第17章 明かす
翌日、ジークレッドはドレークを呼んだ。
「楽器を届けにトレイシアの部屋を訪問したい。それとハワード卿にも声をかけてくれ」
「かしこまりました。お伝えして参ります」ドレークは礼をし、すぐに下がった。
ドレークからの知らせを受け、トレイシアは、突然動揺して、読んでいた本を置いた。ジークレッドが部屋に訪ねてきたことは今まで一度もなかった。二人の侍女は部屋を整え、王を迎える準備をした。レディスが傍でささやいた。
「一体どういったご用件なのでしょうね。王自ら、訪ねていらっしゃるなんて」
トレイシアはレディスの言葉に胸がどきりとし、落ち着かなかった。ものが手につかないのに、普段通りのふりをして、読書に集中しようとしていた。
やがて扉をたたく音がして、ジークレッドの声がした。
「どうぞお入りください」
レディスが扉を開けた。
ジークレッドはひとりだった。手に楽器の箱を持っているのが一目でわかった。
「居心地はどうだ?」
「快適です。お気遣いいただいて嬉しく思います」
トレイシアは緊張していたが、ジークレッドの持つ楽器の箱に自然と目が向いた。
「それは?」
「バイオリンだ」そう言いながら、ジークレッドは箱をテーブルに置いた。
「そなたに贈ろうと思って、昨日、視察のついでに楽器を作る工房へ足をのばした」
トレイシアは興奮したようにテーブルに駆け寄った。
「私に、ですか?」
「そなた以外の誰も弾けない」ジークレッドは笑った。
「開けてもよろしいですか?」
「もうそなたのものだ。いつでも弾くといい」
ジークレッドはトレイシアの嬉しそうな様子を見て胸がざわつくのを感じた。レディスがジークレッドをソファに促した。
トレイシアが箱を開けると中には上質の布の上に美しいバイオリンが入っていた。
「ラドキシュ製ではありませんか!」
ジークレッドはうなずいた。
「私にはよくわからないが、名器のようだ」
トレイシアは弓を持って、一音鳴らした。素晴らしい音色だ。早速、静かな短いメロディを奏でてみた。奥深い音が部屋中に響き渡った。
トレイシアは輝くような笑みをジークレッドに向けた。
「ジークレッド様、なんてお礼を申し上げたらいいか。言葉がありません」
「そんなに喜ぶなら、そなたが来る前に準備しておくのだったな」
ジークレッドは笑みを浮かべた。
「実はそなたに話があって来た」
ジークレッドの口元は穏やかだが、目は真剣だ。レディスとトレイシアの目が合った。
「では私は下がらせて頂きます」
レディスが立ち去り、トレイシアはジークレッドと二人だけになると、昨日ダンジョンで感じた妙な気持ちが戻ってきた。また鼓動が速くなりそうだ。彼の視線を意識しすぎるのだ。彼女の顔は自然に、少しうつむき加減になった。
「ハワード卿がそなたと話をしたいと言っている」
ジークレッドが穏やかな声で言った。トレイシアは、はっとしてジークレッドを見た。
「〈音の力〉について真実を知りたいと」
トレイシアはじっとジークレッドを見た。
「ハワード卿を呼んである。断りたいのなら無理はしない」
「いいえ。私もお話したいと思っていました」トレイシアが言った。
「そうか」ジークレッドは安心した表情を見せた。
「ハワードは私の、心からの友人だ。だから安心してくれ」
「はい」トレイシアが答えると、扉の外から、ハワード卿の来訪を告げる声がした。
扉が開かれ、大きな男が入ってきた。
扉が閉まると、ハワードはジークレッドに腰を落とし、右手を肩に当てて挨拶した。ジークレッドがそれを見て笑った。
「トレイシア王女の前だからといって、つくろわなくていい。彼女には、私たちが友人であることはもう話した」
ハワードは身体を起こし、ジークレッドに笑みを向けた。そしてトレイシア王女の方を見た。
「私にも儀礼は不要です。あなたの友人だと思ってくださると嬉しく思います」トレイシアが言った。
「ではそうさせてもらいます。」ハワードは穏やかな目でトレイシアを見た。
「ジークレッドから〈音の力〉についての話は聞いています」
トレイシアは、ハワード卿が〈ジークレッド〉と名だけを呼ぶことに驚いた。二人は対等の立場にいるのだと思った。
「実際に〈音の力〉を見せてもらうことはできますか? 」
ハワードが言った。トレイシアはうなずいた。
「はい。でもここではなく、中庭に出ましょう」
ジークレッドとハワードが顔を見合わせた。
「今から私と剣の手合わせをお願いします」
二人は、怪訝そうにトレイシアを見つめた。
一刻後、いつもダグラスと兵士らが鍛錬に使っている広場へ、トレイシアとジークレッド、ハワードが剣を持って集っていた。トレイシアはハワードと向かい合った。
「ハワード様、準備はいいですか? 」とトレイシアが言った。ハワードはジークレッドに意見を求めるような眼を向けた。
ジークレッドがトレイシアの方を向いて言った。
「トレイシア、そなたは剣が使えるのか? ハワードは西方諸国で一二を争う剣士だ。〈音の力〉をみせるのではなかったのか? 」
「そんなにご心配なら、手加減なさって下さい。」
トレイシアはにっこり笑って、剣をすらりと抜いた。
(本気か)ジークレッドは半分呆れたようにトレイシアを見た。
ハワードは渋々、ゆっくりと剣を抜いた。そしてトレイシアに向き合った。
トレイシアは剣を構えて、口を開いた。そして歌のようなフレーズを繰り返した。その声はこのように聞こえた。彼女は同じ音節を歌っている。
〈ラプラトゥーラ スプレンティーラ〉
一つひとつの音節が言葉のように聞こえ始めたとき、ハワードは突然、太陽の光が目の前にサァーッと白く差しこむように何も見えなくなった。
次の半秒、腕に衝撃を感じ、気が付くと自分の剣が手から放れ、宙を舞って地面に落ちた。
トレイシアが彼の剣をふり飛ばしたのだ。ジークレッドは目を見開き、あっけにとられて、二人を凝視している。
〈音の力〉か……!
呆然としているハワードに、トレイシアは地に振り落とされた彼の剣を拾い上げ、目の前に剣を差し出した。ハワードは動揺を隠せないまま、言葉もなくトレイシアを見つめながら剣を受け取った。
三人はダンジョンの一室にいた。トレイシアは自分の聞かせた声について二人に説明した。
「この音階は妹のディアナベスが見つけた音の配列です。私はディアナベスのつくった音の再現をしたのです。そして、〈歌〉は、その音を歌う者には影響しません。ディアナベスのつくった旋律を正確に真似るまでに、私は長い時間を要しました。」
「では、もし私がディアナベス王女のつくった旋律を正確に再現することができたら、私も戦わずして、相手の剣をはねることができるということか? つまり戦場で今日の歌を歌ったら、敵の動きを一時止めることが可能なのか? 」
ハワードが低い声で尋ねた。
「ディアナベスの音を真似たのは、これまで私しかいません。他の者に同じことができるかどうかはやってみなければ、わかりません」
トレイシアが答えた。
「戦場で〈音の力〉を使うことを考えていらっしゃるのですか?」
「貴女を戦場に連れ出そうなどとは、微塵も思っていません」
ハワードは確固とした口調で言った。ハワードはジークレッドの方を向いて言った。
「ジークレッド、もう手は打ったのか?」
ジークレッドはトレイシアの方を見た。
「トレイシア、黙っていたことは済まないと思っている」
「何のことです?」
「実はそなたの国に、シェーンベルガー軍の剣士を送った。もちろん我が国の者だとはわからないように。大工や、商人、城内の衛兵、厨房にいる者に扮して潜ませている。いざという時に、ディアナベス王女やブルクミラン国を守るために密かに送り込んでおいた。ブルクミラン国王には書簡で知らせてある」
「どうして話してくれなかったのですか?」
「その時、そなたはトスカーラ国にいた。時機をみて話そうとしていた」
「そんな早い時期に」トレイシアは驚いて言った。
そして続けた。「いざという時とは、つまり……」
「ブルクミランが占拠される時だ」ハワードが答えた。ハワードはトレイシアをじっと見つめた。
「貴女とディアナベスの〈音の力〉についての情報について、西方諸国の中には、かなり正確に把握している国がいくつかある。それらの国々もシェーンベルガー国と同じように、秘密裏に密偵や兵士をブルクミラン国内に送り込んでいる可能性もある」
トレイシアはごくりと唾をのんだ。
「ディアナベス王女が拉致される危険が大きい」
トレイシアの目が大きく開き、鼓動が速くなった。
「そんな……! 」
ハワードはジークレッドに目をやった。
「ここから先は、ジークレッドから話してくれ」
ジークレッドはうなずいた。トレイシアは不安気な目をジークレッドに向けた。
「トレイシア、シェーンベルガー国はブルクミラン国を守る準備ができている」
ジークレッドは確固とした口調で言った。トレイシアは鼓動が速くなるのを感じた。
「ディアナベス王女をブルクミランから連れ出し、わが国で守る。〈音の力〉、つまり、ディアナベス王女を他国が奪うために、わが国と戦うことになろうとも、私には勝算がある。それは、同時にブルクミラン国も標的になるということだ。わが軍を送りこみ、ブルクミラン国を必ず守り抜く」
ジークレッドはそう言い切った。
「だが、戦争は破壊を免れない。周辺の国も、あらゆる民も戦火に巻き込まれることになるだろう。私は、幼い時からこの軍事国家で、シェーンベルガー国の王となることを魂に刻みながら生きてきた。そなたに何度も言ったように、私は戦争を避けようと動いている。しかし、その時がきたならば、私は戦の旗を挙げることに躊躇はしない」
ジークレッドはじっとトレイシアを見つめた。
「そなたが望むなら、そなたがそれで良いと決意できるならば、私はすぐにでもこの策を実行しようと思う」
トレイシアはジークレッドの視線を受けながら、頭を巡らせた。やがて目を伏せて、自分の考えに集中した。ジークレッドとハワードは黙って彼女を見守った。
しばらくトレイシアは下を向いて、黙っていた。
ふと彼女は顔を上げ、ジークレッドとハワードの顔を見た。
「ディアナベスをシェーンベルガー国で守って欲しいと思います。お二人がおっしゃっるように〈音の力〉をめぐって奪い合いが起き、戦争の口火が切られるのは時間の問題ということですね」
トレイシアは続けた。
「でも私にはまだ信じられないのです。〈音の力〉を争いに利用しようとする国がほんとうにあるのでしょうか?」
ジークレッドとハワードが視線を交わした。ハワードが口を開いた。
「チェルニア国の動きが不穏だ。彼らは〈音の力〉について確信を得ていると、私は考えている。その情報をどのように使うかはわかぬが……早めに手を打った方が良いだろう」
トレイシアはハワードの言葉をじっと聞いていた。そして彼女はつぶやくように言った。
「私は……ブルクミラン国を、自分の国を守りたい」トレイシアが言った。
「シェーンベルガー国の軍隊でブルクミラン国を守ってくださるのですね?」
「もちろんだ」ジークレッドが力強く答えた。
「わかりました、ジークレッド様。私もその策に同意します。私はブルクミラン国に戻ります。私は自分の国で敵を迎え討ちたいと思います。シェーンベルガー国に守られて、ここで戦況を見守っているだけなのは嫌なのです」トレイシアは確固とした口調で、まっすぐにジークレッドを見て言った。
「私は自分の国で、両親を、ブルクミランの民を守ります」
ジークレッドは眉をひそめ、唇をかんで、彼女を見た。
「そなたをブルクミラン国に帰すことはできない。そなたは戦ったことがない。実践に向けた訓練をしたここともない。戦を甘くみている」
「わかっています。それでも私はブルクミラン国の王女として戦いたいのです」トレイシアは強い口調で言った。
「そなたを危険にさらすことはできない」
トレイシアはその言葉にどきりとした。ジークレッドは急にソファから立ち上がった。そしてそのまま扉の方へ向かった。
「外の空気を吸ってくる」
彼はそのまま部屋を出て行った。
ハワードはずっとジークレッドの様子をうかがっていた。残された二人はジークレッドを黙って見送った。
ハワードが少し笑みを見せた。
「あの男が私情に流されるのを初めてみた」
もちろんジークレッドのことを言っているのだ。トレイシアは思わず目を伏せた。頬が熱くなった。
「ところで貴女は私に聞きたいことがあると言っておられたな」
彼女ははっとしてハワードを見た。
「はい。お尋ねして良いものかどうかわかりませんが……」
トレイシアは別の緊張を感じた。
「ランゴバルト国のことです。もう一つ、〈マンスフェルトの森〉をどうやって乗り越えられたのか、おうかがいしたいと思っています。」
ハワードはしばらく黙っていた。その沈黙はハワードの心うねりを感じさせるものだった。重く、深く、沈んでいく。ハワードの心の痛みが伝わってくるようだ。
トレイシアはじっとハワードの様子を見守っていた。
やがてハワードはつぶやくように言った。
「〈マンスフェルトの森〉で過ごした日々を、今、ここで語ることはできない」
彼は目を閉じた。
「そのことを話すためには、私に長い時間が必要だ。数年後……十年以上かかるかもしれない。そうでなければ私は、壊れてしまうだろう」
ハワードは目を開き、トレイシアに視線を向けた。
「すまぬ」
「謝らなければならないのは、私の方です。軽々しく尋ねしまったことをお詫びします」
彼は、彼女の言葉に黙ってうなずいた。そして部屋の天井を見上げた。
「ランゴバルト国の話をしよう」




