水曜日の放課後
みねと初めて話した日から数週間が過ぎた。
あの日以来、私はあの公園の丘の上には近づいていない。
私の生活は相変わらず同じ毎日の繰り返しだ。
朝起きて、母親の作った朝ご飯を食べ母親の買ってきた洋服を着て、
学校へ一人で向かい一言もクラスメイトと話すことなく、1度も笑うこともなく
ただ授業で当てられた時だけ発言をして帰る。
そんな私にはだれも目を留めない。
そして、黙って一人で帰ると、私は自分の部屋に直進し
図書館で借りてきた本を夕食だと呼ばれる時間まで読みふけっていた。
夕食の時間になると、家族4人全員が顔を合わせる。そして、父親の独演会が始まり
私はただ黙って彼の話を聞き流した。
途中で何度も、その考えおかしいと思う、とかそれは違うんじゃない?と思ったけれど
またけんかになるのが嫌だから口には出さずに。
「ごちそうさまでした。」
それだけ言ってまた自分の部屋へ戻る。
また、本を読んだり音楽を聴いたりして過ごして…
夜が訪れ、眠りにつきまた新しい朝が来る。
「もう、来なくてもいいよ。」梅雨真っただ中で、
今日もじめっとした雨が降る朝、私は思わずつぶやいた。
そう。もう来なくてもいい。朝なんて。
こんな毎日の繰り返し、別にもう続かなくてもいい。
はあ。深い深いため息をついて私はベッドから起き上がった。
水曜日の放課後、私は家へ帰り荷物を置くと近所のマリア先生の家へと向かった。
私は週に1回英会話を習っている。別に、自分で習いたいと言ったわけじゃなく
父が通えと言ったからだけれど。
ほかにも、ピアノやそろばん、体操教室など気づいたら親から与えられていた習い事は
多々あるけれど、どれも小学校低学年までにやめてしまった。
唯一、英会話だけ人見知りで話すのが苦手にもかかわらず6年生になった今でも続いている。
それは、たぶん…
"Hello,Yuki! How are you?"
ピンポーンとチャイムを押すと、ガチャンと音がして、飛び切りの笑顔を浮かべた
マリア先生が出迎えた。
"Hello,Miss Lorenzo. I'm fine thankyou, and you?"
"Very good, Yuki! Come in."
マリア先生に招き入れられ、私は先生のお宅へお邪魔する。
マリア先生はラテン系アメリカ人だ。くるくるにカールした長く美しい茶褐色の髪をいつもシニヨンにまとめ、少し胸の空いた 派手な色のワンピースを着ていて、それがどこまでも明るい先生の雰囲気によく合っていた。
先生はアメwリカで日本舞踊や三味線などのお座敷文化と出会い、日本贔屓になった。
そして、26歳の時に来日し、かれこれ5年ほど英語教師をしながらここ東京の外れに住んでいる。
私が週に1回習い始めのは今から2年前。
それまで通っていたグループでの英会話教室に、クラスメイトの1人に私物を隠されネットに死ねと書き込まれたことがきっかけで通えなくなった。ちょうどそのころ、母が地域のケアプラザでマリア先生の個人英会話教室のチラシを見つけてきて、私は習い始めることになったのだ。
"Yuki, What did you do on the weekend?"
マリア先生は、いつもそういってレッスンをスタートさせる。週に1回、30分。
1対1で英語だけで会話をするというと、周りの人は大変だねとよく言われるけれど、
私はこの時間が数少ない楽しいと感じられる時間だった。
たどたどしい、中身も大したことない私の英語にマリア先生はいつもニコニコと熱心に耳を傾けてくれ、
”So, you mean… , right?"と内容をつかんでくれる。そして、話す中で新しい英単語を次々と教えてくれた。それは、学校で出る単語テストみたいなつまらない単語じゃなくて、もっと魅力的な言い回し。
”I read a book."
いつも私は先生の質問にそう答える。毎週毎週。
そうこうするうちに先生にもっと違うことを言えと怒られるんじゃないかと思っているけれど、
先生はいつも優しい。
"You always read a book! Wonderful!! What kind of book did you read?"
30分レッスンの後、マリア先生はひんやりと冷えた梅ジュースを出してくれた。
"Yuki, are you tired? OK?" 少し心配そうに先生は私の目にかかった髪を払った。
"A little bit, but it's OK."
"Oh, what's the matter, sweetie?"
先生はよく私にsweetieとかhoneyとか呼びかける。
はじめは照れくさくてどう反応したらよいのかわからなかったけれど、今はそのストレートな呼びかけが
ほっこり心地よかった。
"Nothing big deal. just just I'm bored to do the same thing everyday."
"Aha."
レッスンの時間が過ぎても、たどたどしい私の話をマリア先生は相槌を打ちながら聞いてくれた。
"If today will not tomorrow may."
一通り話終わり、帰り支度を始めると先生は突然言った。そしてこんなことわざがあるのよとニコッと笑う。
”You never know where the next miracles going to come from. OK?"
"OK. Thank you miss. Lorenzo."
そういって先生の家の玄関のドアを開けると…。
目の前の通りに1台の黒いバイクが止まっていた。
そして…。
「あれ?リリー?」
あの男が驚いたように目を丸くしていたのだった。




