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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第二部

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第17話 遊び人、村の足元を乾かし始める

1.


 俺の名前はディオン。冒険者をやってる。職業は遊び人だ。


 五年前まで、俺は船の漕ぎ手だった。


 ……いや、仲間に売られて、船底で櫂を引かされてた奴隷だ。逃げ出して、名前を変えて、ひげを生やして、人相まで変えて、ようやくアルセリアに流れ着いた。


 リラと出会って、辺境を渡り歩いて、エルン村に落ち着いて三年。いまはまあ、どうにか生きてる。


 で、その俺がいまやってるのが――ふんと泥の片づけだ。


 レオンは革のなべつかみをはめ、口と鼻を覆う布を付けて、角スコップで轍の底を掻き上げていた。横には猫車。掬っては放り込み、掬っては放り込み、妙に手慣れてやがる。


「……お前、書記にしちゃ

  動きが板についてんな」


「慣れれば、こんなものですよ」


 軽く言いやがる。


 俺も真似してスコップを入れた。前屈みで、腕で引いて、腰で受ける。重てえ。臭え。だが、二度三度と繰り返すうちに、妙に身体が覚えた。


 ――同じだ。


 湿った木と汗と排泄物の匂い。逃げ場のない臭気。櫂を引くときと同じ、腰に食い込む力のかかり方。


 船底だ。あの暗がりで、何度もやった。


 鼻の奥に、あの湿った空気が蘇る。喉に貼りつく重さ。吐き気を押し殺して、ただ引き続けた時間。


 あのときは、止まれば殴られた。今は止まっても誰も何も言わねえ。違うはずなのに、身体の方が勝手に動く。


「ディオンさん?」


「あ? ああ、何でもねえ」


 俺はスコップを持ち直した。


 作業が終わっても、レオンはうるさい。布を外すな、革を外すな、手を洗え、口をすすげ。めんどくさがる俺に、夕方、実演までしやがった。


 塩を溶かした水を口に含んで、喉を鳴らして吐き出す。もう一度やる。


 エレノアちゃんもリラも、珍しいものを見る顔だ。


 レオンは自分が付けていたあて布を外して、裏返して見せた。外側が黄ばんで、泥とふんの匂いが染みついてる。


「空気が澄んで見えても、こうなります」


 俺は思わず顔をしかめた。さっきまでそれを口元に当ててたのかと思うと、気分が悪い。


 見えねえだけで、入ってきてるらしい。


 それ以来、俺も渋々だが、手を洗って、口をすすいで、体を拭くようになった。やってみると妙にさっぱりするのが、また腹立たしい。


 リラは笑いながら真似してやがるし、エレノアちゃんは当然みたいにやってる。


 気づけば、四人とも同じことをやっていた。


2.


 五日もすると、家の周りの道は見違えた。腐った臭いが薄れ、踏んだときの足裏が沈まねえ。乾いた土の感触が戻ってきて、靴底にまとわりつく嫌な重さも減った。


 朝、家を出て一歩目を踏み出したときの感触が違う。ぐちゃり、じゃねえ。しっかり地面を踏んでる。


 レオンは轍の底に灰を撒き、こぶし大の石を敷き、また灰をかぶせる。


「これで沈み込みません。

  泥はねも減ります」


 そこへ農夫どもが寄ってきた。猫車と角スコップをじっと見て、一人が口を開く。


「すまんが、その車、

  ワシらにも貸してもらえんか」


 俺は反射で値段を考えた。便利なもんにゃ金が付く。


 だがその前に、レオンが言った。


「いいですよ。無償で」


「は?」


 唖然とする俺を尻目に、使い方の説明が始まる。……この顔、何かある。


 案の定、条件付きだった。


「ふんと泥、ごみの除去を

  手伝ってください」


 農夫どもは顔を見合わせ、渋々頷く。


「荷台は使う前に洗うこと。

  作業中は布と革を使うこと。

  布は毎日洗うこと。

  革は擦り切れたら替えること」


 面倒くせえ、という顔が並ぶ。分かる。俺もそうだった。


 だが、猫車の便利さはすぐに分かったらしい。何度か往復するうちに、担いでいた頃にはなかった余裕が出る。息の上がり方が違う。


 ただ、その分だけ、やり方を守らねえと意味がねえ。


 二週間もすると、道はさらにましになった。村の真ん中でも足を取られることが減り、子どもが転んで泥だらけになることも少なくなった。


 ところが今度は、咳き込み、腹下し、嘔吐が出始める。


「魔族の道具のせいだ!」


 家族が騒ぐ。だがレオンは冷めた顔だ。


「それ、僕が作らせた単なる道具です。

  僕の注意、守りました?」


 守った連中は平気。守らなかった連中が倒れてる。


 レオンはまた、あの黄ばんだ布を見せた。


「最初の日に見せましたよね。

  こういうものを吸ってるんです」


 農夫どもは布と自分の手を見比べ、やがて視線を落とした。誰も言い返さねえ。


 ああいう沈み方は、腹に落ちたときの顔だ。


3.


 その翌日、レオンは一人で森に入った。で、次の朝、村の入口に小石の山ができていた。家五軒分はある。


 村人がざわつく。


「ちょうどいいですね。

  これで轍を埋めましょう」


 平然と言いやがる。結局、使うことになり、俺は灰を集めて回る羽目になった。


 作業の合間に、俺はレオンを引っ張った。


「……あの石、どうした」


「ゴブリンに頼みました。

  夜のうちに運んでもらって」


「お前な、そういうこと、

  事前に相談するとか、連絡するとか」


 レオンは首を傾げる。


「だって、白昼にゴブリンを動かせません」


「そこが問題じゃないだろ?!」


 ほんとズレてやがる。


 しかもその日の午後、こいつはまた一人で溝と穴を掘り始めた。川から細く水を引いて、少し離れた場所に深い穴。水がじわじわ溜まっていく。


 掘り方が妙に計画的だ。勾配を見て、水の流れを確かめて、少しずつ形を整えてる。


 最初は物好きの奇行に見えたが、いまは違う。こいつは考えてやってる。


「今度は何だよ……」


「そのうち分かります」


 またそれか。俺は頭を抱えた。


 周りで見てる連中も呆れてはいるが、もう前みてえに笑いはしねえ。


 どうせまた、後から意味が出てくる。そう思ってやがる顔だ。


4.


 五月の終わり、エルン村の見た目はすっかり変わった。


 ふんと汚泥は村外れに集められ、ごみは焼かれる。道は沈まず、足元はずいぶんましだ。風が吹いても、前みてえに腐った匂いが鼻を刺すことは減った。


 ――で、今度はこれだ。


「どうすりゃいいんだよ!」


「立ち小便する場所がねえ!」


「ふん放置したら怒鳴られるぞ!」


 農夫どもが詰め寄る。顔が本気だ。


 苦労してきれいにした連中ほど、今度は汚れを許さなくなったらしい。昨日まで平気だった奴らが、今日は目を光らせてる。


 自警団気取りが増えやがった。


 誰かが道端で用を足そうとすれば睨まれ、家畜のふんがそのままなら持ち主が呼び出される。子どもが泥遊びをすれば怒鳴られ、犬が粗相すれば飼い主が謝りに来る。


 いいことのはずだ。確かに前よりましだ。だが、どこか息苦しい。


 だが現実は、共同便所が二つだけ。村人は二百人超え。朝と夕方は並びができる始末だ。


「俺に言うな! 俺も分からん!」


 怒鳴り返したが、誰も悪くねえ。きれいにした結果、詰まってる。


 そこで俺は、少し離れたところで穴を掘ってるレオンを見た。


「おい! 今度は何だ、その穴は!」


 振り向いたレオンが、汗を拭って言う。


「簡易の川屋です。これで、たぶん何とか」


「たぶん、じゃねえ!」


 俺は叫んだ。


 ……次は説教だ。思いきりやってやる。相談も連絡もなしに、勝手に話を進めやがって。


 だが同時に、こいつがまた当てる気もしている。


 それがまた、腹立たしい。


 そう思いながらも、俺は結局、角スコップを担いでそっちへ向かっていた。

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