第九話 二歩目の始まり
放課後、海人は真っ直ぐ部室に向かった。
旧校舎二階の廊下をもう一度、最初から慎重に観察しながら部室があるはずの行き止まりにしか見えない廊下の端へと慎重に歩んでいく。
目を凝らしていても、やはり、ある一定の距離にまで近づかないと給湯室の札すら現れない。
ふと外を見ると、明日乃が旧校舎への渡り廊下付近を足早にこちらに歩いてくるのが見える。
その後ろには明日乃をつけ回す男子生徒が何人かつけていた。
どうやら彼女がどこに向かっているのかを確かめるつもりらしい。
しばらく見ていると突然、明日乃が走り出した。
つけてくる奴らを撒くつもりなのだろう。
これは、つまり部室に逃げ込むということだ。
普通なら旧校舎のどこに逃げ込もうと部室が判明した時点で、出てくるまで張り込まれてしまった挙句、シャメられて一巻の終わりである。
(だが僕の考えが正しければ、彼らは明日乃未来どころか部室すら見つけられないはずだ)
自分の経験上、明日乃は走るのが飛び抜けて速いだろうから、急いで鍵を開けなければならない。
焦って、鍵を差し入れてひねったと同時に彼女が階段途中のどこからか二階の廊下にズバァンと派手にジャンプして現れた。
「部室のドア開けといたから、飛び込め!」
明日乃が海人の目の前にまで来た時、やっと追っかけ共が二階の廊下に到達する。
しかし、彼らは廊下に来るなり、急に辺りを見回し始めた。
こちらからは完全に彼らが見えているのに、向こうからは見えていないらしい。
うろつく奴らを見向きもせず、明日乃は海人の隣にくると愚痴を言った。
「星野、ありがと。あいつら、しつこくて。こういうことやるから避けられるのにね」
「お疲れさん。でさ明日乃。あれ、ちょっと見てみなよ」
部室のドアを半開きにして中から顔だけ出して二人で追っかけを観察していると、興味を持ったのか二人の下から座敷わらしも顏だけ出して一緒に観察をはじめた。
追っかけ達は、手分けをして二階の教室を片っ端から覗いていっている。
給湯室のひとつ手前の教室も覗いていくが、そのたった二メートル先の給湯室が分からないらしい。
ドアからトーテムポールのように覗く三人の四メートルほど前で、どこ行った? そっちはどうだ、ここに来ただろと打ち合わせを始めている。
こっちは、それを見ながら座敷わらしがクチに手を添えてクスクスと笑っている。
彼らがまだいるのでしばらく様子見していたが、やがて飽きたのか学生服の袖をひっぱりだした。
もういいから、座って一服しろということらしい。
キリがないのでドアを閉めてテーブルコタツに座るとお茶が用意してあった。
「座敷ちゃんのお陰で助かったよ。それにしても随分と強力な認識阻害よね」
「ん? 認識阻害?」
つい口が滑ったのか慌てて言い訳をしだす。
「いや、だから、い、今のは……そういう感じのアレよ!」
明日乃が困り顔で一所懸命なので(別に気にしていません)という体をとって話題を変えてやった。
「それより、座敷ちゃんって。いいのかよ、そんな呼び名」
お煎餅を持ってきた座敷わらしは、お盆を持ったままキョトンとしている。
「ねえ、あなた。名前とかあるの?」
ふるふると首を振る。
「ない」のか「言えない」のかは分からない。
「そっかぁ。じゃあ、座敷ちゃんでもいい?」
「……」
なんとなく頷いた様にもみえる。
これは明日乃がそう呼びたいなら、まあいいだろうというところか。
とりあえず、出してくれたお茶を飲み、お煎餅を食べて完全にリラックスモードだ。
さっきまでの追っかけ問題など、ここにいる限りはどうでもいい話なのである。
「一息ついたところで、簡単な会議をやろうか。内容は、この倶楽部の活動方針と年間計画だよ。先生に出さなきゃならないからさ」
「あー、うん……そうね」
とは言うものの、なんだか明日乃がいまいちのってこない。
倶楽部の方針とか、普通のことの様な気もするのだが……
(いや、待て。この倶楽部、そもそも普通じゃないよな?)
そう考えると、彼女がモヤっていることの本質がなんだか垣間見えた気がした。
「考えたんだけれど、これ学校側に出す資料としての活動方針だけじゃダメかもしれないね?」
明日乃がピクッと反応した。
「この状況さ。えーと、宇宙艦がいたり座敷わらしさんに接待と防衛までされている現状があるのに、科学研究部としてそこを手をつけないとかおかしいよな?」
すると彼女は意味深にニヤリと笑って海人を見つめながら頬杖をつきだす。
「星野さ、他にもあるんでしょ。気になっていること。いいよ? 言っても」
「いやぁ、探りいれなくても気が付いているなら、そこ敢えて言う必要ないでしょうよ。ま、それにさ……僕は、そこはさ。全然、気にしないというか、むしろ……ま、いいじゃん」
海人が明日乃をどう見ているのか、彼女自身がある程度は察しているから振ってきた言葉なのだろうが、海人に言わせると一番肝心な(海人自身の気持ち)については全然気づいてくれていない言葉でもあった。
「えーっ」
ちょっと不服そうな返事に少しあたふたしながらも、ブレかけた話を元に戻す。
「まあまあ。つまりさ、僕が言いたいのは表の活動方針と計画とは別な目的意識が必要なのかもしれないってこと」
そこは、なんか面白い方向になってきたと感じたのか、明日乃だけではなくて座敷わらしまで座って頷いている。
しかし、俯瞰で客観視すると、これはいったい何の怪しい打ち合わせをしているのか?
しかも担当教師が自分で幽霊顧問だと言うし、部屋の管理は妖怪である。
なに部なんだここは? と思ったら海人はなんだが可笑しくなって、ちょっと笑いだしてしまった。
真面目な話から突然笑い出したので、二人ともびっくりしている。
「えっ、どうしたの? なんか可笑しいことあった? 今の会話に」
「ああ、ごめんごめん。そうじゃなくて、君が昨日、部室について秘密基地ができたって喜んでただろ? これ、なんか秘密基地っぽい話をしているなって思ったらさ」
言われて気が付いたらしく、明日乃は笑ったが座敷わらしとしては、最初から秘密の場所なので可笑しさが分からんという顏をしている。
「なぁーるほーどねぇー。で、星野としては、まず表の方針とかはどうしたいの?」
「うーん、それなんだけれど、天体観測を屋上でたまにするのと、観測を理由に星が綺麗な場所に遠征とかどうかなって思ってる。つまり観測主体だね」
「遠征! 旅行だあ! うん。それはいいんだけれど、天体観測自体はどうするの?」
「ま、それは僕が自宅から自動導入望遠鏡を……」と、そこまで言った時に座敷わらしが海人の袖を引っ張った。
それから立ち上がると、おいでおいでをしている。
ついてこいということか。
「なんだ? どうした急に」
「さあ? どうしたんだろ?」
呼ばれるままに部屋の端までついていくと、引き戸があった。
まだ、この部屋について細かく調べていなかったのと、棚で引き戸の一部が隠れていたので気が付かなかったのだ。
座敷わらしが引き戸を開けると、六畳間程の板の間の真ん中に天体望遠鏡らしきものが布をかけて置いてあった。
布が取られると、それは海人垂涎の屈折赤道儀の望遠鏡だった。
しかも、あまりに状態が良さそうなのでフラフラと吸い寄せられるように望遠鏡に近寄っていく。
「なんか、立派な望遠鏡に見えるんだけれど。星野、この望遠鏡が好きなの?」
その一言により海人のオタクエンジンが点火してしまった。
「好きも何も、これはミザールというブランドから一九七〇年代に発売されたカイザー型という量産型屈折赤道儀のフラッグシップモデルだよ。実物を見るのは僕も初めてだけれど、欲しすぎてサビだらけでもいいから買おうか迷っていたんだ。最大の特徴は口径八〇ミリのセミアポクロマートレンズと、焦点の微動に天文台の大型望遠鏡と同じヘリコイドハンドル式を採用していることなんだ。この、今の望遠鏡にはない長焦点の一二〇〇ミリの鏡筒と微動用の二本のフレキハンドルが堪らないんだよなあ」
普通は、ここまで言うと特に女子は(なに、こいつ。キモ!)となるものだが、明日乃は超満面の笑みで「それでそれで?」と喰いついてくるし、座敷わらしは自分が手入れをしてきたのだろう、エッヘンという感じだ。
「これ、屋上に持っていって宇宙を観てみたいよなあ!」
「そうだね! そうしようよ! 今日は、天気も良さげだから、これを持って行ってさ!」
そう言うと明日乃は望遠鏡を早速、持ち出そうとした。
「いや、明日乃‼ そいつは全備重量が二十八キロで……」
そこまで言った時には、すでに彼女は三脚のマウントの下辺りを持って片手で望遠鏡を軽々と持ち上げてしまっていた。
「えっ、二十八……キロ……」
海人を凝視すると、明日乃は少し間をあけてから、バツが悪そうにカイザー型をゆっくり、そお~っと置くと大げさに叫んだ。
「重くて死ぬかと思った‼ そんなの先に言ってよ!」
正直、色々な意味で呆れたが、彼女がプンスカしている表情はレアなので悪い気はしない。
なんと言うか、むしろ皆が知らない特別な表情を見られることに満足してしまう。
そして、ここは適当に軽く流してやり、収めてあげるべきだろう。
「やあ、言うのが遅くなって悪かったよ。ごめんごめん」
「……」
さすがにこれは適当過ぎた。
明日乃はプンスカしたまま騒いでいる。
「女子にこんな重いものを一人で持たせるとか酷いと思う! 男なんだから、ちゃんと手伝いなさいよ! まったくもう!」
(いや、僕が持つからが手伝ってって言う気だったのに、自分が舞い上がって勝手に持ち上げたんだろ)
と呆れかえっていると座敷わらしが架台部分との接合ネジを緩めた。
これで鏡筒部分と架台部分が分離できる。
次にバランスウェイトを外すのだが、明日乃が
「軽いこっち側をわたしが持っていくから、バツとしてアンタ重たい方を持ってきなさいよね!」と言いながら、鏡筒部を赤道儀とバランスウェイトをつけたままで楽しそうに持って行ってしまった。
バランスウェイトが付いた赤道儀と鏡筒は総重量の七割がたを占める。
座敷わらしと海人は二人とも(どういうこと?)と顏を見合わせた。
仕方なしに残された軽い架台部分を折り畳むと、座敷わらしにアイピースが入った箱を渡される。
部室のドアまでいくと座敷わらしは行かないらしく手を振っている。
そのまま、屋上への階段を上っていくと広い屋上に出た。
明日乃が、この辺がいいと陣取っている。
急いで三脚を広げ組み立てて鏡筒部を載せた。
アイピースの箱を開けると水準器が入っていたので三脚を調整しながら水平だしを行う。
つぎに赤道儀の軸を北極星に合わせてから、ずれないようによく締めた。
「だいたいこれで準備が出来たよ。何を最初に見ようか?」
そういって、海人が顏を上げると、そこには街の灯りと上がってきた月を背景に従えた明日乃があった。
満月に近い月齢は明るく、彼女を浮かび上がらせる。
笑みを浮かべるその姿があまりに綺麗にみえたので、暫く見とれてしまっていた。
そしてつい心の声をそのままクチにしてしまう。
「……綺麗だな……」
「ん? どうしたの?」
どうしたと言われて、我に返った海人は今のを聴かれていたと思い込み、つい出てしまった言葉に慌てた。
そこで、なんとか誤魔化すつもりで更にとんでもないことを言ってしまう。
「あ、いや、今日はシーイングも良さそうだし、月が綺麗だなって!」
「⁉」
明日乃は海人からの突然の衝撃告白に顏を両手で隠して向こうを向いてしまった。
海人は、彼女が謎のモジモジをしだした間に、持ってきた箱の中から低倍率の接眼レンズを選んでセットした。
直接観測するには口径八十ミリだと集光力が足りない。
なので観測対象がいいとこ散開星団や球状星団、一部の星雲と太陽系内の惑星くらいまでとなる。
ならば最初は視野が広めで星像がしっかりしている方がいいだろうという判断だ。
一方、明日乃は、まだ顏を両手で隠していたが、たまに指の間から海人をチラ見している。
「明日乃、もう観れるよ。 あれ? どした?」
「……」
さっきまではしゃいでいたのと同一人物とは思えないくらいの大人しさに流石の朴念仁でも何かあったことを感じとった。
手の隙間から覗く顔は月明かりでもわかるくらいに真っ赤なようだ。
よくみると耳まで赤い。
「んんん⁇ なんだ? なんかあったのか?」
「う~……」
「あの~明日乃……さん⁇」
「う~……」
う~しか言わない明日乃に困り果てた海人は、これはどうやら月というベタな観測対象が気に入らず、宇宙好きな彼女を怒らせてしまった、これは大失敗したと頭を抱えた。
まいったなと空を仰ぐと、丁度、木星があったので試しにそっちを薦めてみようかと考えた。
「困ったなあ? なんか他のを観ようか? 今だと丁度いいみたいなんだ」
途端に明日乃が慌てだした。
「え⁉ ほ、他の⁉ 他のはダメ‼ 絶対! そんなの絶対絶対、許さないんだから‼」
あまりの剣幕に、そんなに月が好きだったのになんで観ないんだと思いつつも、もう望遠鏡は木星に向け動かしてしまっていた。
「え──っ⁉ あのさ、木星なんだけど観たくない?」
「あ…………木星……観る」




