第六話 企みのはじまり
──翌朝、海人にしてはかなり珍しいことに早めに登校してきた。
教室でとっとと自分の席につくと、カバンの中からくたびれた紙を取り出した。
(新規倶楽部申請用紙)とある。
倶楽部名の部分には「宇宙科学研究部」と書かれてはいたが、部員の欄が空欄のままだ。
以前から作りたいとは思っていたのだが、部員の最低必要人数は2人。
そこで今日の昼休みに明日乃に部員になる相談をしてみようと考えていた。
とにかく、話し相手の部員も部室もないんじゃ残る高校生活をエンジョイ出来ない。
そんな考えである。
朝のホームルームまであと十分。
教室はまだ半分ほどしか埋まっていない。
田浦大地が欠伸をしながら入ってきて、自分の席にどさりとカバンを投げる。
「お―、星野。お前にしては早いじゃん。ん? なに書いてんだ?」
海人の机に広げられたA4の申請書を横から覗き込んだ。
「宇宙科学——研究部? お前、三年にもなって今からこんなの作んの?」
「三年になったからじゃなくて、前から作りたかったんだけれどさ。話が合うというか分かる人がいなくて。一人じゃ倶楽部の承認がとれないから諦めていたんだよ」
「ふーん。まあ宇宙の濃い話する奴はお前くらいだもんな」
田浦は、まだ登校していないやつの椅子に座ると背もたれに片手を乗せて、のんびりとした調子で続た。
「それで? いままで放っておいた申請書をだしてんのは、部員のあてが出来たってことか?」
「ん──、まあ、わかんないけれど、なんとなく?」
「なんとなくって、お前……」
呆れたように首を振ったが、それ以上は突っ込まなかった。
田浦大地なりの付き合い方である。
「まあ、最悪の最悪、ダメだったら声かけてくれや。考えとくから」
チャイムが鳴り、担任が教室に入ってくる。
生徒たちがぞろぞろと席に着き始める中、明日乃未来が静かに滑り込むように着席した。
その一瞬、海人の方をちらりと見て——机の天板を指でチョンチョンとつつく。
何のことかと思い、海人が机の中に科学雑誌を入れようとすると、中にまたもやカフェオレが置いてある。
明日乃はそれを確認するように視線を走らせ、すぐに前を向いた。
一体、いつ、人に見られないように入れているんだろうか。
カフェオレをどけてみるとメモが見えた。
中でゴソゴソやり、開いてみると一言だけ。
「今日も屋上で待ってる」
昼休みのチャイムが鳴ると、いつも通り周りが他に気を取られているうちに、今朝もらったカフェオレとコンビニのコロッケパンを持って屋上へいく。
屋上のドアを開けると、やはり明日乃の方が先だった。
弁当箱を膝に置いて片手をひらひらと振ってみせている。
彼女の元に駆け寄り、人ひとり分開けて隣に座った。
「星野もさ、まあまあ早くなったんじゃん」
そう言いながら弁当箱の蓋を開けると鮭の切り身や玉子焼き、ほうれん草と星型人参という彩りよい手作り弁当だった。
箸を割ったところで海人がポケットの中からクタクタの紙を取り出したのを明日乃は見ていた。
「あっ、悪い。食べながらでいいから聴いてくれる? あのさ、これ、倶楽部創設の申請用紙なんだけれど。宇宙科学研究部っていうのをやりたいってずーっと思ってて……」
箸が止まった。
「宇宙」という単語に反応したのは明白だった。
「それこそ、前に明日乃が言ってたように、宇宙は見るだけならいいけれど好きってほどじゃないくらいの人ばかりでさ。僕一人じゃ倶楽部設立要件を満たしてなくって」
明日乃は、弁当を一口食べて、もぐもぐしてから
「早い話が、わたしに入部してくれということ?」
ど直球が返ってきた。
「ありていに言うとそうだね」
沈黙が数秒。
弁当に視線を落としたまま、鮭を箸でつついている。
断る理由を探している——わけでもなさそうだ。
「いいよ? ただし、条件!」
人差し指をぴっと立てた。
蒼い瞳がいたずらっ子のように光る。
「なんかあるとは思っていたけど。いいよ? どんな条件?」
すると人差し指の照準を申請用紙に移した。
「活動内容が天体観測以外もあるんでしょうから、堂々と話せる場所が欲しいよね。ここだと……誰が来るか分かんないし」
そう言って屋上の入口を顎で軽くしゃくった。
「二人で屋上」というのは予想外のリスクをはらむ。
実際、部室がなければ夜の天体観測しか活動できない倶楽部になってしまう。
夜に暗い所で、ましてや高校生の男女では、かなり怪しい目で見られるだろう。
ゆえに部室は必須条件とも言えた。
「倶楽部申請が通ると、部室をもらえる相談が出来るようになるんだ。それでどうかな」
「上出来」
即答だ。
満足げに弁当を再開しだす。
食べる速度も明らかに上がっている。
海人的には、その即答は微妙だった。
そんなにすぐ賛同してくれるなら、何年も前から自分を観察していたのだから、もっと早くから声をかけて欲しかった。
だが、声をかけなかった理由も漠然とではあるが、自分の宇宙への理解度に関係していることだけは想像がついた。
宇宙論について話をしている時の彼女の食いつき方が女子高生のそれではなかったからだ。そして二年前の自分の視野と思考では、今の様な関係にはならなかっただろう。
「でひゃ、ひゅうこうひゃの、うひふっ、選べるの?」
どうやら旧校舎の部室が選べるのかを聞いているらしい。
何も食いながらしゃべるほどの急ぎ要件じゃないのだが、明日乃的には重要案件なのか。
ここは笑いながら注意してみた。
「とりあえず飲み込んでから喋ってくれる?」
続けて質問に答える。
「旧校舎なら、恐らく選び放題なんじゃないかな? 変な噂もあるから体育系の器具置き場以外の利用者があまりいないんだよ」
「変な噂?」
興味をひいたのか、また食べるのをやめた。
「わかるだろ? 学校の噂ってスピリチュアルなものしかないからさ」
「ああ、そっち系の」
そういっただけで、どうでも良かったのか弁当の続きをしだす。
「ふぉーゆー、ほすのは、こあいのふぁ、ふぉうなのよ?」
とりあえず、この暗号発音はまだ理解が出来る。
「そうだなぁ。幽霊は怖いし絶対に嫌だけれど、それ以外ならなんとかって感じ? ポルターガイストが酷いとかじゃなければ。あと実害がなければいいな」
ふーん──という、声とも息ともつかないような意味深な、それにどこかにこやかな顏で応えてきた。
だが、その笑顔が何を意味しているのかまでは、今の海人には分からなかった。
それと、お返しに”お前の話はこれくらい聞き取りにくい”という実践をしてやろうと、コロッケパンを食いながら返事をしてやった。
「あふのは、ふぉーゆーの、ふぁりなんぶぁ?」
明日乃は自分もやったことなので、ぐぬぬぬという顏をしている。
「うん……まあ、平気だよね。それに、そういうのあったらあったで面白いかもしれないじゃない? 見えるってことは電磁波なんだし、聴こえるってことは空気の波動なんだから別にね。科学で考えたら案外と星野も平気なんじゃない?」
さらりと言ってのけて、最後に玉子焼きを口に放り込んだ。
明日乃の達観した意見に感心しながら、海人はカフェオレでパンを流し込んだ。
「でも、どっちかというと問題はそこじゃなくて、部員二人だけで申請の許可を通してくれるかの方が難易度高いかな。しかも、申請するのが僕じゃねぇ……」
「え? どういう意味?」
「僕は教師ウケがかなり悪いから。ま、自分が悪いっちゃ悪いんだけれど」
「あ──」
何か心当たりがあるような、ないような曖昧な相槌だった。
おそらく海人の授業態度、おそらく大半が上の空であることを思い浮かべている。
「例えばさ。わたしが一緒に職員室に行ったら多少マシになるかな?」
それは援軍としては理想的だ。
が、それは、明日乃との友人関係を公にすることになる。
その後のことを考えると、お互いにとって良い方向になるとは思えない。
「いや、めちゃくちゃに嬉しいんだけれどさ、これは僕が好きで始めることだから自分で行くよ」
彼女は、ちょっぴり感心したのか一瞬びっくりしてからニヤリとしだした。
「つーまーりー、星野も男の子なんだぁ! わかった。用紙貸して」
受け取った申請書に目を落とす。
「宇宙科学研究部」の文字は昨日書かれたものだが、用紙自体がくたびれて、折り目は脆くなっていてるし端が少し丸まっていた。
「これ、ずっと持ち歩いていたの?」
「だって、いつ、誰か、興味ありそうな人と会うかもしれないじゃないか。そう思って……そんなこと思ってずっと持っていたんだけれど、結局そんな人はいなかったよ」
夢を語れない、共有する相手がいないという寂しい話であった。
「そっか……」
明日乃は、弁当箱を下敷き替わりに、どこからか取り出したボールペンで用紙に名前を書き始めた。
いままでのメモ同様、プリンター出力のように明日乃未来と記入しているのを見て海人は(本当に手書きだったのか)と驚いた。
当の明日乃は部員の欄に二人の名前が並んでいるのを見て、ふっと息をついた。
そして申請書を海人の胸元にぽんと押し返すようにして渡した。
指の背が海人の胸元に軽く触れる。
「申請、通るといいね」
六時限目終了のチャイムが鳴る。
明日乃の元にワッと男女が集まりデートやら遊びの誘いをする中、海人は倶楽部申請用紙を持ち職員室へと向かう。
審判の時がきたかのように厳かな気持ちでドアをノックし開け、担任の場所を確認してから中へと入る。
入口付近で立ち止まり、軽く礼をしながら”入ります”と一言。
担任教諭の席は職員室のほぼ真ん中辺りにあった。
他の教員の机の間をすり抜け進む。
担任の山田徹男は名前の通り、実に固い性格の先生である。
ある意味で海人とは最も相性が悪い。
山田教諭は書類の山から顔を上げ、海人の姿を見るなり露骨に眉をひそめた。
「星野か。お前また何か始めるのか。冬休みの自由研究レポート、宇宙人との遭遇可能性についてだったな? 私は思い出しても、ため息しか出ないがね」
そういうと本当に大きくため息をした。
むかっ腹がたったが、今は我慢だ。
きおつけ姿勢で誠実対応に努めることにする。
「いえ、今度は、そんな浮き足立ったことではありません! 物理学を主体とした、観測実体も含めた純粋研究の倶楽部の設立を希望いたします!」
「あ~? 新規倶楽部? なんかそういや、お前、一年の時にそんなようなこと言って用紙を持っていってたっけか。もう、宇宙人研究するわけじゃないのか? ん~?」
嫌味ともつかない口調だった。
しかし、東京上空に居座る宇宙艦の存在までは山田教諭も否定できなかった。
宇宙艦だ、宇宙人だについては、なにも海人だけではなく毎年のごとく何人かは自由研究で出している。
ただし、その中でも星野海人の自由研究は、現国が専門の山田教諭には内容がサッパリ理解出来ないものであった。
ペンを置き、椅子をぎしりと鳴らして海人のほうに体ごと向き直る。
「んで? 何人でやるって?」
「正直、申請最低可能数の二名です。こちらです」
申請用紙を受け取って、部員欄を見る。
そこには自分と明日乃の名前が記入されている。
明日乃未来。
少し眉が動く。
「明日乃?」
意外そうな顔である。
用紙を裏返したり名前の筆跡を確認したりと、何か裏がないか探るような目つきだ。
散々、見回した後でも納得しかねている。
「お前と明日乃が? どういう組み合わせだ?」
職員室の奥で他の教師がちらちらとこちらを見ている気配がした。
「僕も意外でして。ただ、騙したとかではなく実際、天体現象や物理的なことに強い興味があるということで倶楽部参加を快諾されました」
申請用紙をデスクに置いて腕を組んだ。
疑わしそうではあるが、即座に却下するほどの材料もないという表情である。
「ふうん……う~ん……」
しばらく唸っている。
山田教諭は全校生徒の生活指導も兼ねているので、海人と普通の生徒との組み合わせでは倶楽部申請は通らなかったであろう。
だが、明日乃未来のネームバリューが効いていた。
生活指導の立場からして、問題児と優等生が同じ部にいるなら監視は容易い、というより明日乃に任せてしまうのも手——という計算が働いたのだろう。
「正直な、うちの高校で天文学系の倶楽部って近年での設立前例がないんだよ。予算も出ないぞ。それでもいいのか」
これは脈ありだ。
「そこは全く問題ありません。部活に必要なものは私物を投入させて頂きます」
「私物って、お前の金でってことか」
呆れとも感心ともつかない息が漏れた。
山田は後頭部をがりがりと掻いてから、引き出しを開けて判子を取り出した。
もう一息だ。
「まあ、顧問は俺がやるしかないんだろうな、この状況だと。幽霊顧問になるだろうが」
ここで、どうしてもせしめなければならないものを海人が切り出した。
「あの! 物理を学ぶ関係上、どうしても部室が必要なのですが、ご手配頂くことは可能でしょうか!」
「部室は旧校舎の空き部屋から好きに選べ。もし鍵が必要なら鍵は事務室で倶楽部名を言えば貸し出す。ただし問題だけは起こすなよ?」
山田が申請用紙に判子を押すために朱肉スタンパーにゴム印をポンポンと打ち付ける。
「有難うございます‼ あの、屋上の使用許可はでますか? たまに観測に使おうと思うんですが」
「屋上⁉」
スタンプする寸前で山田の手が止まった。
かなり怪訝な顔をした。
それというのも、広いからと模型倶楽部の連中をそそのかして無許可でプチ四駆のサーキットを作って走らせた挙句、プチ四駆が中庭にダイブして学食まで走っていってしまったことがあったからだ。
「何に使う気だ? お前、実験と称してまたサーキットやらラジコンのドローンやらを持ち込む気じゃないだろうな?」
「いえ、天体観測の為に視界の良い屋上に天体望遠鏡を設置して観測するためです」
これにはさすがに「まあ天文ならそうだろうな」と納得するしかない。
申請書に許可印を押してから、別の書類をさらさらと記入して、承認済申請証を海人に渡す。
「ほら。活動日誌だけはちゃんとつけろよ。それだけだ。もういいぞ、帰って受験勉強しろ」
許可用紙を受け取ると、二年間の我慢が報われて感慨もひとしおだ。
「有難うございます!‼ では、早速ですが本日より活動開始します」
それを聴いた山田教諭の手がまたもや一瞬止まるが、面倒くさくなってきたのだろう。
もう一枚の書類にサインと認印を押して渡すと、手を振って追い払う仕草をしながら、
もう次の書類に目を移していた。
職員室を出た海人の手には、承認済みの申請書と屋上使用許可証。
今日の戦利品だ。
廊下の窓から差し込む西陽が紙を橙色に染めていた。
さて、明日乃への報告をするか、それとも旧校舎を見に行くか。




