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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第五部

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第54話 遊び人、静まる宿の底を覗く

1.


 俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。


 ……この頃は、その札だけじゃ説明が足りねえ。村の揉め事がどこで音を立て、どこで音もなく人を沈めるかを嗅ぎ分けるほうが、よっぽど腕の見せ所になってきた。


 夏から秋へ向かうあいだ、宿屋はよく儲かった。街道を通る荷馬車、湯を当て込んで来る旅人、工事に群がる日雇い。人が増えりゃ、酒も増える。酒が増えりゃ、喧嘩も増える。


 で、その喧嘩が、とうとう村の我慢を追い越した。


 酒場で刃物を抜く馬鹿がいる。畑を踏み荒らして笑う屑がいる。娘の腕をつかんで、逃げれば怒鳴る手合いもいる。分かりやすく碌でもねえ連中ばかりだ。


 それを聞いたゴブリンどもが、またしても妙な案を持ってきた。


「いっそ、かじらせちゃっても

  いいっすよね?」


 レオンは書き付けから顔を上げた。


「かじらせるのは構いませんが、

  食べさせてはいけません」


「こいつ、歯形くらいは

  平気でつけるっすよ?」


 そこで地竜の子どもが、のそりと顔を上げた。石でも噛んでいたのか、口の端が少し白い。


「……岩はうまい。人間はまずい。

  バカにするな、下級魔族」


 ゴブリンどもがそろって耳を伏せた。


「いや、そういうこと言うっすか……」


「合ってるのが、余計につらいっす……」


 俺は思わず鼻を鳴らした。子どもに格付けされて、まとめてしおれるな。だが、そのへこみ方を見るに、本当に序列はそうなんだろう。


 レオンはため息ひとつで話を進めた。


「露骨な暴力だけです。

  刃物、破壊、脅し、力づく。

  そういうものだけを

  止めてください」


 地竜の子どもはゆっくりと瞬きした。


「噛んでいい馬鹿だけ、噛む」


「そうしてください」


 許可が出た瞬間、ゴブリンどもは妙に張り切った顔になった。どうもこいつら、たまに善意の顔で物騒なことをする。


 まあ、その日のうちに結果は出た。


 宿で刃物を抜いた奴が手首を齧られて泣き、畑を荒らしていた若造が尻を噛まれて逃げ、娘衆のあとをつけ回していた男が、通りの真ん中で派手に転ばされた。


 夜の騒ぎは目に見えて減った。怒鳴り声も、皿の割れる音も、酔って戸を蹴る音も減る。村人どもはようやく息を吐いた。


 だが、俺もレオンも、それで終わるとは思っちゃいなかった。


2.


 露骨な馬鹿が減ると、今度は静かな屑が残る。


 これがまた、質が悪い。


 地竜の子どもには分かるんだろう。殴る、脅す、奪う、そういう手はな。だが、女を囲って泣かせるやり方や、賃金を酒と賭けで吸い上げるやり方や、前借りの縄を首に巻いて逃げ道をなくす手口までは分からねえ。


 あいつの牙で分かる話じゃない。いや、別に馬鹿にしてるわけじゃねえ。実際、あいつは岩のうまさと人間のまずさをきっちり区別してる。だが、帳簿のいやらしさまでは噛めねえってだけだ。


 結果、宿屋の悪事は形を変えた。


 表じゃ静かだ。笑い声もある。殴り合いも減った。遠目に見りゃ、前よりずっとましに見える。


 だが裏じゃ、若い衆が日当をその日のうちに落としていく。酒に流れ、賭場に吸われ、女に巻かれ、翌朝にはまた前借りだ。


 娘が泣いていても、大声にはならねえ。囲われた側が自分で言えば、自分の恥になる。黙っていりゃ、なかったことみたいに扱われる。


 つまり、見える暴力が減ったぶん、見えねえ搾取だけがきれいに沈んだわけだ。


 五人の若い連中を連れて聞き取りに回ったとき、その話をいくつか拾った。


「……なんだよ、それ」


 最初に口を開いたのは、一番威勢の良かった若造だ。顔が引いていた。


「静かになっただけで、

  余計に質が悪くなってるじゃねえか」


 別の一人が、低く吐き捨てる。


「殴られたならまだ騒げる。

  これは騒げねえ」


 残りの連中も、みるみる顔が曇った。げんなり、ってやつだ。そりゃそうだろう。喧嘩の仲裁くらいなら腕で割って入れる。


 だが、泣いた娘が口をつぐみ、若い男が自分から縄を首に掛けに行く形じゃ、どこへ拳を振るえばいいかも分からねえ。


 俺だって、腹の底が冷えた。


 村は静かになった。だが、静かってだけだ。底ではまだ、人が食われてる。


3.


 その日の夕方、五人は宿の裏手から戻ってきても、しばらく誰も口を利かなかった。


 いつもなら下らねえ冗談の一つも飛ぶところだが、今日はない。皆、嫌なものを見ちまった顔をしていた。


 やがて、一人が頭を掻いた。


「……これ、俺らが拾わなきゃ

  誰も拾わねえんじゃねえのか」


 別の奴が、壁に背を預けたまま言う。


「嫌な役だな」


「嫌で済むなら、

  とっくに済んでるだろ」


 五人目が小さく吐いた。拳を握ってる。若いなりに、腹は決まったらしい。


 俺はそいつらを見て、少しだけ息を吐いた。


 喧嘩っ早いだけのガキなら、とっくに投げてる。だが、こいつらは一度げんなりしたあとで、まだ立ってる。そこは拾ってやっていい。


「見える暴力を止めるのは、

  もう済んだ」


 俺は言った。


「次は、見えねえほうだ。

  泣いた奴が泣いたって言えねえなら、

  言わなくても分かる形を

  拾っていくしかねえ」


 五人が顔を上げる。


「前借りの帳面、宿に出入りする顔、

  金が消える流れ、抱え込まれた娘の変化。

  そういうのを見ろ。

  殴るのは最後だ」


「……面倒くせえ」


「だろうな」


「でも、やるんすよね」


「誰がやる」


 そう返すと、誰も文句を言わなかった。


 そこでレオンが来た。相変わらず、紙と数字の顔をしているくせに、今日は少しだけ目つきが硬い。


「初手の腕力は効きました。

  だからこそ、その先が見えます」


 ああ、そうだろうよ。見たくもねえ先がな。


 だが、見えちまった以上、知らん顔はできねえ。


 五人の若造どもも、それは分かったらしい。顔色は悪いままだったが、逃げる顔じゃなくなっていた。


4.


 その夜、またゴブリンが来た。


 嫌な予感しかしねえ訪ね方だった。妙に期待した顔で、戸口のところでもじもじしてやがる。


「火竜の子ども……」


「ありがとう」


 レオンが食い気味に切った。


 ゴブリンが目を丸くする。


「まだ何も言ってないっす」


「聞く必要もありません」


 レオンはきっぱり言った。


「焙る必要もありません」


 俺は吹きそうになった。いや、笑ってる場合じゃねえんだが、その言い方はずるいだろう。


 ゴブリンはしょんぼりした顔で耳を垂らした。


「便利そうだったのに……」


「今回は、焼けば消えるものを

  相手にしているわけではありません」


 その通りだ。


 倉を焼けば、帳簿も燃える。囲いを壊せば、囲われた側まで傷つく。火力を上げたところで、静かな搾取は煙になって逃げるだけだ。


 むしろ厄介なのはここからだった。


 宿は静かだ。静かだからこそ、村人の口も割れる。「最近はましになった」と言う奴もいれば、「静かになっただけだ」と怒る奴もいる。どっちも嘘じゃない。


 見える悪は減った。だが、見えねえ悪が、前より上手くなっただけだ。


 戸の外では、もう秋の風が鳴っていた。畑は収穫へ向かい、村は冬支度を考え始める。そんな季節に、人の借りと恥は、ますます口に出しにくくなる。


 面倒は続く。しかも前より汚い形でだ。


 俺は壁にもたれ、長く息を吐いた。


 ――喧嘩なら、まだ楽だったな。


 殴る相手が見えるだけ、ずっと親切だった。


 だが、もう見ちまった。静かな顔で人を食うやり方を、俺たちは知っちまった。


 なら、そこまで潜るしかねえ。


 遊び人だの、自警団だの、そんな札の話じゃなくなってきてるが、まあいい。名札が何であれ、底に沈んだものを拾う手は要る。


 冬が来る前に、宿の底を一度さらう。


 たぶん、次に臭うのはそこだ。

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