第42話 少女の理屈
チハの突如放ったひと言によって、その場の雰囲気は一変した。
つい昨日俺たちの家に訪問販売にやってきた少女が、違法販売に手を染めてまで尽くしてきた孤児院を離れて俺たちと一緒に暮らしたいと言い出したのだ。
この世界の常識がわからない俺はもちろんのこと、セティアたちも一様に驚愕している。
おそらくこれまで孤児院で苦楽を共にしていたパルルにいたっては、衝撃が強すぎたのか、魂がお口から抜けかけている。
明らかに異常事態だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれる?」
とりあえず俺はチハちゃんに確認しておきたいことがあった。
「昨晩、チハちゃんが稼がないと、孤児院の子どもたちが飢えてしまうと言ってたよね? チハちゃんが孤児院から離れると、みんな大変なことになるんじゃないの?」
少女は迷いのない視線を俺に向けた。
「あたしがこの世帯に入れば、孤児院の子たちは関係なくなる」
無表情な顔から無情な言葉が飛び出した。
俺はこの世界に来てからまだ日が浅いものの、この世界の厳しさを肌で感じてきた。
そんななかでも孤児院の中で助け合って懸命に生きてきたと思っていた少女から、そのような言葉がさらりと出たのだ。
俺の精神力は突破され、口から魂がふぇ〜〜、と抜け出す。
「そんなに簡単に孤児院の仲間を見捨ててもいいのかよ? こうして心配して探しに来てくれてるんだぞ?」
あまりに薄情なチハの様子に、見かねたゲンが言葉をかける。
パルルの魂が元に戻る。
そうだ、意識を失っている場合じゃない!
チハを説得しないと!
「孤児院はもともと大人の世帯に入れない子たちが一時的に入るだけの隔離施設。世帯に入れてくれる住居があるなら、孤児院としては戻ってこない方がいいはず。むしろ、一時的に保護しておきながら、居住空間があるのに受入拒否してそのまま孤児院に戻す方が大人としては無責任。世帯人数が一杯なら、あたしよりむしろアナタが世帯を変えればいい」
ゲンの人情論に対して、チハから出たのは孤児院の制度からくる完璧な正論。
無表情ながらも眼光の鋭い幼女に論破されたゲンの口からも、魂がふぇ〜〜と抜け出す。
ついでに、無情すぎるチハの論理に、「探しにきたオレはいったい……」とパルルくんのお口から再び魂がふぁ〜〜と抜け出した。
「アナタ、ちょっと言い方がキツいんじゃ……」
「キモイ」
イアーモの口から、魂がふぇ〜〜と抜け出した。
こういう言われ方は、(イアーモ目線で)同性から言われた方が堪えるのだ。
「あのなぁ、お嬢ちゃ――」
「話しかけないで」
バッカスの口から、魂がふぇ〜〜と抜け出した。
セティアは、表情を曇らせながらも一つ息を吐いた。
「あなたの言い分もわかります。ですが、私たちの世帯もこういう暮らしができるようになったのはほんの最近で、このままこの生活を続けていけるかどうかはわからないんです」
極貧生活だった頃のことを考えると、世帯の加入申込者を無制限に増やしていけるわけではない。
ゲンやイアーモが加入したのは、それだけ世帯に役立つ能力あってのことだ。
誰かれ構わずというわけにはいかない。
救いを求めている子どもであるならなおさらだ。
迂闊に受け入れて、その子の生活に支障をきたしても責任が取れるわけではないのだ。
それに、一人認めたことで、他にも受け入れてほしいという子どもが大量に来られても困る。
そう考えると、子どもであるからといって安易に加入を認めるのはセティアとしては避けたいことだった。
「無理なものは無理と言わなければならない」、そんな決意を宿した目でセティアは、チハを見据えた。
チハは、そんなセティアの目を、意を決したようにまっすぐに見返した。
「……わかります。ここの暮らしをほんの少し見たおかげで、私のやるべきことが見えました」
チハの意外なひと言に、セティアの目が泳ぐ。
――え、なにがわかったのかしらん?
「豊富な野菜に果物――食費」
チハの視線が、台所を捉える。
セティアの目が驚愕に見開かれた。
「作り置きの器具類や部品の在庫――リフォーム費用」
チハの視線が、2階や3階を透視する。
セティアがバッと上を向く。
……この子にはいったい何が見えているのだろう。
「お姉さんは、いま『こういう暮らしができるようになったのはほんの最近』と言った。つまり、それだけの収入が最近生まれたということ。おそらくそれはお姉さんの寝間着を作ってくれた能力やほかの誰かの能力によって生まれたもの。ただ、それにしては、居住空間に物が溢れ、住居は改築が進み、生活水準は富裕層並み。そこから推察される、この世帯の資産は――」
チハの視線がセティアの瞳の奥を捉える。
そのすべてを見透かすような視線に抗うように、セティアも負けじとチハを見つめ返した。
裕福な暮らしをしているくせに、家にはたんまりとお金を隠している、と言うのでしょう?
でも本当に何にも隠してないのよ?
だって財布の中身だってほとんど残ってないし? なんなら見る?
「すでにカラっぽのはず……」
がふぅっっ!
セティアは、吐血しつつ口から魂を吐き出した。
なぜ、この少女にそこまでのことを見抜かれたのだろうか。
魂が抜けかけ意識の混濁した状態で、朦朧とセティアは考える。
――ひょっとして、あのときだろうか?
風呂用スペースでたらいのお風呂に入れてあげたとき、もう少ししたらここに専用のお風呂スペースを作ると話したこと。
――いや、それともあのとき?
2階のセティアの部屋でチハの服を脱がせて洗濯しておくと言ったときに、せっかく可愛い女の子なんだから、と髪留めの一つをチハに付けてあげたこと。
そのときに、チハは見ている。
最近思い切って新調してしまった、セティアの部屋に鎮座している大容量のちょっと値の張る衣装ケースを。
――いや、さらに思い返せばあのとき?
『すごいお金持ちなんですね……?』
『えっ、いや、そうでもないのよ……? やたらとリフォームしたがる大工と、おいしいものを食べることが大好きな同居人たち、そういう私もついつい散財しがちで――』
完全に、墓穴だった。
孤児院での苦しい生活のなか、違法商品を訪問販売して歩く幼女の目には、セティアたちの生活水準が豪華気味だということが瞬時に看破できてしまったのだろう。
だがしかし、私にはこの無尽蔵の納税品作成能力がある!
ユンフラークも作ったそばからどんどん買い取りたいと言ってくれるので、私が包帯を作りさえすれば、金はまた生み出すことができるのだ!
ちょっとの散財くらいなら問題なし!
いまの生活を維持するためなら、私は稼ぎ続けてみせる!
セティアは、ちゅるちゅるっと魂をお口に吸い込むように戻した。
目には闘争心が戻っている。
「それに、また稼いだとしても、すぐにお財布の紐が緩んで散財が止められなくなる……」
チハの言葉にセティアの瞳が焦点を失い、魂が「呼んだ?」と言うように、お口から顔を覗かせる。
そう言われてみると、思い当たることが多い。
セティアの脳内で、記憶の欠片が少しずつ集まり、収束して一つの絵を描いていく。
そういえば、最近、商品交換所で生鮮食品のおばちゃんたちから声をかけられることが増えたような――
『ねえねえ、セティアちゃん、この果物美味しいわよ! 1個どうだい? 3個なら、この評定外の果物を内緒で1個つけちゃう! ところで、最近美しさにますます磨きがかかってきたねえ? そんなセティアちゃんにはこの美容によく効く果物なんかどうだい? こっちも買っていってくれるんなら、セティアちゃんにだけ特別に、評定外の果物3個オマケしちゃう!』
『もうおばちゃんたら調子良いんだから。……じゃあオマケしてくれるし、2つとも買っちゃおうかなっ!』
そういえば、肉屋のおじちゃんからもよく言葉をかけてもらうようになった。
『セティアちゃん、よく来てくれたね! セティアちゃんの可愛い顔が見れるだけでおじちゃん、生きる気力が湧いてくるよ! ところで、どうだい、この肉! 立派だろう? たまにしか入らない竜肉だよ! アタリさんだっけ、セティアちゃんのとこの旦那さん? あの人もきっと美味いって喜ぶよ!』
『嫌だ、旦那さんなんて……。おじちゃん、私とアタリさんはそんな関係では……。でも、喜んでもらえるならちょっと奮発して買っちゃおうかな? いつも買う牛肉と一緒にお願いしますっっ!』
そう思うと、髪飾り職人のお姉さんからもよく呼び止められているような――
『セティアちゃん! 良いところに来てくれたわ! いまちょうど新作の髪留めが入ったところよ! ここだけの話なんだけど、以前に製作された髪留めと似たような造りをしているって理由で弁務官事務所の評定が下がっちゃったらしいのよ。でも品質は保証するわ! むしろ前回より良い出来よ! まったく、これだからお役所仕事の人たちは見る目がないわ! セティアちゃん、この間の作品は1000ルクスでちょっと高くて手が出ないって言ってたわよね? 今ならあれと同等か上のものが500ルクスで手に入るわよ?』
『買いでっっっ!!』
セティアには知る由もなかったが、実のところ商品交換所で小売人の方々の間では、セティアは気前よく買い物をしてくれるちょっとした話題の人になっている。
容姿は可愛いし人当たりも良いので、商品を勧める方も善意からいろいろと勧めたくなるのは道理。
だが一方で、あれほどホイホイとお買い上げしてくれる人も最近珍しいので、商品交換所の方ではすっかりセティアのことを待ち構えている雰囲気が形成されている。
セティアもすべての小売人の店を回れるわけではないので、小売人の方は、次にセティアがどの店の方に足を向けるか、温かい表情を崩さずにヒシヒシと探っている状況。
そして、セティアがひとたび自分のお店の領域に入った瞬間に「よし、かかったぁっ!」とばかりに声をかけるのだ。
にこやかに、爽やかに、暑苦しくない程度に温かく、ときにセティアの好みを探りつつほかのお店に情報が流れないよう慎重に言葉を選ぶ……。
ほかのお店もセティアの好みが垣間見えるときは、すっと会話を止めて傾聴モードに入る。
そんな感じで、すっかり商品交換所の上得意さんになったセティアは、小売人の方々からのあの手この手の呼び込みを受けて、最近いささか食料品や生活用品を買い込みすぎるきらいがあった。
商品交換所から帰ってくると、「あれ? 出かける前は膨らんでいたお財布が、なぜ無一文に!?」ということがたびたびあるが、定期的に配給金が支給されるため、「まあいいか、また稼げばいいんだし!」と頭の隅から追い出していたセティア。
そして家のリフォームについても、ゲンが必要な資材だと言えば、二つ返事で追加費用の要求を快諾してきた。
だって、ゲンはいつも追加費用の依頼をしてくるときに、セティアの望む仕様の改築を施してくれるんだもの。
あれ?そういえば、そういうときゲンは、「よっしゃ! やっぱりコレを混ぜ込んどいて正解だったぜ!」とガッツポーズを取っていたような……。
「要するに、家計管理ができるタイプではない」
チハの総括とセティアの朧気な記憶から導き出される結論が、現在の時間軸で符号した。
セティアのお口から、「ちょっとお散歩に行ってきまぁーす!」とばかりに魂が飛び出した。
なぜか手が生えて顔を覆っているように見える。
ちょっと精神が居た堪れない状態になってしまったセティアだが、チハの言うことは概ね正解だった。
セティアは無尽蔵の繊維作成能力をもって、納税品である包帯を大量生産し、世帯を十分に養っていけるだけの配給金を手にすることができた。
その一方で、極貧生活からやっとのことで抜け出し、新築同然の世にも珍しい3階建て住居を手にしたことで、おいしい食べ物、より良い暮らしと、一気に物欲が爆上がりしちゃっている。
いわば、バリバリ稼いでいる高所得の働く女性にありがちな、お金を使うことに対する節度がだいぶ緩んでしまっている状態なのだ。
そこに普段の買い物をするお店のおばちゃんたちやセティアの同居人の大工があの手この手でお金を使わせちゃうため、セティアがいくらお鶴さんのごとく夜鍋をして包帯を制作しても、なぜか手元にお金が残らない家計状況。
買える物と目の下の隈は確実に増えているのに、お金がなぜか増えていかない。
セティアもたびたび不思議には思っていたが、そのたびに同じ結論に至っていた。
働くのが足りてないのかな?
でも睡眠時間は減ってきてるような?
まあ、いいか。だって働くの、好きだもん。
シュロシュロシュロシュロ――
チハは、詰問するような鋭い視線から一転してセティアのことを慮るような表情になった。
「このままでは、どちらにしても生活が破綻してしまうんじゃないの……?」
昨日今日出会ったばかりの少女に、自分では解決の糸口すら見出せなかった問題点を指摘された恥ずかしさに、セティアのお口に戻ろうとしていた魂が、「もう一周行ってきまぁーす!」とばかりに踵を返す。
「あたしなら、お姉さんの力になれる……と思う」
少し俯き加減になりながらも、チハは言った。
「これからよろしくお願いしますね、チハちゃん!!」
そんなチハの両手を、魂の抜けた白眼状態のセティアの両手がガっと掴んだ。
「ふえ……?」
何故か瞳に涙を浮かべていたチハが、戸惑ったように白眼のセティアを見つめた。
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