第六十話 首相の憂鬱のはじまり
表向きには内閣官房の危機管理センター内に「宇宙艦対策本部」と「巨大生物対策室」が既に設けられていたが、今、大洗に現れているものは十年前に東京上空に静止している宇宙艦と明らかに同じレベルの危機的存在である。
燕ノ宮首相は関係閣僚や内閣官房幹部などを緊急招集し国家安全保障会議室へと歩みを急ぎながら、未曾有の事態の到来を感じていた。
人類が作り出せる限界を遥かに超えた構造物が空中に静止しているのは、宇宙艦の到来以来となるが、では、今回の大型物体も最初の宇宙艦と同一の文明からの謎の訪問という程度なのか、それとも二機になったことで何かが起きるのか?
または、全く関係のない新たな存在の来訪なのか。
いずれにせよ、下手にこちらから動くことは出来ない。
離れたところから静観するという初動で間違いないはずだ。
しかし、国家安全保障上の更なる、そして新たな脅威である。
そもそも最初に東京で静止している宇宙艦も脅威がなくなったわけではない。
あれが侵略兵器であるという懸念が払拭されたわけでもないのだ。
そんな腹積もりをしながら燕ノ宮首相は歩んでいた。
会議室に入ると、いつもは秋葉原の宇宙艦を映し出している大型モニターは、その中心の画像を大洗の大型物体へと変えてあった。
入室すると、すぐさま首相、閣僚ほか全員が着席する。
「それでは会議を開始致します。お手元に配りました資料をご覧になりながらお聞きください」と山中官房長官が配られている紙資料を見ることを勧め、続けて内容を話し出した。
「では。本日、推定発生時刻日本時間十八時三十分頃、大洗町海岸部海上にて出現した未知の巨大異常物体について、政府は先ほど危機管理センターにおいて本事案の正式名称を決定いたしました」
大型モニターに資料の表題と同じ名称が表示される。
「本事案は緊急特別異常事案第八号、略称はEAA―8号と指定いたします。以降、政府機関、自衛隊、警察、消防、海上保安庁は本名称を使用してください」
「では、次に現時点で確認されている情報の報告を黒岩内閣危機管理監からお願いします」
大型モニターは再び、大洗の大型物体に切り替わった。
「これは……銅鐸に見えますね」と総理がぽそっと言った。
その頃、海人達は塩やら砂やらを洗い流す為にシャワーだけ先に浴びようと大浴場にいた。
「おい……これは……お前、これ、本当にシャワーだけで我慢するつもりなのか? 洗ってからちっとも湯船に入らないで上がっちまうのか?」
田浦がそう言うのも無理はない。
内風呂は十人以上楽々入れる檜風呂で、下世話な話、物凄く高そうな、かなり厚手の檜を使った湯船だ。
そこから見える外には海が見える露天の岩風呂となっている。
もっとも、今はその景色の中に異星からの巨大な銅鐸もあるわけだが。
現れてから何も変化がないとはいえ、あんなものが見えている状態では心身ともにのんびりと出来そうもない。
髪を洗いながら田浦に、どう言おうかを海人は悩んでいた。
経緯から考えて十中八九、あの物体と交戦状態になるだろう。
戦うとなった場合、どうやって? という話に必ずなる。
その時に超能力で戦いますというのは流石に無理がある。
ロボットと戦闘機で戦うと説明すると自衛隊に任せろと止められるだろう。
考えれば考える程にまとまらない。
イライラしながらシャンプーで頭を激しく掻きむしっているうちに盛大な泡だらけになってしまった。
やはり、どうするかは相手の出方にあわせて判断するしかなさそうだ。
「晩御飯も用意されていることだし、今は早めに上がっておこう。食べてから、またゆっくり入るのも悪くないだろ?」
檜風呂を名残惜しそうに見る田浦だったが、「部屋も風呂もここまで豪華だと晩御飯も期待していいよな⁉」と言うと急に脱衣場に上がって、さっさと館内着の浴衣に着替えだした。
「何やってんだよ、早くメシ食いに行こうぜ!」と海人まで急かしはじめる。
「お前のそういう自分に素直な処は嫌いじゃない。嫌いじゃないが、お前なあ」と苦笑しながらも、晩御飯の献立には海人も内心、期待をしていた。
[ゆ 男]の暖簾をくぐって廊下に出ると、女子二人はまだのようで静かな廊下にわずかにドライヤーの音が聴こえている。
あの二人なら、本当は髪を乾かすなんてことはドライヤーなど必要がないはずなのだが、その【髪を乾かすのにドライヤーという家電を使わなければならない】ということ自体が重要であり楽しいのだろう。
二人が出てくるまで廊下にあった年季が入った木製の長椅子に座り待つことにした。
誰もいないやや暗い廊下で物も言わず、淡い行灯に映し出された男二人がただ座っている。
二分もたった頃に田浦が話しかけてきた。
「なあ、星野。もしかしてなんだけれどさ」
「なんだ?」
「もしかして、お前ら。あの変な銅鐸みたいな奴。なんとかしようと考えてるとかか?」
海人は、ため息とも返事ともとれないような「ふぅむ……」と返してから
「なんで、そんなこと思ったんだ?」と逆に問うてみた。
「なんで、って言われても困るんだけどよ……ただ、あんなものをお前らがただみているだけなのかなって思っただけだ」
そこまで言ったところで明日乃達が[ゆ 女]の暖簾をくぐって出てきた。
「おまたせ~! だいぶ待った?」
「いや、全然! 星野、今の話は無しな。忘れてくれ。さ、宴会場で晩飯だあ!」
元気よく宴会場に入っていく田浦の後ろ姿を見ながら海人は複雑な気分であった。
これ以上は巻き込みたくないという気持ちと、いっそ全部話した方がという気持ち。
そして話してどうなる? 自分が楽になりたいだけじゃないのか? という葛藤が憂鬱な表情として出てしまっていたらしい。
明日乃が海人の傍にやってくる。
「なんかあったの?」
「田浦がさ、あれに何かするのかって聞いてきたよ」
あーっという渋い顔をして彼女はこめかみに手をあてた。
宴会場に入ると御膳と座布団が一列に五つ用意してあり、既に座敷ちゃんが端の方に座って(隣に座れ)とやっている。
宴会用の壇上には大型のテレビモニターが音声を消してニュース番組を映し出していた。どうやら既に立ち入り禁止区域が設定されたらしく、大洗町の物体を中心に半径十キロには報道も新たには立ち入れないようだ。
更に半径五キロ圏内の住民が直ちに避難指示となっていて圏内からの避難が始まったところのようである。
「ふぇぇぇ……なんかえらいことになってるみたいだけれど、ここは避難しなくていいのか?」
すると座敷ちゃんが半身乗り出して田浦に(ないない)と手を振って否定した。
「下界のことは関係ないとか、ここは別天地ってわけか。かーっ‼ 最高じゃねぇか! おい、星野。お前、座敷ちゃんにここの予約お願いしただろ?」
「まぁ、バレるよねぇ。お兄」
ニヤニヤしている姫子と田浦に「あれ? 言ってなかったっけ?」としらばっくれる。
適当にわいわいやっているうちに料理が運ばれてきた。
御膳に小鉢が三品置かれたのを見て、田浦が「こ……これだけ?」と小声で言う。
そこへ女将が入ってきた。
「田浦様、ご安心ください。こちらは前菜となりますので」と説明されて珍しく田浦が赤くなった。
「改めて本日は、当館をご利用頂きまして誠に有難うございます。今宵は当館自慢の料理をご堪能頂ければと思います。お料理は、前菜、椀物、お造り、焼き物、揚げ物、お食事、甘味の順となります。こちら一の膳[月見の小皿]は、白魚の月影和え、大洗の海水からの塩を使いました潮風豆腐の塩雫、朧昆布の小牧となっております。お召し上がりになられましたら二の膳をお持ち致します。それでは失礼いたします」と言い、仲居をひとり残して女将は一旦下がっていった。
ヤバい。
やっぱり本格的だった。
そこの三人、頼むからガツガツ食べないでくれと海人は祈っていた。
チラッとテレビを見る。
ようやくテレビ局が立ち入り禁止地区より外から望遠で海上に浮かぶ銅鐸の姿を捉えたようである。
黒岩内閣危機管理監が立ち上がった。
「それでは現時点での異常事案第八号につきまして、確認されている情報を報告いたします。物体の大きさは高さ約五百メートル。位置につきましては、レーダーによる捕捉が出来ませんので衛星写真から判定しました。大洗町海岸より三キロの沖合に着水せず、高度数十メートルを保ったまま静止中と思われます。現在に至るまで、この物体からの動きは空中での浮上以外は認められておりません。次に避難につきましての状況をご報告します」
画面が切り替わり、大洗町を中心とした地図上に同心円が表示される。
「現在は、絶対立ち入り禁止区域を物体からの半径五キロに設定しての強制避難を進めている最中です。現在のところ、避難の進捗は、まだ数パーセント程度です。これより立ち入り禁止区域を十キロ或いはそれ以上まで広げての避難指示となりますと水戸市、ひたちなか市などが範囲として入ってきます。避難受け入れ場所と速やかな誘導が必要です。それと本件との関連が予見されております異常事案第一号、すなわち秋葉原上の通称宇宙艦との関連ですが異常事案第一号対策本部より一切の変化がみられないとのことです」
何名かが資料を何枚かめくりながら汗をぬぐっている。
小声で「一度にいろいろなことが起こり過ぎる。対処しきれるのか……」という声も漏れ聞こえてきた。
「では、次に防衛大臣、お願いします」
指名を受けた久瀬兵吾防衛大臣が立つと、まず軽く咳ばらいをした。
「既に陸海空自衛隊は警戒態勢に移行済みで、現在、各部隊が偵察を遂行中です。百里のF‐2は既に現場周辺からの情報収集を実行しております。陸自の勝田駐屯地からの監視連絡班が先ほど大洗町海岸付近に到着しましたが、付近住民を多数視認しているとのことで警察などによる規制要請がきております。海自につきましては現在、護衛艦二隻を現場に向かわせておりますが、先に海上保安庁の巡視船が現場に到着しておりますので、詳細は国土交通大臣よりご報告をお願いします」
「はい、それでは……赤嶺国土交通大臣、お願いします」
赤嶺雅俊国土交通大臣は、なにやらメモを受け取ると眼鏡を二度ほどかけ直してから立ち上がった。
「えー、さきほど、海上保安庁の巡視船一隻が現場に到着いたしました。物体までの距離2・5キロ程で観測中です。なお、その巡視船より照明灯の短時間照射を実行するかの判断要請がきているようです」
「それについては」燕ノ宮総理が発言する。
「それについては、後ほど判断をしたいと思います。まだ、実行しないようにして下さい」
「わかりました」と言い、赤嶺は控えていた事務方にその場で小声で指示を出す。
その場で秘書官が何やらメモをとると、そのメモを渡された者が静かに急いで会議室を出ていった。
「照明くらいなら、いいんじゃないか」
「いや、それはせめて護衛艦が到着するまでまずいだろ」
「刺激にならないのか」など、会議室がざわついている。
神谷外務大臣が米国側から情報共有の強い要望があったことを伝えると、
「まだ、何も分かってないのに共有するものがない」
「どこから何を? まさか全てリアルタイムでの共有は無理だろ」と更にざわついた。
つづいて内閣情報調査室長と国家安全保障局長から異常事案第一号の変化が全くないこと、第一号と第八号は共にレーダーに全く映らないこと等、共通点が見いだせるも第八号については第八号直下の海面の上昇が観測されている。
このように真下に全く影響を与えていない第一号との差異も見られることから、必ずしも同一の技術、同一の文明であるとは言えないという報告がなされた。
そんな議論が進む中で、陸自からの赤外線映像が大型モニターに映し出された。
たしかに赤外線カメラなら相手から勘違いされるような刺激も与えまい。
総理は現場からの赤外線による白黒のライブ映像を見て漠然と思っていた。
(あれは、東京にいる宇宙艦とは別なものである気がする。もっと何か良くないものに見えてしまうのは私の考えすぎだろうか)
その画面に映る銅鐸のようなものから、何か小さく光る粉のようなものが多数出てきたのが見えた。




