第11話 遊び人、村の記憶と文字の壁に触れる
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。職業は遊び人だ。
俺たち四人が村長の家へ着くころには、話はもう半分どころか八割がた広まっていた。
そりゃそうだ。朝っぱらから森でオークを仕留めた妙な兄ちゃんが、そのまま賢女エレノアちゃんとくっついたらしい、なんて話だ。辺境の村じゃ、数年に一度の大ネタである。
戸口の前には若い連中がたむろし、娘衆まで揃ってやがった。中へ入れば、広間はもう寄り合いの体裁だ。村長は杖を脇に置いて座り、長老どもは壁際に陣取っている。
リラは最前列でにやにやしてるし、エレノアちゃんはいつもの澄ました顔だし、レオンだけが妙に背筋を伸ばしていた。
俺はそれを横目に見ながら、改めて思った。エレノアちゃん、半端じゃねえ。昨夜の勢いも大したもんだったが、そのあと逃がさず、朝には寄り合いまで漕ぎつけたんだからな。
惚れた腫れたでふわつくんじゃなく、生きるための筋道として押さえるあたりが、辺境育ちの女らしいというか、何というか。
村長が杖で床をとんと鳴らした。
「さて、レオンとエレノアの件じゃ」
広間のざわめきが、すっと細くなる。こういうときだけは皆、ちゃんと聞く耳を持っている。
2.
まずレオンが革袋を差し出した。
「……オーク討伐の報酬の半分です」
そう言ってエレノアちゃんに渡す。中身は一万四千スクルト。昨日の換金額の、きっちり半分だ。エレノアちゃんは平然と受け取って、中を改めもせず村長へ見せた。
「確かに受け取りました」
「証人はおるな?」
村長が問えば、広間のあちこちから「見たぞー」「けちってねえな」「若いのに筋は通す」と好き勝手な声が飛ぶ。
続けてレオンは、小さな革袋を酒場主へ放った。
「祝いに使ってください」
たちまち樽が転がされ、肉皿が並び、蜂蜜酒の匂いが立ちのぼる。ほんと、こういうときの村の動きは早え。昼間から酒盛りだ。
だが本番はそこからだった。リラが待ってましたとばかりに声を張る。
「でもですねー! 婚姻そのものは
昨夜で済んでますよっ!」
場が、すっと静まる。
「エレノアが夜這いに行ったんです」
そういうことは本人に言わせろ、と俺は思ったが、もう遅い。レオンは耳まで真っ赤、エレノアちゃんは涼しい顔で「ええ、行ったわ」と言った。
すると年かさの女たちが前へ出た。
「なら証し布があるだろ」
「孤児の娘だ。村が代親なら、
そこまで見届けにゃならん」
若い娘衆も面白がってついていこうとしたが、先に動いたのは婆さまたちだった。ここは覗き趣味じゃねえ。辺境じゃ、口約束だけで済ませるとあとで揉める。
一夜を越えた事実まで共同体が受け取って、初めて「済んだ」になる。その確かめをするのは、代親役の女たちの務めだ。
寝具が運ばれ、女たちが手慣れた顔で布を確かめる。色っぽさなんざ欠片もねえ。家畜の受け渡しか、年貢の計り直しかってくらい乾いた手つきだった。
やがて皺だらけの婆さんがひとつ頷く。
「……確かに花嫁の証しだよ」
それでようやく、広間の空気がほどけた。
3.
村長が杖を突いた。
「エレノアは孤児。
ゆえに我らが代親となる。
エルン村の名において、
レオンとの婚姻を認める」
杯が打ち鳴らされ、広間がどっと沸く。そこから先は、まあ、いつもの村だ。
若い男どもはレオンを囲んで、好き勝手に囃し立てる。こいつ、槍よりそっちに弱えから、顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている。
一方、娘衆は娘衆でエレノアちゃんを囲んだ。
「どうだったの?」
「優しかった?」
「強かった?」
当の本人は少し考えてから、「悪くは……なかった」とだけ答える。そんなもんで済むかと周りが詰めれば、エレノアちゃんは首を傾げて続けた。
「……オークが小さく見えたわ」
広間が一瞬、しんと止まり、それから爆発した。机を叩く奴、酒を吹く奴、腹を抱える奴。レオンは「エレノアさんっ!」と頭を抱えていたが、もう遅え。こうなりゃ一生の持ちネタだ。
そのうえ若い連中は止まらねえ。
「寝たのか?」
「途中で休んだか?」
するとエレノアちゃんは平然と答えた。
「寝てないわ」
レオンの顔から魂が抜ける。俺はそれを見て、酒をあおった。悪くねえ末路だ。
村長が最後に「よし、飲め!」と締めて、広間はまた宴へ戻っていく。リラは腹を抱えて笑い、エレノアちゃんは普通に肉を食っている。
俺もようやく肩の力を抜いた。
これで全部、丸く収まった。
そう思った、そのときだった。
4.
レオンが杯を置いて、真顔で言った。
「婚姻の書付は、作らないんですか」
広間が、ぴたりと黙った。
「かきつけ?」
「金は渡したろ?」
「証し布も見たぞ」
口々にそんな声が上がるが、どうも噛み合ってねえ。俺は黙って続きを待った。
レオンは、皆の顔を見回しながら言う。
「誰と誰が、いつ、どこで婚姻したか。
あとで確かめられるように、
文字で残しておくんです」
ぽかんとする村人たち。若いのが、おずおず手を挙げた。
「残すって、何のためにだ?」
レオンは間を置かずに答えた。
「人は忘れるので」
その瞬間、広間は蜂の巣をつついたみてえになった。
「そんなもん書くのか」
「初夜の話まで残す気か」
「皆で見たろうが」
「村長がおるじゃねえか」
そういやこの村じゃ、誰がいつ生まれたとか、どこの畑の境がどこまでだとか、誰が誰にどれだけ借りを作ったとか、みんな最後は村長の頭ん中へ行き着く。
酒をろくに飲まず、余所へも出ず、村に居続けるってのは、つまりそういうことだ。
村ひとつ分の暮らしを、ひとりの頭で抱えてる。
そこで長老のひとりが、村長を見やって口を開いた。
「レオンよ、村長を見てみろ。
あのお人は酒もろくに飲まず、
女房も取らず、この村のことを
腹ん中に抱えて生きてきた。
そうやって代々つないできたんだ。
まだ足りんか」
レオンはすぐには答えなかった。
村長を見る。長老を見る。それから、杯も手をつけぬまま卓へ置いた。
こいつは強く押し返す男じゃねえ。だが、さっきまで真っ赤になって笑われてた顔が、今はもう別の顔に見えた。
困ってるんじゃない。迷ってるんだ。目の前のやり方に従うことと、自分の筋を引っ込めることが、こいつの中じゃ別なんだろう。
そのとき、隣のエレノアちゃんが、黙ったまま一度だけレオンを見た。いつもの澄ました顔のまま、けど、何かを測るみたいな目だった。
やがてレオンは、小さく息を吐いた。
「……皆が覚えていられるなら、
それで済むのかもしれません。
でも、覚えている人がいなくなったら、
どうするんです」
誰も、すぐには答えなかった。
さっきまでの笑いが、嘘みてえに遠のく。宴の最中だってのに、広間の真ん中へひやりとしたものが差し込んだ気がした。
村長が黙って杖を握っている。長老は眉を寄せる。若い連中は顔を見合わせるばかりだ。
宴はやがてまた騒ぎへ戻ったが、俺だけはレオンの顔を見ていた。
村の記憶で足りるのか。
それとも、足りねえから文字が要るのか。
笑い話だけで終わらねえもんが、確かにそこにあった。




