第24話 遊び人、湯屋の掟と村の癖を見る
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。――今じゃ、だいぶ嘘くせえがな。
十月に入った。冬の匂いってやつは、雪が来るずっと前から村に入り込んでくる。薪の積み方、塩漬け桶の数、年寄りどもの咳払い。そういうところで分かる。
朝晩の冷えが骨に刺さる頃、レオンが寄り合い衆に声をかけた。向かった先は村はずれの森、泉の脇だ。エレノアちゃん、リラ、俺もついていく。
そこに、小屋が建っていた。
板壁と屋根だけの、簡素な造り。だが中へ入ると、白い湯気が立ちこめている。鼻先に、かすかに硫黄の匂いが触れた。
――湯か。
夏至前、ゴブリンどもが掘り当てた温泉を引いたらしい。
着替え台、桶、柄杓まで揃っている。書記野郎らしい抜け目のなさだ。
だが寄り合い衆の顔は揃って渋い。
「魔族が掘った湯だろう」
「穢れのもとじゃないのか」
口に出すやつもいれば、顔に書いてあるやつもいる。
気持ちは分かる。辺境じゃ、変わったものはまず疑う。まして魔族の手が入ってるとなれば、なおさらだ。
理屈だけでもねえ。役に立つと分かっていても、「気に食わねえ」が残る。そういう感情は、意外と根深い。
そこで俺が口を挟んだ。
「疲れは抜ける。腰も軽くなる。
冷えた足先も戻る」
細けえ理屈はいらねえ。入ったあとどうなるかだ。
年寄りの顔つきが変わる。病人抱えた家のやつらも耳を立てる。
そこへエレノアちゃんが続けた。
「体を温め続ければ、
冬場の痛みやこわばりは和らぎます」
婦人衆の視線が集まる。効く、楽になる、そういう言葉には敏感だ。
最後にレオンが湯へ入った。平然と肩まで浸かり、やたら上機嫌で鼻歌まで歌い出す。
「エルン良いとこ、一度はおいで」
調子っぱずれもいいところだ。だが、効く。実演ってのは、理屈より早い。
寄り合いが終わる頃には、連中はもう小屋へ歩き出していた。半信半疑だった足取りに、わずかな期待が混じる。
冬前の冷え込みに、温かいものがある。それだけで、人は案外あっさり心を動かされる。
2.
で、始まってみりゃ案の定だ。
体も洗わず、そのまま湯へ飛び込む。子どもははしゃぐ。若い衆は酒と干し肉を持ち込む。
笑えば押し返し、湯の中で小競り合い。
縁に腰掛けて足だけ浸けるやつ、桶をひっくり返して湯をかぶるやつ、湯気の中で寝転がるやつまでいる。
誰かが桶を取り合えば、すぐ言い争いになる。
極めつけは牛だ。傷に効くとか何とか言って、引いてきやがった。湯気の中で鼻息を荒くする獣は、どう見ても場違いだ。
しかも一頭じゃねえ。二頭目まで現れたときは、さすがに笑うしかなかった。
レオンは小屋の脇で腕を組み、静かな顔をしている。
「……無法地帯ですね」
声は落ち着いてるが、あれは腹の底で切れてる顔だ。
だが、村の感覚で言えば、おかしくもねえ。
温かい湯があるなら、飯を食う。酒も飲む。子どもも騒ぐ。家畜にも使う。せっかくの便利を、わざわざ切り分ける理由がない。
むしろ「一度に済むならまとめてやる」が自然だ。
湯の縁で肉をかじるやつの横で、別のやつが足を洗う。さらにその隣で子どもが水を跳ね上げる。
全部が混ざっても、誰も困っている顔をしない。
問題は、その粗さにレオンが耐えられるかだ。
翌日、あいつは紙に決まりを書き出した。
――掛け湯をすること。
――体を洗ってから入ること。
――飲食禁止。排便禁止。
――武器持込禁止。家畜持込禁止。
――煮炊き禁止。洗濯禁止。
全部、もっともだ。
俺だって、ふんの浮いた湯に浸かりたくはねえ。
だが、村人どもは顔をしかめた。
「飯も持ち込めねえのは不便だ」
「洗濯できない温水なんて損だろ」
「牛や馬の傷にも効くじゃねえか」
自分の暮らしに照らしてしか物を見ねえ。
だが、それを笑う気にもなれなかった。俺だって昔は同じだ。
便利は全部使う。切り分ける発想がそもそも薄い。湯は湯、飯は飯、牛は牛と分けるのはレオンの理屈で、村の暮らしじゃねえ。
暮らしってのは、たいてい一か所に押し込まれる。温かい湯があるなら、そこへ全部持っていこうとする。それが人間だ。
3.
そこで俺は、決まりを三行に潰した。
「食うな。洗うな。牛馬を入れるな」
これなら通る。
細けえ条文より、守るべき線だけを残す。
実際、その日から表向きは少しだけましになった。表向きは、な。
柄杓で一杯かける真似だけして、体は洗わねえ。
飲み食い禁止と言われれば、湯船の縁に置いて「まだ食ってねえ」と言い張る。
牛馬は中に入れず、手前の湯だまりで足だけ浸ける。
守ってる顔をしながら、意味のあるところだけ外す。
そういうのは、共同体じゃよくある。皆でやれば、なおさらだ。
誰か一人が破るんじゃない。皆で少しずつ外す。だから止まらねえ。
しかも、そういうときだけ妙に知恵が回る。真正面から反発するほどでもないが、言われた通りに従うのも癪だ。
だったら、守ってる顔だけして中身を抜く。辺境で長く生きてりゃ、そういう小器用さだけは身につく。
数日後、湯は濁り、残飯が浮き、湯口の脇で洗濯が始まる。
布を揉む音が続き、泡が流れ、湯の色が変わっていく。
湯の縁に置かれた飯は崩れ、汁が流れ込む。
決定打は、子どもの汚物だった。
湯船の角に、流れてきやがった。
さすがにその場の空気が止まった。子どもを抱えた母親まで顔をしかめ、口をつぐむ。ああいうときだけ、皆、自分は関係ない顔をする。
「これでは湯治小屋じゃない!」
レオンがとうとう怒鳴った。
寄り合いがまた開かれる。
「人間に必要なことを、
そんなに締め付ける方がおかしい」
村側の言い分も、分かる。
飯を食う。洗う。家畜を診る。子どもを連れて行く。どれも暮らしだ。
そこを切り分けて「湯は湯だけ」と言われても、腹に落ちねえ。
レオンは一つ一つ理屈で返す。
湯が汚れる。病が広がる。分けるべきだ。
全部正しい。
正しいだけに、角が立つ。
聞く側にとっちゃ、「お前らは間違ってる」と言われてるのと大差ねえ。
横で聞きながら、胃が重くなる。
理屈は通ってる。だが通し方が強すぎる。
言葉が正しい分だけ、逃げ道がない。逃げ道のない正論は、辺境じゃ嫌われる。従わされる前に、意地が立つ。
4.
結局、その日のうちに決まりは削られた。
――飲食は小屋の外ならよし。
――洗濯は湯船でなければよし。
――家畜は湯へ入れなければよし。
――武器は抜かなければよし。
そうやって、丸めて通す形にする。
守れる形に落とす。それ以外に残しようがねえ。
レオンは不満そうだった。
「譲りすぎです。
これではまた同じことが起きます」
「起きるだろうな」
俺はあっさり答えた。
「でも全部は通らねえ。ここじゃな」
突っぱねりゃ、今度は誰も来なくなる。便利より意地が勝つ。
それがこの村の癖だ。
寄り合いが散ったあと、小屋の方から笑い声が聞こえた。
子どもが走り、女衆が桶を運び、年寄りが肩をさすっている。
湯気の向こうで、人が動いている。
少し汚くて、少し騒がしい。
だが、ちゃんと使われている。
それが、この村の形だ。
俺はその様子を見ながら、鼻を鳴らした。
村人の言い分も分かる。レオンの理屈も分かる。
どっちも、分かる。
だが、分かることと噛み合うことは別だ。
正しいことを言えば言うほど、「感じが悪い」と受け取られる。
あいつの損なところで、たぶん強みでもある。
冬の前に、温かい湯ができた。
村は少し楽になるだろう。
だが同時に、また一つ、暮らしと理屈がぶつかった。
湯は人を集める。だが、人が集まれば勝手な使い方も集まる。楽になるものほど、皆が自分の都合を持ち込む。
……さて、次は何で揉める。
湯気に曇る板壁を見上げながら、俺はそう思った。
正しさだけじゃ、暮らしは動かねえ。




