第51話 遊び人、治安役の泥を被る
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。
……この頃は、その札だけじゃ説明が足りねえ。村の空気がどこで濁るかを嗅いで、誰がその濁りをかぶるかまで見ておくのが、半ば仕事みてえになってきた。
六月も終わり、朝の風にもう夏の熱が混じり始めていた。宿の前を通る荷車は増え、酒場の戸は昼から何度も鳴る。人が増えるってのは、つまり、金と声と揉め事が一緒に増えるってことだ。
このところ、小さな騒ぎが続いていた。
宿で客同士が酒の勢いで殴り合う。夜道で流れ者が倉の戸に手を掛ける。行商人どもが荷の置き場で睨み合う。どれも大ごとじゃねえ。だが、放っておいていい種類でもない。
村の連中も、その重さ自体は分かっている。分かってるが、分かったからって急に手が生えるわけじゃねえ。
エルン村は、顔見知りの間で回るように出来てきた村だ。誰がどこの誰か、親が誰で、気心がどうか。そういうもので済ませてきた。
敵じゃねえが、身内でもねえ。そういうよそ者が出入りし続ける前提の仕組みなんざ、最初からねえ。
その朝、俺とレオンは村長の家へ向かった。寄り合いだ。話の筋はもう見えていた。
村長が言った。老いた自分の父親に代わって、寄り合い衆の席を埋めてくれと。法と治安の印綬も渡した。村のために、頼むと。
レオンは何日か考えた。エレノアちゃんとも話し、俺にもぼそぼそ相談してきた。断る理屈はいくらでも立つ。だが、あいつは結局、村長の想いを無碍にはできねえと決めたらしい。
広間へ入ると、寄り合い衆どもが並んでいた。いつもの顔ぶれだ。だが視線だけが違う。歓迎でも警戒でもねえ。
何と言やいいか――末席に加えてやる、そう言わんばかりの面だ。
俺はその時点で、少し鼻白んだ。
レオンはいつもの穏やかな顔で、一人一人に頭を下げていたがな。
2.
村長が杖を鳴らし、話を始めた。
「さて、今日は二つじゃ。
まず一つ。レオン殿を、寄り合い衆に
加える件について」
異論らしい異論は出なかった。満場一致。あまりにあっさりしていて、俺は逆に嫌な感じがしたね。揉める価値もねえ、使えるなら使う、そういう通し方だったからだ。
レオンはにこやかに頭を下げ、それから一瞬だけ村長を見た。
村長も見返す。その顔にあったのは、微妙な申し訳なさと、任せたぞという信頼だった。
……ずるい顔だと思った。
善人のまま、重いものを渡す顔でもあったからだ。
就任が済むと、村長は息をついて広間を見渡した。
「で、本題じゃ。
村では近ごろ、宿の客同士の喧嘩、
夜歩きの流れ者による盗み未遂、
商人同士の荷の置き場をめぐる口論……
小さな騒ぎが続いておる。
どう解決するか、皆で協議したい」
場に、重たい沈黙が落ちた。
寄り合い衆どもも、事態のまずさは分かっている。だが、だからって妙案が出るわけでもねえ。見回りを増やすにしても人手が足りない。揉め事の裁定にしても、よそ者相手の筋がない。
誰が金を出す、誰が責任を負う、そこへ話が進んだ途端、皆の口が鈍る。
「村に金の余裕はねえ」
「若い衆は畑もある」
「番を置けば置いたで、今度は
その者の飯を誰が見る」
言ってることは、全部その通りだ。だから余計に始末が悪い。
村の器に対して、問題の増え方が早すぎるのだ。
ため息が、広間の隅にまで薄く溜まっていく。その空気の先で、何人かの視線が、するりとレオンへ滑った。
ああ、来るな、と思ったときにはもう遅い。
「外から客を呼び込むきっかけを作り、
人を使い、金を回してきたのは
お前さんだ」
年寄りの一人が、咳払いのあとで言った。
「そこで増えた問題の始末も、
まずはお前さんが引き受けるべきでは
ないか?」
半ばすがるようで、半ば厄介払いみてえな目だった。
3.
そこから先は早かった。
いや、早すぎたと言ってもいい。
若い衆を募って自警団を整える。当座の取りまとめは、法と治安の役を継いだレオンが担う。それが村のためだ――そんな調子で話がまとまっていく。
まとまる、ってのは聞こえがいいな。実際には、差し出されるのは責任ばかりだった。十分な資金はねえ。人員を優先して回す約束もねえ。裁量も曖昧。決めろ、動け、責めは負え。だが、好きにはやるな。そういう話だ。
受けりゃ便利屋。断りゃ冷や飯食い。
防いでも得るものは薄く、失敗すりゃ文句だけは浴びる。
俺は奥歯を噛んだ。
何人かは、露骨にほっとした顔をしていた。やっかいな泥を、誰かの背中へ塗りつけて済ませた顔だ。
村長は止めなかった。止められなかったのかもしれねえ。だが、その違いは、押しつけられる側にとっちゃ大差ない。
俺は横でレオンを見た。
さすがに不快そうに眉くらいひそめるかと思ったが、こいつは妙に静かだった。反論を飲み込んだというより、最初からどこか計算の内に入れていたみてえな顔で、話を聞いてやがる。
「承知しました」
最後にそう言って、頭を下げた。
「引き受けます」
広間の空気が少しだけ軽くなる。まるで荷車から荷を一つ下ろしたみたいに。
……ふざけるな、と思ったね。
誰もが困ってるのは本当だ。悪意だけで回ってる話じゃねえ。それでも、都合のいい引き受け手が現れた途端に、その本当を全部そいつへ預けるのは、別の醜さだ。
寄り合いが終わって外へ出るころには、日が少し傾き始めていた。村長の家の前の土が、乾いた色に光っている。
俺はもう、黙ってられなかった。
4.
「体のいい泥除けじゃねえか」
帰り道でそう吐き捨てると、レオンは歩幅も変えずに答えた。
「仕事を預かった。
こなさなければなりません」
「預かった、ねえ」
俺は鼻を鳴らした。
「押しつけられた、の間違いだろ。
金も人も権限も足りねえ。
防げば当たり前、しくじりゃお前のせい。
割に合わねえにもほどがある」
レオンは少しだけ黙った。それから、ほんのわずかに口角を上げた。
「損は承知の上です。
ディオンさん、言ったじゃないですか」
何のことかと思った次の瞬間、あいつは妙に落ち着いた声で、俺の口真似をしやがった。
「受け取ったやつは礼を言う。
助かったとも思う。
その先で、困った時には
お前の顔を思い出す」
……確かに言った。あいつが夏至祭で麻袋を配ったときだ。祝儀だけじゃきかなくなるぞってな。
だが、まさかこんな形で返してくるとは思わねえ。
俺は眉間にしわを寄せたまま、横目であいつを見た。
「お前、村の領主にでもなるつもりか」
レオンはすぐには笑わなかった。少し考えるように前を見て、それから穏やかに言った。
「領主にはなりませんよ。
でも、村の人たちの生活が
より良い方向に進むなら……
進めやすい方が楽でしょう?」
さらりと言いやがる。
権威が欲しい、支配したい、そういう顔じゃねえ。本気で、暮らしを回しやすくしたいと思ってるだけなんだろう。
だがな、そういう顔で、責任の流れと人の借りを自分へ集める発想をするやつを、何て呼ぶかは決まってる。
俺は小さく鼻を鳴らした。
夏へ向かう道の先で、宿の屋根が見える。戸口には知らねえ荷車が止まり、どこぞの馬が尻尾を振っていた。便利になるほど、人は来る。人が来るほど、揉める。揉めるほど、誰かがその形を決めるようになる。
それでも進むと決めた男が、隣を歩いていた。
――それを、領主って言うんだよ、書記野郎。




