第五十五話 大洗へのはじまり
結局、海人は天体望遠鏡の専用リュックは重いので、アルファウォーで行く姫子に持っていってもらうことにして、他は、なんとかバッグ一つに収まるところまで荷物を切り詰めた。
まずはJR柏駅に向かう為にかなり早めに明日乃と共に出発する。
「じゃあ姫子。向こうでな」
「うん、気をつけて……って何に気をつけるのか分かんないけれど」と笑いながら玄関で手を振っている。
バス停まで歩いていく間に明日乃が向こうを向きながら手を伸ばしてきた。
髪の隙間からチラッと見える耳先が赤い。
「二人っきりなの久しぶりだから、手くらい繋ご……」
「あ、うん。そうだな」
まともに手を繋ぐのは、いつ以来だろうか。
そういえば今日、明日乃が着ているのは、一緒に住みだした頃に初めて買った白のワンピースだ。
綺麗な女子は何を着ても大概は似合ってしまうものなのだが、今着ている服は、特に爽やかな感じがして夏休みという時期もあり似合っている。
対して海人はというと、昨日、座敷ちゃんに見せられた異世界の印象が残っていたせいか昔の米SF作品タイムトンネルのTシャツに宇宙柄の薄い上着という、どうにも正体不明な恰好であった。
そもそも海人のような人種はコーディネートという単語を人生のどこかに置き去りにしてきたので仕方がない。
とはいえ、見ようによっては痛車ならぬ痛人間なのであるが、明日乃はそういうところも海人らしいと思っているようなので、たぶん問題はないのだろう。
早朝なのでバスは空いていたが、後ろの二人掛け席に座った。
隣の明日乃がベッタリくっついてくるのだが、下を向きっぱなしで、たまに目線をよこしては恥ずかしそうに笑みを浮かべている。
これは男なら自分はモテる奴だと勘違いしそうなものだが、海人の場合はボールペンの超硬合金並みに硬いモテゼロオタクという自覚がある。
だから明日乃とのバランスがとれていない自分で申し訳ないという気持ちと明日乃に自分の出来うることをするという信条から他の女性に対して心が揺れるということがない。
明日乃は明日乃で手を繋いだり身を寄せたりすることで海人の思考構造の一部が流れ込んでくるのが嬉しくて、照れながらも今は二人だけだからとベタベタしているのであった。
バスは渋滞もなく二十分程で栂戸市の駅前バスセンターに到着した。
ここから柏まではJRで十分程で着く。待ち合わせ時間の七時半に柏駅内のみどりの窓口前で待っていようと自動改札を出ると後ろから声をかけられた。
「あっ、なんだよ。星野と明日乃さんじゃん。同じ電車の車両違いに乗ってたのか」
見るとパイナップル柄のアロハに短パン、麦わら帽子という分かりやすい格好の田浦がいた。
「タイミングバッチリじゃないか。ここからだけど、特急券買って五十二分発のときわ51号で水戸まで移動だ。そこから第三セクターに乗り換えするんだけれど十分くらい時間があるから駅弁買っていこう」
「マァジかっ‼ 列車で駅弁食いながら移動ってか!」
田浦は喜んだが、そうはいかなかった。
「いやぁ、残念ながら駅弁食うのは大洗に着いてからだよ。十五分しか乗っていないからなあ。だから水戸駅で駅弁を五種類買うぞ」
「そっかぁ。列車に乗りながら食えないのは残念だが、でも、五種類も買うのは燃えるぜ!」
「五種類ということは、姫子と座敷ちゃんの分もなのね」
「僕は姫子に望遠鏡という人質とられているから駅弁を与えないと、どうなるか分からないからな」
「よぅし。じゃあ、とっとと、なんちゃら28号だかに乗って駅弁買いに行っちまおうぜ‼」
「ときわ51号な」
柏から水戸までは約一時間かかる。さすがにいつもより早く起きての移動なので、列車が柏を出てから五分もたたないうちに三人共に寝落ちしてしまっていた。
軽く列車が揺れたので目を開けると土浦駅であった。
どうやら三十分くらい寝ていたらしい。
その三十分という短い時間を寝るだけでも身体的には全然違って、かなり頭がシャキッとしてきた。
「ん……今、どこ?」と目を覚ました明日乃が寝ぼけながら聞いてきた。
「今、土浦だから列車が駅から出たら筑波山が見えるんじゃないかな」
列車が動き出してから明日乃はしばらく窓の外の筑波山を見ている。
次の石岡に止まっても、その次の友部に向かっている間も黙って車窓から景色を見ていたが、ふと「ねえ。銀河鉄道じゃないけれど、こんな風に宇宙を旅してみたい?」と聞いてきた。
海人はしばらく考えてから「宇宙を旅はしてみたい。してみたいんだけれど、こうじゃないのも知ってるからね」と正直に答えた。
夢も浪漫もないと言われるかと思ったが、おおよそ女子らしくない答えが返ってきた。
「やっぱり、星野はいいね。妄想じゃないところに本当の夢があるのを知ってるのね」
何を想ったのかまでは分からないが、自分はどうやら褒められているらしいことだけは分かった。
もしかしたら、ちょっといい雰囲気なのかもしれない。
というところで「んがっ‼」という大きな声とともに田浦が目を覚ました。
そして「どこ? ここ、今、どこだよ⁉」と慌てているので「安心しろよ。乗り過ごしてはいないからさ」と落ち着かせた。
「あ、でも、あと二十分くらいで水戸に着くんだけれど、乗り換え時間が十分しかない中で切符買って弁当も買わなきゃならないから、ちゃんと役割決めて手分けしていかないとヤバそうなんだよ」
すると「あ? お前、何いってんだよ。寝ぼけてんのか? この列車乗る時だってスイカ使っただろ。チャージのこと言ってんの?」
どうやら、どこでも交通系ICカードが使えるものだと思っているらしい。
「大洗はJRの駅じゃないんだよ。鹿島臨海鉄道って会社で、大洗鹿島線はIC対応じゃないから切符を買わなきゃならないんだ」
「あ、そうなのか。俺、紙の切符買うの生まれて何回目とかって感じ。なんか新鮮だわ」
「そういうわけなんで、明日乃は切符を買っておいてくれないか」
切符と言われて困った顔をした。
どうやら、ピンときていないようだ。
「あ、今のなし。僕が切符を買っておくから、明日乃と田浦は、お金渡すから駅弁を買ってきてくれ。あとスイカは水戸までの清算で使うから、すぐ出せるようにしておいて」
海人は時間があまりないことを考慮して前日に駅弁を調べておいたのだが、まさか切符を買うということに二人とも若干の不安があるとは思ってもみなかったことだ。
駅弁は当たりはずれも含めて予備知識がない奴に買わせるのも面白いが、切符はいろいろとまずい。
それに駅弁の販売と切符売り場が離れていたとしたら?
多少不安だったのか田浦がスマホで何やら調べ始めると画面を見ながら頷き始めた。
「あー、乗り換えの為のコンコースに改札内店舗があるな。でぇ、買ったらそのまんま8番線に向かえば券売機もあるってさ」
「お、いいね。なら、弁当も三人で選べるか。実は弁当の下調べしてあってさ」
「星野って、そういうとこあるよね。無計画の中の計画性みたいなの」と明日乃に笑われた。
やがて水戸駅のホームに列車が停止すると、ドアが開くと同時に上の連絡通路に行く案内を探し出して走っていく。
階段を駆け上がると、すぐ目に付くところに売店があった。中に入ると朝早いお陰で数々の駅弁が売り切れもなく並んでいる。
「時間がない。今から言うやつを取ってくれ。磯べん、釜揚げしらす弁当、水戸印籠弁当、常陸牛のすき焼きと常陸の輝きの生姜焼き弁当、スペシャル日の丸弁当」
「わかった! ええと、釜揚げしらす、しらす……これか! 印籠弁当は、分かりやすいな」
「磯べんと常陸牛のすき焼きなんとかは、見つけた!」
「あとは……おい、日の丸弁当は罰ゲーム用なのか?」
「気にすんな、会計してもらうぞ‼」
「くぅ~! 弁当の名前聴いているだけでたまらんなあ!」
三人は弁当を買うと、急いで8番ホームへ向かった。
「あっと、券売機、券売機。ん⁉ なんか券売機が、どう解釈すりゃいいんだ、これは⁉」
「おい、星野。券売機にはJRって書いてあるじゃねえか。なんか違くねえか?」
「券売機はJRと兼用なのかな? じゃあスイカ使って買えるのか? ああ、なんか貼ってあるな。乗り換えをタッチ? 私鉄乗り換え、これか⁉」
合っているのかどうなのか分からないうちに乗車券が出てきたんで同じ方法で三枚買う。
「おかしいな? なんか簡易改札機にスイカとかをタッチしないとダメとか書いてあるんだが……あ、これ……か?」
ホームに行く階段の前で何か白い縦長の箱にライトがついている。
同じ列車に乗る人だろうか、ICカードをタッチしていった。
「どうも、これにタッチしてから乗るらしいな」
「お、おう。なんか乗るだけなのに難しくね?」
確かに慣れないと難しいだろう。
初めて利用する人や高齢者は大変そうだ。
それでも、時間内でなんとか乗れた列車はディーゼル車両であった。
ドアが閉まり、エンジン音が高く大きく響きだすと列車はぐんぐんと加速し始める。
見晴らしの良い高架線なので、広がる景色に見とれているうちに大洗に着いてしまった。
列車のドアが開くと既に潮の香がする。
駅から出て[つきわたり庵]の場所を地図で確認してから歩き出すと姫子から通信が入ってきた。
『お姉、お兄。今から発進するから五分後には[つきわたり庵]に着地してると思う。スマホ頼りじゃ旅館が近くなるとGPSが使えなくなるから、着いたらわたしが途中まで迎えに行くからねっ』
『わかった。こっちは、今、駅から出た。たぶん二十分くらいかかるんじゃないかな?』
田浦がいるんで、あまり大っぴらに会話が出来ないがコソコソと一言くらいなら問題なさそうだ。
観光がてら歩いて行くと海がチラチラと見えていたりするのでテンションが上がってきた。
とはいえ、目的地までは結構な距離がある。
これは徒歩よりレンタル自転車も手配するべきだったか。
幾つかの交差点を渡って歩んでいるうちに、いつの間にか木々のあふれる場所を進んでいた。
「あれ……グルグルマップもヤホーナビも使えねえんだけど。ここ、どの辺りなんだ?」
田浦がスマホを見ながら「変だなあ」と言っていたが「電波は全部立ってるし、ま、いっか」となったらしい。
背の高い木がうっそうと茂り始め、真っ直ぐな一本道になると、向こうから姫子が走ってきた。
「あー、やっときたきた! 結構かかったね。もう望遠鏡とかは玄関まで運んであるよっ」
「こっちもいいものを持参したぞ。朝飯に駅弁を買ってきたから旅館に着いて部屋割りと荷物置いたら、まず食べよう」
それを聴いた姫子の明るさが八百ルーメンほど上がった気がした。
午前の日差しの中で見る[つきわたり庵]は、夜とは違った質素な表情を持った木造建築物だ。
玄関前の駐車場とも広場とも言えない芝生のスペースの奥には多分、明日乃と女将にしか見えていない二体のロボットがいつでも搭乗出来る体勢に変形したまま休止状態となっているはずだ。
玄関口の右横には何か濡れ縁と足湯のようなものがある。
玄関に入ると、沓脱石と呼ばれる大きく広い一枚ものの花崗岩で出来た、上がり口がある。
その先にはよく磨かれた喫煙パイプのような深い風合いの木材で囲まれた玄関床と廊下が遥か奥まで続いており、普通の高級宿泊施設とは一線を画す雰囲気がある。
その真ん中に女将が座って出迎えをしてくれていた。
あまりの高級旅館ぶりに田浦が「おい、本当にここなのかよ⁉ いったい、一泊いくらのとこを予約したんだよ⁉ なんか俺とお前だけ恰好が場違いじゃね?」とビビりだした。
たしかに、ここにパイナップルのアロハやタイムトンネルのTシャツは似合わなさ過ぎた。
全員が玄関に揃ったのを確認して女将が話し始めた。
「この度は、当館へようこそいらっしゃいました。わたくし、当館の女将をさせて頂いております月代と申します。早速ではありますが宿帳へのご記入をお願いしてもよろしいでしょうか……星野様、確かご予約では五名様とお伺いしておりました。もうお一人様は、後ほどいらっしゃるのでしょうか」
ということは、座敷ちゃんが来ていないということか。
昨日、黄泉比良坂ノ門を通って簡単に来れるというデモンストレーションを見せてくれたと思っていたが違ったのだろうか。
「あの、もう一名は、実は紹介状を書いてくれた……って、あれっ⁉」
気が付いたら女将の横に座敷ちゃんが立っていた。
「座敷ちゃん、来ていたんだ。女将さん、その子がもう一名の予約の座敷わらしさんなんです」
それを聴いた女将は随分と慌てたようで、座敷ちゃんに向かって
「こういうことは、事前にもう少し詳しく教えて頂かないと困ります……」
と小声で言っているが座敷ちゃんは何故かウケまくっている様で、こちら側に背中を向けて笑っているのを見せないようにしている。
「あの、それではご宿泊は四名様に変更させて頂きますね」
どうやら座敷ちゃんを宿泊人数に入れないようだ。
滅多に外出しなさそうな座敷ちゃんに折角ここまで来てもらったのに、それは困る。
「あの、座敷わらしさんは、何故、宿泊は出来ないのですか? 人間ではないからですか?」
「え‼ おい、星野! そんなこと簡単にバラしちゃってもいいのか⁉」
初見の他人に座敷わらしの存在という秘密をあっさりと話してしまった海人に田浦は焦った。
女将も別な意味で焦って海人達の懸念を否定した。
「あの、そうではなくてですね。詳しくお話し致しますと、当館のような宿泊施設は何か所かあるのですが、その全ての館主がお客様のおっしゃる座敷わらし様なのです。なのでお代を頂くわけにはいかないのですよ」
海人以外は、女将が言った館主の意味が分からなかったので「ん~?」となっている。
「ねえ、お兄。館主って、どんな意味なの?」
すると海人は脱力した笑いを浮かべながら答えた。
「オーナーって意味だよ……」




