第45話 遊び人、家と働き手の勘定を合わせる
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。……この頃は、その札だけじゃ説明が足りねえ。
村の揉め事がどこで芽を出すかを嗅いで、芽のうちに踏むか、花が咲くまで見物するかを決めるほうが、よっぽど生業らしくなってきた。
六月の頭。朝の空気はもう春ってより初夏で、戸が開く音も水桶の鳴る音も、冬のころより軽い。だが、レオンの背中だけは妙に固かった。
昨夜、こいつは帳面を閉じたあと、淡々と言った。
「明日、依頼書を出してきます」
嫌な言い方だった。紙の上で筋を通し終えたときの声だ。そういうときのこいつは、だいたい誰かの神経を逆撫でする。
案の定、受付の中年女は依頼書を見た途端、口角を上げやがった。
「毎度」
軽口みてえに言ってから、紙をのぞき込み、片眉を上げる。
「あんた……」
それから俺の顔を見て、鼻を鳴らした。
「ディオン、あたしゃ言ったよね。
この兄さん、前々から
おかしいんじゃないかって。
……ひと月たたないうちに、
一周回ってまともになっちまった
ようだね」
俺は肩をすくめるしかねえ。前よりは村の流儀を見てる。だが、穏当にやる気になったわけじゃねえ。
依頼書には、こう書いてあった。
――戸主でない者への報酬は、未婚なら三割、既婚でも戸を別に立てていない者は二割を、戸主へ払う。
……また、きっちり紙にしやがった。
昼飯どきには、若い衆も娘衆も酒場の掲示前でざわつき始めた。そりゃそうだ。金が動く話ってのは、腹に近い。
何人かがそのまま、酒場の奥で椅子に座ってるレオンの前まで詰め寄った。
「何で家に入れるんですか」
「俺らが働いたぶんでしょう」
文句としては筋が通ってる。レオンは逃げなかった。椅子に座ったまま、上目遣いで言いやがる。
「実家で食べて、実家で寝る。
皆さんの中で、実家にお金を
払っている人はおられますか?」
しんとした。誰も手を挙げねえ。代わりに、小さな声が重なる。
「そんなの、手伝いしたり……」
「お互い様だろ……」
レオンはそこで、もう一つ重ねた。
「既婚でも、戸を別に立てていないなら、
その家の手間で暮らしていることに
変わりはありません」
さらにこいつは畳みかけやがった。
「僕がお願いした仕事の報酬、
幾分かを実家に入れた人は
おられますか?」
おずおずと、若い男が二人だけ手を挙げる。
「なんか、手伝い量が減って
申し訳ないしよ」
「うちの母ちゃん、
苦労してるから」
レオンは頷いた。
「ひとつの家を保つには、
寝床も、食べ物も、薪も、水も要る。
その間、皆さんが家の仕事を
手伝えないなら、そのぶんは
お金で埋めてもらいたい。
僕も一家の戸主ですから、
そう思ったわけです」
若い衆も娘衆も、すぐに納得した顔はしなかった。だが言い返す言葉も見つからなかったらしい。どことなく憮然とした顔で頭を下げ、酒場を出ていった。
夕方には、そのやり取りが村じゅうへ広まっていた。年寄り衆も戸主連中も、「やっとものの道理が分かったか」みてえな顔でレオンを見てやがる。
当の本人はどこ吹く風だ。裏庭で「洗う塊」の改良に頭を突っ込み、手を真っ黒にしていた。
……まったく、いちいち腹の据わり方が気に食わねえ。
2.
四日後。報酬の支払いは、いつものように酒場でやった。
革袋を受け取った若い衆が、中を見て固まる。
「……多くないっすか?」
レオンは涼しい顔で答えた。
「今回は働きぶりがよかったので、
上乗せしました。
働きに応じて払う。
当たり前の話でしょう」
「今回、は?」
「毎回とは限りません。
出来を見ます」
そこで初めて、連中の顔つきが変わった。戸主に入る分を差し引かれてなお、手元に残る額が思ったより多い。娘衆が顔を見合わせ、事情を悟ったように深々と頭を下げる。
「ああ……そういうことか」
「家にも入るし、こっちにも残るのか」
若い衆どもは露骨に顔をほころばせた。分かりやすくて助かる。
一番最後に革袋を受け取った若い男が、しみじみ言った。
「ありがとうございます、レオンさん。
母ちゃんに……精のつく食べ物、
買って帰ります」
レオンは困ったように笑って頷いた。
俺は横で、笑う気にもなれなかった。
あざといんだよ、この書記野郎。
三割を戸主に入れさせるだけなら、腹に引っかかりが残る。だが、自分の手元にも前より残ると分かれば、人は「取られた」とは思わねえ。「回った」と受け取る。
しかも、その話を俺にすら黙ってやがった。先に言やあありがたみが薄れる。続くもんだと勝手に思われる。だから支払う段になって初めて見せる。
しかも「働きに応じて」だ。
そんな言い方をされたら、次に張り合いが違ってくるに決まってる。家の顔も立てる。働き手の腹も立てねえ。落としどころとしては、たしかに悪くない。
酒場の隅では、戸主連中が腕を組み、若いのは革袋を握りしめ、娘衆は帰り足まで軽くしている。四日前とは、面構えが違って見えた。
正しさだけじゃ人は動かねえ。だが、正しさにちょいと得を混ぜれば、だいたい動く。
こいつはようやく、その辺の塩梅を覚えやがったらしい。
3.
その夜、台所では別の火種がくすぶっていた。
レオンが帳簿を睨みながら、ため息を連発してるのだ。
「格好つけ過ぎたかな……。
原価率が跳ねちゃった。
どうしよう」
昼間の涼しい顔はどこへやった。青白い顔で帳面をめくる様子は、いっそ哀れなくらいだ。
俺はエレノアちゃんに目配せしてから、向かいへ腰を下ろした。
「おい二枚目。何泡食ってんだ」
レオンは顔を上げる。
「労賃を上げ過ぎました。
原価率を上げ過ぎると、
次の投資にお金が回らない」
俺は鼻を鳴らした。
「お前さん、勘定の目は細けえが、
見渡しはまだ甘いな」
きょとんとした顔をしやがる。
「お前さんは、ぎっちり
『次の投資』に金を回した。
道具じゃねえ。人だ。地元だ。
総スカン食う商売は長続きしねえ。
いい落としどころに
持っていったと思ったけどな」
レオンは黙って聞いている。そこで俺は、帳面の上の話もしてやった。
「それに、今すぐ首が締まる額でも
ねえだろ。紙は回る、鍋も回る。
豆も控えてる。
足りねえ分は、売れるところから
先に回しゃいい。
今回の上振れくらいなら、
十分しのげる」
こいつは、ようやく少し肩の力を抜いた。だが、まだ不安顔は消えねえ。
「ですが、足元の資金が
かつかつってのも不安で」
そこで俺は肩をすくめてやった。
「前に自分で言ったろ。
家計は女に任せる方が
うまくいく、ってな。
相談相手は……俺じゃねえ」
4.
そこで、エレノアちゃんが口角を上げた。
無言で帳簿を引き寄せ、ぱらりと何枚かめくる。その手つきは落ち着いていて、妙に腹が据わっていた。数字を見るより先に、目の前で青ざめてる亭主の顔色を見ている。
「もっと頼って良いのよ」
ただそれだけだ。だが、あの娘が言うと妙に効く。
レオンは一瞬だけ目を丸くした。それから、肩から力が抜けたみてえに息を吐く。
「……さすが、うちの奥さん」
うちの奥さん、だとよ。
帳面を挟んで座ってるくせに、いつの間にか話の着地点がそこになってやがる。家計の相談ってのは、帳面でやるもんだろうが。
エレノアちゃんは少しだけ笑う。レオンもつられて笑う。帳簿はちゃんと卓の上にある。火の気もねえ。節度も守ってる。
……なのに、空気だけがもう相談じゃねえ。
俺は椅子を引いて立ち上がった。
「……うるせえな」
レオンが顔を上げる。
「何がです?」
「帳面だよ、帳面」
そう言ってやったが、あいつが分かってねえ顔をしたのは言うまでもない。
分からなくていい。分かったら分かったで、余計に腹が立つ。
俺は台所を出ながら、小さく鼻を鳴らした。
落としどころに値札を打つ。家にも働き手にも顔を立てる。足りねえ分は、先で埋める。筋としては悪くねえ。
……ただし最後だけは別だ。
家計の相談まで、いちいち夫婦の空気で締めるんじゃねえよ。まったく。うるせえんだ、その静けさが。




