第67話 遊び人、礼節の裏に伸びる縄を嗅ぐ
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。
……だが近ごろは、それだけじゃ足りねえ。村の空気がどこで濁るかを嗅ぎ、誰がその濁りを利用するかまで見て、ついでにレオンの尻拭いまで回ってくる。
家宰ってやつの真似事まで混じってきた。嬉しくも何ともねえがな。
春の村は、見た目だけなら穏やかだった。
川は雪解け水で太り、畑じゃ鍬の音が軽く鳴る。鍋の湯気も、紙漉き場の臭いも、もうすっかり村のいつもの景色に混ざっていた。火迎えを越えた空気ってのは、人を少しだけ油断させる。
そういう時に限って、別のもんが入ってくる。
聖陽教の修道者たちが村へ来たのは、昼前だった。荷車は一台だけ。
先頭に立つのは、白っぽい衣をきちんと合わせた男――たしか、アルベールとかいうやつ――で、後ろには女の修道者も何人かいた。
泥の道を歩いてきたはずなのに、裾の乱れ方まで上品に見える。ああいうのは、それだけで田舎者の鼻っ柱をくすぐる。
連中は、最初から何かを禁じたりはしなかった。
病人を見て、腹を空かせたやつに白パンを渡し、子どもには読み聞かせをしてやる。井戸端で揉めてりゃ、やわらかい声で間へ入る。
年寄りにゃ腰をかがめ、女衆には礼を尽くし、若いのには「よく働いておられますね」と笑ってみせる。
やり口が、いちいち上等だった。
「この村にも善きものは多い」
そう言いやがる。言われた村人どもは、悪い気がしねえ。そりゃそうだ。頭ごなしに馬鹿にされるより、褒められたほうが腹に入る。
で、その次に来る。
「ただ、太陽神の恩寵を
まだ十分に知らぬために、
惜しい営みも残っております」
惜しい、だとよ。
駄目だとは言わねえ。穢れてると決めつけもしねえ。ただ、惜しい。足りない。まだ照らされていない。そういう言い方で、村の暮らしを少しずつ下へ置く。
聞いてるだけなら、腹は立たねえ。
だが俺は、そこで鼻の奥に嫌な匂いを嗅いだ。
2.
連中は、強いところから食わねえ。
最初に寄っていったのは、弱ってるやつと、新しく来たやつと、少し背伸びしたい顔をしてる若いのだ。
そりゃ分かる。村ってのは、長く住んでるやつほど空気の読み方を知ってる。どこの家で、誰に何を言えば角が立つか。何が笑い話で、何が笑えねえか。そういうもんを、腹で知ってる。
だが新参は違う。
流れてきたばかりのやつや、最近ようやく村へ根を下ろしかけたやつにとっては、暗黙の了解より、整った言葉のほうが分かりやすい。
王都風の礼節、小さな祈り、きれいな作法。そういう「ちゃんとしてる」感じは、意外と効く。
しかも、白パンと葡萄酒つきだ。
腹の減った時に出されたもんの印象ってのは、理屈より先に残る。施しってやつは、だいたいそこから始まる。
火葬も、混浴も、湯や水をふんだんに使う暮らしも、いきなり咎められはしなかった。女神信仰も、ゴブリンどもとの交易も、共働きもだ。
ただ、脇へ置く。
「まだ十分に照らされておらぬ習い」
「慎みのうちに
改めてゆけるでしょう」
「恩寵を知れば、
自然と整ってまいります」
そうやって、一つずつ「今すぐ怒るほどじゃないが、上等でもないもの」にされていく。
とくに、水の話はうまかった。
「井戸も水も、神の賜物です。
限りある恵みを、
身の心地よさにばかり
費やすのは慎みを欠きましょう」
禁じちゃいねえ。だが、湯へ浸かること、洗うこと、身なりを整えること、そのへん全部に「貪り」の影を落としやがる。
水汲みの重さを知ってるやつほど、こういう言い方は響く。湯屋で肩をほぐすのも、熱い湯で布を洗うのも、快のためだと言われりゃ、ほんの少しだけ後ろめたくなる。
ああ、こいつら分かってやってるな、と思ったね。
村の暮らしを真正面から折るんじゃねえ。自分から少しずつ折らせる。そういう運びだ。
3.
レオンは、追い返そうとはしなかった。
そりゃそうだ。助かってるやつが現にいる。病人を見る手が増え、揉め事は穏やかに収まり、腹を空かせた子には食べ物が回る。そういう相手を、感じが悪いから出ていけとは言えねえ。
むしろあいつは、少しだけ似たものを見る目をしていた。
「やり方は違いますが、
共同体を整えたいんでしょうね」
湯屋の帰り道、そんなことを言いやがった。
「礼節や施しを入口にして、
秩序へ働きかける。
……切り口は違いますけど、
近いところもあるのかもしれません」
俺は鼻を鳴らした。
「同類扱いはやめとけ」
「敵とは思えませんよ」
「俺だって、敵だとまでは言ってねえ」
そこが厄介なんだよ。
殴り込んでくるなら話は早い。槍でも棍棒でも持ってりゃ、誰だって警戒する。だが、白パンと祈りと礼儀で入ってこられると、村のほうが勝手に戸を開ける。
エレノアちゃんも、表向きは静かだった。
修道者の女が手伝いに入って、煎じ薬を運び、寝台のそばで祈りまで捧げる。施療の手が増えること自体は助かる。賢女として、それを嘘だとは言えねえ。
だが、あの娘は鍋の火加減を見る時みてえな顔で、連中の口ぶりを聞いていた。
「病だけでなく、
暮らしの整え方まで
言葉が伸びてくるのね」
ぽつりと言ったのを、俺は聞いた。
さすが賢女だ。見るところが違う。
レオンは働き方を見る。エレノアちゃんは秩序へ伸びる指先を見る。で、俺は何を見るかっていうと、その手順のいやらしさだ。
先に施す。礼を尽くす。善いところは認める。腹を満たす。気持ちよくさせる。そうしてから、「惜しいですね」と来る。
首へ縄をかけるなら、いちばん嫌がられねえ順番ってやつがある。
こいつらは、その順番をよく知っていた。
4.
夕方、酒場の裏手で、昼に見た子連れの親子が修道女からパンを受け取っていた。子どもはもう、太陽へ祈る真似を覚えてやがる。母親は何度も頭を下げ、涙ぐんでいた。
責める気にはなれねえ。今日食うもんをくれる手に、明日の説教のことまで考えろってのは酷だ。
だが、だからこそ始末が悪い。
助けてもらったやつは、次に困った時もその顔を思い出す。礼を言う。頼る。言われた作法も覚える。そうやって、暮らしの重心が少しずつ動く。
その先に何が来るか。今はまだ見えねえ。
火葬をやめろと命じるのか。女神の祠を脇へ追いやるのか。ゴブリンとの湯屋や工房を「慎み」の名で切り分けるのか。分からねえ。
分からねえが、分からねえまま入ってきてるのが、いちばん嫌だった。
村人どもは、まだそこまで考えちゃいねえ。
「上品な方たちだ」
「王都の言葉ってのは、やっぱり違うな」
「祈りってのも、悪くないもんだ」
そんな声が、井戸端で混じる。誰も嘘は言ってねえ。だからなおさら面倒だ。
俺は酒場の戸口で足を止めた。向こうじゃレオンが、修道士の男と何やら穏やかに話している。顔つきは落ち着いていた。協調の筋でも探ってるんだろう。あいつらしい。
だが、その横顔を見ていて、俺は少しだけ胃が重くなった。
レオンは、敵じゃねえ相手と手を組むのがうまい。筋が通ってりゃ、なおさらだ。
けどな。筋が通ってるやつほど、あとで外せねえ縄になることがある。
春の村は景気がいい。鍋は回る。畑は広がる。湯は湧く。紙も漉ける。暮らしは去年より、たしかにましになってる。
だからこそ、人は次の「まし」にも手を伸ばす。
礼節。祈り。施し。上等な言葉。整った作法。
どれも、その場じゃ悪かねえ。
悪かねえが、悪くねえ顔をしたもんほど、あとで首に食い込む時がある。
俺は戸口にもたれ、白衣の背中を睨んだ。
敵かどうかは、まだ知らねえ。
だが、ろくでもねえ手順を知ってる連中だってことだけは、鼻が覚えちまっていた。




