第五十二話 休み前の整理のはじまり
ロボットに乗り上昇すると、どうやら磯前神社の辺りの森らしいのだが、それは、ここまでの広大な森ではないはずだ。
では、いったいここは、どこなのだろうか?
そんなことを考えながら海人はベータに帰還コースを任せた。
後ろのモニターには部室と同じように解像度が揺らぎ、見えなくなっていく森と旅館がちょっぴり映っていた。
「明日乃、座敷ちゃんに勧められた旅館に予約してきたよ」
すると明日乃は、笑いながら『聴こえてた。なかなか正体不明でスリリングだけれど、わたし達にはあっているんじゃない?』と楽しそうだ。
さて、そうなると明日は山瀬達三人の場所を確認しながら、中庭に埋めたパスケースを掘り起こすことと、学校が終わってから水着を買いに行って、そのあと二台のロボットで大洗に行ってアルファウォーで帰ってくるという予定だ。
本当はロボットがフルオートでコントロール出来るなら一番いいのだが。
「なあ、前から思っていたんだけれどアルファやベータくらいなら無人で移動出来そうなもんだが、どうしてロボットをAIに任せないんだ?」
『そうねぇ。それは本当は出来るんだけれど、アルファとベータは、そう作らなかったの』
実際にガンマキャリーが無人で出撃出来ているのだからフルオートが出来るのは間違いない。
ただ、ガンマキャリーも自動で全てをやったわけではないから、その辺がどうなんだろうか。
「ふーん。なんか考えがあったんだ?」
『理由というほどでもないんだけれど、星野は自分の自動車が勝手に走って、誤って事故を起こしたらどうする?』
(理由というほどでもないと言いつつ、これはなかなかにヘヴィな問いだぞ⁉)
つまり明日乃は責任の所在をはっきりさせられないなら無人では動かせないということなのだろう。
(あれ⁉ そうなると別な指令で無人で動いているエスプレンダーは、どうなっているんだ?)
またまた、新たな謎が出てきてしまった。
だが(今更、一つくらい謎が増えたからどうだというんだ?)とも海人は思った。
しかも、エスプレンダーには明日乃や明日乃の父である宇宙艦が関わっているのだから、そういうことはそのうち理由も分かる時が来るだろうくらいな話だ。
それより今は宿泊代を抑える手段が分からない方が気が気じゃない。
風情がある静かな旅館の優しそうな女将と、えげつないかもしれない宿泊費用とのギャップが自分の中でどうにも折り合いがつかずにいた。
そして、つい「女性ってのは怖いなぁ……」と小声で口走ってしまった。
すかさず『ん? なんかいった?』『お兄、なんかいった?』と同時に聞いてきたので慌てて「なにも言ってない」と否定する。
【帰還位置に到着しました。周囲警戒後、着水します】
そんなちょっとした会話をしているうちに、もう帰還ゲートについてしまった。
百キロはあっという間だ。
大したこともしていないのに、なんだか疲れて帰ってきた海人と姫子を迎えた明日乃は、美味しい食事を出しながら二人からの旅館の様子を興味深げに聞き入っていた。
翌朝、リビングで朝食をとっていると照明部分のスピーカーから、ゆっくりとした口調での監視報告が入ってくる。
【山瀬の低周波振動音の頻度上昇を確認。続いて音声と映像から山瀬の再起動を確認】
「山瀬が動き出したな。今日で一学期が終了で授業は午前中だけだから、そのあと山瀬が休眠状態に入るのかが一つの山だな。僕は一時限目が終わったら中庭に走る。あとは四時限目が終わってから、一旦、部室に集合しよう。田浦には僕から伝えておくよ」
【山瀬の車両による移動を確認。到達予測地点、みいさと高校。到着予想時刻、8時00分】
「あいも変わらず予定通りね。じゃ、わたし達も行きましょうか」
「山瀬さえ予想通りに帰って機能停止してくれたら、わたし達も本当の意味で夏休みだよねっ、お兄っ!」
そう。実に腹立たしいが、夏休み期間中、僕らがどう過ごせるかは山瀬次第ともいえる。
もし、高校が休みなのに山瀬が動き出すようなことがあれば、高校以外にも特別な指令を受けていることになる。
それを見過ごすわけにはいかなくなるので、ヤツには是非、長期の休眠をして頂きたいのだ。
教室に入ると、どいつもこいつもまともに授業を受けようという雰囲気ではなかった。
ただし、それは夏休みで浮かれているという意味ではない。
クラスの大多数は大学受験の為の夏期講習と勉強で休みがほぼ埋まるのが普通なのである。
だから、最高にウキウキしているのは、推薦で進学する人のように[いけるところにいく]と割り切っている奴らだけなので、楽しさも半分以下という感じだ。
一方、海人には彼なりの特殊な心理状態があった。
受験への用意をするための緊張感や焦りは海人にもある。
だが、それは「良い大学」や「希望の大学や就職」をするためではない。
親から言われているのは「自分のやりたいことを見つけること」であり、それが見つかっていない現在で「希望の大学や就職先」の為に勉強をするということ自体に意味が見いだせていない。
周りの人達の焦りや進路を目指す熱量に背中を押されつつも、いつ、何が起こるか分からない世界となったことで海人は夏期講習といった長時間拘束される学習方法を選択することが出来ない。
それに、将来を夢見ながら勉強する彼らの姿も、海人にとっては守るべき日常の一つである。
彼らを守るためにもシミュレーターを含む訓練時間を削るわけにはいかない。
こうして自分の大切なものをスタックしていくと受験勉強を他の人達と同じようには出来ないのだった。
その焦りに押しつぶされない為にも[いけるところにいく]という選択は推薦組とは違う、自身の精神が壊れない為に必要な選択であった。
だが、それは一般的な学生の時限式の焦りとは違う、共有も相談も出来ないゆっくりとした重圧を海人に与える。
海人にとっての高校三年の夏休みとは、そういう悩ましい時期なのである。
そんな中で田浦に泊りがけでの部活の話をするのは周囲に多少の罪悪感があるため、田浦の席に行くと凡そ聞こえる限界の小さい声で決まったことを話す。
田浦にまで自分に付き合ってもらって悪いなあという気持ちで話をしたのだが、
当の本人は「俺は夏期講習だけは申し込みしてはいるが、短期の講習を選んだんだよ。いいか。お前がどう考えているかは知らんが、俺はお前といることで他の奴らには一生かかっても経験できないことに関わっているんだ。それを大学受験なんて一瞬のことと天秤にかけられるわけもねえんだよ。だから、気にすんな。そんなことより、明日、何時にどこに集合か決めねえと」
田浦には、いつも精神的な意味で助けられている。
今の話だけでも、海人が感じている正体不明のプレッシャーは、かなり減った。
「ああ、目安は付けてあるんだ。朝、かなり早いがイケそうか?」
「そんなもんは問題ねえ。それより、今日の午後はあれだろ? 例のお買い物」
部室でなんかの拍子に誰かが言ったことを覚えていたのか。
「そんなの明日乃と姫子が二人で行くもんだろ」
「あー、バカ! お前、全然、分かってねーな? そーゆーもんは、選んだもんの感想を聞かれて、そんでもってイイネくらい言うってもんが礼儀作法ってもんだろうよ」
「それじゃ、当日の楽しみが減るだろうが! センスオブワンダーってのがいいんだろ!」
「お前、マジでダメだな⁉ よし、俺も一緒に行ってお前を監督してやるっ!」
「おま! ふざけんなよ! ただ一緒に行きたいだけじゃないか! あ……」
いつの間にか普通にデカい声になっていたせいで、周囲の嘲笑と蔑みの視線を集めてしまっていた。
希望の進学先に行く為に、ある意味で他の人を出し抜くために夏休みを犠牲にする人達にとっては、彼らの話は能天気過ぎて聴くに堪えないといったところだろう。
「いいねぇ。先のことを考えないで生きている奴らは。僕らは受験対策で忙しいってのにさ。まあ、明日乃さんくらいになれば自由にやってられるだろうけれど、お前らじゃなあ」
という声が響いた。
榊原である。
「星野、気にすんな。俺は分かってるから」
「あ、うん」とだけ答え、席に戻るが榊原の話は終わらなかった。
「そもそも学生の本分を忘れている時点で既に負け組のスタメン決定だもんな。将来を気にしたりもしないか。いいねぇ、お気楽で」
むしろ、他の誰よりも将来が混沌となっていた海人にとって、この言葉は刺さる。
しかも、返せる言葉が見つからない。
「へぇ~。じゃあ、アンタは将来のことを考えて夏休み勉強するんだ? で、何になってどうするの?」と姫子が割って入りだした。
榊原は笑い飛ばし「何を言っているんですか。そんなピンポイントで物事を決めるわけじゃないですよ。自分の将来の可能性や選択肢を広げる為に進学するんですよ。今の段階ですら可能性を捨てちゃってる奴には分からない話ですよ」と自信満々に言い返した。
「そうなの? で、アンタにどんな可能性が秘められているっていうのよ? 言える?」
全く負けずに攻撃的な質問を叩き返す。
「昔っから言うでしょ。末は博士か大臣かなんてね。僕らには無限の可能性があるんですよ。そういうことですよね、明日乃さん!」
榊原が明日乃に話を振った瞬間に姫子は「ふっ」と笑った。
話を振られた明日乃は一言だけ答えた。
「夢がない話はつまらないし興味ないわ」
同調意見を期待していた榊原は虚を突かれた。
「えっ……そ……そ、そうですよ! その通りだ! お前らには夢を語れる可能性さえないんだよ。そういうことなんだよ!」
わあわあ叫んでいる榊原を放って、明日乃は海人に経過報告をしていた。
『山瀬が職員室に寄ってから、理科準備室に移動してる。これもいつも通り』
『わかった。じゃあ、僕も予定通りに一時限目が終わったら中庭に行ってくる』
『お兄、回収したパスケースの証拠隠滅したいならわたしに渡して。適当に移動させちゃうから』
部室に持っていくほどの物でもないし、こういう余計な証拠はない方がいい。
『そうしてもらうと助かる』
榊原が吠えている間に担任の山田教諭が教室に入ってきた。
「あ? なんだ? お前はホームルームの時間に何を演説しとるのだ榊原。寝ぼけて夢でも見てるのか? 座れ」
姫子が笑って肩を揺らしている。
『アイツ、夢叶ったみたい』
誰も聞いていないからいいようなものの結構な毒舌だ。
その後、一時限目が終わると海人は教室を飛び出して中庭のパスケースが埋めてある場所に走った。
本当は、どうでもいいのだが、周囲の様子を見ながら何者かに気付かれないようにポケットから悪口を書いた紙片を取り出してから足元を見ると、やはり掘り返した形跡がある。
それにワザと驚いたフリをして急いでパスケースを掘り出すと、何度も周囲を見回しながら新しい紙片を中に入れて右のポケットにしまった。
『明日乃。ナノマシンを付けた三人のうち誰かが僕を見ている位置にいるか?』
『いる。連絡通路の端から榊原が見てるよ。あ、移動し始めて……これは、理科準備室にむかっているね』
あまりの予想通りに、にやけそうになるのを我慢しながら焦った感じで理科準備室のある通路とは反対側の校舎の廊下に回ると姫子が待機していた。
『右のポケット』とだけ言うと、姫子は訓練で五メートルまで伸びた瞬間移動で、すれ違いざまに海人の学生服の右ポケットからパスケースを自分の右手に移動させる。
そのまま握りしめると拳の中から少し煙が出た。
そのあと ビシッ! という何かを撃ったような音がした。
『姫子、今の音ってなに?』と聞いてみると『一センチにまで圧縮して廊下の隙間に叩きこんだよ』と返ってきた。
さて、あとは山瀬が想定通りに休止するかだけだ。




