第40話 遊び人、賃仕事が家を薄めると知る
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。
……この頃は、春先の村で何がカネになり、何が揉め事になるかを先に嗅ぎつけるほうが、よっぽど腕の見せ所らしい。
製紙工房の立上げが追い込みに入って、レオンは朝から晩まで板だの水だの灰汁だの、そんな話ばかりしていた。
水車をどこへ置くか、叩き場をどう組むか、臭いをどこまで抑えられるか。考えることは山ほどある。だから人手の面接まで自分で抱えきれなくなった。
そこで三日ぶんほど、放牧地の差配をリラに任せた。俺はその時点で、嫌な予感しかしなかったね。
「条件は簡単です」
レオンは手元の紙を見ながら言った。
「ヤギに慣れていて、元気で、
若いの。男でも女でもいいです」
俺は鼻を鳴らした。
「お前な。春の村で若いのをまとめて
草地へ放るってのが、どういう意味か
分かって言ってるのか」
だがレオンは、もう別の段取りへ頭が行っていた。柵の高さだの、紙漉き枠の数だの、そういう話だ。
こいつはいつもそうだ。数と手順はきっちり見るくせに、その中へ入る人間の浮き沈みを、部材の一つみてえに軽く見る。
もっとも、条件が雑でも、カネは正直だ。
三日目にもなると、最初は酒場の隅で様子を見ていた若い衆や娘衆まで応募し始めた。実際に働いたやつが銀貨を受け取り、踏み倒しも値切りもねえと知れたからだろう。
ギルド通しの賃仕事は、村の曖昧な手伝いより、ずっと分かりやすい。
春の人手に、値札がつく。
それ自体はもう始まっていた。何が動き出すか、まだ見えてねえのはレオンだけだった。
2.
案の定、草地じゃヤギより先に人間の方が落ち着きをなくした。
リスやウサギがちょろちょろ走る。ヤギはそれにつられて端から端へ散る。見張りにつけた若い衆と娘衆は、最初こそ獣を追っていたが、そのうち互いの顔を見るほうが忙しくなったらしい。
草の陰で笑い声がして、別の方角では畑の芽が食われる。聞き飽きた騒ぎだ。
放牧地へ駆けつけたレオンは、畑の縁を荒らされた跡を見て、こめかみを押さえた。
「何をやってるんですか……」
怒鳴りかけたところで、俺が先に言ってやる。
「雇い主だって同じことしてるから
怒れねえよな、な?」
リスやウサギに目をやって、そのまま隣の女に気を取られる。そんな真似を、こいつ自身が前にやってる。だから口を開きかけたまま、見事に黙った。実にいい顔だったね。
そこでレオンは、苦し紛れに監督役を一人立てると言い出した。だが、その監督に回した若い男まで、しばらくすると娘衆の一人と草陰へ消えやがる。
もう笑うしかねえ。リラが悪いわけじゃない。集まった若いのが特別だらしねえわけでもない。置き方が悪いんだ。
若い男女を、人目の薄い草地へやる。単調な見張りをさせる。春先で、身体は勝手に浮ついてる。そこへ「監督」の札だけ一枚足せば締まると思う。
阿呆な話だ。
人を増やしたんじゃねえ。崩れる条件を一つも潰さないまま、役目の名前だけ増やしただけだ。次は見張りの見張りでも立てるか?
レオンはようやく、そこへ気づいたらしかった。怒るでもなく、ただ食われた芽と散ったヤギを見比べて、苦い顔をしている。
「……設計のやり方、か」
俺は肩をすくめた。
「今さら気づいたのかよ」
3.
その馬鹿騒ぎのあと、村に残ったのは妙な活気だった。
賃金がきっちり払われると知れてから、若い連中の目の色が少し変わった。酒場では、働き上がりの若い衆が景気よく木杯を掲げる。
「飲め飲め。今日は俺のおごりだ」
前なら親の顔色をうかがっていたような小僧が、自分の稼ぎで卓を囲ませている。声もでかい。笑い方もでかい。ああいうのは、腹が満ちたってだけじゃ出ねえ。自分のカネで場を回せると思い始めた顔だ。
娘衆の方も同じだった。道具屋の棚の前で、髪紐や留め金、革の細い飾りを手に取っては、値を聞き、自分で払う。塩でも針でもねえ。家のための買い物じゃなく、自分のためのものを選んでいる。
どれも小さな品だ。だが、小さいからこそ効く。
自分で稼いだカネを、自分で使う。
それだけで、人は家の中の一部品じゃなくなる。家の手伝いと賃仕事を並べて、どちらへ身体を向けるか、自分で量り始める。
まだ露骨な反抗じゃねえ。だが、返事の間や、足の向きや、目の色が、もう前と少し違う。呼ばれてもすぐには立たず、木杯を飲み干してから振り向くような、そんな違いだ。
レオンは人手が増えたとしか見ていなかった。工房を回すための手が揃う。柵が立つ。見張り台もできる。帳面の上じゃ、それで正しい。
だが村ってのは、帳面どおりにゃ動かねえ。
カネは腹を満たすだけじゃない。若いのに、自分の勘定を持たせる。家の声とは別の秤を、一つ胸の内へ差し込む。
そういう変わり方は、最初はだいたい、酒場の奢りや娘の買い物みてえな、どうでもいい顔をして現れるもんだ。
4.
夕刻、酒場の外れで、親世代のぼやきが耳に入った。
「この頃、うちの息子が返事ばっかり
良くて、ちっとも言うことを聞かねえ」
「前は呼べばすぐ来たのに、
今は『あとで』だよ」
「娘も髪紐なんぞ欲しがるように
なってねえ。誰に見せる気だか」
口ぶりは笑い話みてえだ。真正面から怒鳴りつけるほどじゃない。
稼げるようになったこと自体は、たぶん少し誇らしくもあるんだろう。だが、その誇らしさの底に、面白くなさと不安がきれいに混じっていた。
そりゃそうだ。
家の一声で動いていた若いのが、自分のカネで杯を買い、自分のカネで飾りを選ぶようになったんだ。
家の仕事と賃仕事を比べ、親の小言と自分の懐を比べる。まだ家を飛び出すわけじゃねえ。だが、前みてえには曲がらない。
俺は杯を傾けるふりをしながら、その愚痴を聞いた。
やっぱりな、と思う。
レオンは今日、放牧地の失敗を「設計のまずさ」として覚えるだろう。人の置き方。監督の立て方。崩れる条件の潰し方。たしかにそれも大事だ。
だが、本当に面倒なのはその先だ。
カネは人手を集めるだけじゃない。家の中にあった力の並びまで、少しずつ動かす。手伝い、義理、顔色、そういう曖昧なもんで回っていた村へ、別の秤を持ち込む。
便利になる前に、まず空気が軋む。
酒場の中では、若い衆がまだ威勢よく笑っている。道具屋の前では、娘衆が飾り紐を指で弾いている。外では親世代が、笑い話みてえな顔で困った困ったとこぼしている。
春はまだ浅い。
なのに村の中じゃ、もう前と同じ声の届き方をしなくなっていた。




