第13話 槍使い、新たな紙を村の道具に変える
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。職業は遊び人だ。
レオンの話が終わったあと、村長の家は妙に静まり返っていた。
卓の上には羊皮紙が一枚。そこに並んでいるのは、三百人分を越える名前と日付だ。ついさっきまで、あれだけの人数で騒いでいたのに、今は誰も口を開かねえ。
全員が、その書き付けを見ている。
利点は分かる。分かるが、それが本当に必要かどうかは、別の話だ。紙の上に落とした途端、あれはただの思い出じゃなくなる。証拠になって、あとで誰かを責める種にもなる。そういう重さを、みんな感じていたんだろう。
やがて、酒場主が口を開いた。
「……で、『きろく』ってやつには、
羊皮紙が何枚要るんだ?」
レオンはあっさり答えやがった。
「大人一人につき、
十枚は見ておいた方がいいですね」
酒場主の顔が引きつる。
「お前っ……そんなもんに、
日当二日分も突っ込むのか?!」
レオンは、しみじみ頷いた。
「羊皮紙、高いですよね。
分かります」
毒気を抜かれた顔ってのは、ああいうのを言うんだろう。
若い農夫も口を挟む。
「誰が書くんだよ、こんなの。
俺らにそんな暇ねえぞ」
「お忙しいですからね。
分かります」
年寄りが眉を寄せる。
「間違えたらどうする。
……間違いが出たら大ごとじゃ」
「間違い、不安ですよね。
分かります」
俺は思わず、周りを見回した。誰も怒ってねえ。むしろ、きょとんとしている。
レオンは嬉しそうに頷いた。
「ええ。全部その通りです」
文句を言われて喜ぶ奴が、どこにいる。
だが、その一言で空気が少しだけ緩んだのも確かだった。誰も否定されなかったからだ。逃げ道を残したまま、話の主導権だけは握る。……書記らしいやり方だ。
2.
レオンは一歩前に出て、ゆっくり口を開いた。
「新しいことを始めるときは、
『やる人』と『やり方』を
決めなきゃいけませんよね」
回りくどい。いつものことだ。
だが、こいつの回りくどさは、妙なところで芯を食ってくる。言葉を重ねるごとに、反論の足場が削られていく。
「それに、羊皮紙を使い続けるのは、
やっぱり高くつきます」
そこで一度、言葉を切る。
「……もっと安上がりな物が、
あるんですよ」
寄り合い衆の何人かが顔を上げた。
そんなもんがあるなら、とっくに誰かが使ってるはずだ。俺もそう思ったし、他の連中も同じ顔をしていた。
「すこし、待ってもらえますか。
十日後、皆さんにお見せします」
村長も、寄り合い衆も、半信半疑の顔だ。
当然だ。そんな都合のいい話があるなら、羊皮紙なんざ誰も使わねえ。
それに――
こいつ、五千枚も買ったばかりだぞ。何なんだあれは。ほんとに絵でも描くつもりか?
村長の家を出た帰り道、レオンだけが妙に機嫌が良かった。他は全員、キツネにつままれたみてえな顔をしている。
「うわっ……また踏んだ……」
足元で嫌な音がした。俺は肩をすくめる。
夜道なんてのは、だいたい便所に変わるもんだ。今さら騒ぐな。
だがレオンは露骨に顔をしかめる。泥やふんに対して、こいつは妙に敏感だ。
……こいつ、ほんとに妙なところで潔癖だな、と思った。
3.
その二日後、レオンは村中を歩き回り始めた。
便所の周りやら、ゴミ捨て場やら、ろくでもねえ場所ばかりだ。
何をしてるのかと思えば、汚え布やぼろ服をかき集めている。
近寄るなと言いたくなる臭いだった。しかも選り好みせず、泥だの汚物だのがついたまま袋に突っ込んでいく。
それを、どこから持ってきたのか分からねえ大きな壺で煮始めやがった。
悪臭がひどい。裏庭が地獄に変わった。
俺は思わずエレノアちゃんに聞いた。
「お前の旦那、何やってんだ?」
彼女は苦笑いして肩をすくめるだけだ。
レオンは鍋の前でぶつぶつ言っている。
「尿が一番効くな……いや、
脂と灰汁の混合液も……」
イカレた錬金術師にしか見えねえ。
だが手つきは無駄がない。布を煮て、ほぐして、叩いて、水にさらして、すくい上げる。
単純だが、妙に手慣れている。思いつきでやってるようには見えなかった。
そのうち膠まで炊き始めた。頼むからやめろ。匂いが移る。
それでも止まらねえ。こいつは、必要だと思ったことは、周りがどう思おうがやり通す。
九日後、ようやくそれが形になった。
灰色の、薄い板みたいなものが十枚。
俺は渡されて、恐る恐る匂いを嗅いだ。
……何も匂わねえ。
見た目は木札みたいだが、指で曲げるとしなる。軽い。妙な手触りだ。濡れてもすぐにふやけねえし、爪で引っかいても簡単には裂けねえ。
「なんだ、これ」
「紙です」
さらりと言いやがった。
4.
翌朝、レオンはそれを持って、村長の家へ行った。
「紙です」
それだけ言って、差し出す。
村長も寄り合い衆も、黙って受け取った。引っ張る奴、弾く奴、かじる奴までいる。
「何で出来てるんだ、これ」
「硬えし……妙な味がするぞ」
レオンが苦笑する。
「それ、食べ物じゃありません」
嫌な予感がした。
「便所のぼろ布を、
尿で煮て、ほぐして、
固めたものです」
言いやがった。さっきかじってた奴が、顔色変えて外へ飛び出した。
ざわめきが広がる。だが、村長は平然としていた。ペンを取って、試し書きをする。
「……書き味は、悪くないの」
寄り合い衆の商団長が身を乗り出す。
「王都の神殿で見たものに似てますな。
これを売れば……」
そこで言葉を切る。
「エルン村には、相当な金が落ちますな」
「金持ち」という言葉に、空気が変わった。目の色が変わるってのは、ああいう瞬間だ。
だが村長は、静かに首を振った。
「金持ちにならんでもええ」
レオンの手を取る。
「暮らしから、悲しみと苦労を、
少しでも減らしてくれ。
『記録』と『紙』を、
村のために進めてくれ」
レオンは少しだけ照れた顔で笑った。
それから、何も書いていない羊皮紙を取り出す。
「では、見本を」
さらさらと書き始める。
「エルン村の槍使いレオンと、
賢女エレノア」
「アルセリア暦五百五年四月一日、
婚姻す」
それを村長に渡す。
……やると思った。
新しい物を見せる日に、見本だけは羊皮紙か。……まったく、抜かりのねえ書記だ。
――その日の夜、あいつらの部屋の明かりは消えなかった。
俺は天井を見上げて、ため息をつく。
ろうそくがもったいねえ、って言ったよな。
書き付けも見た。結婚したのも分かった。
だからもう寝ろ。
……うるせえんだよ、まったく。




