第29話 遊び人、正しさの芽が畑に出るのを見る
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。……もっとも、この頃は、口を挟む先が増えすぎて、遊んでる暇なんざあまりない。
一月一日。年が改まった朝に、レオンはめでたさとは縁の薄い顔で温泉農場の端に立っていた。
白い息を吐きながら、足元の土と、並べた札と、子どもどもの顔を順番に見ている。
何か始まるな。――で、実際その通りだった。
「読み書きも、記録も、
一度ここで仕切り直します」
新年一発目の言葉がそれだ。寄り合い衆の何人かが眉をひそめ、農夫どもは腕を組んだ。だがレオンは構わねえ。
「現場へ結びつかないものは、
意味がありません」
あいかわらず角が立つ。だが今回は、その先が少し違った。
温泉熱で持たせている小区画の畑を、さらに細かく分ける。子どもたちにひと区画ずつ預ける。
ただし、ただ任せるんじゃない。記録をつける区画と、つけない区画を、必ず並べる。同じ種を入れ、同じように世話をして、何が違うかを見る。
口で説くんじゃねえ。見せるつもりだ。
最初、子どもどもは半分遊びだった。土をいじる手つきも雑だし、水も気分で撒く。苗の向きを揃えるやつもいれば、途中で飽きて隣の区画を覗きに行くやつもいる。
そこで俺は、つい、余計なことをしたくなった。
棒切れを削って、六つの面を作る。炭で印をつけて、子どもどもに転がして見せた。
「何に使うの?」
「遊びだよ。出た目を数えるんだ」
最初はきょとんとしてたが、三投もすりゃ目の色が変わる。字を覚えたやつが回数を書き、別のやつが横から覗き込む。
「ディオン。あんたねえ」
振り返るとリラが呆れた顔をしていた。
「今それ教える?」
「今だからだろ」
「変な癖つけないでよ」
言いながら、こいつも子どもが数を追い始めたのを見て、少しだけ口元を緩めてやがる。
その賑やかさは、数日で静かに形を変えることになる。
2.
差ってのは、案外早く出る。
記録をつけねえ区画は、見事にばらついた。水は足りねえか多すぎるか、触りすぎて根を弱らせ、次の日は放ったらかし。
育つやつは育つが、しおれるやつはあっさりしおれる。気分でやるってのは、そういうことだ。
対して、記録をつけた区画は手間が増える。朝晩の様子と水の量を残し、葉の色まで書き付ける。面倒くせえ。
だが、安定する。伸び方が揃い、枯れ方にも理由が見える。
農夫どもは、そこで何も言わなかった。腕を組み、黙って、子どもどもの手元だけを見ている。
あの沈黙は、説教より効く。
笑いながら苗をつついていたガキが、だんだん喋らなくなる。木板に印をつける手つきが変わり、水を汲む足取りも慎重になる。
前は、失敗は笑われて終わりだった。今は違う。枯れた株のまわりに何人かがしゃがみ込み、昨日の水の量を読み上げ、土を指で崩して確かめる。失敗が、次に使われる形に変わり始めていた。
レオンは相変わらず多くを教えない。
「見える形にしただけです」
言葉にすれば、それだけだ。だがその「だけ」が厄介なんだよな。自分で見て、比べて、気づかされる。逃げ場がねえ。
その最中、村長がレオンを呼び止めた。畑の外れで短い立ち話。
「覚えて回すのが、ワシの役目だった」
やり方を否定はしない。だが続く声は乾いていた。
「守るだけでは減る」
レオンは黙って聞く。
「正しいかどうかは、あとで決まる。
先にやる者が、先に背負う」
村長は少しだけ目を細めた。
「それを一人でやるな」
妙な含みのある言い方だった。俺は離れて見ていたが、重さだけは分かる。ああいう言葉は、あとから効く。
3.
数日後、子どもどもの顔つきがはっきり変わった。
「なんとなく」で済ませねえ。しおれた葉を前にして、「なんでこうなった」を言おうとする。記録を見返し、農夫に聞き、昨日との違いを口にする。
昨日の板を抱えて走ってきたやつが、今日はまず畑の葉先を見た。
いい方向だ。間違いなく。
だが、こういうときほど、変な芽も混ざる。
「昨日の三番、やりすぎだったろ」
「だから今日は減らしたんだよ」
「減らしすぎてる」
「じゃあどれくらいだよ」
言い合いが具体的になる。悪くねえ。だが答えの匂いがすると、人は寄りかかる。
その空気を和らげたのが、エレノアちゃんだった。収穫した青菜を鍋に落とし、湯気を立てる。
「食べるまでが農よ」
理屈が鍋に落ちる。匂いになって腹へ届く。親どもがそこで足を止めた。
文字や記録に苦い顔は残っている。だが、腹に入るものになると話が違う。
教育が役に立つ。そう見えた瞬間、村の目つきが変わる。
……で、変わった途端に、寄り合い衆が来た。
「どの区画を誰に任せるか」
「収穫の分配はどうする」
「記録の書き方は揃えた方がよい」
芽が出た途端に、囲いに来たか、と思ったね。ここはあいつの畑だ。だが形が見えた瞬間、手を入れてくる。
分かりやすすぎる。
レオンは止めなかった。だが顔は硬い。分かってる顔だった。良いものが、そのままでは済まねえことくらい。
子どもどもの動きも変わる。
「これ、どうしたらいい?」
「レオンに聞けば?」
自分で考えていた手が、答えを待つ手に変わる。ひとつ正解を示せば、周りはそれを基準にしたがる。
その楽さが、いちばん危うい。
4.
日が傾くころ、畑の上を冷たい風が抜けた。子どもどもは帰り支度を始め、農夫は無言で道具を片づけ、寄り合い衆はまだ話し込んでいる。
前へ進んでる。間違いなく。
字はただ書けるだけのものじゃなくなり、記録も紙の上に寝ているだけじゃなくなった。青菜は鍋に入り、子どもは失敗を言葉にする。
正しい流れだ。文句のつけようがない。
だからこそ、厄介だ。
正しいことが回り始めると、人は疑わなくなる。疑わなければ、寄りかかる。寄りかかられれば、責任は一か所へ集まる。
――あいつが言ったから。
――あいつが決めたから。
――あいつに聞けばいい。
少しずつ、重さが寄っていく。
村長の言葉が、そこで腹に落ちた。
先にやる者が、先に背負う。
ああ、そういうことかよ、と思ったね。
少し前まで、この村は「何となく」で回っていた。曖昧で、雑で、その代わり一つの正しさに縛られすぎもしなかった。
今は違う。正しく回り始めたぶん、軸が見える。
そして、見える軸は、いつか引っ張られる。
俺は畑の端で立ち止まり、土の匂いと湯気の残りを吸い込んだ。うまくいき始めたとき特有の、少し甘い匂いがある。
そういうときが、一番まずい。
子どもが一人、振り返ってレオンに手を振った。レオンも小さく手を上げる。その顔は少しだけ柔らかい。
……まあ、そうなるよな。
だが俺の鼻に残ったのは、別の匂いだった。
正しいことが回り始めた。
だから、次はその回り方で揉める。




