第56話 遊び人、賭場の胴元を追い詰める
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。
……この頃は、その札だけじゃ説明が足りねえ。村の揉め事ってのは、でかい音を立てる喧嘩だけじゃなく、恥と欲で口をつぐんだ家からも、じわじわ腐った臭いを上げる。
冬の入り口の、空気まで薄く冷えた日だった。例の土地持ちの寄り合い衆が、朝っぱらから青い顔でレオンのところへ来た。
夏には偉そうにしてた男だ。宿屋の件で責任を突っぱねて、「土地を貸しただけだ」「商いの中身までは知らん」で済ませた、あの手合いである。
それが今度は、戸口に立つなり声を潜めた。
「……何とかしてもらえんか」
俺はその時点で、鼻で笑いそうになった。何とか、ね。便利な言葉だ。自分で蒔いた種も、家で抱えた恥も、まとめて他人に刈らせる時にゃ、みんなそう言う。
男は何度か喉を鳴らしてから、ようやく言った。倅が宿屋へ入り浸り、賭場で借りをこさえ、その挙げ句、家で預けていた印と土地の証文にまで手を付けた、と。
貸金業者の手に渡ったのは、宿屋の敷地に関わる分だ。地代で甘い汁を吸っていたはずの土地が、気づけば他所の手へ引かれかけている。
だが、こいつは最初からそこを真っ直ぐ言わねえ。
「まさか、あんな宿になるとは思わなんだ」
「土地に、妙なミソが
ついてしもうてな……」
土地に、だとよ。
俺は思わず眉を上げた。いや、違うだろ。ミソをつけたのは土地じゃねえ。てめえの倅だ。もっと言や、倅がそうなるまで放っておいた、てめえん家だ。
だが男は、息子の行状より先に土地の穢れを口にした。家の恥を認めるより、「あんな宿屋が建ったせいで土地が汚れた」という建前のほうが、まだ口に出しやすかったんだろう。
寄り合い衆が、自分の家の倅ひとり抑えられなかったなんて、そりゃあ恥だ。しかも地代を取りながら、その裏で家の印まで食われてましたじゃ、笑い話にもならねえ。
だからこそ、こいつは青ざめていた。
哀れだからじゃない。恥ずかしくてだ。
2.
で、ようやく本音が出るかと思えば、さらに見苦しかった。
「……あの土地は、もう、
うちで持っておっても仕方がない」
「名まで泥をかぶる」
「だから、あんたが自由にしてくれて
構わん」
厄介払いする口調だったね。損の出る壺でも押しつけるみてえに言いやがる。
ところが、そのすぐあとだ。
「ただ、うちも丸損では困る」
「土地代のようなものは……その、少しは」
俺は本気で呆れた。
証文はもう貸金業者の手にある。つまり、こいつは自分の手で掴んでる物ひとつねえ。なのに、まだレオンから金を引き出せると思ってる。
欲の張り方が、ここまで来ると逆に感心する。自分の家が食われかけてるのに、最後の最後まで、口の端には銅貨の味が残ってるんだからな。
「都合がよすぎるだろ」
俺が低く言うと、男はびくっと肩を揺らした。
「いや、しかし、こちらにも
家というものがある」
「家名を守らねばならんし……」
その家名を削ってんのは誰だよ、と思ったが、俺より先にレオンが紙から顔を上げた。
怒るでもない。呆れるでもない。妙に冷えた目だった。
「確認しますが」
「いま証文を持っているのは、
宿屋の貸金業者ですね」
「あなたは、土地を取り返したいのではなく、
家名だけ切り離したい」
「そのうえで、こちらに金を出させたい」
男は言葉に詰まった。詰まりながらも、否定しきれねえ顔をした。
ああ、こりゃ駄目だと俺は思った。こいつは助けを求めに来たんじゃねえ。損の一番でかいところだけを、よそへなすりつけに来たんだ。
だが、その横でレオンは、相手より先に別のものを見ていた。
街道沿いの高台。温泉へ行く道筋。村の入口を見下ろす位置。村の神殿より、よっぽど目に付く場所にある、あの石積みの二階屋敷。
俺は何となく分かった。
こいつ、もう宿屋を潰す話をしてねえ。
あの石の屋敷を、どう村のものにするか。そっちへ頭が切り替わっている。
3.
男と別れたあと、俺たちは少し離れた納屋裏で、ゴブリンどもと顔を合わせた。あいつらはあいつらで、宿屋の件になると妙に張り切る。
頭目が、いかにも名案ですって顔で耳をぴんと立てた。
「水竜の子どもがっすね……」
はい来た、と思ったね。
こいつら、前にもやった。愚連隊を追い払う時は地竜の子どもで押し流し、賭場ごと焼こうって火竜案は「焙らないで」で止められた。その流れで、今度は水だ。
「水をばーっとやるっす」
「床も人間も道具も、
全部びしゃびしゃにして」
「悪いのだけ追い出すっす」
言ってることは、前よりまだましに聞こえる。焼くよりはな。
だがレオンは、間を置かずに言った。
「壊さないでください」
頭目が、へにゃっと耳を寝かせた。
「えっ」
「壊れない程度にやるっすよ?」
「水だけっすよ?」
「床板が傷みます。内壁も痛みます。
棚も痛みます。あの建物は壊しません」
きっぱりしていた。
ゴブリンどもはそろってしょんぼりした。頭目なんか、今にも地面へ鼻先をつけそうな勢いである。
「悪人を追い出すだけっす……」
「まだ何もしてないっす……」
「そうでしょうね。
だから今のうちに止めます」
俺は思わず吹きそうになったが、同時に、妙な納得もした。
ああ、やっぱりだ。
火も駄目、水も駄目。敵を痛めつける加減じゃねえ。建物を傷めるのが嫌なんだ。
街道沿いの高台。温泉の近く。村に寄せた位置。そのうえ石積みの二階屋敷。外から来る奴を見張るにも、寄り合いを開くにも、帳場を置くにも、詰所を作るにも、あまりに都合がいい。
村長の家じゃ、いずれ狭い。今はまだどうにかなっても、これから先、村が膨れりゃ、紙も人も荷も、もっと集まる。
そうなった時に要るのは、宿屋の看板じゃねえ。村の顔になる建物だ。
レオンはそれを見ちまった。
だからもう、あの石の屋敷は、あいつの頭の中じゃ半分こっちの物なんだろう。
4.
その日の帰り道、空は鉛みてえに重く、風は乾いていた。遠くに見える宿屋の屋根は、冬の日差しのせいで、やけに白く冷えて見えた。
俺は横を歩くレオンに言った。
「お前、あの屋敷、もう取る気だろ」
レオンはすぐには答えなかった。しばらく黙って、街道と村道の交わるあたりを眺めていた。
「あの建物は、宿屋には過ぎます」
「村で持てば、五十年先まで
使えるでしょう」
やっぱりな。
欲しがってるくせに、言い方はあくまで実務だ。だが、俺には分かる。ああいう声の時のこいつは、もう腹の中で机と帳場の置き場まで割ってる。
寄り合い衆の男は、自分の家が食われて青くなっていた。だが、あいつが本当に惜しんでいたのは土地じゃない。家名と地代だ。倅の馬鹿も、家の恥も、土地にミソがついたって言い換えて、そこから先を他人に押しつけようとした。
浅ましい話だと思う。
だが、浅ましいからこそ、隙ができる。
証文を握る貸金業者。家名だけ助けたい地主。村の金と労を吸い上げる宿屋。全部まとめて腐ってるなら、逆に切る場所は見えやすい。
宿屋の問題は、もう、悪徳な商いを懲らしめて終わる話じゃねえ。
あの場所を誰の手から引き剥がし、何のための建物に変えるか。
そこへ移った。
冬の村で、神殿より目立つ場所に立つ石の二階屋敷を見ながら、俺は少しだけ同情したよ。寄り合い衆の男にじゃない。これから先、あの宿屋を守ってるつもりの連中にだ。
あいつらはたぶん、まだ気づいてねえ。
レオンが本気で欲しがった物は、焼かれもしねえし、流されもしねえ。
綺麗に、使える形のまま、取り上げられる。




