第10話 遊び人、隣室の騒ぎで寝不足になる
1.
俺の名前はディオン。冒険者をやってる。職業は遊び人だ。
生まれた日の細けえことなんざ知らねえ。夏至の近くだったらしいから、たぶん今年で二十六前後だろう。大きく外れてなきゃ困りゃしない。
そんなことより問題は、俺がいま、とにかく寝不足だってことだった。
どうせそのうち静かになると思っていた。
若い男女が一つ屋根の下、そういう流れになるのは分かる。だが普通はほどほどってもんがあるだろう。
せいぜい藁袋が少しきしんで、押し殺した声が二、三度聞こえて、それで終わり。翌朝は知らん顔で飯を食えば済む。そういうもんだと思っていた。
なのに、いつまで経っても終わらねえ。
壁一枚向こうから、藁の擦れる音が断続的に聞こえてくる。最初はエレノアちゃんの浅い吐息だけだった。聞きたかねえが、聞こえちまうもんは仕方ねえ。俺は毛布を耳まで引っ張り上げた。
だが、真夜中を回ったあたりから様子がおかしくなった。
レオンの声まで混ざり始めたのだ。
あの堅物書記野郎、昼間は娘衆に囲まれただけで耳まで真っ赤にしてたくせに、夜半を越えた途端、急に景気が良くなりやがる。
低く掠れた息、喉の奥で途切れる声、短い囁き。最初はエレノアちゃんが押し切ってるだけだと思っていた。だが、どうも違う。
いや待て。最初にレオンの逃げ腰を止めたのは、間違いなくリラの呪いだ。だから始まりは、エレノアちゃんが流れをつかんだんだろう。
だが、途中から壁の向こうの気配が変わった。
藁袋のきしむ間合いが変わる。エレノアちゃんの声が甘く上ずる。その合間に、レオンの低い声が落ちる。
何を言ってるかまでは聞き取れねえ。聞き取れねえのに、空気だけは嫌でも分かる。短く、低く、それだけで向こうの空気が変わる。
ひとこと落ちるたび、エレノアちゃんの息が乱れる。押していたはずの勢いが途切れて、半分泣きそうな甘い声が漏れる。
……おい。
これ、もう立場ごとひっくり返されてねえか?
しかも嫌々付き合わされてる感じじゃない。途中からは完全に、あっちもこっちも自分の意志で火がついてやがる。
聞きたくねえのに、聞こえるもんだから分析だけが進む。最悪だ。眠れねえうえに、隣室の力関係の逆転まで理解させられている。
しかも隣じゃ、その元凶のリラが、すぴー、と実に平和な寝息を立ててやがる。お前が縛って、お前が寝るのかよ。どういう神経してりゃ、この状況で熟睡できる。少しは責任を感じろ、責任を。
若い頃はこういう夜の気配に胸が騒いだこともあった気がする。だが今は違う。
ただ眠てえ。
色気も駆け引きも主導権争いもどうでもいい。寝かせろ。
夜明け前。ようやく静かになるかと思った矢先、隣室からエレノアちゃんの切羽詰まった声が響いた。
「も、もう……やだ、寝かせてっ……!」
――それは俺のセリフだ、馬鹿野郎。
2.
結局、俺は一睡もできなかった。
朝になっても頭の芯がじんじんする。そんな俺の正面で、レオンは腹が立つほど顔つやが良かった。世界の幸せをひとりで抱え込んだみてえな顔をしてやがる。
俺は朝飯の前に、こいつを外へ連れ出した。
家の裏、柵の外。肥溜めの近くの立ち小便場所で、二人並んで腰紐を解く。朝の空気は冷えていて、鶏がうるさい。
「ここじゃ珍しい話じゃねえ。
女が男を捕まえるのはな。
辺境じゃ男が死ぬ。
オーク、狼、盗賊、冬。
理由はいくらでもある。
だから強い男は資産だ」
レオンが眉を寄せる。
「……はい」
「エレノアちゃんは孤児だし、
女一人で生きるにゃ楽じゃねえ。
昨夜のことも、
あの子なりに必死だったんだろ。
ただ盛り上がっただけで
済ます話でもねえ」
レオンはしばらく黙り、それから小さく息を吐いた。
「僕が助けた。僕が関係を持った。
……それに、途中からは
僕も逃げる気なんてなかった。
なら最後まで面倒を見る。
それが筋でしょう」
やっぱり書記だ、この男。
俺は横目で見て、つい口を滑らせた。
「……お前、本当に槍使いなんだな」
レオンがぴたりと固まり、耳だけ少し赤くなる。おせえよ。
俺は肩をすくめて腰紐を結んだ。
「気負わなくていい。
分かってくれてりゃ、それでいいさ」
そう言った自分の声が、妙に年寄りくさく聞こえた。
若い連中が一晩でくっついて、朝になれば先の話をする。俺はその横で、寝不足の頭を抱えて立ち小便だ。
……俺、レオンの一つだけ年上だったよな?
3.
朝飯は台所で食う。木の卓に並んだのは、温めたミルクに黒パン、豆の煮込み。腹に流し込んで、生き延びるために食う類の飯だ。
俺はちぎった黒パンをミルクに浸しながら、半分死んだ頭で豆を噛んだ。隣ではレオンが妙にしゃんとして座っている。
そこへ、エレノアちゃんが入ってきた。髪は結い直してあるし、顔もいつもどおり澄ましている。
ただし、耳だけ赤い。あと、腰をそっと押さえている。おまけに足取りが少しぎこちない。平然を装って椅子を引いたものの、座る瞬間、ほんのわずかに眉が寄る。見てるこっちが居たたまれねえ。
湯を注いでいたリラが小声で聞いた。
「どうだったの」
お前が聞くのかよ。元凶の一角が、なんで朝の井戸端話みてえな顔してるんだ。昨夜お前が余計な真似をしなきゃ、少なくとも俺は眠れたんだぞ。
エレノアちゃんは一拍置いて、それから湯気の向こうを見たまま言った。
「……途中で、思ったより話が違いました」
俺は危うくミルクを噴きそうになった。
ああ、だろうな。そりゃそうだろうよ。最初は自分で押し切るつもりだったのに、途中から向こうが本気を出してきたら、そりゃ話も変わる。
おい、レオン、そこで目を逸らすな。
リラが目を細める。昨夜より少しだけ真面目な顔で、エレノアちゃんの様子を見た。
「それで?」
エレノアちゃんは口を閉ざした。澄ました顔のまま、耳だけ赤い。しばらくしてから、諦めたように小さく答える。
「……ひどい目に遭いました」
俺は黒パンをちぎる手を止めた。十分すぎた。昨夜の壁越し情報と照らし合わせれば、だいたいの経緯まで浮かぶ。浮かぶから困る。
リラは吹き出しかけ、慌てて器の湯気に顔を隠した。
「それは……まあ、うまくいったのね」
よかったわけあるか。
お前も一晩中、壁一枚向こうでレオンが仕上がっていく音を聞かされてみろ。寝不足のまま朝飯食って、そのうえ感想戦まで付き合わされる身にもなれ。こっちは被害者だぞ。
だが、当のエレノアちゃんは、その言葉を強く否定しなかった。むしろ少しだけ唇を結んで、俯き加減に豆をつついている。なんだその、願ったり叶ったりみてえな顔は。
レオンが、俺のほうを向いて真面目に聞いてきた。
「村では、結婚の手続き、
どうするんですか」
俺は豆を噛みながら、一瞬だけ固まった。
おいおい、エレノアちゃん。思った以上に本気になっちまったぜ、この兄ちゃん。
昨夜の勢いだけで終わらせず、朝になったらもう結婚の手順を確認してやがる。堅物ってのは、火がつくと面倒だが、筋を通す時は本当に速え。
俺はなるべく穏やかな顔で答えてやった。
「村の寄り合いに、声掛けねえとな」
その瞬間、エレノアちゃんの顔がぱっと明るくなった。ほんの一瞬だったが、耳はまだ赤いくせに、目だけは隠しきれず嬉しそうで、なんともまあ、分かりやすい。
レオンは真面目にうなずいた。
朝飯を終えると、俺たちは支度をした。レオンは昨日道具屋で買った平服を着ている。書記くさい小綺麗さは残ってるが、昨日よりは村に馴染んで見えた。
そうして、俺たち四人はそろって村長の家へ向かった。




