第22章 襲撃
話は四日前に戻る。シェーンベルガー国が、嵐の真っただ中にあった夜だ。
深夜、ブルクミラン国の国王と王妃が共にする寝室に、扉をたたく音がした。こんなことは、二人が結婚して以来、初めてのことだ。国王が先に目を覚ました。扉をたたく音が続いている。国王はベッドから手を伸ばし、棚にあった剣の鞘をつかみ、扉のそばまで行った。
「何事だ?」
「国王陛下! 起きてください」宰相の声がした。王妃も目を覚ました。
国王が扉を開けると、そこには衛兵と、宰相の姿があった。宰相の顔は青ざめていた。
「チェルニア国のマールセン国王がおいでなのです」
「こんな夜中にか? では部屋をすぐに用意してさしあげろ。早朝、謁見する」
「いえ、それが、トレイシア王女がシェーンベルガー国で捕虜になっていると」
国王も王妃も驚いて、視線を合わせた。
「シェーンベルガー国がブルクミラン国を夜襲するというのです」
「それは本当なのか? 」
「事実は確かめておりませんが、とにかくマールセン国王が、直々に、そのことを知らせに来たとおっしゃっています」
王妃は不安そうな目で国王を見つめている。
「マールセン国王は今どこに?」
「〈謁見の間〉においでです」
「わかった。城内にいるシェーンベルガー国の剣士にもこの事を伝えてくれ」国王は扉を閉め、身支度を始めた。王妃はベッドの上で身体を起こした。
「陛下、本当にマールセン国王にお会いしに行くのですか? 」
「ジークレッド王に遣わされた剣士も共にいる。安心して待っていなさい」
国王は身支度を済ませ、王妃の髪にキスをした。
しばらくすると、宰相が戻ってきた。
「〈謁見の間〉に、城内にいるシェーンベルガー国の剣士、七人を集めました」
「マールセン国王の共の者は何人いる? 」
「共の者はおりません。マールセン国王おひとりです。」
ブルクミラン国王は怪訝な顔をした。行ってくると王妃に言い、国王は〈謁見の間〉へと向かった。
王妃は暗い気持ちで、部屋の中を歩いた。落ち着かない気分で鏡の前に座った。後ろに女の影がある。王妃は思わず悲鳴を上げた、と思った。しかし、悲鳴は上がらなかった。鏡の中の女が王妃の口を手で強くふさいでいたからだ。
ディアナベスは、奇妙な夢を見て、自分の部屋のベッドの上で、目を覚ました。
夢の内容は覚えていない。しかし、不快な胸騒ぎと不安が残っていた。
暗い部屋を、ろうそくの火を灯して、見まわした。何も変わったことはない。その時、扉をたたく小さな音がした。音は三回なった。彼女は何かの聞き違いだと思った。こんな夜中に自分の部屋を訪れる者など、いないはずだ。
彼女は、その酷い皮膚病のため、侍女をもたなかった。王妃がそのように取り計らった。彼女は幼い頃から母の手を離れてからは、自分のことは自分でできるように、教育されてきた。
じっと扉を見つめていると、静かに扉が少しだけ開いた。彼女はぎょっとした。鍵がかかっているはずなのに。彼女は鼓動が激しく鳴り始めた。
「誰かいるの?」おそるおそる、彼女は声を出した。扉は開いたままだ。ディナベスは、ゆっくりとベッドから立ち上がって、ろうそくを持ち、扉の方へ向かった。怖々と扉の外を見ると、暗闇があるだけだ。
次の瞬間、彼女の目の前に、頬にあざをつくり、口を布で縛られ、長く美しい髪の乱れた王妃の姿が、現れた。
「お母様!?」
その王妃をぐいと後ろに引っ張る影がある。
「誰!?」ディアナベスは言った。影の人物は人差し指を立てた。ろうそくの光で、それが女性であることがわかった。王妃は手を縄で縛られている。ディアナベスが悲鳴を上げようとすると、女の手が伸びて、ディアナベスの口をふさいだ。そして人差し指を立てた。
「声を出してはいけません。王妃の身を守りたければ、言うことを聞きなさい」
女は低く冷たい声で言った。ディアナベスは震えながら、母親から目を離さず、うなずいた。
「私と一緒に来てください」女はゆっくりディアナベスの口から手を放した。
ディアナベスはじっと女の顔を見つめた。〈音〉を出すために口を動かそうとした瞬間、押し殺したような長い悲鳴が聞こえた。女が、王妃の腕を短剣で刺したのだ。
「お母様!」
女は片手に血の付いた短剣を持ったまま、再びディアナベスの口をもう一方の手でふさいだ。
「〈歌〉を歌おうとしましたね? 声を出してはいけないと言ったはずよ」
ディアナベスの目から涙がこぼれた。
「よくお分かりですか? もう一度言います。声を出してはいけない」
ディアナベスは涙を流しながら、何度もうなずいた。
「これから、馬車に乗ってもらいます。馬車は厨房の裏に停めてあります。途中で誰かに会ったら、王妃に呼ばれたと、うまく言い訳して。もし、しくじったら王妃の命はないと思いなさい」
女の後ろから、もう一つの影が現れた。それは背の高い男だった。男は王妃の頭に大きな布をかぶせ、姿が見えないようにした。
女は王妃の手首を縛っている縄をつかみ、ディアナベスを先に歩かせた。ディアナベスは震えながら、ろうそくを持って、厨房への道を歩いていった。回廊を曲がった柱の向うに二人の衛兵がいた。衛兵は、ろうそくの光に気が付き、近寄ってきた。
「ディアナベス王女、こんな夜更けに、いかがされました? 」
ディアナベスは心臓の音が聞こえるかと思うほど緊張していた。
「……母上に呼ばれて……外へ……」
ディアナベスはうまく話すことができない。
「王妃様の部屋までおともします」ひとりの衛兵が言った。ディアナベスは慌てて首を振った。「ひとりで行けます!」つい口調が強くなってしまった。衛兵は顔を見合わせたが、後ろに下がった。「わかりました」衛兵はディアナベスの姿を見送った。
いつの間にか、後ろにいたはずの、女と王妃の姿はなかった。衛兵が見えないところまで来ると、ディアナベスは真っ青になって辺りを見まわした。前方の暗闇に人影がある。影は手招きをしている。ディアナベスは、走ってその影の前に行った。女と布を被った王妃がそこにいた。
「ろうそくを消して。庭を周って行きます」女は、そう言ってディアナベスを促した。もうひとりいた、男の姿は見えない。ディアナベスはろうそくを吹き消し、ろうそく立てを床に置いた。そして暗闇の中を進んだ。月の光で、ようやくぼんやりと辺りの様子がわかる。
(隙は無いだろうか? )ディアナベスは少し落ち着いてきた。ブルクミラン城には、衛兵の数がそれほどはいない。厨房に着くまで、もう一組の衛兵の姿が見えたが、彼らはディアナベスたちには気づかなかった。夜の厨房には、もちろん誰の姿もない。暗い厨房を横切って、外に出ると、そこに小さな馬車が停まっていた。馬車の扉が開いている。
「馬車の中に乗ってください」女はそう言いながら、王妃の被っている布をとった。涙を流し、口に布を縛られた母親の姿があった。王妃は何かを言おうと唸り声を上げたいた。
「早く!」女が鋭い口調で言った。ディアナベスは震えながら、馬車に乗り込んだ。コーチに座ると、目の前に金属の小さな容器がディアナベスの目の前に差し出された。
「これを飲んでください」女の後ろには、いつのまにか先程の男が立っていた。男が王妃の縄をつかんでいる。
「早く!」女は再び、王妃に、短剣をかざした。王妃は悲鳴を上げた。
「わかったから! もうお母様を傷つけつのはやめて!」
ディアナベスは泣きながらそう言うと、一気に容器の中の液体を飲み干した。それを見た王妃が唸り声を上げた。ディアナベスの視界が回りだした。母親の泣き顔を最後に、薬はあっという間に彼女の意識を奪った。
ディアナベスは、馬車の中でぐったりと動かなくなった。王妃は泣きながら、ディアナベスの方へ力いっぱい近づこうとした。だが縄をつかんでいる男から、逃れることはできなかった。
女はディアナベスの上半身の寝衣を、手早く脱がせた。彼女の素肌があらわになり、酷い皮膚、————————赤い斑点と黄色い膿が吹き出し、皮がまくれ上がったままかたまったような皮膚が、月の明かりの下でも、はっきりと見えた。
「間違いない。〈印〉もある」女はそう言うと、すぐにディアナベスの服を着せた。
そして、馬車の扉を閉めた。男は王妃を女に預け、馬の手綱をとった。王妃が口を縛られたまま、泣き叫ぶなか、馬車は暗闇の中を走り出した。女はそれを見送ることもなく、王妃を連れて、城の中へ戻った。
〈謁見の間〉に、ブルクミラン国王とマールセン国王が向かい合っていた。シェーンベルガー国の剣士らは、ブルクミラン国王を護り、囲うように並んでいる。
「まだ、ジークレッド王を信じるのかね? 」マールセン国王が言った。「ジークレッド王は、トレイシア王女の〈魔の力〉、つまり貴殿がひた隠しにしてきた、
〈歌の力〉に気づき、王女を捕らえた。捕虜ではなく〈力〉を持つ者として。
ジークレッドは征服者となり、まずブルクミラン国を襲うつもりだ」
剣士たちは、動揺したようにわずかに顔を見合わせた。でもそれは一瞬のことだった。ジークレッドが選んだ先鋭の兵だ。じっと黙って、ブルクミラン国王の前を守っている。
「剣士ら諸君は、ジークレッド王の動向について、まだ耳に入っていないのだろう。まるで、忠実な犬のようだな。もう諸君らの主は、こちらに軍を向けているというのに」マールセンが憐れむような口調で言った。
「マールセン国王、事実を確かめてからでなければ、貴方の話は信じられない」ブルクミラン国王はきっぱりと言った。
「貴殿はジークレッド王に会ったこともないのであろう? ジークレッド王を信じられるのか?」マールセンは大袈裟な声で言った。ブルクミラン国王はじっとマールセン国王を見つめている。
「ジークレッド王の話は、貴殿も知っているだろう。私の娘、エレノラもジークレッド王のせいで命を落とした。」
「気の毒に思っている」ブルクミラン国王が言った。
「トレイシア王女も同じ目に遭おうとしているのだ。悠長に構えている場合ではない。密偵から知らせを受け、私はじっとしていられなくなった。」
マールセン国王は首を振った。
「まあ良い。私はこうして警告に来ただけだ。しかもたったひとりで。共もつけずにな。」
「事実を確かめる時間が欲しい。先程、使いの者をシェーンベルガー国へ行かせた。その報告を待って————」マールセンが言葉をさえぎった。
「往復で最短でも四日はかかる。私はそこまで、自分の国をおいては待てぬ」
「ならばチェルニア国へ戻られるが良い」
「貴殿がそう言うなら、そうさせてもらおう」マールセンは剣士らを睨んだ。そして、くるりと身体を扉へと向けた。
「貴殿が、後悔しないことを祈る」マールセンはそう言うと、扉を自ら開けた。
扉の向うには、信じられない光景が見えた。王妃が口と腕を縛られ、大量の血を腕から流し、影にいる何者かに捕らえられている。王妃の目は涙であふれている。ブルクミラン国王は大きな驚きと怒りに叫んだ。
「王妃!」
影にいる女が姿を現した。女は王妃と共に部屋に入ってきた。その後から大きな男が樽を二つ抱えて、現れた。
部屋を後にするマールセン国は一瞬立ち止まった。女がマールセンに言った。
「〈印〉を確認しました」
「そうか」マールセンはにやりと笑った。
次の瞬間、鈍い音がして、その女が目を見開いたまま、床に倒れた。剣士のひとりが女に向かって自分の剣を投げたのだ。剣は女の背中を貫き、女は一言も言わずにこと切れた。
マールセンは憎悪を込めた目で部屋の剣士を見回した。王妃の綱をつかんで、自分の剣を、王妃の首筋に当てた。
「剣士たちよ、動けば王妃の命はないぞ」
マールセンはそう言って剣士らを見渡した。彼らは一斉に硬直した。
「誰も動くな!」ブルクミラン国王が、真っ青な顔で叫んだ。
「言う通りにするのだ」
ブルクミラン国王は、剣士たちに命じた。
「卑怯者め……!」ブルクミラン国王はマールセンを睨んだ。
マールセン国王はそれには答えず、樽を抱えた男に合図をした。
男は樽の一つをブルクミラン国王と剣士たちに、もう一つの樽を部屋の中央に向かって投げた。樽はくるくる回りながら、中身の液体をばらまき、床に崩れ落ちた。
大きな男は、樽の中の油を全部まいてしまうと持っていた木切れに火をつけ、それを部屋の奥に投げ入れた。マールセンは王妃を離し、彼女を部屋の中へ転がした。マールセンと男は同時に部屋の外へ飛び出し、扉を閉めた。
轟音が鳴り響き、部屋の中は炎に包まれた。ブルクミラン国王は炎の中、倒れている王妃に駆け寄り、しっかり彼女を抱きしめた。
十数年前のある日、ブルクミラン国の夜の海辺に、国王と王妃が立っていた。二人の足元に岩を割る波のしぶきがかかる。そのそばには小舟が、海から突き出た杭にくくりつけられている。王妃の腕には布に包まれた赤子がいた。
「……私がこの子の業を負って生きます。ですからこの子を私のそばに置いてください」
王妃の絞り出すような声が言った。
「ディアナベス。お母様があなたを守ります。あなたの受けた禍を私も一緒に生きます。私はこの子を手放したりはしません」王妃が強い口調で言った。「守って見せます」
「王妃よ……」国王は王妃を抱き寄せた。




