。
「またゴブリンども、
変なところに器用さを使ったな」
村の中じゃ、その一言で済んだ。俺も笑ったし、レオンも呆れた。エレノアちゃん本人は、あれはあれで微妙に不本意そうな顔をしていたが、止めるほどでもねえと思ったんだろう。
ところが、村の外へ出ると話が変わる。
「あの横顔の入った品は出来がいい」
誰が言い出したのか知らねえが、そういう噂が商人のあいだで勝手に回り始めた。笑い話が、そのまま印になりやがった。
村の内でふざけていたものが、外じゃ値打ちになる。
そういう転び方は、だいたい碌でもねえ匂いを連れてくる。
2.
その匂いを、いちばん早く嗅ぎつけたのは、たぶん聖陽教の連中だ。
昼前、修道者のアルベールが、石鹸の包みと紙を手にして、工房の品をじっと見ていた。顔つきは柔らかい。あいつは、何をしてても感じがいい。だから余計に始末が悪い。
「実用品に、人の顔をここまで
宿らせるのは珍しいですね」
そう言って、指先で横顔の線をなぞる。
「ずいぶん賢女殿を
好まれるのですね」
冗談みてえな口ぶりだった。だが、俺はあの時、妙に鼻の奥がむずついた。
断罪じゃねえ。咎めてもいねえ。ただ、観察してやがる。何がこの工房の中心で、どこに象徴があり、誰の顔が品の印へ変わっているかを、静かに測っている。
その場にいたゴブリンどもも、それは感じたらしい。頭目の耳がぴくりと動いたのを見た。
技術も、材料も、値打ちも。もう鼻をつけられてる。
そう思ったんだろう。
だから、その数日後に修道者どもが工房見学を申し出た時も、返事は早かった。
「学びと友誼のため、です。
実に興味深い営みですので」
アルベールはそう言った。声も穏やかだ。笑顔まで整っている。
だが、頭目は即座に首を振った。
「だめっす」
レオンも、ほとんど間を置かずに続いた。
「見せられません」
短い。愛想もねえ。俺は横で、ああ、こりゃ揉めるな、と思ったね。
当然、修道者どもは表立って怒らねえ。
「それは残念です」
アルベールはそう言っただけだ。顔色も変えねえ。むしろ、こちらの都合を尊重するみてえな顔までした。
だが、こういう時に本当に面倒なのは、その場の相手じゃねえ。
それを横で見ていた村人どもだ。
3.
最初は、ごく小さい声だった。
「助けてもらってる相手に、
あれは少し不親切じゃねえか」
井戸端で、誰かがそう言った。
「まあな……」
別の誰かが、はっきり否定もせずに相槌を打つ。
それだけなら、ただの愚痴だ。春先の村じゃ、そういうのはすぐ風に飛ぶ。
だが今回は、少し違った。
「何か隠してるのかもな」
その一言が混じったからだ。
誰も大声では言わねえ。怒鳴りもしねえ。けれど、言葉が一度そこへ触れると、あとは勝手に膨らみ始める。
隠してる。見せない。儲けの源。ゴブリンの森。臭いも排水も村の外。出来のいい品。横顔の印。
全部が、妙な具合に繋がっていく。
村人どもの頭の中で、別々だったものが、そこで初めて一つの腹へまとまり始めた。
村人どもが悪いと言う気はねえ。
こいつらだって、工房の儲けで前より暮らしが回ってるのは知ってる。紙も石鹸も鍋も、恩恵そのものだ。だが、恩恵が大きくなるほど、その中身を自分が知らねえことが気持ち悪くなる。
まして、工房は森の中だ。動かしてるのはゴブリンどもだ。臭いも危ないもんも、全部そっちへ寄せてある。
便利なものは要る。だが、厄介なものは外でやってくれ。
前からこの村は、そういう顔をしてきた。今度はそこへ、もう一つ混じっただけだ。
――外でやってるなら、中身くらい見せろよ。
酒場の片隅でその手の空気が漂い始めた時、俺は背中が少し寒くなった。
見せろ、ってのは、好奇心の言葉に見えて、だいたい別のもんを連れてくる。管理したい、確かめたい、自分の手元へ置きたい。そういう腹だ。
で、その腹をいちばん上品な顔で言い換えてくるのが、ああいう修道者だ。
レオンは表では平気そうな顔をしていたが、内心じゃ分かっていたんだろう。夕方、森の入口でゴブリンの頭目と立ち話している時、いつもより言葉が少なかった。
「面倒になってきたっすね」
頭目が言う。
「ええ」
レオンは短く頷いた。
「もう、品そのものより、
工房の中身を見たがってます」
頭目は鼻を鳴らした。
「人間って、良いもん見つけると、
すぐ腹の中まで覗きたがるっす」
その通りだと思ったね。
4.
火は、まだついていなかった。
村の誰かが裏切ったわけでもねえ。修道者が村長の前で騒いだわけでもねえ。商人が金貨を積んで、技術を寄越せと言ってきたわけでもねえ。
表向きには、春の景気の良さが続いていた。
鍋は煮える。紙は漉かれる。石鹸は固まり、土鍋は売れる。台所道具の柄には、あいかわらずエレノアちゃんの横顔が彫り込まれていた。見る角度で、ちょっと笑っているようにも見える。ほんと、無駄に出来がいい。
だからこそ、余計にまずかった。
出来が良いってのは、それだけで人を引き寄せる。
しかも、ただ欲しがらせるだけじゃねえ。誰が作った、どこで作った、どうやって作った、その中身まで明るみに出させたくなる。
品質ってのは、綺麗な顔をした欲だ。
修道者の向こうには、そういう鼻の利く手合いが必ずいる。連中は善意と礼節の顔で、その入口に立ってる。本人は本気で善をしてるつもりかもしれねえが、だからこそ声が通る。
で、その声が、村の中の鈍い不安と、ちょうどいいところで噛み合い始めていた。
「助けてもらってるのに」
「見せないのは変だ」
「やっぱり、何かあるんじゃねえか」
そういう小さい声が、乾いた藁みてえに、村の隅へ少しずつ積もっていく。
まだ誰も松明は持ってねえ。
だが、藁ってやつは積もると分かる。湿ってるうちは踏んでも沈むだけだが、乾いたやつは違う。ちょっと火の粉が飛ぶだけで、面白ぇくらいに燃えやがる。
俺はその晩、酒場の戸を閉めながら、裏手の暗がりを見た。村の灯りはいつも通りだ。遠くじゃ工房の火も小さく揺れている。
見た目だけなら、何も変わっちゃいねえ。
だが、匂いだけは変わっていた。
春の土と、鍋の湯気と、紙漉き場の臭いに混じって、もう一つ。値打ちを嗅ぎつけた奴らの匂いだ。
……ああ、こりゃまずい。
そう思った時には、たいてい、もう遅えんだよ。




