第2章:隣国の別邸は、想定外の『溺愛』仕様でした
視界が一瞬で白く染まり、浮遊感が襲う。
次の瞬間、足元にはふかふかの絨毯の感触があった。
「……着いたよ、エリーゼ。ここが今日から君の家だ」
アルフレッド様の甘い声に促され、私は目を開けた。
そして、即座に眉間に皺を寄せた。
「……アルフレッド様」
「どうだい? 君のために、一番日当たりの良い南の離宮を用意させたんだ」
そこは、私が手配していた「国境付近の安宿」とは似ても似つかない場所だった。
高い天井には精緻なフレスコ画。窓枠には金細工。
部屋の隅々まで磨き上げられ、最高級の調度品がこれでもかと並んでいる。
「あのですね」
「ああ、安心して。君の研究機材を置くための地下室も増築済みだよ。換気システムも最新の魔導具を入れた」
彼は銀の仮面を外し、整った顔立ちを綻ばせて、まるで褒め言葉を待つ子犬のように尻尾を振っている(幻覚が見える)。
私は冷静に、懐から手帳を取り出した。
「計算が合いません」
「え?」
「私があなたに提供した利益は、10年前の『呪いの部分負担』のみ。対して、この待遇は明らかに過剰投資です。王族の別邸に、私の亡命を受け入れるリスク……釣り合いが取れません」
私はペンを走らせ、即席の請求書を書き上げた。
「私の身柄保護にかかるコスト、および生活費は、私が持つ『魔力供給』と『呪いの研究データ』の提供で相殺するという契約でいかがでしょう? これなら、あなたの国益にも適うはずです」
私は自信満々で、その紙を彼に突きつけた。
合理的な取引だ。彼も為政者なら、この提案のメリットがわかるはず――。
ボッ。
私の手から離れた紙が、青白い炎に包まれて燃え尽きた。
「……は?」
「いらないよ、そんなもの」
アルフレッド様は、悲しそうに眉を下げていた。
彼は燃えカスとなった私の「合理的提案」を払いのけると、一歩踏み出して私の両肩を掴んだ。
「エリーゼ。君はまだ、僕が君の『能力』や『利益』のために動いたと思っているのか?」
「……違うのですか? それ以外に、一国の王子が他国の追放令嬢を拾う理由がありません」
私が真顔で答えると、彼は深いため息をつき、そして――私の額に、こつん、と自分のおでこをくっつけた。
「近いっ……!?」
「僕はね、君が生きて、笑っていてくれるだけでいいんだ。10年間、片時も忘れたことはない。君がどんなに『計算』や『合理性』で武装しても、僕にはわかるよ」
至近距離にある金色の瞳が、熱を帯びて揺れている。
「君は優しい人だ。あの時、見ず知らずの僕の手を握ってくれたように。……だから、これは取引じゃない。僕が勝手に君を幸せにしたいだけだ。覚悟してね?」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
計算外だ。
彼の瞳に見つめられると、脳内の魔力計算式が霧散して、代わりに得体の知れない熱がこみ上げてくる。
(何よ、これ。……呪いの共鳴反応? いいえ、心拍数の上昇率が異常値を示している……)
私は真っ赤になりそうな顔を隠すように、彼を突き放した。
「……ひ、非効率ですわ! あなたのその無駄な思考回路、私がこれから矯正して差し上げます!」
「ふふ、お手柔らかに頼むよ、僕の先生」
アルフレッド様は嬉しそうに微笑むと、私の手を引いて歩き出した。
「さあ、まずは着替えようか。君に似合うドレスを百着ほど用意させたんだ」
「百着!? 体がいくつあると思っているんですか!」
私の新しい「隠居生活」は、静寂とは程遠い、騒がしいものになりそうだった。




