第五十六話 海水浴のはじまり
つまり全国に幾つかの「座敷わらしと会える宿」というのがあるが、それらは座敷ちゃんが過去における何らかの理由で言わば出張や出前をしている場所であり、それ以外にも、この旅館のように人知れず直接運営に携わる宿が何軒かあるということだった。
「ということは、宇宙科学研究倶楽部の部室って何になるんだろう?」という疑問には、即座に(別荘)と書いた。
つまり、仕事場でも別荘でもない、本当の自宅がどこかにあるということか。
だが、それは人間は行くことが出来ないところにあるのだろう。
「お客様のお部屋は、四部屋ご用意させて頂きました。宜しいようでしたら仲居がご案内差し上げますが……」
部屋が別々なので、駅弁を見せ合いながら食べるためには一旦誰かの部屋に集まって食べようかと相談をしていると、仲居がそれを聴いて「それならば、当館の庭園が御座いまして、そちらの休憩する場所でお食べになられては」と提案してきた。
「それでは」と荷物はひとまず玄関に置いたまま駅弁だけ持って庭園で食べることにした。
本館の中庭が美しく整えられた枯山水の日本庭園となっており、大きめの飛石が続く庭園の中ほどに五、六人で座れそうな東屋がある。
行ってみると、とても風情がある眺めだ。
ぐるりと見回すと、この旅館は建物に対して庭園が非常に広いことが分かる。
飛石は曲線を描いて更に奥まで伸びており、茶室よりも大きい、隠れ家的なものも見えている。
この素晴らしい景観の庭園で駅弁を食べられるのは至福だ。
ただ、問題は誰がどの弁当を食べるのかを全く決めていない為に、人気弁当の争奪戦になる可能性がある。
とりあえず、駅弁を並べ各自の希望を聞いてみる。
と、その時、座敷ちゃんが日の丸弁当を抱え込んだ。
どうしても、それが良いということらしい。
だが正直な感想として、見かけから一番不人気だろうと予想していた弁当なので……いや、勿論、海人だけはスペシャル日の丸弁当の中身がどういうものなのかは知っていたのだが、まさか座敷ちゃんが抱え込むとは思ってもみなかった。
明日乃と姫子が日の丸弁当の意味を知らなかったので簡単に説明すると
「座敷ちゃん、なにも遠慮して日の丸弁当を選ばなくても」
「ちゃんとジャンケンとかで決めようよ」と同情とも困惑ともつかない声をかける。
だが座敷ちゃんは、ずっとふるふるして日の丸弁当を手放さない。
何か理由があるように思えたので聞いてみた。
「日の丸弁当に何かあるんですか?」
すると(此れだけ知っている)と書いた。
つまり、知らないものより馴染みあるものを選びたいということらしい。
これには一同納得して、座敷ちゃんは日の丸弁当に決まった。
そうなると、並んだ弁当は、どれも甲乙付け難く美味そうであり、話し合いでは決められない。
このままでは千日手になってしまい弁当の鮮度がただ落ちていく。
なので並べられた弁当の左から順に番号を振り、ジャンケンをして勝った順で一番から順に取っていくことにした。
全員、決まったところで同時に「いただきまぁす」と食べ始める。
田浦は当たった水戸印籠弁当を手に取り、蓋を開けると、おかずと炊き込みご飯の二段になっている。
その時点で「ははぁ~!」と言いながら弁当に頭を下げた。
どうして、印籠が当たった奴がひかえているのだろうか。
横から姫子が「くるしゅうない。面を上げい」と茶化すと明日乃に「あんたは頭が高いのよ」と刺されていた。
食い始めた田浦は「ヤバい! んめ! ヤバ!」しか言ってない。
コイツに食レポは無理だ。
そして何やら美味しいを通り越して感動すらしているらしい。
「俺、この印籠……家宝にして使うことにするわ」と言っている。
家宝と使うが矛盾している気もするが、要するに、それだけ気に入ったということなのだろう。
姫子は一度決まったあとも「あっちも食べてみたかった」「こっちが食べられないのは悔やむしかない」と散々言っていた。
が、常陸牛のすき焼きと常陸の輝きという豚生姜焼きの両方が食べられる弁当が当たり、「メインが二つもある!」と言うといつものように超爆速食いをせず噛みしめるように味わいながら幸せそうに食べていた。
海人は釜揚げしらす弁当。
明日乃は磯べんだったが、お互い途中で交換して食べてみては「わあ、しらす美味しい!」「タコの炊き込みご飯とアンコウの揚げ物も美味いなあ」と仲良くやっている。
座敷ちゃんは、弁当の蓋を開けると日の丸弁当の名前の通り、大きな梅干しが真ん中に一つと小さく香の物が添えられている以外、一面、真っ白な白飯の弁当だ。
それを見た途端、座敷ちゃんと海人以外の三人が申し訳なさそうにした。
これだけ立派な旅館のオーナーに食べさせるには罰ゲーム過ぎるということらしい。
座敷ちゃん自身は、大きな梅干しと上質な白飯だけでも充分な贅沢弁当だったらしく、ちょこっと梅干しを崩しては口に運び、白飯を運んでは至福な表情を浮かべている。
何度かご飯を口に運んでいたが、箸がピタリと止まる。
「どうした、座敷ちゃん? やっぱ弁当、寂しくなったか?」
田浦が気にして覗いてみると、白飯の下からそぼろらしきものが見えている。
「なんだ? 何か入ってるみたいだぞ」
座敷ちゃんがご飯をとっていくと下からおかずがどんどん出てきたのを見て驚いている。
それからニマァーと笑うと姫子並みの爆速で食べきってしまった。
本当は充実したおかずも羨ましいと思っていたに違いない。
こうして、遅い朝食は全員が満足して食べ終えた。
ゴミは仲居さんに渡したが「印籠の入れ物は持って帰りたい」と田浦が念押ししていた。
「それでは、皆さまのお部屋のご案内をさせて頂きます。お足元をご注意されてお二階へどうぞ」と緩く広く作られた階段を上がっていく。
ここも艶が出るくらいに磨き上げられ、うっかり足でも滑らせようものなら下まで一気にいきそうだ。
案内された部屋は、四つ並んでいるのだが、それぞれが別々の特徴を持つ部屋であることが説明された。
海人は月影の間、明日乃は潮音の間、姫子が朧の間、田浦が凪の間と名前が付けられている。
共通しているのは、かなり大きな窓と更に大きな天窓があり、上下方向は海から空までが視界一杯に広がっていることだ。
日中は陽の光が入り過ぎる為、紐と滑車で天井にも設置された障子を開閉出来るようになっている。
「そのほかの特徴につきましては、ご休憩や夜のひとときの際にご自身で体験なさってください」と言う。
なんとも意味深なことだ。
「お食事は、一階奥の宴会場が御座います。本日の夕食は午後七時を予定しておりますが、遅くなられましても夜七時以降でしたら何時になられても構いません。お腹が空かれましたらお越しください。説明は以上となりますが、お困りの際には部屋に呼び鈴が御座いますので鳴らして頂ければお伺いいたします。それでは、おくつろぎくださいませ」と言い、仲居は去っていった。
「ま、それじゃ廊下で立っていてもしょうがない。まずは各自、部屋に荷物を置いて、海に行く準備をしようか。三十分後に玄関で待ち合わせでどうかな」
「りょうかーい」
「じゃ、あとでね」
と各人がそれぞれの部屋に入っていく。
海人の部屋は、先ほどの説明に使われた部屋だ。
防砂林が続く先に海が見える。そして海まで続くであろう一本道もある。
(海まで案外近いな)
それからしばらくの間、景観を見ていたが、ふと幾つか気になりだした。
海が近いわりに静かだ。
いや、静か過ぎる。
自分に耳鳴りがしていることに気がついたくらいに音がしない。
だが、旅館などの経験がほとんどない海人にとって、これが正常なのかどうかの判断がつかない。
高級な旅館が落ち着いた雰囲気をだす為の普通の防音なのかもしれない。
でもまあ、気にしていてもしょうがないので着替えをはじめた。
一方、明日乃は部屋がとても心地よいので窓際の椅子に座ると着替えするのも忘れて寝てしまいそうになった。
柔らかく遠くに聴こえる波の音。
そして間接照明でもないのに優しい光。
(地下基地にも、こういう部屋作ろうかな)と考えながら、今しばらくの間、目をつぶり座っていた。
姫子は部屋の真ん中で立ったままだった。
空気が違う。
周囲の変化を何も感じない。
どんな場所でも、たとえウケない話をしている時でさえ、彼女の感覚は常に何かを感じ取っている。
敵意や警戒などの反応からリラックスしても良い感触なのかまでを意識・無意識に関わらず探っている。
ただ、いちいち口にだして言わないだけだ。
しかし、今は違う。
入力してくるものが一切無いのだ。
こういう経験はいままでなかったので、どう対応したものか分からず立っていた。
「これは……何もないなら、何もないんだから、警戒もしなくていいのかな……」と独り言を言っていた。
その時、田浦は部屋が異常に静かであったり心地よい光であったりを一切気にせず、浮き輪を膨らませるのに一所懸命であった。
「よし、まず浮き輪完成‼ 次はビーチボールだな。あとは……と。これよ、これ! ふっ、俺のウォーターマグナムが黙っちゃいねぇぜ」と言いながらポーズを決めた。
「いや、こうじゃねぇな? 俺のマグナムが黙っちゃいねぇぜ、お嬢さん……こっちか? こうか?」
完全にマイペースだった。
三十分後に玄関に集まった四人のうち田浦だけは、やたらと元気だが残る三人は、なんだか妙に落ち着いている。
「あ? なんだ、おめーら? なにテンションだだ下がりなんだ? なんかあったのか?」
「いや……何もない。むしろ何もなさ過ぎてな」
「それそれ。わたしの部屋も何もないんだよ」
「わたしの部屋もいい感じ過ぎて、お陰で妙に落ち着いちゃっただけの話。でも、ここから盛り上がろうよ! さあ、海にいこ!」
海への道は窓から確認出来たのでいいんだが、致命的ともいえるものを忘れてきてしまった。
ビーチサンダルである。
ビーチパラソルやリクライニングチェアなどは現地のレンタルを使うつもりだったのでうっかりしていた。
まあ、ビーサンくらいなら、店でも売っているだろうから買えばいいかと割り切る。
すっかり海に行く恰好で玄関にいたので仲居さんから声をかけられた。
「お客様、海へ行かれるのでしたら、一番近い浜は何もありませんからパラソルもサンダルもお貸しいたします」
プライベートビーチということだろうか。
窓から見えた海への道がそうだったらしい。
それはそれで静かでゆっくりと海を満喫するにはいいかもしれない。
が、姫子と田浦は満足出来ないだろう。
「サンダルだけお借り出来ますか。ちょっと混んでいても海の家とかで飲み食いしたいというのもありますので」
「そうですか。では、ここから真っ直ぐには近くの海水浴場には行けませんので、御履き物はこちらに来られる際の物をお使いになられて、海水浴場にお着きになられましたら、こちらの袋に入れておきましたサンダルをお使いください」
親切に人数分のビーチサンダルが入った袋を手渡してくれた。
「どれくらい歩きますかね?」
「そうですね……この森の入り口までが三百メートルありますから、そこから左に曲がって、それから海の方向にですので……全部で八百メートルくらいでしょうか」
何キロもあるのかと思っていたら想像よりは近かった。
「わかりました。それでは行ってまいります」
各自バスタオル等が入ったバッグを持って、何をしようかと話しながら海水浴場へ向かう。
「行ったら、まず基地とする海の家を決めないとな」
「基地って。星野さ、家じゃないんだから」
「ああ、お前んち基地っつーか青少年科学館だろ」
明日乃が言っていることと田浦が言っている星野家の中身の意味が違っているのだが、話は合っているのが海人にはなんだか悔しい。
「食べ物が多いところを選ぼうよ、海の家!」
「姫子、食べ物は海の家同士だとそんなに差はないと思うぞ。むしろ僕らに大事なのはシャワーとか更衣室がどうなっているかだよ」
「あ、そりゃそうだな。そこは星野の言う通りだ」
海岸に近づくにつれて駐車場を持つ海の家からの呼び込みやら看板が目立つようになってきた。
足元も砂になり、ついに目の前に海が広がる。
快晴の青空の下、藍色の海が広がる。風も緩く波も小さい。
焼けた砂が熱い。
実に海水浴日和だ。
海に入って遊ぶ人やいろいろな浮き輪で漂いながら寝ている人、波打ち際で砂の城を作っている人など一杯だ。
明日乃が興奮してつい声を上げた。
「わぁ! まともに海に来たの初めて! 単なる海水なのになんで興奮できるんだろ、わたし‼ なんか楽しい!」
「早く‼ 早く海の家決めて海に入ってみようよ、お兄!」
姫子が海が初めてなのは当然として明日乃まで初めてなのは意外だった。
ふたりに急かされて、並んで建っている海の家を比較してみる。
立て看板に[シャワーあり][更衣室]が書いてあるのは、どの海の家にもあるのだが焦らないで見ていくと一軒[鍵つきロッカー完備]と書いてあるところがあった。
「ここにしよう。席代とか少し他より高いけれど鍵付きのロッカーは助かる」
店頭で気の良さそうなオッサンが頭に鉢巻をしながら焼きそばを焼いている。
「はい、らっしゃい‼ 焼きそば? 席かな?」
「あ、席を利用したいんですけれど」
「四人さんね。おーい。四人様、お席ご利用!」と大声でオッサンが言うと、奥から「はぁーい、四人様ご来店で! いらっしゃいませ。お好きな位置のテーブルにお座りください」と奥から同年代くらいの女子が現れた。
田浦が小声で「お前、本当にこういうのくじ運いいな⁉ 夏休みのバイトの娘かな」と言うので「お前じゃないんだから、そういうので選んでねぇよ!」と小声で返す。
テーブル席は、どうせ壁はないのだからと海が思い切り見える入り口に近いところにした。
荷物を置き、座ったところで
「それでは簡単に説明しますね。更衣室は男女別に三つずつあります。ロッカーは、使う時百円かかりますが出す時に戻ってきますから、忘れずにお取りください。食べ物、飲み物は持ち込み自由です。ご注文がある際にはお席までお運びします。ビーチパラソルやチェアベッド、ボートなどは有料です。浮き輪も有料ですが、空気入れは自由にお使い下さい。サンオイル、日焼け止めクリーム等は有料ですので必要でしたらお声がけ下さい。だいたい以上です」
「はーい、わかりました、お姉さん!」
早速、ウケを狙って田浦が返事をする。
くすりと笑って「では、ごゆっくりしてください」とだけ言って、その娘は奥に引っ込んだ。
「早速、ふられたな」
「そうね、半袖の袖にも引掛けてもらえてないわね」
「ふられた、ふられたぁ」
「そんなんじゃねぇから! いいから、まずは海に入ろうぜ!」
バッグから必要なものだけ出してロッカーに入れると「じゃ、のちほど~」と言いながら先に女子二人が更衣室に入っていった。
「さぁて。いよいよ、うちの高校きっての女子二人の水着を拝めるってことか。おい、俺達も早く着替えようぜ」と言いながら田浦も更衣室に入った。




