第6話 賢女、異邦の尺度で村の暮らしを見る
1.
私はエルン村の賢女エレノア。
森を抜け、村へ戻る途中、隣を歩く異邦の男――レオンは、息つく間もなく問いを重ねていた。
「ここはどこの国ですか?
王は? 都は? それと……
この大陸には、どれくらい
国があるんですか」
言葉は整っている。だが、その奥にあるのは単なる好奇心ではない。
確かめている。目の前の景色を、順に拾い上げるように。そんな調子だ。
私は歩みを緩めず、肩越しに答える。
「ここはアルセリア王国。
グスタフ王が治めて
おられます。在位三十年。
都は王都アルセリア」
そこで一度、言葉を切る。
「この国はアカネガルドの南に
位置します。……全土にいくつ
国があるかは、分かりません」
正直に言うしかない。
旅の途中で耳にする話はある。だが、それを数として並べるようなことはしない。境を引くのは王や貴族の仕事で、私たちはその内側で生きるだけだ。
レオンはすぐに頷き、次を問う。
「では、この国で使われている
お金は? 呼び名と……
どう扱われているのか、
教えてもらえますか」
私はわずかに眉をひそめた。
国や王の話は分かる。だが、金の扱いをそこまで気にするのは、商人か徴税官くらいのものだ。
「通貨はスクルト。
このあたりでは、それで通じます」
「細かく分けられたりは?」
「……必要ですか?」
問い返すと、レオンは一瞬だけ言葉を探した。
「ええ、例えば――
どのくらいで何が買えるのか。
それが分からないと、
動きにくくて」
動きにくい。
その言い方に、私はわずかに引っかかる。ただ知りたいのではない。足場を確かめている。
私は歩調を少し速めた。
「パンが買えるか、宿に泊まれるか。
……それで十分でしょう」
ひと呼吸置いて、続ける。
「細かく刻んで数えるのは、
商人か徴税官くらいです」
……それが、この辺境の暮らしだ。
日々のやり取りは、品と品、あるいは大まかな額で済む。帳面を広げて一つ一つ確かめるようなことは、まずしない。
「それともあなたは、
買い物のたびに
数を書き留めるのですか?」
半ば皮肉のつもりだった。
だがレオンは、少し照れたように頭を掻いた。
2.
「ええ……書いてます。
大学に入ってから七年、ずっと」
私は思わず足を止めた。
「……何を、ですか」
「収入と支出です。
何にいくら使ったかを記録して、
無駄を減らすために」
一瞬、言葉の意味は追えた。
だが、その必要性が分からない。
「分かりません――いえ、
理屈は分かりますが、
納得がいきません」
自分でも、言い方が強いと分かる。
「お金は使うためのものです。
減らすために数えるのは、
本末が逆でしょう」
言い切ってから、わずかに息を吐いた。
引っ込める気にはなれない。
レオンはきょとんとしたあと、小さく笑う。
「……そういう考え方も、ありますね」
否定しない。
私は眉を寄せる。もっと食い下がってくると思っていた。
「でも、僕のいた場所では、
数えないと困ることが
多かったんです」
その言い方は、どこか遠くを見ている。
私は一瞬だけ言葉を失い――すぐに視線を前へ戻す。
足元の土が沈む感触。湿った空気。葉擦れの音。そうしたものに意識を向けて、思考を切り替える。
「……まずは森を出ることです」
私は歩き出した。
「話はそれからにしましょう」
足音だけが続く。
――妙な男だ。国や王、金の扱いばかりを気にする。
私の名は聞いた。だが、それ以上を知ろうとはしない。どこの出か、何をしているのか。普通なら、まずそこを問う。
だが、この男は違う。
人ではなく、周りのあり方を一つ一つ確かめている。
見えない線を引くように、頭の中で形を整えている。
まるで――ここがどういう場所なのか、自分の中で組み立て直しているみたいに。
……私は小さく息を吐いた。いまは、どうでもいい。
3.
「おーい、エレノアちゃん!」
「大丈夫だったの? 戻ってこないから心配したよ」
声に顔を上げる。
森の出口に近い開けた場所で、ディオンとリラがこちらへ駆けてきた。
視界が一気に開け、木々の圧がほどける。空気が軽い。
ディオンは私の無事を確かめてから、レオンへ視線を向けた。血の跡が残る服、見慣れぬ裁断、そして長身。
警戒と興味が入り混じった目だ。
「そっちの兄さんは?」
穏やかな声だが、油断はしていない。リラは隣で、はっきりと眉をひそめている。
「申し遅れました。僕は――」
「レオンさんよ」
私は短く言った。説明は簡単でいい。
「俺はディオン。よろしくな」
「私はリラ。……で、どうして一緒に?」
疑いはまだ残っている。
私は軽く微笑んだ。
「森でオークに捕まって、
彼が倒してくれたの」
「「ひとりで?」」
声が揃う。
「泉のそばの窪地に死骸があるわ」
リラは無言で駆け出し、すぐに戻ってきた。顔つきが変わっている。
「ディオン……本当だった。
延髄に穴、完全に一撃」
ディオンが口笛を吹く。
「すげえな……で、武器は?」
「あの……槍です」
レオンは恐縮したように答える。ディオンは笑い、革袋を受け取った。
「こりゃ相当だな……
二千五百……いや、うまく吹っかけりゃ
三千だな。いい拾いもんだ」
中身を確かめ、紐を結び直してレオンに渡す。
「落とすなよ。しっかり持っとけ」
4.
村へ向かう道。空は開け、畑と轍が見え始める。
「どこの出だ?」
「槍はどれくらい使ってる?」
「その服、どこの国のだ?」
今度はディオンとリラが問いを投げる番だった。レオンは困ったように笑いながら、受け答えをしている。
空気が軽い。さっきまでの張り詰めた感じが、ほどけていく。
私は少し遅れて歩きながら、その様子を眺めた。
レオンはときどき足を止める。
轍、畑、用水、丸太橋。
どれも見慣れたものだ。
「何か気になりますか?」
私は声をかけた。
「ええ。人が暮らしてるのが、
分かるなと思って」
私は目を細める。
暮らしの痕跡。
そんなもの、意識するまでもなくそこにある。
だが彼は、一つ一つ確かめるように見ている。触れずとも、輪郭をなぞるように。
やはり、この男は――
エルン村の柵が見えた。家々から、細く煙が立ちのぼっている。
レオンは小さく息を吐いた。
その吐息には、わずかな安堵が混じっていた。




