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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第二部

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第12話 遊び人、帳面の理に気圧される

1.


 俺の名前はディオン。冒険者をやってる。職業は遊び人だ。


 エレノアちゃんとくっついてからというもの、レオンはさらに妙さを増した。こっちは寝不足の恨みもあるが、そのくらいでいちいち騒ぐほど俺も暇じゃねえ。


 だが、今回ばかりはちょっと違った。


 婚礼の翌朝、レオンはいきなり道具屋へ行くと言い出した。


 買い足しならインク壺か便箋の類だろうと思ってついていったら、あの書記野郎、真顔で羊皮紙を五千枚注文しやがったのである。


 俺はその場で耳を疑った。


「……五千?」


「はい。とりあえず、

  それくらいで足りるかと」


 足りるかと、じゃねえ。何に使うんだそんなもん。道具屋の親父でさえ一瞬目を剥いたくせに、次の瞬間には満面の笑みだ。


 そりゃそうだ。一万二千スクルト。まとまった金貨が動く匂いを嗅げば、商人の顔なんざ春の陽気より速くほころぶ。


 俺は横で頭を抱えた。こいつ、戦利品が入った途端に財布の紐までぶっ壊れたのか。


 五千枚だぞ。羊皮紙ってのは、思いつきで買うもんじゃねえ。帳面好きの神官だってそんな数は抱えねえ。


 だがレオンは平然としていた。必要なものだから買う、みたいな顔をしている。


 さらに腹が立つことに、会計が終わるころには俺の手元に羊皮紙二十枚、ペン、インクまで転がり込んでいた。道具屋の親父が「お連れさんにも少しばかりサービスで」と寄越したものだ。


 俺は思わずにやりと笑った。ところが、店を出た途端、レオンがさらりと言いやがった。


「ディオンさんに同行をお願いしたの、

  これが目当てだったんです」


 俺は足を止めた。


「……は?」


「こういうとき、一人より二人の方が

  サービス品が増えるので」


 鼻白むってのは、たぶんこういう時の顔だ。俺はしばらく何も言えなかった。こいつ、新婚で浮かれてるんじゃねえ。根っこのところが、やっぱり書記だ。


2.


 レオンは、買い込んだ品を抱えて自分の部屋へ引っ込んだ。しばらくしてエレノアちゃんまで呼ばれて入っていく。


 昼飯の時だけ顔を出して、食ったらまた引っ込む。夜になっても明かりが消えねえ。


 翌日も同じだった。


 さすがにろうそくがもったいねえと思ったし、新婚だからって度が過ぎるんじゃねえか、とも思った。


 いや、俺は別に、そういう意味で気にしてたわけじゃない。ないが、壁一枚向こうの前科があると、どうにも想像が妙な方へ転がる。リラはにやにやしてるだけだし、俺ひとりが勝手に落ち着かねえ。


 どうせまた夜通し何かやるんだろうと思うと、ろうそくより自分の胃の方が痛くなった。


 四月四日の朝、ようやく二人が揃って部屋から出てきた。寝不足のくせに、妙にさっぱりした顔をしてやがる。


 レオンは「見てもらいたいものがあります」と言って食卓へ羊皮紙を広げた。


 俺は思わず黙り込んだ。


 細けえ字と数字がぎっしり並んでいる。まるで商人の帳簿だ。いや、帳簿よりまだ細かい。名前、印、日付、横線、縦線。人ひとりの生き死にを、表の形に押し込めた代物だった。


「村長さんと寄り合い衆を

  集めてもらえますか」


 レオンはエレノアちゃんにそう頼んだ。


「明日の朝。場所は村長の家で」


 エレノアちゃんは一度だけ羊皮紙を見て、それから静かに頷いた。どうやらもう中身は分かってるらしい。


 残された俺に、レオンが椅子を勧める。


「ディオンさんにも、

  知っておいてほしいんです」


 嫌な予感しかしなかったが、座らされた以上は聞くしかねえ。そうして始まったのが、レオン流の、やたらとしつこく、やたらと丁寧な「住民登録の必要性」ってやつだった。


3.


 話は回りくどかった。いつものことだ。


 だが、こいつの厄介なところは、回りくどいくせに少しずつ逃げ道を塞いでくるところである。


 生まれた日、神殿に登録された日、結婚した日、誰がいつ死んだか。土地や家がいつ誰のものになったか。


 そういうものを村長ひとりの頭の中へ預けておくのは危うい、とレオンは言った。


「覚えている人がいる間は回ります。

  でも、いなくなったら終わりです」


「村長はまだ元気だろ」


 俺がそう言うと、レオンは首を振る。


「元気かどうかは関係ないんです。

  人は急に倒れますし、

  病みますし、間違えます」


 言い方が容赦ねえ。悪意がないのが、こいつのややこしいところだ。


「日付が曖昧だと、

  誰が損をすると思います?」


「知らねえよ」


「弱い人です。土地を継ぐ人、嫁に行く娘、

  孤児、借りのある人です。

  つじつまが合わないと、

  不利を押しつけられます」


 俺は眉をひそめた。人間なんだから、少しくらい違っても仕方ねえだろ、とも思った。


 だが、レオンはそこで止まらない。仮の名前を並べ、仮の年を置き、誰がいつ死んだことになるか、誰が誰の相続人になるかを表の上でいじり始めた。


 すると、細けえ字の集まりに見えていたものが、急に気味の悪い顔をし始めた。


 あるはずの子がまだ生まれてねえことになったり、死んだはずの親父が生きてたり、嫁入り前の娘に夫がいたりする。


 たとえば親父の死んだ日がずれりゃ、誰が畑を継ぐかまで変わる。そんな話だと分かった時、さすがに俺も黙った。


 俺は夕方になる頃には、ようやくこいつの言いたいことを理解した。


 理解したが、同時に吐き気もした。


「細かすぎる……」


「だから必要なんです」


 レオンは平然と言った。


 こいつはたぶん、生きてる人間を顔で覚えるより、表に落とした方が安心する手合いなんだろう。ほんと、書記ってのは病気みてえな生き物だ。


4.


 翌朝、俺たち四人は村長の家へ向かった。村長と寄り合い衆十人が待っている。みんな顔つきは渋い。


 昨日の祝いの寄り合いとはわけが違う。呼び出された理由が見えねえときの村人ってのは、だいたいこういう顔をする。


 レオンは挨拶もそこそこに、羊皮紙を広げた。


「エルン村の記憶を、

  記録に落とし込みたいんです」


 案の定、空気が冷えた。


「口伝じゃ足りんと言うのか」


「村長を疑う気か」


 寄り合い衆が詰め寄る。村長だけは黙っていた。レオンは逃げなかった。むしろ静かに頷きやがった。


「疑うんじゃありません。

  頼り切っているのが危ういんです」


 そしてその場で、住民二百八人、さらに過去二十年に死んだ百七十六人について、日付を問い始めたのである。


 生まれた日、神殿登録、婚姻、死亡、土地や建物の取得と譲渡。村長と長老が記憶を辿り、寄り合い衆が口を挟み、野次馬まで集まってきて、村長の家はあっという間に人だかりになった。


 昼を過ぎるころには、村長の声も長老の声も掠れていた。それでも誰も席を立たねえ。


 俺は途中で何度も天を仰いだ。こんな地味な作業に、どうしてこんな熱が出るのか分からねえ。


 だが日が傾くころ、三百八十四人分の日付がようやく並び、そこで十七人、つじつまの合わねえ者が出た。


 ざわめきが広がった。


「人間だから仕方ない」


「いや、これはまずい」


 寄り合い衆と野次馬どもの視線が、最後には村長へ集まる。俺も見た。あの人の肩に、どれだけ長え年月の重みが乗っていたかを。


 そこでレオンが、静かに言った。


「村長さんは、とんでもない記憶力です。

  並の人間じゃありません」


 それから、あいつは咳払いして場を見回した。


 一拍、間があった。


「とにかく。明日、

  村長さんが亡くなったらどうします?」


 全員が色めき立った。怒号が飛ぶ。だが村長が杖を突いて、それを止めた。


「そういうことじゃ。

  ワシはいま、死ぬこともままならん」


 その一言で、広間がしんと静まる。


 レオンはそこで初めて、少しだけ声を落とした。


「生まれてから死ぬまで、

  人にはいろんな節目があります。


  その日付の誤りや、

  つじつまの合わなさが、

  誰かを不利に追いやることは

  多いんです」


 俺は隣で、黙って羊皮紙を見た。


 細けえ字と数字の並びだ。だがもう、ただの書き付けには見えなかった。あれはたぶん、この村がこれまで口の中だけで抱えてきた記憶を、逃がさねえための網なんだろう。


 ……吐き気はするが、意味は分かった。こいつは本気で、エルン村の暮らしを変える気だ。

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