第20話 遊び人、未来図で村の冬の先を見る
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。職業は遊び人……だったよな。
朝、家の戸を開けて一歩踏み出す。
ぐちゃり、じゃねえ。
乾いた土だ。踏めばきちんと返ってくる。靴底にまとわりつく重さもねえ。鼻をつく腐った匂いも、ずいぶん薄くなった。
――臭くねえ。
それだけで、こんなに違うもんか。
試験区は、もう別の場所だ。モルタルで組んだ溝が、水をきちんと逃がす。轍には石が敷かれ、灰がかぶせてある。雨が降っても、前みてえに泥が溜まらねえ。
夏至の空気ってのは、もっと重たいもんだと思ってた。だがここは違う。風が通る。湿り気が残らねえ。
……まるでレオンみてえな言い方だな。
井戸の周りも固めた。跳ねた水が溜まらねえ。ボウフラも見かけねえ。あの、耳だの口だのに飛び込んでくる蚊が、嘘みてえに減った。
家の前に立ってるだけで分かる。ここはもう、「まし」どころじゃねえ。別物だ。
ついでに言えば、人の動きまで変わった。
朝、外に出る前に手を洗う。戻ったら口をすすぐ。汚れた布はそのままにしねえ。
そんな当たり前、前は誰も気にしてなかった。
だが今は違う。
やらねえやつだけが、浮く。汚れが目立つ。臭いで分かる。だから、やる。
――仕組みが先に出来ると、人はあとから揃う。
気づけば、それが当たり前になる。それを、目の前で見てる。
子どもですら、前みてえに泥を掻き回して遊ばねえ。怒られるからじゃねえ。汚れるのが嫌になってきてる。
そこまで来てる。
朝、水桶をひっくり返して怒鳴られてたガキが、いまは黙って布を絞ってやがる。あれには少し笑った。
家の中も変わった。床に泥を持ち込まねえように気をつける。水桶の扱いが雑じゃなくなる。食う前に手を拭く。
気づけば、戻れねえところまで来てる。
2.
で、その中心にあるのが――便所だ。
最初に見たときは、正気かと思った。
川の上から水を引く。勾配をつけて流し込み、用を足したら灰と落ち葉で沈める。深く掘って、上澄みだけを流す。流れは村の外れで川に合流、そのまま海行きだ。
やってることは単純だ。流す、沈める、混ぜねえ。
ただ、それをきっちり守らせるのが面倒くせえ。
溜まった泥は、定期的に引き揚げる。臭いはきついが、前みてえな生のふんってほどじゃねえ。角スコップで掬って、猫車で運ぶ。半刻もかからねえ。
その代わり、逃げ場はない。
月ぎめで金を払うか、泥かきに回るか。二択だ。大人一人で十スクルト。日雇い一日の半分くらい持っていかれる額だ。
「用を足すのに金かよ」って顔を、最初はみんなしてた。
だが、払いたくねえやつは結局、泥を触る羽目になる。どっちも嫌なら――住めねえ。
それと、外での用足しは禁止。
夜中にこそこそやった馬鹿が一人いた。翌朝には井戸の前で引きずり出されて、その日のうちに掃除番だ。顔を真っ赤にして泥を運んでやがった。
ああいうのを一度見りゃ、誰もやらなくなる。
マスクをつけて、革のなべつかみをはめて、決まった手順でやる。やりゃ終わる。やらねえと回らねえ。
やってみりゃ分かる。
汚ねえ仕事でも、順番と手順が決まってりゃ、腹はくくれる。逆に言えば、それがなきゃ誰もやらねえ。
レオンのやってるのは、そこだ。
やらせるんじゃねえ。やらざるを得なくする。しかも、終わったあとに少し楽になるようにしてある。
だから続く。文句を言いながらでも、手が止まらねえ。
3.
最初のうちは文句だらけだった。
「世知辛くなった」
「面倒ばっか増やしやがって」
「何で俺らが最初なんだよ」
聞き飽きるくらい聞いた。
だが、数日で消えた。理由は単純だ。
臭くねえからだ。
飲み水、洗う水、流す水。分けた。それだけで、体の周りが変わる。服も手も、前よりましになる。
試験区の連中は、見た目から違ってきた。
他の連中から見りゃ、別の生き物だ。
井戸の脇に立て看板。「生水を飲んだら腹を下します」。最初は笑われたが、試験区の連中は湯冷まししか飲まねえ。
便所もそうだ。
村全体じゃ百人で一ヶ所だったのが、ここじゃ十五人で二ヶ所。順番待ちもねえ。中には、エレノアちゃんが置いていったミントだのラベンダーだのの香りまである。
……そりゃ文句も出る。
寄り合い衆の家に押しかける連中が増えた。
「うちはいつだ」
「差がありすぎる」
自分の家の周りだけ遅れたら、顔が立たねえ。そういう焦りも混じってやがる。
昨日まで気にもしなかったくせに、差を見せつけられると、急に騒ぐ。人間なんてそんなもんだ。
で、その矛先が――レオンに向いた。
寄り合い衆が揃って来て、頼むだの急かすだの。
おいおい。最初の便所は、俺とこいつで手弁当だぞ。猫車もスコップもマスクも、全部こっち持ちだ。
文句言う前に、手ぇ動かせ。
そう言いかけたところで、レオンが横から口を挟んだ。
「ディオンさんのおかげで、
エルン村が住みやすくなります」
……馬鹿野郎。そういう言い方するな。断りづらくなるだろうが。
だが、その一言で場が収まるのも事実だ。
受けて、前に進める。こいつのやり方は、ほんと厄介だ。
だから、結局動く。
気づけば、試験区のやり方を真似する連中が出てきてる。勝手に広がり始めてる。
もう止まらねえ流れだ。
4.
寄り合い衆が帰ったあと、俺は腕を組んだ。
「で、どうすんだ」
つぎはぎで広げりゃ、あとで必ず詰まる。今は回っても、どこかでひっくり返る。
レオンはあっさり頷いた。
「そうですよね」
……否定しねえ。
こいつがこの顔をするときは、もう用意ができてる。
羊皮紙を広げる。
俺は見て、喉が詰まった。
上から見た村だ。家、井戸、川。そこに線が引かれている。溝の位置、流れ、便所の場所。
二十ヶ所。
もう出来上がってるみてえに並んでいる。試験区のところだけ、印がついてる。――既にやった場所ってわけだ。
「いま二百人。四百人までなら、
この配置で回ります」
さらっと言いやがる。
「九月末までに、全部仕上げます。
人手の割り振りと順番、
決めていきましょう」
……頭おかしい。
いや、違うな。
全部、先に見えてやがる。
相談してるつもりで、もう盤面は出来上がってる。俺らはそこに駒を置いてくだけだ。
しかも、それを無理に押しつけねえ。「必要だからやる」って顔で、当たり前みてえに並べる。
だから、否定しづらい。
「……お前の国じゃ、
書記ってのはここまでやるのか」
唸ると、レオンは少し考えてから答えた。
「僕のいたところだと、
人口七十万くらいで、
計画担当が二十人くらいですね」
やめろ。それ以上聞く気はねえ。十分だ。
俺は頭を振った。
こいつの頭の中を追いかけるのは無理だ。
だがな――
目の前の道は、乾いてる。臭いは消えてる。人は文句を言いながらも、手を動かしてる。
流れは、もう出来てる。しかも、止まりそうにねえ。
「……仕方ねえな」
俺はため息をついた。
面倒くせえが、どうせやるなら回る形にする。人の顔も、流れも、全部見てやる。こいつ一人に任せたら、またどっかで詰まる。
だったら横で見る。
押すとこは押す。止めるとこは止める。それくらいは出来る。
……まあ、どうせ俺も、もうこの流れに乗っちまってる。
それが、いまの俺の役目だ。




