破滅計画
富士研究所に連れ帰ったニナを、五十川は、そのままニナ自身の個室へ連行した。
他に彼女を軟禁しておけるような場所がなかったからだが、彼らの姿を驚きの表情で見る所員も多数いた。
身長25メートル。頭部を外したリベルティナⅡの外部装甲を纏ったまま、ニナの腕をつかんで研究施設を闊歩する五十川。だが、もう彼は、自分の正体を隠すつもりはないようだった。
彼女専用の巨大ベッドに、放り出すようにニナを寝かせた五十川は、恨めしそうにこちらを見たその顔に、威圧的な視線を向けた。
「安心しろ。お前の大事な男は、霞ヶ浦バイオーム内で無事だ。だが、態度次第ではどうなるかわからない。それをよく覚えておけ」
ニナは、折れそうになる心を奮い立たせて、五十川を睨み返した。
「……バイオームって、地球全体で決めた生態系保全エリアなんですよね? つまり、あそこは、日本であって日本でないってこと……いくら司令のあなたでも……その中にいる人たちをどうこうするなんて、簡単にできるわけない」
それを聞いた五十川は、口の端の片方を吊り上げ、皮肉な笑みを浮かべて言った。
「できるさ。私はもう、じっとしているつもりも黙っているつもりもないんでね。私と君、巨獣化した人類が男女そろったことで、地上を支配する者が決定したのだ。こうなれば、病気や巨獣を生み出す生物多様性空間なんぞ、我々人類にとってお荷物以外の何物でもない」
その表情を見て、ニナの顔が曇った。
五十川の態度と表情は、脅しや冗談のそれではない。何か、恐ろしいことを実行しようとしているのが、直感で分かったのだ。
「どう……しようっての……?」
震える声で聞いたニナの耳元に、ぐっと顔を寄せた五十川は、囁くような声で言った。
「教えてあげよう。世界中の全てのバイオームを消去する。人類にとって害のある生物や病原体もろとも……ね」
「そ……それってどういう……?」
「いくらお人よしの私でも、これ以上は教えられない。だが、分かるだろう? 君がおとなしくしていれば、あの、霞ヶ浦バイオームだけは消去しないでやってもいいってことだ」
「……」
「信じられないって顔だな? だが、計画はすでに動き出している。全世界への発表と同時に、カウントダウンが始まることになっている。お前の出番はそれからだ」
五十川司令はそう言うと、ニナの頭にそっと手を置いた。
「だから、お前はここでおとなしくしていろ。『その時』が来れば、呼ぶ」
思いがけず優しい声音と表情で言った五十川は、壁にある赤いスイッチを押した。
「医療班をここへ。収容した三筋川ニナは、頬に火傷を負っている」
『は……了解しました』
施設管理事務所へ直結している通信スイッチである。いつもニナが使用していた、この部屋の設備を、五十川は自由に使いこなしていた。
だが、それよりもニナは、聞こえてきた声の方に注意を向けていた。
(この声……姫谷さん?……お父さんの部下の人だ……)
五十川の言い方では、三筋川博士は脅迫されていたはず。
もしかすると、殺されているかもしれない。死なないまでも、拷問を受け、重傷を負っているくらいのことは覚悟していた。
とても本人と会うことは出来まいが、この声の主、姫谷であれば事情を教えてもらえるかもしれない。
五十川が部屋を立ち去った後、数人のスタッフとともに本棚の脇にある通常人サイズのドアから入って来たのは、やはり姫谷であった。
「姫谷さん!! お父さんは大丈夫なんですか?」
思わず声をかけたニナに、姫谷は無言で口元に手をやって、静かにするようジェスチャーをした。
そのまま一言も口をきかなかった姫谷は、ニナの頬の治療が終わると、他のスタッフたちと共に退出してしまった。
どうやらニナとの会話を禁じられている、ということらしい。
このままでは、何もできずここにいるより他はない。そう思ったニナは、ふと、いつの間にか自分の机の上に置かれている小さな紙に気づいた。
小さい、といってもそれはニナにとってというだけで、いわゆるA4サイズの紙だ。
確かに先ほどまでは、何もなかったその場所に紙を置いたのは、姫谷に違いない。
そっとその紙を持ち上げてみると、裏側に二次元コードが描かれていた。それを部屋付属の端末で読み込むと、動画が立ち上がった。
(お……お父さん!!)
思わず声が出そうになったのを、口を押さえて言葉を飲み込んだ。
画面上の父は、憔悴しきって見えたが、一見して外傷は見当たらない。ニナは少しだけホッとした。
『ニナ……まずは無事でよかった。それと、謝らなくてはならない。私は、お前や智沙の命と引き換えに、とんでもない罪を犯してしまった』
その言葉に、ニナの心に怒りが込み上げてきた。
まさかとは思ったが、三筋川博士が受けた脅しには、自分たちが使われていたのだ。
(ひどい……でも罪って、どういうこと……?)
それこそが、父を憔悴させているものの正体であろうと思われた。
『五十川司令は、とんでもない計画を立てている。世界の生態系保全エリアであるバイオームを、すべて消去するつもりなのだ……』
(あ……世界中のバイオームを『消去』するって……たしかに司令が言ってたけど……)
正直なところ、ニナは意味が分からないでいた。
バイオームは巨大な一つの『世界』である。量子障壁を取り除くとか、内部で破壊の限りを尽くすとか、色々やり方はあるだろうが、それらを『消去』とは言わないだろうと思ったのだ。
殲滅兵器……例えば核兵器や化学兵器、微生物兵器のようなものを使えば、中の生物を死滅させることもできるのかも知れないが、それを消去とは表現しないであろう。
だが、周辺への影響もあるであろうから、そんな手段をとるとは考えにくい。
そんなニナの心を見透かしたかのように、父は言葉を継いだ。
『「消去」は……破壊ではない。文字通り、この世からすべてを消し去るのだ。しかも、その実行のための技術は……ニナ。お前を普通人サイズにするための、量子テレポーテーションシステムを応用したものなんだ……』
(そんな……あいつは……五十川はどこまで私たち家族を利用すれば気が済むの⁉)
ニナは思わず拳を握り締める。
画面上の三筋川博士は、淡々とバイオーム消去のためのシステムについて説明を始めていた。
『――つまり、量子障壁を作っているエネルギーの流れを、単体でなくドーム内すべての物質に照射して、原子段階まで分解する……噛み砕いて言うとそういうことだ。
これにより、あらゆる物質は原子段階まで分解される。だが、それだけでは終わらない。原子分解された粒子は物質自体が持つポテンシャルエネルギーを持っている。これを量子ネットワークに再回収し、他のバイオーム施設へと送る。次のバイオームを消滅させる引き金とするために……』
(何で⁉ お姉ちゃんは、体が原子分解されても、意識をしっかり保てば、自分が描いた姿に再構成されるって……)
ニナの心の疑問を見透かしたかのように、画面上の三筋川博士は続けた。
『量子テレポーテーションであれば、転移先の『ポート』で粒子は再構成される。だが、この場合は転移先が用意されていない。しかも、その物質に統一した『意思』も無い。ただのエネルギーの奔流にしかならないのだ。その奔流が、全ての物質に激突し粒子化してしまう。一つ目のバイオームが消滅してしまえば、連鎖的に世界中のバイオームに同じことが起きていく。おそらく、これがほぼ一瞬で起きる……』
(そんなの絶対に止めなきゃ……バイオーム内には、たくさんの生き物たちがいる。そして、それを守ろうとして残った人たちも……!!)
『ニナ。お前に、こんなことを頼みたくはない。五十川司令に逆らうことは、かなりの覚悟がいる。だが……どうかこの計画を止めてはくれないか。このままでは世界が滅ぶ……現在の地球が、気候や物質循環のバランスをかろうじて保っているのは……バイオームの存在が大きいのだ――』
(え……? だってあそこは完全に隔離されて、周囲とは関係ない生態系のはず……)
『――過去の実験でも、完全隔離されたバイオームは、単体では一年も経たずに破綻している。ゆえに、現在のバイオームは生物こそ行き来できないが、大気や水、その他様々なものが出入りできるように設計されているのだ。それらが緩衝材あるいは触媒のような働きをして、逆に地球環境を安定させているんだ』
初めて聞く話であった。
ニナも受けた初等~高等教育課程の環境学では、そのようなことは教えていない。だが、父の言葉には、真実の持つ重みが感じられた。おそらく、バイオームに生物たちを封じ込めた側である現在の体制側にとって、バイオームに地球環境維持の機能があるなどというのは、都合の悪い真実なのであろう。
(でも……止めるって、どうやって……? 私にできるの?)
『止める方法は……計画発動前に、火種として最初の生贄にされるであろうバイオームへのエネルギー供給を断つしかない。そして計算上、最初の火種には、バイオームを維持する際の十倍程度のエネルギーが必要となる。そういう巨大な供給源を持つのは、日本にはただ一つ。高浜原発とつながっている、琵琶湖バイオームしかない』
(そうか。電力供給を断てばいいんだ。リベルティナの武装を使えば、きっとやれる……そうすれば、翔君たちを助けることにもなる……)
ニナは、画面上の父を見ながら思う。気づかないうちに、その拳はぎゅっと握られていた。




