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第6章:実験室の事故はピンク色?

 地下研究室。そこは私、エリーゼにとっての聖域サンクチュアリである。

 静寂、冷たい空気、そして感情の入り込む余地のない論理的な世界。


「……ふう。やっぱりここが一番落ち着くわ」


 私は白衣を纏い、試験管の中で揺らめく黒い液体を見つめた。

 これは私の腕から採取した『蝕みの呪い』のサンプルだ。

 昨夜の「添い寝事件」や今朝の「あーん事件」で乱された精神を統一するには、複雑な術式解析に限る。


「この呪いの構成要素……『痛み』と『魔力吸収』の他に、微細な『感情干渉』の術式が組み込まれているわね。おそらく、宿主の精神を不安定にして、呪いの侵食を早めるためのもの……」


 私は手際よく術式を分解していく。

 黒い液体から、不純物が取り除かれていく。

 私の狙いは、この「感情干渉」の部分だけを抽出し、無効化する血清を作ることだ。そうすれば、アルフレッド様の呪いも完治に近づくはず。


「よし、分離成功。……これを中和剤と混ぜれば……」


 ポチャン。


 スポイトから一滴、液体を垂らした瞬間だった。

 試験管の中身が、激しく発光した。


「――っ!? 熱暴走!?」


 ボンッ!


 可愛らしい音と共に、試験管が破裂し、中からピンク色の煙が噴き出した。

 とっさに防御結界を張ろうとしたが、遅かった。

 甘ったるい香りの煙を、私は思い切り吸い込んでしまった。


「ごほっ、ごほっ! ……う、嘘でしょう……換気システムが追いつかない……」


 視界がぐらりと揺れる。

 体が、熱い。

 まるで高熱を出した時のような、けれどそれとは違う、体の奥底から湧き上がるような疼き。


(思考回路に……ノイズが……。論理的判断が、できない……)


 頭の中で警告音が鳴り響く中、研究室の扉が乱暴に開かれた。


「エリーゼ! 魔力の暴発を感知した! 無事か!?」


 血相を変えて飛び込んできたのは、執務中のはずのアルフレッド様だった。

 彼は煙の中にいる私を見つけると、即座に風魔法で煙を散らし、私に駆け寄ってきた。


「エリーゼ! 怪我は……っ、顔が赤い。熱があるのか?」


 彼が心配そうに私の頬に触れる。

 その瞬間、理性の糸がプツンと切れた。


 冷たくて大きな手のひらが、気持ちいい。

 もっと触れてほしい。もっと近くに。


「……アル、様……」

「っ、エリーゼ?」


 私の口から漏れたのは、自分でも驚くほど甘く、蕩けた声だった。

 私はふらつく足で彼に抱きついた。

 彼の清潔なシャツの匂いと、逞しい胸板の感触に、思考が真っ白に染まっていく。


「……熱いんです。冷やして……」


「え、あ、いや……君、どうしたんだ? 様子がおかしいぞ」


「おかしくないです。これが合理的判断です。……今の私には、あなたの体温ヒートソースの摂取が必要不可欠なんです……」


 私は呂律の回らない口で、精一杯の「理屈」を並べながら、彼の首に腕を回した。

 そして、背伸びをして、彼の唇を求めた。


挿絵(By みてみん)


「……ちょっ、待って! エリーゼ!?」


 アルフレッド様が慌てて顔を背けたため、私の唇は彼の顎に触れた。

 ちくり、と彼の髭剃り跡が肌を刺激する。

 それが余計に私をおかしくさせた。


「逃げないでください。……10年待つって言ったくせに。……意地悪」


 涙目で彼を見上げると、アルフレッド様は「うぐっ」と喉を詰まらせ、見たこともないほど狼狽した顔をした。

 顔は真っ赤で、額には脂汗が滲んでいる。


「……これは、何の罠だ? 僕を殺す気か?」


「罠じゃありません。……ねえ、アル様。私を甘やかすんでしょう? ……欲しいって言ったら、くれるんでしょう?」


 私は彼の手を取り、自分の胸元――心臓の音がうるさいほど鳴っている場所へと導いた。

 彼は感電したようにビクリと体を震わせ、必死の形相でその手を止めた。


「……くそっ、これは『魅了』の術式か! なんて悪趣味な事故だ……!」


「分析はどうでもいいです。……早く」


「だめだ! こんな……こんな薬のせいで本心じゃない君に触れるなんて、できるわけないだろう!」


 彼は悲痛な叫び声を上げると、私を抱きしめるのではなく、その両手で私の肩をガッチリと掴んで固定した。


「セバスチャン! 至急、解毒ポーションと冷水を! それと僕をこの部屋からつまみ出せ! 早くしないと理性が死ぬ!!」


 彼の絶叫が研究室に響き渡る。

 私は「つまんない」とむくれながら、朦朧とする意識の中で、必死に耐えている彼の苦しげな、けれどどこか嬉しそうな顔を焼き付けた。


(……ああ。やっぱりこの人は、優しいのね)


 私の理性はそこで限界を迎え、深い闇の中へと落ちていった。

 目覚めた後、この時の記憶が鮮明に残っているとも知らずに。

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