第37話 遊び人、春の地竜畑起こしに眩む
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。……この頃は、村の揉め事がどこで芽を出すかを嗅ぎ回るほうが、よっぽど生業らしい。
火迎えを越え、村の空気はようやく春になった。
雪解け水は川を太らせ、畑の縁はぬかるみ、女衆は干していた布を外へ戻し、男衆は鍬の柄を確かめ始める。
冬のあいだ、何とか命をつないだ家々が、ようやく次の季節の顔になる頃合いだ。
そういう時期に、うちの書記野郎がじっとしているわけがねえ。
レオンはここ数日、川向こうの荒れ地ばかり見ていた。村の畑の先、石と草に覆われた、今まで誰も本気で手を付けなかった土地だ。
遠目には広い。近くへ寄れば、広いだけで面倒が詰まってると分かる。石は埋まり、草は根を張り、水はけも怪しい。手を出せば仕事が増える土地だ。
案の定、あいつは言った。
「耕せます」
耕せるかどうかじゃねえ。誰が、どれだけ、何を使ってやるかだ。そう思ったが、言って止まるなら苦労しない。
翌朝、ゴブリンどもが呼びに来た。
「犂、出来たっすよ。
『げんば』に運んどいたっす」
嫌な予感しかしなかった。だが、レオンは妙に晴れやかな顔で、近所の農家から借りた牛を引いて川向こうへ向かっていく。横にはエレノアちゃんまでいる。
夫婦そろって春先から働き者で結構なことだが、こういうときの俺の勘は、大抵当たる。
2.
当たった。
荒れ地の真ん中に鎮座していたのは、犂っていうより、攻城兵器だった。
でかい。とにかくでかい。牛三頭を積み上げたって、あそこまでにはならねえ。借りてきた牛は一目見た瞬間に足を止め、鼻を鳴らし、じりっと後ずさった。分かる。俺だって曳きたくない。
レオンの顔から笑みが消える。
「えっと……デカくない?」
ゴブリンの頭目がきょとんとした顔で羊皮紙を広げた。人の絵、牛の絵、そして犂の細部をやたら大きく描いた図。ああ、そういうことか、と俺でも分かる。
レオンは額を押さえた。
「あのね……これは
この部分はこんな感じで、っていう
拡大図だよ」
頭目は羊皮紙と犂を見比べ、心底もっともらしく頷いた。
「そういうことは早く言ってほしいっすよね。
それに、ここに『かくだいず』って
書いてほしかったっす」
いや、そこまで書かなきゃ通じねえ相手に作らせたお前が悪い。喉まで出かかったが、言っても遅い。レオンは牛を引いて退却し、エレノアちゃんは困ったように笑い、俺は鼻を鳴らした。
これで終わりなら、春の笑い話で済んだ。
だが翌日、もっとひどいもんを見た。
荒れ地にいたのは、あどけない顔をした巨大な爬虫類だった。
子どもらしい丸さの残る目をしてるくせに、胴は牛を軽く五頭ぶんはありそうで、足先だけで人間の胸まで届く。地面を踏むたび、土が沈む。
俺はしばらく言葉を失った。
「……何だそりゃ」
頭目が胸を張る。
「地竜の子どもっすよ。
岩食うから、ついでに片付けも
できるっす」
なるほど、ってなるか。だが、なってるのがレオンだ。犂の柄を握り、妙に覚悟の決まった顔をしてやがる。止める前に、頭目が短く合図を飛ばした。
次の瞬間、地竜は走った。
3.
夕方には、荒れ地の景色が変わっていた。
石だらけだった地面は引き裂かれ、草はひっくり返され、畑の筋らしきものまで出来ている。
ついでみてえに燕麦も播かれ、道の荒普請まで済み、水を逃がす浅い溝まで通っていた。遠くで狐が一匹、尻尾を巻いて逃げていくのも見えた。
で、その中心で、レオンが泥だらけになって吐いていた。
「オークのときよりひどい……」
半日、地竜に引きずられたからな。そりゃそうだ。顔色は死人みてえだし、服は泥まみれ、腕も頬もかすり傷だらけ。農作業って面じゃねえ。
頭目は満足そうに地竜へ岩を転がした。子どもは嬉しそうにそれを噛み砕く。ばりばりと嫌な音がした。
レオンはうずくまったまま呻く。
「こういうのをチートって言うんだ。
地に足をつけなきゃ……」
地に足をつけてねえのは、半日引きずられてたお前だ。
だが、そこで終わらねえのがあいつの悪い癖だ。翌日にはもう、休耕地へヤギを四頭連れていった。近所の農家からの借り物だ。
「余分な草を食べてくれるし、
ふんは貴重な肥料になるんです」
理屈は合ってる。合ってるが、こいつの理屈は、合ってるほど後が怖い。
春の日差しはやわらかく、風はぬるい。草は伸び、鳥は鳴く。川向こうの草地で、レオンとエレノアちゃんは並んで腰を下ろしていた。
少し離れたところでヤギどもが草を食んでいる。実にのどかだ。俺は村に戻った。
俺がそこへ顔を出したのは、日が傾いてからだった。
ヤギが借りた先に勝手に戻ってやがった。
代わりに、二人とも妙に赤い顔をしていた。エレノアちゃんは髪を直す手つきがわずかに忙しく、レオンは俺と目を合わせた瞬間に視線を逸らした。
ああ、なるほど、と思ったが、口には出さねえ。
「ヤギが勝手に帰ってきたんだが、
何かあったのか?」
二人とも、答えない。
4.
翌朝、答えは畑に出ていた。
蒔いたばかりの燕麦の一角が、見事に掘り返されていた。柔らかい土にヤギの蹄の跡。芽の出る前の種ごと食ったらしい。春の朝日が実に爽やかで、余計に腹が立つ光景だった。
俺は腕を組み、少し離れたところで青い顔をしているレオンを見た。
「おい」
「はい」
「ヤギはどこで放した」
「休耕地です」
「柵は」
「……まだです」
「見張りは」
「僕と、エレノアさんで」
そこで止まるな。俺は一歩近づいた。
「で、お前らは何をしてた」
レオンの喉が上下する。遠くでエレノアちゃんが薪籠を抱えたまま、こちらを見ないふりをしていた。余計に分かりやすい。
「その……リスや……ウサギが……」
俺は聞き返した。
「リスや……ウサギが……
なんだって?」
レオンは耳まで赤くした。
「つがいで、その……春で……」
俺はしばらく黙った。怒鳴る気も失せた。代わりに、昨日から鼻先にちらついてたもんの正体が、ようやくはっきりした。
畑を広げる。種を播く。ヤギを放す。そこまではいい。
そのあとだ。
柵が要る。見張りが要る。追い立てる手が要る。戻す手が要る。草を見て、土を見て、獣の癖まで覚える奴が要る。広げたぶんだけ、細かい手間が湧く。
春の仕事ってのは、土を起こして終わりじゃねえ。
俺はため息をついた。
「お前、いい加減にしろよ」
レオンは小さく縮こまった。だが、こいつはたぶんまたやる。荒れ地を畑に変え、手間を増やし、足りねえ分を何か別の仕組みで埋めようとするだろう。
助け合いだの、家同士の持ち回りだの、そういう曖昧なもんで今まで回ってきた村へ、こいつはそのうち言い出すはずだ。
――その仕事、誰がやるんですか、と。
春の畑の匂いの中で、俺はひとつ鼻を鳴らした。
どうやら、面倒はヤギの尻から始まるらしい。




