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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第一部

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第7話 市職員、エルン村で槍使いとなる

1.


 エルン村は、ぱっと見、とても小さかった。


 エレノアさんの話では、人口は二百人ほどらしい。けれど、見える範囲の家はせいぜい四十軒前後だ。


 屋根と屋根の間も思ったより広い。一軒に住んでいる人数が多いのか、それともひとつの家に何世帯かで暮らしているのかもしれない。


(やっぱり、実物は違うな)


 村まで、あと二百メートルほど。僕は歩きながら、何となく中学生の頃にハマったRPGを思い出していた。


 村の外周は、生垣でも城壁でもなかった。腰の高さほどの木柵と、その足元に積まれた石。人が住む場所と、それ以外をゆるく分けるための境目にすぎない。


 当たり前だ。こういうものを地図の上で見れば、ただの一本線になる。昔のゲームでは、それを分かりやすく大げさに描いていたんだろう。


 僕たちは木の門をくぐった。


 そこでふと、僕は頭上を見上げて苦笑した。


 もちろん、空中に「エルン村」なんて文字が浮かんでいるはずもない。入口の脇に、親切な村人が立っているわけでもない。


 「ここはエルン村だよ」と教えてくれる人も、「何しに来た」と詰問してくる門番もいない。


 あるのは、土を踏み固めた道と、低い家並みと、朝の光の下で静かに動いている人たちの暮らしだけだった。


「どうか、しましたか?」


「あ……エレノアさん。

  とても、素敵な村ですね」


 そう答えると、エレノアさんは少しだけ肩をすくめた。


 村に入った途端、僕へいくつもの視線が集まった。見慣れない背広姿の大男が入ってきたんだから、当然だろう。


 子供が半歩だけこちらへ寄り、すぐに母親らしい女性に引き戻される。家の前にいた老人が、わずかに眉をひそめる。畑仕事の手を止めて、こちらを窺う人もいる。


 生活の中に、明らかな異物が混ざった。けれど、その異物は村の賢女や冒険者たちと一緒にいる。なら、ひとまず様子見――たぶん、いちばん自然な反応。


2.


 村に入って、すぐに気づいた。


 見た目の戸数に対して、人が多い。家の前にも、道の脇にも、誰かしらいる。子供が多い。若い男女の姿も目につく。四十軒そこそこの集落にしては、妙に人口の密度が高い気がした。


 家と家の間は広いのに、その隙間にちゃんと人の気配が詰まっている。洗った布を干している人、藁を束ねている人、桶を運んでいる人。誰も彼も、朝の仕事の途中らしい。


 そのくせ、静かだ。


 いや、正確には、あかね市と音の種類が違う。車も、信号も、空調の唸りもない。代わりに聞こえるのは、木桶のぶつかる音、家畜の鼻息、遠くで誰かを呼ぶ声、石を擦るような鈍い音。


 生活そのものが、そのまま音になっていた。


 次の瞬間、僕は思わず息を止めた。


 土と藁と獣と、煙と、それから鼻の奥に刺さるような、むわっとした臭気。排水溝も見当たらないし、生活の汚れや残りものが、そのまま土に返っている感じがする。


(うわ、きつい……)


 あかね市だったら、担当課が真顔で対策会議を開くやつだ。


 そう思った直後だった。


 グニュッ――


 右足の裏に、嫌な感触が伝わる。柔らかい。湿っている。少しだけ温い。見なくても分かる。たぶん、分かってしまった。


(最悪……)


 僕は全力で顔をしかめた。


 けれど、周りの人たちは平然としている。顔色ひとつ変えない。子供まで普通に走り回っている。つまり、ここでは珍しくも何ともないことなんだろう。


 かなり臭う。なのに、不思議と、ただ不潔だという感じでもなかった。


 戸口には木鍬が立てかけてある。家の脇には水瓶。軒先には藁束と革袋。少し先の家の前には、石臼らしいものまで見える。土器も、木桶も、みんな使い込まれていて、ちゃんと手に馴染んでいそうだった。


 素朴だ。雑多だ。でも、僕はこういうの、嫌いじゃない。


 誰かが食べて、生きて、働いて、眠る。そのための道具が、隠されずにそのまま置かれている。そういう景色を見ると、ああ、人が暮らしているんだな、と思う。


 匂いがしないこと、家畜が近くにいないこと、生活の気配がうまく覆い隠されていること――それはそれで快適だ。


 でも、こういう場所のほうが、よほど「生きている」感じはするのかもしれない。


3.


「きょろきょろしてんじゃねえぞ。

  ありゃ住民の物入れだ。

  宝箱じゃねえ」


 察しが良いのか、僕が分かりやすすぎたのか、ディオンさんが僕の肩を軽く叩いた。


 ……もう、この世界をゲーム画面と重ねるのはやめよう。


 エレノアさんが、宿屋、酒場、武具屋、道具屋、村長の家、神殿の位置を教えてくれた。観光案内というより、生活動線の説明に近い。むしろ、そのほうがずっと分かりやすくてありがたい。


 最後に連れて行かれたのは、ギルドだった。実態としては、酒場兼仕事斡旋所らしい。


 中へ入ると、酒と汗と煮込みの匂いが一気に押し寄せてきた。


(マッスル酒場、って感じだな……)


 木のテーブルが並び、壁には獣の皮や武器、それから何かを書きつけた木札が掛けられている。床板には、重い靴で踏み鳴らされた無数の傷が走っていた。


 受付らしい場所の向こうにいた中年女が、顔を上げる。


「戻ったかい。遅かったね――」


 そこまで言って、彼女は僕を見て目を細めた。


「そっちの男は?」


 リラさんが肩をすくめる。


「森で拾った」


(はい、拾われました……じゃなくて)


 僕が心の中でつっこむより早く、エレノアさんが言った。


「彼はレオン。オークを倒しました」


 その瞬間、空気が変わった。


 近くのテーブルにいた冒険者らしき連中が、一斉にこちらを見る。中年女は何も言わずに僕の顔を見て、それから血の染みた上着へ視線を落とした。


「職業は?」


 その質問に、僕は固まった。


 職業。


 あかね市役所勤務から説明を始めたら、またエレノアさんに呆れられそうな気がする。


 すると、横からリラさんがあっさり言った。


「槍でオーク倒したんでしょ。

  槍使いじゃん」


 ディオンさんも、すぐに頷く。


「だよな。半端ねえし」


 ――話が雑すぎる。


4.


 ――エルン村在住、槍使いのレオン。


「名前と職業、書いとくれ」


 中年女はそう言って、僕に木札を放ってよこした。


 ……いや、あの楔みたいな文字を書けと?


 まごついている僕を見て、中年女は鼻を鳴らした。


「何だい、読み書きできないのかい。

  じゃあ、後でもいいよ」


 さすがに、ちょっと傷ついた。こっちは字の読めない人間じゃない。日本語でなら、書類仕事はむしろ得意なほうだ。


「姐さん、こいつの戦利品だ。

  換金、頼むわ。

  言わずもがなだが、分かるよな?」


「ふんっ、ディオン。

  あたしゃアンタじゃないよ。

  ゴマカシなし、ヒイキなし。

  ……ちょっと待ってな」


 中年女は軽口めいた悪態をつきながら革袋を受け取ると、そのまま奥の事務所へ入っていった。


 ディオンさんは、それを見送ってから口角を上げた。


「さっ、一仕事終われば、昼だって夜だ。

  レオンの歓迎会といこうじゃないか」


 歓迎会。


 その言葉に、僕は少しだけ周囲を見回した。


 木のジョッキを傾けている男たち。こちらを値踏みするように見てくる視線。鍋の匂い。笑い声。床板の傷。まだ僕の知らない、この村の空気。


 ついさっきまで、僕は森で死にかけていたはずなのに。気がつけば、もう次の段階へ押し出されている。


 あかね市役所の市民課窓口でも、ここまで強引に話は進まない。


 でも――悪くないのかもしれない。


 僕は小さく息を吐いて、ようやく腹をくくった。


 たぶん今日から、僕はこのエルン村で生きていく。

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