第44話 村長、揉める村の治め方を教える
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。
五月の終わり、村の空気は、見た目ほど穏やかじゃなかった。
畑は青くなり、水車は回り、紙も石鹸も形になった。よそから見りゃ、レオンの手はずいぶん上手く回っているように見えるだろう。
だが、村ってやつは、物が増えりゃそれで機嫌が良くなるほど単純じゃねえ。
若い衆は賃仕事を覚え、娘衆も帳面と引き換えに手間賃を受け取るようになった。家の仕事より先に、銭になる仕事へ行く足が早くなる。親は面白くねえし、古株はもっと面白くねえ。
しかも紙だ。
あれは便利だが、便利なぶんだけ、曖昧にしておきてえことまで形にしてしまう。誰が何を受け取り、誰がどれだけ払われ、誰が何日働いたか。口先で丸められた話が、紙の上では丸まらねえ。
月末の寄り合いは、夏至祭の取りまとめという名目で開かれた。
だが、始まってみりゃ案の定だ。
祭りの話なんざ、最初のひと巡りで終わった。
そのあとは、積もっていた不満が、順番もなく机へ叩きつけられた。
「若いのが浮ついておる」
「家の仕事が回らん」
「紙だの石鹸だの、面倒ばかり増えた」
「何でもかんでも帳面に付ければ
いいってもんじゃなかろう」
レオンは一つずつ受けて立った。
誰にどれだけの賃を払ったか。どの手間がどれだけ減ったか。紙の帳面があることで、後から揉めずに済むこと。石鹸を作ることで布も体も傷みにくくなること。
筋道は立っている。数字もある。話としては間違っていない。
だが、寄り合い衆は攻め手を緩めねえ。
そりゃそうだ。
あいつらが言っているのは、損得の話だけじゃない。家の中の序列だの、親の顔の立ち方だの、言葉にしづらい継ぎ目の話だ。
レオンのほうも間違っちゃいねえ。
だが、全部を見渡しているわけでもねえ。
寄り合い衆もそうだ。
そして、そんなことを知ったような顔で見ている俺も、たぶん例外じゃなかった。
どっちも正しい。
どっちも足りねえ。
そういう場に座っていると、自分まで少しばかり利口になった気がして、嫌になる。
2.
そのとき、村長が立ち上がった。
この頃、もう杖は突いていない。前より少し痩せて見えるが、立ち姿には妙な揺らぎがねえ。静かなのに、場の空気だけは確かに変わる。
村長は首をかしげるみてえにして、寄り合い衆を見回した。
「ちょっと聞きたいんじゃがの」
返事はない。
あるのは、何だと言わんばかりの顔だけだ。黙っていても分かる。さっきまでレオンへ向けていた苛立ちを、そのまま年下へ向ける時の顔だ。
村長は気にした様子もなく続けた。
「レオンは手順を踏んで、
ギルドで人手を贖った。で、
ヤギや牛を貸した家は、
いくらもろうたんじゃ?」
そこで、場が止まった。
誰もすぐには口を開かねえ。
村長は、思い出すように天井のあたりを見てから言った。
「たしか……牛一日の貸し出しで
二スクルト、ヤギは半スクルト、
じゃな?」
俺は思わずレオンの横顔を見た。
あいつも、さすがに唖然としていたが、すぐ小さく頷いた。
「はい。その通りです」
「人手が足らん、そりゃそうじゃ。
しかし、ヤギはともかく、
牛を貸したことで誰一人
文句を言わん。
おかしなことじゃの」
村長の声は穏やかだ。
怒鳴りもせず、責め立てもせず、ただ首をひねって見せるだけだ。
だから余計に、逃げ道がねえ。
「草まで食わせてもろうて、
金も受け取っておる。
……まあ、不思議じゃ、
そう思うただけじゃ」
無言が広がる。
痛いところを突かれた時の沈黙ってのは、すぐ分かる。
人手は共同のものとして責める。だが牛には値が付き、ヤギにも値が付き、それを受け取るぶんには誰も共同体を持ち出さねえ。
その使い分けを、村長は一撃で机の上へ出してみせた。
レオンが言えば角が立つ。
俺が言えば喧嘩になる。
だが村長が言うと、言い逃れしにくい。
この人は、そういう順番を知っている。
3.
村長はそこで終わらなかった。
「若い衆と娘衆の浮つきなど、
昔からあったことじゃて。
ほれ、ワシの記憶では――」
「そ、それは今、
関わりのない話でしてな」
寄り合い衆が慌てて止めに入る。
図星だったんだろう。自分らにも若い頃があったことを、よりにもよって村長に掘り返されちゃたまらねえ。
村長は、ふむ、とだけ言って、少し笑った。
「二日三日、賃仕事を任されて、
村の若いのが堕落するような
子育てじゃったかの?」
その一言で、また黙る。
痛いところばかり選んで踏んでいくのに、声色はどこまでも穏やかだ。ああいうのが一番怖え。
そして村長は、まるで他人事みてえに続けた。
「まあ、ワシは生まれてこの方四十五年、
娶らず、女も知らず、ひたすら
記憶ばかりを手繰っておった。
実地が伴っておらんから、
えらそうなことは言えんがの」
俺は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
四十五年。
その数字が、やけに遅れて胸へ落ちてきた。
もっと上だと思っていた。いや、年寄りだと思っていたわけじゃねえ。だが村長って立場と、あの顔の皺と、延々と積み上がった仕事ぶりのせいで、勝手にもっと遠い年齢を想像していた。
四十五であの顔になるまで、どれだけ休まず村の記憶を背負ってきたのか。
そう思うと、妙に息が詰まった。
横のレオンは、表情を変えなかった。
あいつは知っていたんだろう。そりゃそうだ。村の記録を漁る虫が、そこを見落とすはずがねえ。
村長はそこで、机の端へ置かれていた手控えへ目をやった。
「皆の衆、よほど紙の使い勝手が
良いように見えるな。
手控えを読み上げながら、
紙は面倒と言うておる」
誰も笑わねえ。
笑えねえだけだ。
自分で書いたものじゃなくても、誰かがまとめた手控えがあるから順番に文句を言えている。紙の世話になりながら紙を責める。そういう具合の悪さまで、村長は見逃さなかった。
4.
それから村長は、淡々と言った。
「神代の昔、人は女神から火を与えられ、
小麦を施され、そして牛馬を養う
すべを教えられた。
人は、様々な知恵を培う。
昔のままではありえん」
一拍置いて、村長は寄り合い衆を見た。
「ただし、共に生きる村に、
軋轢を生むのが良いとも思えんがな。
ひろく、順序だてて、話し合う。
それをおろそかにすると、
何事も進まん。人とは、
かくも面倒な生き物じゃて」
その言葉には、レオンを庇う響きも、寄り合い衆を責める響きも、どちらもあった。
いや、どちらにも片寄りすぎないよう、きっちり測って置かれていた。
だから誰も言い返せねえ。
便利は止まらねえ。
昔のままでもいられねえ。
だが、正しけりゃ押し通していいわけでもねえ。
村ってのは、そういう面倒でできている。
村長は穏やかに微笑むと、自分で扉を開いた。
寄り合い衆は、神妙な顔で、だが腹の底までは収まっていない足取りで、ひとりずつ家を出ていく。
全員が去ったあと、部屋には妙な静けさが残った。
レオンが一礼して、村長の家を出ようとした。
その背へ、村長が言った。
「治める術を、学びなされ」
レオンは足を止めた。
返事はすぐには出なかった。
あいつにしては珍しく、少しだけ間があった。
「……はい」
短くそう答えて、頭を下げる。
俺はその横顔を見ながら思った。
たぶん、レオンはここまで、正しい手順を覚えてきたんだろう。損を減らす手順。飢えを減らす手順。人を動かす手順。帳面を付け、数字を積み、先の手を打つ手順。
だが、治めるってのは別だ。
人の顔を立て、不満を飲み込みきれねえ連中にも席を与え、正しさだけじゃ動かねえものを、それでも前へ引っ張っていく。
そっちは、数字だけじゃどうにもならねえ。
面倒で、遅くて、骨が折れる。
なるほど、と俺は心の中でだけ呟いた。
あいつが今まで覚えてきたのが村を回す術なら、今、村長が投げたのは、村を治める術ってやつだ。
そして、たぶん一番厄介なのは、こっちのほうだ。




