第36話 遊び人、春の匂いと客の影を見る
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。……もっとも、この頃は、遊んでる暇より、村の空気がどこで悪くなるかを嗅ぎ回るほうが、よっぽど生業らしくなってきた。
三月の終わり、俺たちは川向こうの荒れ地を歩いていた。レオン、エレノアちゃん、リラ、それから俺。後ろには、例によってゴブリンどもがぞろぞろついてくる。
向こう岸に渡ってみりゃ、あらためて広い。広いが、広いだけだ。
足元はぬかるみ、草の下で水が動き、ところどころ小さな池まで光ってやがる。畝ひとつねえ。道もねえ。耕す前に、まず「ここを畑にする」って話から始めなきゃならん土地だ。
リラが軽い声を出した。
「外海も近いし、街道だって引けるかもね。
土地が広いって、夢があるわ」
夢、ね。俺は鼻を鳴らした。
「夢は腹に入らねえよ。
まず食える形にしろ。
その先は、食ってから考えりゃいい」
リラが肩をすくめる。エレノアちゃんは苦笑いだ。レオンだけが黙っていた。
あいつは、こういうとき黙る。考えてるからでもあるし、もう見えてしまってるからでもある。
冬のあいだに得た金を、まるごと土地へ叩きつけた。逃げ場のない根を、自分で掘ったわけだ。立派なもんだが、軽くはねえ。
しかも今年の冬は、死人が出なかった。喜ばしいことだ。だが、助かった口は、そのまま春と夏を食う口になる。年寄りも、子どもも、すぐに畑の手にはならねえ。
俺は荒れ地じゃなく、その先を見ていた。ここを開けば、たしかに二年先は変わる。だが、その二年を持たせるまでが問題なんだよ。
2.
そこでゴブリンの頭目が、いかにも当然みたいな顔で口を開いた。
「アニキ。開墾しても、作物が実るまで
半年っすよね?
それまで、どうやって食うんっすか」
空気が止まった。
そりゃそうだ。畑は願えば生えるもんじゃねえ。いま土を返したところで、明日には実りません、なんてのは子どもでも分かる。
温泉の使用料や管理料だって、あるにはあるが、水車だの工房だのの準備で、どうせするすると消えていく。冬のあいだ積んだもんを、春の入口で吐き出す形だ。
頭目は、俺たちの顔を順に見てから続けた。
「前にアニキ、言ってくれたっすよね。
武器なんか作って
取り上げられるくらいなら、
包丁とか鉄鍋とか農具を
作って売れって」
レオンが小さく頷く。
「ああ。言いましたね」
「で、やってみたっす。でも、
ここらへんの魔族は、暮らしの道具なんて
あんまり使わないっす。
奪うか奪われるかの毎日で、
鍋だの壺だのに
愛着なんか持たねえっす」
一拍置いて、頭目は肩をすくめた。
「人間は逆っす。
暮らしの道具は使う。
でも、オイラたちゴブリンから
買おうとはなかなかしねえっす」
そりゃそうだろうな、と俺は思った。筋は通ってる。だが筋が通ってる話ほど、面倒は深い。
「つまり」
俺は言った。
「人間側の顔で売れってことだな」
「そうっす」
軽い返事だった。だが、話は軽くねえ。外へ出る。人間相手に売る。ゴブリンの品を、人間の顔で売る。値も、揉め事も、嫌な顔も、ぜんぶこっちで受ける話だ。
レオンは何も言わなかった。エレノアちゃんは少しだけ目を伏せた。女衆や村の決まりまで、外へ晒す話だと分かってる顔だった。
3.
「最初はこれを売りたいっす」
そう言って、ゴブリンどもが包みを開いた。出てきたのは土鍋と壺だった。
冬のあいだ、何度も見た顔ぶれだ。神殿の鍋、病み上がりの雑炊、年寄りの椀。あれを支えてたのが、こいつらだ。見栄えも前よりずっといい。釉薬のかかりも揃ってる。手に取れば軽さと厚みの加減まで分かる。
で、蓋にはご丁寧に、エレノアちゃんの横顔が刻まれてやがる。
「焼き上げたとき、
一番見栄えが良くなるっす。
苦労したっすよ」
得意満面のゴブリンに、エレノアちゃんが困ったように笑う。
「まあ……僕の顔より、
よほど売れるでしょう」
レオンも、そこでようやく口元だけ緩めた。だが否定はしねえ。
昔なら、もっと細けえところから潰してたはずだ。いまは違う。濁ると分かってる水でも、とりあえず足を突っ込む。そうしなきゃ先へ届かねえって顔だ。
俺は腕を組んだ。
「売るなら、面倒ごとも全部ついてくるぞ。
値切るやつ、胡散臭えやつ、
ゴブリンの品なんざ嫌だって顔するやつ。
そういうのも込みだ」
頭目がへらりと笑う。
「だからディオンさんが要るっす」
「抜かせ」
だが、間違っちゃいねえ。俺が欲しいってことは、向こうも分かってる。
レオンは真っすぐ売る。エレノアちゃんは必要を見る。リラは空気を和らげる。で、俺が濁ったところの蓋をする。……面倒くせえ役回りばっかりだ。
それでも、ここで止まる手はなかった。止まれば、そのぶんだけ夏が遠のく。急ぐしかねえ。だが、急ぎ方を間違えりゃ、せっかく繋いだもんまで壊れる。
その嫌な感触が、もう腹の底に沈み始めていた。
4.
火迎えも近い。温泉の評判を聞きつけて、巡礼だの行商だのが、ぽつぽつ村へ入り始めた。
湯へ浸かって、鍋を食って、土鍋や壺をひっくり返して見る。
「妙に便利な村だな」
「飯が、妙にうまい」
そんな声が、軽く置かれていく。
外から見りゃ、その通りだろうよ。湯があって、食えるもんがあって、道具まである。前のエルン村を知ってりゃ、ひっくり返るくらいの変わりようだ。
だが俺は、そういう評判の回り方が早すぎるときほど嫌な顔になる。便利さは人を呼ぶ。人が増えりゃ、金も増える。金が増えりゃ、面倒も増える。
カネとオンナ。そこまではよくある話だ。だがそれで済めば、まだましなんだよ。
外から来たやつは、ここの流儀なんざ知らねえ。知ってても守る気はねえ。
湯屋の使い方、宿の振る舞い、村の娘への声の掛け方、夜道の歩き方。そういう細けえところで、まず軋む。地元の若い衆が面白くねえ顔をする。
外来は外来で、田舎の決まりに従う気なんざない。そこへ酒が入れば――揉め事が起きる。刃物が出る。物が消える。最後に泣くのは、だいたい女だ。
若い衆が、夜回りを増やし始める。
しかも寄り合い衆の顔つきまで変わり始めてやがる。
「宿屋の取り分は、
誰が預かるんですかな」
「外から入る銭は、
村でまとめたほうがよろしい」
抜かしやがった。前のめりってのは、ああいう顔を言うんだろう。水車と工房の計画は通り、宿屋の建設まで始まる。便利さが形になる。ついでに、握れる場所も形になる。
レオンはそれを止めない。止めりゃ回らねえと、もう知ってる顔だ。だから余計に、俺は嫌な予感しかしねえ。
急ぐしかねえ。土地も、食い扶持も、外向けの商売も、全部待ってはくれねえ。だがよ、こういうときほど、急ぎ足のまま突っ込んだ先で、まとめて足を取られるもんなんだ。
俺は湯屋の煙と、建てかけの宿の骨組みと、その向こうを出入りする知らねえ顔を見ながら、小さく舌打ちした。
急ぐけど、急いじゃいけねえ。
春の村は、もうそういう匂いをし始めていた。




