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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第二部

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20/80

第20話 遊び人、未来図で村の冬の先を見る

1.


 俺の名前はディオン。冒険者をやってる。職業は遊び人……だったよな。


 朝、家の戸を開けて一歩踏み出す。


 ぐちゃり、じゃねえ。


 乾いた土だ。踏めばきちんと返ってくる。靴底にまとわりつく重さもねえ。鼻をつく腐った匂いも、ずいぶん薄くなった。


 ――臭くねえ。


 それだけで、こんなに違うもんか。


 試験区は、もう別の場所だ。モルタルで組んだ溝が、水をきちんと逃がす。轍には石が敷かれ、灰がかぶせてある。雨が降っても、前みてえに泥が溜まらねえ。


 夏至の空気ってのは、もっと重たいもんだと思ってた。だがここは違う。風が通る。湿り気が残らねえ。


 ……まるでレオンみてえな言い方だな。


 井戸の周りも固めた。跳ねた水が溜まらねえ。ボウフラも見かけねえ。あの、耳だの口だのに飛び込んでくる蚊が、嘘みてえに減った。


 家の前に立ってるだけで分かる。ここはもう、「まし」どころじゃねえ。別物だ。


 ついでに言えば、人の動きまで変わった。


 朝、外に出る前に手を洗う。戻ったら口をすすぐ。汚れた布はそのままにしねえ。


 そんな当たり前、前は誰も気にしてなかった。


 だが今は違う。


 やらねえやつだけが、浮く。汚れが目立つ。臭いで分かる。だから、やる。


 ――仕組みが先に出来ると、人はあとから揃う。


 気づけば、それが当たり前になる。それを、目の前で見てる。


 子どもですら、前みてえに泥を掻き回して遊ばねえ。怒られるからじゃねえ。汚れるのが嫌になってきてる。


 そこまで来てる。


 朝、水桶をひっくり返して怒鳴られてたガキが、いまは黙って布を絞ってやがる。あれには少し笑った。


 家の中も変わった。床に泥を持ち込まねえように気をつける。水桶の扱いが雑じゃなくなる。食う前に手を拭く。


 気づけば、戻れねえところまで来てる。


2.


 で、その中心にあるのが――便所だ。


 最初に見たときは、正気かと思った。


 川の上から水を引く。勾配をつけて流し込み、用を足したら灰と落ち葉で沈める。深く掘って、上澄みだけを流す。流れは村の外れで川に合流、そのまま海行きだ。


 やってることは単純だ。流す、沈める、混ぜねえ。


 ただ、それをきっちり守らせるのが面倒くせえ。


 溜まった泥は、定期的に引き揚げる。臭いはきついが、前みてえな生のふんってほどじゃねえ。角スコップで掬って、猫車で運ぶ。半刻もかからねえ。


 その代わり、逃げ場はない。


 月ぎめで金を払うか、泥かきに回るか。二択だ。大人一人で十スクルト。日雇い一日の半分くらい持っていかれる額だ。


 「用を足すのに金かよ」って顔を、最初はみんなしてた。


 だが、払いたくねえやつは結局、泥を触る羽目になる。どっちも嫌なら――住めねえ。


 それと、外での用足しは禁止。


 夜中にこそこそやった馬鹿が一人いた。翌朝には井戸の前で引きずり出されて、その日のうちに掃除番だ。顔を真っ赤にして泥を運んでやがった。


 ああいうのを一度見りゃ、誰もやらなくなる。


 マスクをつけて、革のなべつかみをはめて、決まった手順でやる。やりゃ終わる。やらねえと回らねえ。


 やってみりゃ分かる。


 汚ねえ仕事でも、順番と手順が決まってりゃ、腹はくくれる。逆に言えば、それがなきゃ誰もやらねえ。


 レオンのやってるのは、そこだ。


 やらせるんじゃねえ。やらざるを得なくする。しかも、終わったあとに少し楽になるようにしてある。


 だから続く。文句を言いながらでも、手が止まらねえ。


3.


 最初のうちは文句だらけだった。


「世知辛くなった」


「面倒ばっか増やしやがって」


「何で俺らが最初なんだよ」


 聞き飽きるくらい聞いた。


 だが、数日で消えた。理由は単純だ。


 臭くねえからだ。


 飲み水、洗う水、流す水。分けた。それだけで、体の周りが変わる。服も手も、前よりましになる。


 試験区の連中は、見た目から違ってきた。


 他の連中から見りゃ、別の生き物だ。


 井戸の脇に立て看板。「生水を飲んだら腹を下します」。最初は笑われたが、試験区の連中は湯冷まししか飲まねえ。


 便所もそうだ。


 村全体じゃ百人で一ヶ所だったのが、ここじゃ十五人で二ヶ所。順番待ちもねえ。中には、エレノアちゃんが置いていったミントだのラベンダーだのの香りまである。


 ……そりゃ文句も出る。


 寄り合い衆の家に押しかける連中が増えた。


「うちはいつだ」


「差がありすぎる」


 自分の家の周りだけ遅れたら、顔が立たねえ。そういう焦りも混じってやがる。


 昨日まで気にもしなかったくせに、差を見せつけられると、急に騒ぐ。人間なんてそんなもんだ。


 で、その矛先が――レオンに向いた。


 寄り合い衆が揃って来て、頼むだの急かすだの。


 おいおい。最初の便所は、俺とこいつで手弁当だぞ。猫車もスコップもマスクも、全部こっち持ちだ。


 文句言う前に、手ぇ動かせ。


 そう言いかけたところで、レオンが横から口を挟んだ。


「ディオンさんのおかげで、

  エルン村が住みやすくなります」


 ……馬鹿野郎。そういう言い方するな。断りづらくなるだろうが。


 だが、その一言で場が収まるのも事実だ。


 受けて、前に進める。こいつのやり方は、ほんと厄介だ。


 だから、結局動く。


 気づけば、試験区のやり方を真似する連中が出てきてる。勝手に広がり始めてる。


 もう止まらねえ流れだ。


4.


 寄り合い衆が帰ったあと、俺は腕を組んだ。


「で、どうすんだ」


 つぎはぎで広げりゃ、あとで必ず詰まる。今は回っても、どこかでひっくり返る。


 レオンはあっさり頷いた。


「そうですよね」


 ……否定しねえ。


 こいつがこの顔をするときは、もう用意ができてる。


 羊皮紙を広げる。


 俺は見て、喉が詰まった。


 上から見た村だ。家、井戸、川。そこに線が引かれている。溝の位置、流れ、便所の場所。


 二十ヶ所。


 もう出来上がってるみてえに並んでいる。試験区のところだけ、印がついてる。――既にやった場所ってわけだ。


「いま二百人。四百人までなら、

  この配置で回ります」


 さらっと言いやがる。


「九月末までに、全部仕上げます。

  人手の割り振りと順番、

  決めていきましょう」


 ……頭おかしい。


 いや、違うな。


 全部、先に見えてやがる。


 相談してるつもりで、もう盤面は出来上がってる。俺らはそこに駒を置いてくだけだ。


 しかも、それを無理に押しつけねえ。「必要だからやる」って顔で、当たり前みてえに並べる。


 だから、否定しづらい。


「……お前の国じゃ、

  書記ってのはここまでやるのか」


 唸ると、レオンは少し考えてから答えた。


「僕のいたところだと、

  人口七十万くらいで、

  計画担当が二十人くらいですね」


 やめろ。それ以上聞く気はねえ。十分だ。


 俺は頭を振った。


 こいつの頭の中を追いかけるのは無理だ。


 だがな――


 目の前の道は、乾いてる。臭いは消えてる。人は文句を言いながらも、手を動かしてる。


 流れは、もう出来てる。しかも、止まりそうにねえ。


「……仕方ねえな」


 俺はため息をついた。


 面倒くせえが、どうせやるなら回る形にする。人の顔も、流れも、全部見てやる。こいつ一人に任せたら、またどっかで詰まる。


 だったら横で見る。


 押すとこは押す。止めるとこは止める。それくらいは出来る。


 ……まあ、どうせ俺も、もうこの流れに乗っちまってる。


 それが、いまの俺の役目だ。

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