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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第一部

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11/80

第11話 遊び人、村の記憶と文字の壁に触れる

1.


 俺の名前はディオン。冒険者をやってる。職業は遊び人だ。


 俺たち四人が村長の家へ着くころには、話はもう半分どころか八割がた広まっていた。


 そりゃそうだ。朝っぱらから森でオークを仕留めた妙な兄ちゃんが、そのまま賢女エレノアちゃんとくっついたらしい、なんて話だ。辺境の村じゃ、数年に一度の大ネタである。


 戸口の前には若い連中がたむろし、娘衆まで揃ってやがった。中へ入れば、広間はもう寄り合いの体裁だ。村長は杖を脇に置いて座り、長老どもは壁際に陣取っている。


 リラは最前列でにやにやしてるし、エレノアちゃんはいつもの澄ました顔だし、レオンだけが妙に背筋を伸ばしていた。


 俺はそれを横目に見ながら、改めて思った。エレノアちゃん、半端じゃねえ。昨夜の勢いも大したもんだったが、そのあと逃がさず、朝には寄り合いまで漕ぎつけたんだからな。


 惚れた腫れたでふわつくんじゃなく、生きるための筋道として押さえるあたりが、辺境育ちの女らしいというか、何というか。


 村長が杖で床をとんと鳴らした。


「さて、レオンとエレノアの件じゃ」


 広間のざわめきが、すっと細くなる。こういうときだけは皆、ちゃんと聞く耳を持っている。


2.


 まずレオンが革袋を差し出した。


「……オーク討伐の報酬の半分です」


 そう言ってエレノアちゃんに渡す。中身は一万四千スクルト。昨日の換金額の、きっちり半分だ。エレノアちゃんは平然と受け取って、中を改めもせず村長へ見せた。


「確かに受け取りました」


「証人はおるな?」


 村長が問えば、広間のあちこちから「見たぞー」「けちってねえな」「若いのに筋は通す」と好き勝手な声が飛ぶ。


 続けてレオンは、小さな革袋を酒場主へ放った。


「祝いに使ってください」


 たちまち樽が転がされ、肉皿が並び、蜂蜜酒の匂いが立ちのぼる。ほんと、こういうときの村の動きは早え。昼間から酒盛りだ。


 だが本番はそこからだった。リラが待ってましたとばかりに声を張る。


「でもですねー! 婚姻そのものは

  昨夜で済んでますよっ!」


 場が、すっと静まる。


「エレノアが夜這いに行ったんです」


 そういうことは本人に言わせろ、と俺は思ったが、もう遅い。レオンは耳まで真っ赤、エレノアちゃんは涼しい顔で「ええ、行ったわ」と言った。


 すると年かさの女たちが前へ出た。


「なら証し布があるだろ」


「孤児の娘だ。村が代親なら、

  そこまで見届けにゃならん」


 若い娘衆も面白がってついていこうとしたが、先に動いたのは婆さまたちだった。ここは覗き趣味じゃねえ。辺境じゃ、口約束だけで済ませるとあとで揉める。


 一夜を越えた事実まで共同体が受け取って、初めて「済んだ」になる。その確かめをするのは、代親役の女たちの務めだ。


 寝具が運ばれ、女たちが手慣れた顔で布を確かめる。色っぽさなんざ欠片もねえ。家畜の受け渡しか、年貢の計り直しかってくらい乾いた手つきだった。


 やがて皺だらけの婆さんがひとつ頷く。


「……確かに花嫁の証しだよ」


 それでようやく、広間の空気がほどけた。


3.


 村長が杖を突いた。


「エレノアは孤児。

  ゆえに我らが代親となる。

  エルン村の名において、

  レオンとの婚姻を認める」


 杯が打ち鳴らされ、広間がどっと沸く。そこから先は、まあ、いつもの村だ。


 若い男どもはレオンを囲んで、好き勝手に囃し立てる。こいつ、槍よりそっちに弱えから、顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている。


 一方、娘衆は娘衆でエレノアちゃんを囲んだ。


「どうだったの?」


「優しかった?」


「強かった?」


 当の本人は少し考えてから、「悪くは……なかった」とだけ答える。そんなもんで済むかと周りが詰めれば、エレノアちゃんは首を傾げて続けた。


「……オークが小さく見えたわ」


 広間が一瞬、しんと止まり、それから爆発した。机を叩く奴、酒を吹く奴、腹を抱える奴。レオンは「エレノアさんっ!」と頭を抱えていたが、もう遅え。こうなりゃ一生の持ちネタだ。


 そのうえ若い連中は止まらねえ。


「寝たのか?」


「途中で休んだか?」


 するとエレノアちゃんは平然と答えた。


「寝てないわ」


 レオンの顔から魂が抜ける。俺はそれを見て、酒をあおった。悪くねえ末路だ。


 村長が最後に「よし、飲め!」と締めて、広間はまた宴へ戻っていく。リラは腹を抱えて笑い、エレノアちゃんは普通に肉を食っている。


 俺もようやく肩の力を抜いた。


 これで全部、丸く収まった。


 そう思った、そのときだった。


4.


 レオンが杯を置いて、真顔で言った。


「婚姻の書付は、作らないんですか」


 広間が、ぴたりと黙った。


「かきつけ?」


「金は渡したろ?」


「証し布も見たぞ」


 口々にそんな声が上がるが、どうも噛み合ってねえ。俺は黙って続きを待った。


 レオンは、皆の顔を見回しながら言う。


「誰と誰が、いつ、どこで婚姻したか。

  あとで確かめられるように、

  文字で残しておくんです」


 ぽかんとする村人たち。若いのが、おずおず手を挙げた。


「残すって、何のためにだ?」


 レオンは間を置かずに答えた。


「人は忘れるので」


 その瞬間、広間は蜂の巣をつついたみてえになった。


「そんなもん書くのか」


「初夜の話まで残す気か」


「皆で見たろうが」


「村長がおるじゃねえか」


 そういやこの村じゃ、誰がいつ生まれたとか、どこの畑の境がどこまでだとか、誰が誰にどれだけ借りを作ったとか、みんな最後は村長の頭ん中へ行き着く。


 酒をろくに飲まず、余所へも出ず、村に居続けるってのは、つまりそういうことだ。


 村ひとつ分の暮らしを、ひとりの頭で抱えてる。


 そこで長老のひとりが、村長を見やって口を開いた。


「レオンよ、村長を見てみろ。

  あのお人は酒もろくに飲まず、

  女房も取らず、この村のことを

  腹ん中に抱えて生きてきた。


  そうやって代々つないできたんだ。

  まだ足りんか」


 レオンはすぐには答えなかった。


 村長を見る。長老を見る。それから、杯も手をつけぬまま卓へ置いた。


 こいつは強く押し返す男じゃねえ。だが、さっきまで真っ赤になって笑われてた顔が、今はもう別の顔に見えた。


 困ってるんじゃない。迷ってるんだ。目の前のやり方に従うことと、自分の筋を引っ込めることが、こいつの中じゃ別なんだろう。


 そのとき、隣のエレノアちゃんが、黙ったまま一度だけレオンを見た。いつもの澄ました顔のまま、けど、何かを測るみたいな目だった。


 やがてレオンは、小さく息を吐いた。


「……皆が覚えていられるなら、

  それで済むのかもしれません。

  でも、覚えている人がいなくなったら、

  どうするんです」


 誰も、すぐには答えなかった。


 さっきまでの笑いが、嘘みてえに遠のく。宴の最中だってのに、広間の真ん中へひやりとしたものが差し込んだ気がした。


 村長が黙って杖を握っている。長老は眉を寄せる。若い連中は顔を見合わせるばかりだ。


 宴はやがてまた騒ぎへ戻ったが、俺だけはレオンの顔を見ていた。


 村の記憶で足りるのか。


 それとも、足りねえから文字が要るのか。


 笑い話だけで終わらねえもんが、確かにそこにあった。

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