第9章:求婚を邪魔した代償は『国家破滅』です
離宮の大広間は、緊迫した空気に包まれていた。
中央に立つのは、我が国の王太子カイルと、彼に付き従う数名の近衛騎士たち。
彼らは我が物顔で広間を見回し、大声を張り上げていた。
「いつまで待たせるのだ! 我が国の貴族を拉致するなど、明白な条約違反だぞ!」
「エリーゼを返せ! あの女には、まだ我が国で償わせるべき罪があるのだ!」
大理石の柱の影からこっそりと覗き見ていた私は、そのあまりの愚かさに頭を抱えた。
償うべき罪? そんなもの、私が国を支えていた労働の対価と相殺して余りあるはずだ。
だが、カイル殿下の態度は自信に満ちている。おそらく、「私がアルフレッド様に無理やり連れ去られた」というシナリオを勝手に作り上げているのだろう。
カツン、カツン。
その時、広間の温度が急速に下がった。
足音と共に、二階の階段からアルフレッド様が降りてくる。
身に纏っているのは、いつもの略装ではない。金糸の刺繍が施された王族の正装。そしてその背後には、視認できるほど濃密な、青白い魔力のオーラが渦巻いていた。
「……人の家の玄関で随分と騒がしいですね、カイル殿下」
アルフレッド様の声は、凍えるほど低かった。
それだけで、カイル殿下の背後にいた騎士たちが青ざめて後ずさる。
けれど、鈍感なカイル殿下だけは気付かずに鼻を鳴らした。
「やっと出てきたか、人攫いの王子め! さあ、エリーゼを返してもらおうか。彼女は私の婚約者だ!」
「婚約者? ……先日、あなたがご自身で『破棄』を宣言されたと聞いていますが?」
「そ、それは一時的なものだ! やはり彼女には、地下牢で一生罪を償わせることにしたのだ! だから返せ!」
ああ、なるほど。
私がいなくなって、国政や魔力供給が立ち行かなくなったのね。だから「罪人」として連れ戻し、死ぬまでこき使うつもりなのだ。
あまりに浅ましい魂胆に、吐き気がした。
だが、私より先に、アルフレッド様が動いた。
「……罪を償う、か」
彼が軽く右手を振る。
それだけで、カイル殿下の周囲の空間が歪んだ。
「ぐあああっ!?」
騎士たちが、見えない巨大な手に押しつぶされたように床へ這いつくばる。
カイル殿下だけが立ったまま残されたが、それは慈悲ではない。
アルフレッド様が発する圧倒的な『殺気』の直撃を受け、腰が抜けて動けないだけだ。
「な、なな、なんだこれは……魔法!?」
「静かに。……私の朝を邪魔した罪は重いですよ」
アルフレッド様は優雅な足取りでカイル殿下に歩み寄り、冷徹な瞳で見下ろした。
「エリーゼは、あなた方のような愚か者に消費されていい女性ではない。彼女は、自らの身を削って他者を救うことができる、気高く美しい魂の持ち主だ」
「は、何を……あんな陰気な女……」
「黙れ」
ヒュッ、とカイル殿下の喉が凍りつき、言葉が出なくなる。
「あなたが捨てた『石ころ』は、私にとっては国を傾けてでも手に入れたい『宝石』だった。それだけの話です」
アルフレッド様は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、カイル殿下の足元に放り投げた。
「これは我が国からの最後通牒です。魔導鉱石の輸出停止、および貴国への経済援助の全面打ち切り。……ああ、それと」
彼は氷のような微笑みを浮かべた。
「あなたが横領していた裏金と、違法な魔道具売買の証拠。これらを全て、貴国の国王陛下と周辺諸国に送っておきました」
「――っ!?」
カイル殿下の顔色が、土気色に変わる。
それは政治的な死刑宣告だった。
国庫が尽き、スキャンダルが暴かれれば、王太子の座など一瞬で剥奪される。
「エリーゼを連れ戻す? 自分の明日すら保証できないあなたが、何を寝言を言っているんです」
アルフレッド様は、這いつくばるカイル殿下に背を向けた。
「二度と彼女の名を口にするな。次にその汚い足で我が国の土を踏めば……その時は、国ごと地図から消しますよ」
圧倒的な力の差。
カイル殿下たちは、何も言い返すことができず、ただ恐怖に震えて逃げ帰るしかなかった。
静寂が戻った広間で、アルフレッド様がふぅ、と息を吐く。
そして、私が隠れている柱の方を振り返り――いつもの、甘くとろけるような笑顔を見せた。
「お待たせ、エリーゼ。……掃除は終わったよ」
その笑顔を見た瞬間、私は思った。
この人は、世界で一番恐ろしい魔法使いだ。
けれど、私のために怒り、私のために国一つを敵に回してくれる、世界で一番頼もしいヒーローでもあるのだと。
「……おかえりなさいませ、アルフレッド様」
私は柱の陰から歩み出て、彼に微笑みかけた。
計算も理屈もない、ただの恋する乙女の顔で。




