第65話 遊び人、祝福の顔をした手を見抜く
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。……この頃は、その札だけじゃ説明が足りねえ。
村の戸口へ何が来るかを嗅いで、入れていい厄介と、入れたら最後の厄介を見分けるほうが、よっぽど生業らしくなってきた。
三月の半ば、雪はもうほとんど消えていた。朝の冷えはまだ骨に残るが、泥は柔らかく、屋根の端から落ちる雫も止まらねえ。春ってやつは、腹の足りねえ家から先に顔を出す。
年明けから村では産の床が続いていた。赤子の泣き声が立つ家もあれば、産後で女房が起き上がれず、若い亭主が青い顔で薪束を抱えてる家もある。
そういう家へ、レオンは穀物と干魚、布と薪を分けて回っていた。
貸しじゃねえ。配給だ。
投機で冬越しを崩した家には紙を切り、返す日まで先に決めるくせに、乳飲み子を抱えた家には返済を求めねえ。
最初は村の連中も面白くなさそうな顔をしていたが、赤子の口へ証文を突きつけろと言えるほど腐っちゃいねえ。結局、ぶつぶつ言いながらも受け取っていた。
そこへ、別の一団が現れた。
白っぽい麻の衣に、金糸で小さく日輪を縫い取った外套。荷車には穀物袋と布束。先頭に立つ男は痩せていて、靴も泥を吸っていた。見栄のために綺麗にしてるんじゃねえ。歩いて来た靴だ。
「聖陽教の施しです」
そう言って、母親へ頭を下げる。
「よくぞこの冬を越えられました。
母子に、太陽神の祝福がありますように」
言い方だけなら嫌味は一つもねえ。赤子の額へ勝手に手を伸ばすでもなく、寝床を覗き込むでもなく、戸口に籠を置いて労わる。ありがたがる家が出るのも無理はなかった。
だが俺は、最初に見た時から少しだけ腹の奥が重かった。
笑ってる。立派だ。善人ぶってるんじゃねえ。本当に善人なんだろう。
だからこそ、嫌な感じがした。
2.
三日もしねえうちに、その一団の長がレオンを訪ねてきた。
戸口で待っていた男は、村で施しを配っていた時と同じ顔をしていた。痩せて、穏やかで、目だけが妙に澄んでいる。どこかの太った神官みてえに脂ぎってもいねえ。
「聖陽教巡察団の長、
アルベールと申します」
そう名乗ってから、深々と頭を下げる。
「このたびは、エルン村での御働き、
まことに見事でした。
母子を守り、秩序を立て、
弱き者へ分け与える。
いずれも太陽神の御心にかなう
尊い行いにございます」
横で聞いてるぶんには褒め言葉だ。だがレオンの眉が、ごくわずかに動いた。先代王が崩じて新王が立ち、聖陽教に厚い、って噂は辺境にまで回ってきていたからな。
「陛下もまた、辺境にまで
正しき導きが届くことを
望んでおられます。
この村にも、良き芽が
すでに育っているようですな」
良き芽。上等な言い方だ。だが、育てる手は自分たちの側にある、って顔でもある。
レオンは、いつもの穏やかな顔で応じた。
「過分なお言葉です。
僕はただ、村の人たちが
春を越しやすいようにしているだけで」
「それこそが尊いのです。
正しき教えは、飢えを軽んじません。
病も、産も、死も、
人を神へ近づける道のうえに
ございます」
その時、エレノアちゃんが湯屋から戻ってきた。アルベールは彼女にも一礼した。
「賢女殿ですな。
母子を支えておられると伺いました。
お力添えに敬意を表します」
礼儀は完璧だった。女だからと見下げる気配もねえ。むしろ本気で敬ってる。だから余計にやりづらい。
ちょうどその時、庭先の向こうに先日の火葬の跡が見えた。村長の父親を送った場所だ。
アルベールの目が、そこへ向いた。
そして、ほんの一瞬だけ、眉が寄った。
「ああ……なんということを」
小さな声だった。怒鳴りでも、非難でもねえ。胸の底から漏れた痛惜みてえな声だ。
「この地では……
亡き人を、火へ委ねるのですか」
エレノアちゃんの顔が、すっと静かになる。
「ええ。この村では、そうして
送り出します」
アルベールはすぐに頭を下げた。
「……差し出がましい顔をしました。
ただ、魂の安寧を思うと……
つい、心が痛みまして」
それだけだ。断罪はしねえ。改めろとも言わねえ。
なのに、その場の空気だけが少し冷えた。
3.
こういう時に真正面から受けるのは得策じゃねえ。レオンは理屈で返す気配を見せたが、俺は先に口を挟んだ。
「わざわざお運びいただいて、
ありがとうございます。
辺境じゃ作法も色々でしてね。
旅の方には驚かせることも
多いでしょう」
アルベールは俺を見た。値踏みじゃねえ。こちらがどういう立ち位置の人間か、静かに測る目だった。
「ええ。ですが、
驚いたからといって
軽んじるつもりはありません」
「そいつは結構」
俺は笑った。
「村ってのは、どこも
死に方と送り方だけは
なかなか譲りませんからね」
男はわずかに頷いた。
「左様でしょうな。
だからこそ、祈りは要るのです」
そこでちゃんと戻しやがる。礼を尽くして土地を尊重する顔をしながら、話の終わりは自分の教えへ戻す。
レオンが、やんわりと言った。
「お気持ちはありがたいですが、
僕たちは僕たちのやり方で
当座を回せています。
礼賛会のお誘いも、
今回は遠慮させてください」
断りとしては柔らかい。柔らかいが、線は引いてる。
アルベールは少しも不快そうな顔をしなかった。
「承知しました。
無理にとは申しますまい。
ただ、施しは続けさせてください。
生まれた子に罪はありませんゆえ」
そりゃ揺れる。腹の減った家へ、母子へ、施しを持って来る。それを断る理屈なんざ、辺境の寒村じゃそう多くねえ。
やがて男は礼をして去っていった。後ろ姿まで、妙に清い。
戸が閉まってから、しばらく誰も口をきかなかった。
「悪い方では、ないわね」
最初に息を吐いたのはエレノアちゃんだ。
「悪くないどころじゃねえな」
俺は鼻を鳴らした。
「ありゃ立派だ。
清貧ってやつまで本物だろ」
レオンは黙って火葬跡の方を見ていた。
「……本気で悲しんでましたね」
「だろうな」
「なのに、こちらの弔いを
そのまま受け取れない」
そこだ。そこが一番始末が悪い。
4.
夕方、俺はレオンと二人で配給の帳面を見直していた。帳面の数字はいつも通り細けえ。どの家に何を回し、どこが産後で、どこが乳飲み子を抱えてるか。そこへ今日は、もう一つ数えねえといけねえものが増えた。
外から来る善意だ。
「どうします?」
レオンがぼそりと聞いた。
「どうもこうもねえよ。
施しを止めろとは言えねえ。
言った瞬間、こっちが意地悪だ」
「ですよね」
「だからって、好きに根を張らせるのも
まずい」
レオンは黙った。分かってる顔だ。
「……宿屋のほうが、
まだ楽でしたね」
ぽつりとそう言いやがったので、俺は思わず笑った。
「当たり前だ。
あっちは露骨な毒だった。
臭いで分かる」
「今回は?」
「香料つきだ」
レオンが顔を上げる。
俺は帳面を閉じて、言ってやった。
「ああいうのが一番厄介だ。
剣を抜く悪党よりな。
善人で、正しくて、しかも力がある。
人を救いながら、村の形そのものを
別のもんに変えていく」
今度来たのは、そのもっとでかいやつだ。
法もある。福祉もある。祈りもある。王様の影まで背負ってる。しかも、やってることは母子への施しと祝福だ。文句をつけた側が薄汚く見える手合いだよ。
宿屋って露骨な毒をようやく捌いたと思ったら、次はこれだ。
門口まで来てやがる。
俺は鼻を鳴らして、火の弱まった炉を見た。
どうやら春ってのは、芽吹きと一緒に、面倒もちゃんと連れてくるらしい。




