アリエル
「ここ……か?」
建物を見上げた凱が、きょとんとした表情で訊く。
翔はうなずくと、ガラスでできた扉を押し開いた。
「まるきり普通の『家』じゃない。まあ当時の、といえばそうだけど……」
智沙は、開いたガラス扉を物珍しそうに触りながら言った。
壁面がレンガ状に装飾されてはいるが、建物自体は鉄筋コンクリート製だとすぐにわかる。こうした家屋は現代でも珍しくはない。
早朝である。
夜明けとともに一行は、以前、翔が森の中で見つけた『遺跡』へとやって来たのだ。
「まあ今は、こんなドアは造らねえよな。中が丸見えってのもヤバいし、全面強化ガラスとか、いくらするんだよ」
剛秀が苦笑しながら、ガラスドアをコンコンと叩く。
もちろん、当時も高価ではあっただろうが、企業も人も少なくなり、疲弊した現在の工業力では、強化ガラスが玄関ドアに使われることなど、ほぼない。
「これ、電気……来てんじゃねえか?」
凱が壁の照明スイッチをカチカチ鳴らすと、天井で小さなLEDが明滅した。
ほとんどの照明器具は寿命が来ているようだが、まだ僅かに点く電灯があるのだ。
「施設自体は生きてるってことか……」
剛秀は、つぶやくように言うと周囲を見渡した。
今のところ何の気配もないが、施設が生きているならば、防犯システムが作動してもおかしくはない。
「家屋……っていうより、何か公共的な施設だと思うんです。生活感がまるでない」
翔はそう言うと、皆を例の手記が置かれている部屋に案内した。
あの日と同じように、M・O氏の手記は机の上に積まれたままであった。
手記を手に取った智沙は、ページを開きもしないうちに、目を見開いて声を上げた。
「待って。何よコレ……」
「何って……なんか変ですか?」
翔がきょとんとした表情で、智沙を見る。いったい何に驚いているのか、理解できないでいるのだ。
「バカねあんたたち。ここ、百年以上も誰も踏み込んでないのよね? だったら、この綺麗さは何?」
智沙は、ノートにふっふっと息を吹きかけた。
そして、その辺の机の上を指でなぞり、剛秀の目の前に突き出す。
「何で埃が全く積もってないわけ? たしかに人が動かなきゃ、埃は立たないし、量も少ない……ってのは事実だけど、百年以上放置されてたのよ? いくら何でもこれは少なすぎる――」
その時。剛秀の耳が、何かかすかな音を捉えた。
「しっ!! 静かに!! 何か来る!! 隠れろ!!」
鋭く言って、拳銃を抜き、入り口の壁際に滑るように移動した剛秀にならい、凱、翔も同様に武器を構えて身を隠す。
たしかに、廊下の奥から何かが近づいてきているらしい。聞こえてきたのは、静かなモーター音とかすかな電子音であった。
(人じゃないな……警備ロボットか?)
剛秀は手の中の銃を握り直す。
百年以上前のシステムが稼働していたのは驚くべきことだが、当時の常識が分からない。
もし、問答無用で侵入者を排除するようなものであれば、相手が機械といえども油断はできない。
だが、部屋に入ってきたロボットを見て、剛秀は軽く息をついた。
(武装してない。単なるメンテナンスロボか……)
車輪式の室内用ロボである。四角い頭部のセンサーが、剛秀たちを捉え、LEDが赤から緑に変わったのを見て、剛秀が手を上げ、皆に合図した。
「危険はなさそうだ。銃を下ろせ」
凱と翔がふうっと息をついて立ち上がり、身構えていたリュウとムサシも警戒を解く。
建物の防犯システムと連動しているならば、侵入した時点で警報が鳴っているはずだ。
つまり、警備システムではない、と見ていいのであろう。
剛秀がそう思った時。
目の前のロボットの胸の部分に変化が起こった。外装がくるりと反転し、液晶パネルが現れたのである。
「何⁉」
あわてて身構え直した彼らの前で、液晶パネルに表示されたのは、大昔のアニメーション様式で描かれた、青い髪の美少女であった。
『みなさーん。この牛久生物多様性センターへようこそ~。私はこの施設の管理AI・アリエルです。どうぞよろしく~』
*** *** *** ***
『はぁい。たしかにこの施設は、ここしばらく私一人で管理してきましたぁ。お客様は、百二十三年ぶりになりますぅ』
管理AI・アリエルと名乗ったアニメ風美少女は、ロボットの胸の液晶パネルの中で微笑んだ。
これが、施設内が綺麗すぎる理由だったわけだ。
よく見れば、外壁や塗装にも、補修の跡が見える。百年以上の間に起きた、天候や地震による被害は、ある程度このアリエルが修復していたようだ。
「君は、この施設を維持管理するために作られたロボット……ということか?」
『この端末の任務、という意味ではそうですぅ』
剛秀の質問に、アリエルは持って回ったような言い方をした。
「『この端末』って言ったな? じゃあ、目の前のお掃除ロボ以外にも、あんたの端末があるってことだな? あんたの本体には、どれくらいの能力があるんだ?」
凱が重ねて聞くと、アリエルの口調ががらりと変わった。
『へえ。お兄さん、結構鋭いとこ突くねぇ。たしかに、ここのメンテは、ボクに与えられたM・Oからの指令のごくごく一部に過ぎない』
「アリエル、M・Oとは何者だ? そいつがお前に指令を与えたんじゃないのか? いったいお前に何を指示した?」
凱を制して前に出た剛秀が、少し厳しめの口調で問いかける。
『説明してもいいけどさ、その前に、あなたたちの身分を証明してよ』
「なんだって? 俺たちの身分によっては、言えないってことか?」
剛秀は思わず、液晶画面上で微笑む青い髪の少女を睨みつけた。
誰でもすくみ上りうそうな鋭い眼光。だが、当然ながら青い髪の少女・アリエルに動じた様子はない。
『そうなるね。ボクはM・Oの指示を完遂した。だけど、利害が相反する者たちには、それは邪魔でしかないだろうからね』
「……俺は、サクラ村の町長、佐々江竜典だ。現在のG・O・W司令官でもある」
口を開いたのは、それまで黙っていたリュウであった。
「し……司令官⁉ リュウさん……あんた……」
翔が思わず声を上げた。
「驚くことじゃないだろう。G・O・Wに関しては、以前話した通り。それが何を意味するかさえ、伝わっていない。だが、何らかの資格が必要というなら、代々受け継がれてきた『司令官』が俺だ」
リュウの言葉を、ムサシとハヤトも驚いた顔で聞いている。
「ハヤト、知ってたか?」
「ううん。あたしはてっきり、サクラ村がまだ『ツクバ町』だった頃の名残りかなんかだと」
だが、アリエルはどよめく他の人間たちを無視し、また口調を変化させてリュウに語りかけた。
『秘密開示申請を受理しました。佐々江竜典様。あなたがG・O・W司令官であるならば、キーワードを提示してください』
「キーワード……それはもしかして『メガファウナ』か?」
『キーワードを確認しました。あなたは、M・Oの遺志を継ぐ存在です』
アリエルはそう言うと、正面の壁へ向かって進みだした。
一見何の変哲もないその壁に、アリエルは胸部から複雑なパターンのレーザー光を照射した。緑と赤の光の線が目まぐるしく動き、それが不意に一点に集中すると、壁全体が地響きを立てて動き出した中に真っすぐな割れ目ができ、それが左右に開いていく。
壁は、人ひとりが通れる程度に開くと、その動きを止めた。
「な……何だこれは⁉」
「隠し扉……奥に何かあるってことか」
ぽっかりと開いた黒く四角い穴に、メンテナンスロボット・アリエルは当然のように入っていく。
『着いてきてください』
アリエルはくるっと振り向くと、呆気にとられているリュウたちにそう言った。
*** *** *** ***
「な……何だよここ……」
凱が思わず声を漏らした。
翔も剛秀も、そしてリュウ、ハヤト、ムサシも呆然と立ち尽くしている。
建物の外観からは、想像もつかない広い空間。そこには四角い金属製の箱が十数基、整然と並んでいる。表面の一部に赤や緑のLEDが明滅しているところを見ると、どうやら稼働中の機械であるらしい。
皆が呆気にとられ立ち尽くしている中で、こうした施設に慣れている智沙だけが、そのまま歩を進め、アリエルと共に部屋の奥へ向かっていた。
「ま……待ってください大川博士‼ そいつを完全に信用するのは、危険では?」
「機械が人を騙す、なんて聞いたことないわ。それに、ここはたぶんこのロボットの中枢部よ。こんな場所で何かされたら、困るのはあっちの方」
剛秀の声に振り向こうともせずに、智沙は答えた。
『その通りです。ここにあるコンピュータ群、その内臓CPUが、私自身。ここであなた達が破壊行動をとれば、私には為すすべがありません』
「……かなり旧式みたいだけど、これだけあれば高度な計算が可能ね。あなた、ここで何をしていたの?」
『M・Oの残した命令は、『メガファウナの復活に備え、バイオームを開放せよ』というものでした』
「メガファウナは巨大生物のこと……つまりM・Oは、巨獣の誕生を予見していたということね?」
『ひとつの可能性として、です。たとえ巨獣が現れなくとも、バイオームを開放するように、と指令を受けていますから』
「開放……ここであなたは、何をしていたの? 見たところ、ここのコンピュータ一基だけでも、バイオーム開放のシミュレーションくらい、充分にできるんじゃない……?」
なにしろ百年以上前のコンピュータだ。外観だけでははっきりしたことは言えないが、そのレベルのコンピュータが十数基あるように見えた。それが現在も忙しく稼働しているのだ。
『今のところ、私の計算能力は、『外』のフラッグシップスパコン・海神の十分の一くらいでしょう。ずっと自己開発もしてきましたから』
「何ですって⁉ 自分で改造したって言うの? こんな何もないとこでどうやって……?」
『方法はまた、お教えします。私が、M・Oより受けた指令はシミュレーションではなかった。だから自己進化は織り込み済みだったのです』
アリエルは、さらっととんでもないことを言ってのけた。
「シミュレーションじゃない? まさか……実際にバイオームを破壊しようというの?」
『破壊ではありません。開放。つまり、バイオームを構成する施設を停止させうる力。それを行使できるシステムを開発していたのです』
アリエルがそう言うと、部屋全体の照明が落ち、正面の壁が明るく光った。
全面がモニターとなった壁に投影されたのは、造船ドックのような巨大な空間と、そこに格納された重機ともロボットともつかない、ダークメタリックの機械であった。
「こ……これは……」
『機動解体機・『アシミネア』。全世界のバイオームを開放するための、システムの根幹となる機体ハードです』
「こんなものを完成させていたのか……だが、何故その『開放』を実行しないんだ?」
『これは搭乗式だからです。M・Oの後継者が来るのを待っていました。駆動システムと、火器管制システム、その二つの統合システムの三系統の操縦員を必要とします』
「三人乗らなきゃいけないってことか? こっちの奥に見える『船』のようなものは……?」
剛秀が画面の右奥に一分だけが見えてる、巨大な箱状の機体を指した。
『アシミネア専用の機動母艦『パテロイダ』。上部に接続しているのは、短距離移動用ホバー『クリトン』です。これら二機は自動操縦が可能です』
「本気で……世界中のバイオームを破壊するつもりなのか?」
『『開放』だと申し上げたはずです。私の……いえ、M・Oの主格はバイオーム内にあります。ここから出ること、地上をふたたび生命あふれる正しい地獄に導くこと、それが私への指令でしたから』
「ちょっと待て。地獄? どういう意味だ?」
『生命は異種間、同種間で互いに利用し合い、競争し、競合し、殺し合い、その上で繁栄を手に入れるのです。バイオーム外の今の地上は、そういったことがない世界……そこに多くの生物種が放たれれば、人間を含めすべての生物がその戦いの無間地獄に堕とされるでしょう』
「それを……地獄、と?」
『はい。何かおかしな表現でしたか?』
そのアリエルの感情のこもらない声に、その場にいた全員が絶句した。




