第34話 賢女、耕されぬ先に来る飢えを見る
1.
私はエルン村の賢女であり、槍使いレオンの妻、エレノア。
三月二十日。冬の終わりは、いつもなら痩せた者から順に顔色を失い、ようやく雪がほどけても、春を喜ぶより先に腹を下す者の名を数える季節だった。
この冬は違った。神殿へ運ばれてくる者の息は、まだ続いている。椀を抱える手に力が残り、湯から上がった老人の頬に、かすかな赤みが差している。
温泉へ通う者は、冷えきった骨を軋ませずに歩けるようになり、土鍋の湯気に向かう者は、食べる前からもう少しだけ生きる気力を取り戻しているように見えた。
私はようやく分かってきた。これは、別々の改善ではないのだ。湯治があって食があるのでも、食があって湯治があるのでもない。互いが互いを支え合って、ようやく村の冬を変え始めている。
体が温まれば、弱った者でも口に運べる。腹に温かいものが入れば、湯冷めに耐える力が戻る。手や衣服を洗う習慣が根づけば、病は減り、減った病がまた食卓を支える。土鍋の湯気は椀の中身だけでなく、家の空気までやわらげていた。
冬はただ耐えるものではなくなりつつある。少なくとも今年、エルン村では。
けれど、その変化を見ながら、私の胸は素直には軽くならなかった。村人たちは感謝している。便利になったことも、楽になったことも知っている。
だがその受け取り方は、どこまでも「レオンがやったこと」だった。温泉も、鍋も、決まりも、工夫も。誰も嘘は言っていない。実際、あの人が持ち込み、押し進め、形にしたものばかりだ。
そして誰も、それを自分たちの手の延長だとは思っていない。
けれど、村が少しずつ良くなっていることと、村が自分の足で立てることは、同じではない。
その違いが、ここへ来て妙にはっきりしてきた。
今年の冬、誰も亡くなっていない。ありがたいことだ。喜ぶべきことだ。だが、助かった命の数だけ、次の春と夏を食べる口は増える。
私は賢女として人を診てきたけれど、村の先の形まで見ていたわけではない。あの人は、見ている。見て、変えて、次の足りなさを考えている。
2.
温泉農場から回る香味野菜の供給も、ここへ来て安定してきた。
鍋に青みが入るだけでなく、刻んで添える副菜や、雑炊の仕立てにも幅が出る。老人には大麦をやわらかく煮た雑炊、病み上がりの者には軽い青菜鍋、よく働く若い衆には濃い出汁を立てた鍋。
皆で同じものを腹へ押し込むのではなく、その人に合わせて少しずつ形が違う。
それは些細な違いに見えて、村の空気を確かに変えていた。
食卓に、初めて「選ぶ」という感覚が生まれたのだ。
今日はどれにするか。あれのほうが食べやすい。こっちは匂いが好きだ。そんな言葉が、笑いと一緒に交わされる。
冬のあいだ、食べ物の話といえば、足りるか足りないか、噛めるか噛めないか、その程度だった。それがいまは、少しだけ違う。食べることが、我慢ではなくなり始めている。
ある日の朝、私はその変化を台所でまざまざと見た。レオンが粉をこねていたからだ。パンでも焼くのかと思って覗き込むと、彼は首を振った。
「パンを作るのかしら?」
「いいえ、麺です」
「……めん?」
「ふすまだらけで茶色だし、
食味は悪いですけど」
彼の前には、短く切った生地と、小さな鉢がいくつも並んでいた。透き通った塩味の汁、少し褐色を帯びた汁、底の見えぬほどラードとニンニクの主張する汁。
私は順に口へ運び、最後に、澄んだ塩味の椀を手に取った。
「いかがですか」
「そうね……私はこの、
透き通った塩味のスープが好きね」
「それ、少しだけバターが入ってます」
思わず笑ってしまった。彼がそうなのか、彼のいた土地がそうなのか。あの人の食に向ける探り方は、時々こちらが呆れるほど旺盛だ。
冬を越せるかではなく、今晩何を食べようか。その問いが、暮らしの真ん中にあるような手つきで、彼は鍋や汁を作る。だからこそ、食卓が変わるのだろう。足りることの先に、楽しさまで置こうとするから。
だが、その楽しさもまた、彼一人の手つきに寄りかかっているようで、私はどこか落ち着かなかった。
3.
試食を終えたあと、私はレオンと川沿いを歩いた。雪解けの名残を含んだ水はまだ冷たく、岸辺の土は湿っている。
向こう岸には、雑木と雑草に覆われた荒れ地が広がっていた。耕せば畑になるのだろうが、いまは人の手の届かぬまま、半端に生い茂っている。
レオンがそこを見て、ぽつりと言った。
「もったいないですよね」
「もったいない?」
「あれだけの土地を遊ばせておくなんて」
私は苦笑した。彼の言い方は、時々、土地そのものに意思があるように聞こえる。
「遊ばせているわけじゃないと思うわ。
土地を耕すには人手がいるもの。
土地の広さに人数が伴わなければ、
ああなるわね」
彼はしばらく黙って、向こう岸を眺めていた。風が冷たく、川面の光だけが明るい。やがて、静かな声で言う。
「去年より、畑に出ている顔ぶれが変わっています。
年寄りと、子どもが増えている」
私はその言葉に、小さく息を呑んだ。思い当たる光景が、いくつも浮かぶ。鍋の列でも、巡回でも、確かに同じ顔を見ていた。
「今年の冬越しは……
誰も亡くなっていないです」
「ええ」
「たぶん、ここ数年で
人口は増えるでしょう」
喜ばしいはずのことを、彼は喜びとしてだけは見ていなかった。
「子どもたちが
土地を耕すことを覚える前に、
たぶん先に足りなくなります」
「何が?」
「食べ物です」
彼はそこで初めて、こちらを見た。説くような顔ではなかった。ただ、見えてしまったものを口にしている顔だった。
「いまは温泉農場があって、鍋もあって、
弱った人も戻しやすいです。
でも、支える側の手は急には増えません。
畑を広げるにも、道具と家畜と、
人の段取りが要る。
子どもが増えても、
すぐには働き手にならないですから」
私は向こう岸を見る。荒れ地は何も言わない。ただ、そこにある。
冬を越えた命の数だけ、次に食べるものが要る。その当たり前を、私は今まで賢女の手の届く範囲でしか考えていなかったのだと、そのとき思い知った。
4.
私の夫は、何を見ているのだろう。
目の前の村だけではない。湯気の向こうで椀を持つ老人だけでもない。助かった命の、その先まで見ている。
いまはまだ温泉が体を支え、鍋が腹を支え、巡回と配分が何とか形を保っている。けれど、そのどれも、決める手は一か所へ寄りかかっている。
鍋の塩加減一つ、配る順番一つ、誰かが口にしなければ、手は止まる。
立ち続けるためには、さらに別の手が要る。耕す手、運ぶ手、そして、育てる手。
彼はたぶん、その不足の輪郭をもう見始めている。
そして私は、別の不安を覚えていた。
もし次の不足まで、彼が先に見つけ、彼が先に名前を与え、彼が先に形にしてしまうなら、この村はますます彼を便利な答えとして扱うようになるだろう。
救われるたび、立つ力を後ろへ送る。皆で作った暮らしではなく、彼が整えてくれる暮らしとして受け取ってしまう。
それは村にとって、たぶん静かな弱さだ。
川向こうの荒れ地を見つめながら、私は胸の奥でその形をなぞった。
あそこはただ耕されていない土地ではない。
まだ誰のものにもなっていない先の不足であり、この村が自分の足で立てるかどうかを問う場所なのだ。
春は来る。生き延びた者たちは畑へ出るだろう。子どもは増えるかもしれない。鍋の湯気は、もう冬だけの救いでは終わらない。
それでも、私は妙に寒かった。
私の夫は、もう次の飢えを見ている。
そして私は、その視線の先に広がるものを、ようやく見始めていた。




