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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第五部

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第56話 遊び人、賭場の胴元を追い詰める

1.


 俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。


 ……この頃は、その札だけじゃ説明が足りねえ。村の揉め事ってのは、でかい音を立てる喧嘩だけじゃなく、恥と欲で口をつぐんだ家からも、じわじわ腐った臭いを上げる。


 冬の入り口の、空気まで薄く冷えた日だった。例の土地持ちの寄り合い衆が、朝っぱらから青い顔でレオンのところへ来た。


 夏には偉そうにしてた男だ。宿屋の件で責任を突っぱねて、「土地を貸しただけだ」「商いの中身までは知らん」で済ませた、あの手合いである。


 それが今度は、戸口に立つなり声を潜めた。


「……何とかしてもらえんか」


 俺はその時点で、鼻で笑いそうになった。何とか、ね。便利な言葉だ。自分で蒔いた種も、家で抱えた恥も、まとめて他人に刈らせる時にゃ、みんなそう言う。


 男は何度か喉を鳴らしてから、ようやく言った。倅が宿屋へ入り浸り、賭場で借りをこさえ、その挙げ句、家で預けていた印と土地の証文にまで手を付けた、と。


 貸金業者の手に渡ったのは、宿屋の敷地に関わる分だ。地代で甘い汁を吸っていたはずの土地が、気づけば他所の手へ引かれかけている。


 だが、こいつは最初からそこを真っ直ぐ言わねえ。


「まさか、あんな宿になるとは思わなんだ」


「土地に、妙なミソが

  ついてしもうてな……」


 土地に、だとよ。


 俺は思わず眉を上げた。いや、違うだろ。ミソをつけたのは土地じゃねえ。てめえの倅だ。もっと言や、倅がそうなるまで放っておいた、てめえん家だ。


 だが男は、息子の行状より先に土地の穢れを口にした。家の恥を認めるより、「あんな宿屋が建ったせいで土地が汚れた」という建前のほうが、まだ口に出しやすかったんだろう。


 寄り合い衆が、自分の家の倅ひとり抑えられなかったなんて、そりゃあ恥だ。しかも地代を取りながら、その裏で家の印まで食われてましたじゃ、笑い話にもならねえ。


 だからこそ、こいつは青ざめていた。


 哀れだからじゃない。恥ずかしくてだ。


2.


 で、ようやく本音が出るかと思えば、さらに見苦しかった。


「……あの土地は、もう、

  うちで持っておっても仕方がない」


「名まで泥をかぶる」


「だから、あんたが自由にしてくれて

  構わん」


 厄介払いする口調だったね。損の出る壺でも押しつけるみてえに言いやがる。


 ところが、そのすぐあとだ。


「ただ、うちも丸損では困る」


「土地代のようなものは……その、少しは」


 俺は本気で呆れた。


 証文はもう貸金業者の手にある。つまり、こいつは自分の手で掴んでる物ひとつねえ。なのに、まだレオンから金を引き出せると思ってる。


 欲の張り方が、ここまで来ると逆に感心する。自分の家が食われかけてるのに、最後の最後まで、口の端には銅貨の味が残ってるんだからな。


「都合がよすぎるだろ」


 俺が低く言うと、男はびくっと肩を揺らした。


「いや、しかし、こちらにも

  家というものがある」


「家名を守らねばならんし……」


 その家名を削ってんのは誰だよ、と思ったが、俺より先にレオンが紙から顔を上げた。


 怒るでもない。呆れるでもない。妙に冷えた目だった。


「確認しますが」


「いま証文を持っているのは、

  宿屋の貸金業者ですね」


「あなたは、土地を取り返したいのではなく、

  家名だけ切り離したい」


「そのうえで、こちらに金を出させたい」


 男は言葉に詰まった。詰まりながらも、否定しきれねえ顔をした。


 ああ、こりゃ駄目だと俺は思った。こいつは助けを求めに来たんじゃねえ。損の一番でかいところだけを、よそへなすりつけに来たんだ。


 だが、その横でレオンは、相手より先に別のものを見ていた。


 街道沿いの高台。温泉へ行く道筋。村の入口を見下ろす位置。村の神殿より、よっぽど目に付く場所にある、あの石積みの二階屋敷。


 俺は何となく分かった。


 こいつ、もう宿屋を潰す話をしてねえ。


 あの石の屋敷を、どう村のものにするか。そっちへ頭が切り替わっている。


3.


 男と別れたあと、俺たちは少し離れた納屋裏で、ゴブリンどもと顔を合わせた。あいつらはあいつらで、宿屋の件になると妙に張り切る。


 頭目が、いかにも名案ですって顔で耳をぴんと立てた。


「水竜の子どもがっすね……」


 はい来た、と思ったね。


 こいつら、前にもやった。愚連隊を追い払う時は地竜の子どもで押し流し、賭場ごと焼こうって火竜案は「焙らないで」で止められた。その流れで、今度は水だ。


「水をばーっとやるっす」


「床も人間も道具も、

  全部びしゃびしゃにして」


「悪いのだけ追い出すっす」


 言ってることは、前よりまだましに聞こえる。焼くよりはな。


 だがレオンは、間を置かずに言った。


「壊さないでください」


 頭目が、へにゃっと耳を寝かせた。


「えっ」


「壊れない程度にやるっすよ?」


「水だけっすよ?」


「床板が傷みます。内壁も痛みます。

  棚も痛みます。あの建物は壊しません」


 きっぱりしていた。


 ゴブリンどもはそろってしょんぼりした。頭目なんか、今にも地面へ鼻先をつけそうな勢いである。


「悪人を追い出すだけっす……」


「まだ何もしてないっす……」


「そうでしょうね。

  だから今のうちに止めます」


 俺は思わず吹きそうになったが、同時に、妙な納得もした。


 ああ、やっぱりだ。


 火も駄目、水も駄目。敵を痛めつける加減じゃねえ。建物を傷めるのが嫌なんだ。


 街道沿いの高台。温泉の近く。村に寄せた位置。そのうえ石積みの二階屋敷。外から来る奴を見張るにも、寄り合いを開くにも、帳場を置くにも、詰所を作るにも、あまりに都合がいい。


 村長の家じゃ、いずれ狭い。今はまだどうにかなっても、これから先、村が膨れりゃ、紙も人も荷も、もっと集まる。


 そうなった時に要るのは、宿屋の看板じゃねえ。村の顔になる建物だ。


 レオンはそれを見ちまった。


 だからもう、あの石の屋敷は、あいつの頭の中じゃ半分こっちの物なんだろう。


4.


 その日の帰り道、空は鉛みてえに重く、風は乾いていた。遠くに見える宿屋の屋根は、冬の日差しのせいで、やけに白く冷えて見えた。


 俺は横を歩くレオンに言った。


「お前、あの屋敷、もう取る気だろ」


 レオンはすぐには答えなかった。しばらく黙って、街道と村道の交わるあたりを眺めていた。


「あの建物は、宿屋には過ぎます」


「村で持てば、五十年先まで

  使えるでしょう」


 やっぱりな。


 欲しがってるくせに、言い方はあくまで実務だ。だが、俺には分かる。ああいう声の時のこいつは、もう腹の中で机と帳場の置き場まで割ってる。


 寄り合い衆の男は、自分の家が食われて青くなっていた。だが、あいつが本当に惜しんでいたのは土地じゃない。家名と地代だ。倅の馬鹿も、家の恥も、土地にミソがついたって言い換えて、そこから先を他人に押しつけようとした。


 浅ましい話だと思う。


 だが、浅ましいからこそ、隙ができる。


 証文を握る貸金業者。家名だけ助けたい地主。村の金と労を吸い上げる宿屋。全部まとめて腐ってるなら、逆に切る場所は見えやすい。


 宿屋の問題は、もう、悪徳な商いを懲らしめて終わる話じゃねえ。


 あの場所を誰の手から引き剥がし、何のための建物に変えるか。


 そこへ移った。


 冬の村で、神殿より目立つ場所に立つ石の二階屋敷を見ながら、俺は少しだけ同情したよ。寄り合い衆の男にじゃない。これから先、あの宿屋を守ってるつもりの連中にだ。


 あいつらはたぶん、まだ気づいてねえ。


 レオンが本気で欲しがった物は、焼かれもしねえし、流されもしねえ。


 綺麗に、使える形のまま、取り上げられる。

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