表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第四部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/42

第41話 遊び人、紙の行方に村の明日を見る

1.


 俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。


 春播きのやり直しは、結局、見た目ほどきれいには収まらなかった。


 川向こうの春播き畑へ播いた分のうち、三分の一が芽のうちにヤギに食われた。


 牧童も見張りも選び直したが、一度崩れた手順ってやつは、そう簡単に元へ戻らねえ。見張りの穴はまた探されるし、目を離せばまた入り込まれる。


 しかも、面倒は春播き畑だけじゃなかった。


 あの休耕地はいつの間にか、若い衆や娘衆にとって、親の目を盗める場所になっていた。


 川音で声が紛れる。少し歩けば人目が切れる。草の丈も、身を寄せるにはちょうどいい。働き手の選定をやり直したところで、土地そのものの意味が変わっちまったなら、話は別だ。


 川のこちら側のエルン村じゃ、まだそこまで広まっちゃいねえ。だが時間の問題だろう。


 俺は朝の見回りのあと、数字を書き付けているレオンに言った。


「野放しはやめておけ。

  芽が食われたこともそうだが、

  それより、お前が村を

  緩めてるように見られるぞ」


 レオンは筆を止めて、紙の上へ視線を落としたまま頷いた。


「……はい。たぶん、その通りです」


 素直すぎて、少し気味が悪い返事だった。


 だがまあ、ここまで何度も俺に説教されてりゃ、さすがに気づく。村ってのは損が出たから怒るんじゃねえ。締めるべきところが締まっていないと、誰が形を守るんだという不安でざわつく。


 レオンも、それを何となくは飲み込んでいるんだろう。飲み込んだうえで、止まらねえだけだ。


2.


 その日の昼前、上掛け水車がようやく仕上がった。


 高いところから落ちた水が輪を噛み、軸が回る。叩き場に伝わる音は乾いていて、妙に景気がいい。


 工房の連中も、最初は半信半疑だったくせに、漉き上がった紙が束になっていくのを見た頃には、あからさまに顔つきが変わっていた。


 紙が、ようやく量で見えるようになったのだ。


 レオンは出来たばかりの紙を一枚取り、その場で計算を書き始めた。灰汁、ぼろ布、人足賃、水車の補修、乾燥場の手間。数字を一通り追ってから、あいつは静かに言った。


「同じ大きさの羊皮紙一枚を買う金額で、

  紙八十枚を作れます。

  ……春播きの失敗、補えそうです」


 その言い方で分かる。


 こいつにとって紙は、もう珍しさでも見栄でもねえ。失敗を埋める手立てで、次の手を打つための足場だ。


 その足で寄り合いへ出ると、レオンは紙の使い道として二つの帳面を開いて見せた。ひとつは労賃支払い帳簿。誰に、いつ、いくら払ったかを残す帳面。もうひとつは種の出納帳。誰がどれだけ受け取り、どれだけ残っているかを書き付ける帳面だ。


 寄り合い衆の顔が、揃って渋くなる。


「覚えておけばいいことを、

  なぜ記録に残すのかね」


 そう聞いた爺は、知恵を借りたいわけじゃねえ。余計なことをするな、と柔らかく言っているだけだ。


 俺には分かる。


 こいつらが嫌がっているのは紙そのものじゃない。曖昧にしておきたいものまで、他人の目に触れる形で残ることだ。


 忘れたふり。聞いていないふり。多く払った少なく払ったの押し引き。種を誰が持ち出したかのうやむや。そういう村の継ぎ目を、紙はきれいに見えるようにしてしまう。


 レオンも、そこはたぶん分かっている。


 だが、気にしない。


 いや、気にしないようにしている、のほうが近いかもしれねえ。


3.


 それでもレオンは顔色ひとつ変えずに話を進めた。


「まずは使ってみてください」


 そう言って、村長と寄り合い衆に紙を五十枚ずつ配る。そして穏やかに続けた。


「書き損じの紙五十枚を、

  新しい紙一枚と交換します」


 使い損ねた紙を捨てさせず回収したいんだろうし、失敗しても惜しくないと思わせたいんだろう。理屈は通っている。


 だが寄り合い衆の興味は、すぐ別のほうへ向いた。


 販売に協力して得る利を、それとなく探り始めたのだ。


 レオンは穏やかな顔のまま言った。


「私がみなさんに卸す値の、

  百分の五をお支払いします。

  その先、いくらで売るかは

  お任せします」


 元商団長の爺が、そこで身を乗り出した。


「一万枚売れば……

  七十スクルトくれるのか」


「はい」


 それで場の空気が変わった。


 さっきまで紙を嫌がっていた連中が、今度は頭の中でそろばんを弾き始める。人間ってのは分かりやすい。慣習に刺さる話でも、利の形が見えりゃ手を伸ばす。


 寄り合いの帰り道、俺は横を歩くレオンに言った。


「お前、嫌われるぞ」


 あいつは苦笑いみてえに鼻を鳴らした。


「そうでしょうね」


「帳面は人の逃げ道を潰す。

  しかも、利で人を動かすとなれば、

  なおさらだ」


 レオンは少し黙ってから、前を向いたまま言った。


「僕も、村の情緒を壊してるのは、

  何となくわかってます」


 その声は、開き直りとも悔恨ともつかねえ、妙に乾いた声だった。


「でも、まずは食べていけないと。

  少し余裕のある暮らしを、

  先に作りたいんですよ」


 俺は返す言葉を探しかけて、やめた。


 それを言われると厄介だ。


 村の空気を守れ、と説教するのは簡単だ。だが、腹が減らねえ暮らしより先かと問われりゃ、そうは言い切れねえ。


 分かったうえで進むなら、なおさら始末が悪い。


4.


 ギルドで雇った連中へ労賃を払うため、俺たちは酒場に立ち寄った。


 卓のひとつで、村長と道具屋の店員が向かい合って座っていた。


 見りゃ、ただ飲んでいるんじゃない。村長は、さっきレオンから受け取った試供品の紙を卓に広げ、道具屋の店員へ文字と計算を教えていた。


 女は少し眉を寄せ、ぎこちなく線をなぞっている。村長は急かさず、間違えても笑わず、ひとつずつ読ませていた。店先で客に愛想を振りまく時の顔とも、寄り合いで利を探る連中の顔とも違う、妙に静かな時間だった。


 レオンはその卓を見て、ふっと笑った。


「数字ばっかり押し出して、

  嫌な男に見えますよね」


 俺は肩をすくめた。


「今さらだな」


 あいつは寂しげに鼻を鳴らした。


「たぶん……あれが、僕にとって

  一番うれしい紙の使い方です」


 紙の上で、道具屋の店員の指が、たどたどしく数字を追う。村長が横で待つ。合っていれば小さく頷き、違っていれば静かに直す。


 その光景を見ていると、レオンが何を増やしたいのか、少しだけ見える。


 帳簿も紙束も、利ざやの算段も、結局はあそこへ届かせたいんだろう。飢えず、怯えず、自分の手で数え、自分の目で確かめられる暮らしへ。


 だが同時に、そこへ至る道で、こいつが村の何かを削っているのも事実だった。


「でもね」


 レオンは卓から目を離さずに言った。


「根を生やした以上、

  倒れない木にならないと」


 そう言って、あいつは静かに杯を取った。


 俺は隣でそれを見ながら思う。


 分かっていて進むなら、余計に面倒だ。


 壊れるところも、軋むところも、こいつは全部止めずに行く気なんだろう。そのたび村は顔をしかめ、誰かが曖昧さを失い、誰かが新しい利を覚える。


 それでも、あの卓の上にある紙切れが、あの女の明日を少しでも広げるなら。


 ……放っておけるか、そんなもの。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ